ルディガー公子の動揺
ルディはその初老の男に対峙した、ベルがエミルから聞き出した情報からセザーレ=バシュレ記念魔術研究所の執事の男と同一人物と判断した。
「俺に何かようかな?」
だがルディはこの男の名前をまだ思い出せていない。
「わたくしここの店主エミル君の友達でしてね、友達を心配するのは当然の事ですよ?」
その態度からはとてもエミルの友人とは思えなかった。
「エミル君の態度が最近おかしいのですよ、彼らしくもなく何かに怯えている」
「それと俺に何の関係が?俺が脅しているとでも」
「貴方の可愛らしい小間使にイジメられたようですね、かわいそうに」
その小間使とはベル以外の何者でも無かった、エミルが彼女を不用心に尾行したところを彼女に締め上げられ情報を絞り取られたのだ。
「お嬢さん、いや君達の存在そのものが彼を怖がらせているのですヨ、先程の魅力的なレディにも大いに興味がありますが、まずは貴方とお話したい、良い場所があるのでぜひ御案内させていただきたい、よろしいですかな?」
「俺は多忙だ遠慮させてもらおう」
男の顔が変わる、執事の仮面を脱ぎ捨て獰猛な野獣の顔に変化した。
「では力ずくでもご案内するしかありませんネ」
「話し合いはここではまずいな、場所を変えようか」
今や魔術街には人があふれ戦いのできる状況ではなかった、ルディはそれを見かねて誘いをかけたのだ、だがそれは挑発に等しい。
通行人が奇妙な組み合わせの二人に好奇心を刺激されたようにこちらを見ながら通り過ぎていく。
「いいですよ?エミル君の邪魔をしては申し訳ない、すこし場所を変えましょうか」
その男は不敵に笑うと裏通りに向う狭い道に入っていく、ルディはその発言の内容に僅かに訝しげな顔をしたが執事の男に付き従う。
その気になれば二人ともこの場から逃れる力を持っているが、二人とも戦いを回避しようと言う意思は無かった。
すでに『風の精霊』の店主エミルとの関係も洗われていると考えるべきだろう、だが彼らはどこまで自分達を把握しているのか掴みきれてはいなかった、いずれにしろごまかしは効かないと覚悟を決める。
ルディの味方は数が少なく敵は大規模だが守らなければならない者が増えた、受け身にまわってはいずれ追い詰められて行くだけだ、無謀だがあわよくばこの男を・・・
それに聖霊拳の達人と戦ってみたいと言う戦士としての秘めた欲があった、聖霊拳の使い手のアマンダは他の武術全般でも卓越していた、それゆえブラスがルディガー公子の身辺警護のためにアマンダを高級使用人として推挙した経緯があった。
彼女は徐々に立場が苦しくなるルディガーを守りながら、数え切れない程ルディガー公子と模擬試合を繰り返して来た。
だが幽界への通路を開いた後の彼女は人が対抗できる次元では無くなっていた、そして自分が幽界から帰って来た後も城の中ではどうしても精霊力を使うことがはばかられた。
果たして聖霊拳の上達者と本気で戦ったらどうなるのか?それを知りたいと言う秘めた欲求があった、だがアマンダとは本気では戦えない、不謹慎だがベルが目の前の男と戦ったと知った時に心のどこかでそれを羨望していたのだ。
その初老の男はしばらく裏道を進むと廃屋の庭に入り、そこで静かに振り返った。
その廃屋はもとは小綺麗な瀟洒な屋敷だったのだろう、小さな庭には石畳が敷き詰められ花壇の跡が遺されていた。
「ところであの素敵なお嬢様はどこにいるのですかぁ?」
「素敵・・・」
その時ルディの脳裏にある記憶が甦る、ベルが聖霊拳の男の名をエミルから吸い出したと教えてくれた時の事だった。
それを今はっきりと思い出した、ベルが言う処の『素敵なオジサマ』の名前はキールだった。
