聖霊拳の男再び
一人の男がハイネの北西にある小高い丘を登っていた、男は若い商人のような風体だが、その精悍な顔と頑強な体格が商人を感じさせない、その男は先程ベルと別れてハイネを探検中のルディだった。
彼は北西に伸びる水道橋から少し外れた林の中を昇っていたが、丘の中腹に立てられている小さな塔を確認して足を止めた、水道橋はその塔の根本で丘を穿つ隧道につながっている。
男は地図らしきものを懐から取り出した
「やはり隧道から水を引いているのか、監視塔に兵が居るようだな」
古地図にある水道橋の状況を見極めるためにこんな所にやってきたのだ、古地図によるとハイネ城の三階に水道がつながり城内に水を導いていた。
水道は非常に珍しく興味をひかれたのもあるが、ここから城の中に潜入できないか見極めたかったのだ。
その監視塔は隧道の出口の上に立てられていた、監視塔に兵がいると言うことはまだ水道は生きているということだ。
ルディは耳を研ぎ澄ませる、試行錯誤の結果水を意識すると水道橋を流れる水の音が聞こえてきた。
それはかなりの水量だ。
「なるほどこう力を使うわけか」
ルディは頬をほころばせた。
ふたたび監視塔を大きく迂回して丘を昇りはじめる、しばらくすると丘の頂上に立つ彼の姿があった。
そこからの眺めは素晴らしい。
「あいつも連れてくれば良かったな」
丘の南側に巨大な露天掘り炭鉱が見える、そして煙を吐き出す製鉄所とハイネの繁栄の要とも言われる巨大な魔術道具の姿を確認できた、それは偉大なる精霊魔女の大いなる遺産の一つだ。
その東側には雑然と無秩序に広がる新市街がハイネの城壁まで広がっていた。
新市街の北西部から数多くの煙が立ち上っている、それらは鍛冶屋の炉の煙だ、生産された鉄の多くは輸出されるが、ハイネやテレーゼの鉄製品の需要はここで満たされていた。
これらがハイネの繁栄と力の泉源だ。
偉大なる精霊魔女アマリアの遺産をもういちど見下ろした、あの狭間の世界で見た閉じ込められた緑碧の乙女を思う、あれは遥か昔の出来事に感じるが僅か三日前の出来事に過ぎない。
そしてその新市街の北側に僅かに水堀の一部が見えた、ルディは北側をよく見ようとハイネの北側を見下ろせる場所に移動する。
巨大なハイネ城と四つの塔が聳え立ち水面に影を落としていた、旧市街は城壁に妨げられよく見えなかったが魔術学園の校舎の緑の屋根が映えている。
北門から伸びる橋の上を人々が行き来している、その向こう遠くの橋の上に馬車の姿も認められた。
水堀の北岸の丘陵地帯には有力者達の別邸が立ち並んでいる、その中の一つは見覚えのあるあの屋敷だ。
丘のこちら側から狭い道がその屋敷に向かって伸びていた、昨晩の戦いがあった場所はここからは丘の向こう側の谷間だろうと見当を付けた。
そして足元を見ると先程の監視塔が見える、水道橋に屋根は無く流れる水が日の光を反射している。
「狭いな、ここから城内に入り込めるか?ベルならいけるか・・・」
ふと独り