「あの娘は俺を探している」
だがそれは嘘ではったりだ、ベルが乱入してくるかもしれないと警戒させれば良かったのだ。
「なるほど、さてこのあたりで良いでしょう、ところで貴方はアラティアのご出身ですかな?」
「それがどうかしたか?」
「さてはエルニアでしょうか?私は一度だけリエカに行った事がありまして、希望の岬の風景はとても素晴らしいものでしたヨ、ここには海がありませんからまた生きたいですねえ」
懐かしげに男は旅の想い出を語り始めた。
ルディは不審を感じ始めた、この男が時間稼ぎをしている様に思えたからだ。
「キール殿無駄話はやめようか『セザール=バシュレ研究所』から増援がくるのかな?」
キールは目を見開き一瞬だけ驚いたが、それは深い苦笑に変わる。
「エミル君そんな事まで話していましたか?」
キールの顔が怒りで歪んだ。
「ちなみに『コステロ商会・セザール=バシュレ記念魔術研究所』といいなさい、大切な事なので略さないように!!」
その瞬間キールが攻撃に転じた、かれは数歩瞬時に踏み込み右の正拳をルディの顔面に叩き込む、だがそれをルディは僅かに力を解放し瞬時に加速し躱し攻撃に転じた、愛剣『無銘の魔剣』を横薙ぎで抜き放つ。
それは明確な殺意を乗せた神速の斬撃となる、その瞬間キールの全身から精霊力が迸りその斬撃を奇跡の体術で皮一枚で回避した。
彼は後方回転しながら回避して距離を確保した。
「あなたもですか!!いや彼女以上に聖霊拳の術者と戦い慣れていますね」
そのキールの顔に冷や汗が滲み顔色も気のせいか青ざめていた。
「言っておくが俺はエルニア人ではないぞ?キール殿」
「あのお嬢さんアマンダ=エステーべ嬢はエルニア人ではないのですかぁ?」
これはキールのはったりだったがその効果はてきめんだった。
ルディはその側使えの使用人を努めていた又従姉妹の名前がいきなり出てきた事でさすがに動揺してしまった。
「なぜその名前を?」
「まさか、大当たりですか?二十歳にしては幼いと想いましたが、まあ発育は人それぞれでしたね」
ベルの正体はもちろんアマンダではない、だがなぜアマンダの名前がいきなり出てきたのか理解できなかった。
彼女はここ二年間ルディガー公子の側に侍り、ルディガー公子を暗殺から護り身の回りの世話をしてきた。
彼女の生活力が壊滅的で酷い目にあった事も何度もあったが、忠実で護衛としては極めて有能だ。
先日の謀反騒動では彼女がルディガーをアウデンリート城から脱出させる事に成功している。
自分の身分がバレているのかと疑いルディガーの背中に冷や汗が流れた。
「あなた達はエルニアの密偵ですね?」
その直後にいきなりキールが再び踏み込み右拳が奔る、踏み込み速度も拳速も人の域を遥かに超えているのは変わらない。
動揺したルディは反応が遅れてしまった、彼もまた力を全解放し打撃に備える。
ルディは拳の柄を握りしめ、両の腕を盾にして防止するのが精一杯だった、これもアマンダから学んだ技だ。
だがキールは精霊力を瞬時に高め攻撃力に転化する、キールの力が膨張し防御を突き破る様にルディの両腕の隙間を拳が撃ち抜いた。
ルディはその拳を敢えて額で受け止める、キールは鉄塊をなぐりつけた様な異様な重さと衝撃を拳に感じた、その瞬間ルディは吹き飛ばされ廃屋の壁を突き破り姿を消してしまった。
「剣を握ったままではその技は不完全になりますよ?しかし貴方は聖霊拳を良くご存知ですねぇ」
何か瓦礫を砕くような音が響き渡った、キールは想像通りあの男が生きていると確信した、廃屋の壁に空いた穴が内側から蹴られて更に大きくなって行く。
やがてルディが中から姿を表した、全身埃まみれになっていたが、それ以外負傷している様に見えない。
それでも額に痣ができていた、常人ならば頭が砕け飛ぶ衝撃を受けてその程度だったと言うべきだろう。
「あなた出鱈目すぎますねぇ、あのお嬢さんも大概でしたが」
キールは呆れた様に肩をすくめて見せた。
「失敬キール殿、他に気を取られていたようだ」
「ところでジンバー商会の輸送隊を襲ったのは貴方達ですかぁ?」
「いや知らんぞ?」
僅かな表情の変化も見逃すまいとキールはルディに対峙していた、だがルディの表情はまったく変わらなかった、そこからは何も読み取れない、ならば先程の動揺はそれだけ重要な意味があるとキールは理解した。
ルディは再び剣を構えていた、その『無銘の魔剣』の刀身は漆黒の黒だ、それを見てキールの表情が動く。
「まさか精霊変性物質の魔剣ですかぁ?その大きさですと帝国金貨300枚はくだりませんよ?」
それは庶民の一家が贅沢しなければ10年以上働かずに生活できる価値だ、また特性によってはその何倍もの価値が出る事もある。
鉄を切り裂く『無銘の魔剣』は帝国金貨500枚以上の値が付くとアゼルは予想していた、そして上値は予想できないと。
キールの顔は心底呆れた様になる。
「私も精霊変性物質の暗器を持っていますが、とても高かったですよ?普通は金庫に入れておくような物を持ち歩くとは」
その瞬間ルディは踏み込み必殺の斬撃を食らわせる、キールはそれを限界で読み回避した、だがそこから絶え間のない連続攻撃が始まる。
それは嵐の様な剣戟の襲撃だった、その一撃一撃が必殺の威力が乗っている、それをキールは神技と超人的な体術でことごとく回避していった。
聖霊拳は聖霊教の護身術から始まった、武器を持った敵の攻撃にカウンターを当てるのが基本となる、それも護身の為の技であり敵を倒す事を目的としてはいない。
そもそも同じ条件で闘う事すら想定していないのだ、剣や槍や短剣を持った敵に対応しなければならない、そして敵が一人だとも限らない、その為に720の技が生まれてしまった。
だがキールはその反撃の糸口が掴めなかった、ひたすら回避を強いられた、いやルディは反撃の切っ掛けを与えるつもりなどなかったのだ。
キールはその戦いを醜いと感じていた、これは精霊力の盛大な浪費だ、だがどちらが先に力尽きるのか?
それを意識したキールの中で危機感が募って行く。
「おっさん、急に呼び出されたと思えば、何をやってるんだ!?」
その直後若い男の大きな驚きの声が廃屋の庭に響きわたった。
それがルディの乱撃を停止させた、その僅かな隙きを利用してキールは離脱し距離を保つ。
キールは新たに現れた黒いローブの男を見やった、そのローブの男は長身で肩幅も広く魔術師らしく見えない。
そのキールには疲労の色が明らかに現れている。
「間に合ったと思えば君ですか?ならば撤退ですね」
いかにもキールは残念そうな顔をする。
「なんだと!?」
ローブの男は抗議しかけたがキールが睨みつけると口をつぐんだ。
「おっさんでも手が負えないのか、わかった」
そのローブの男が詠唱を始めた、キールが素早くその男を支援できる位置に移動した、そしてその詠唱は短かくも終わる。
ルディの周囲が暗黒の霧に覆われた、ルディは力を解放し周囲を探知するが何故か何も感じとれない。
そこに突然風切り音が迫り来る、その瞬間こぶし大の石を魔剣で両断していた。
石の破片が古い石畳みに落ちて音を立てた。
霧が晴れたときその場に残されたのはルディ一人だった。
ふと足元を見ると包丁で切った芋の様な断面を見せて両断された石の破片が落ちていた。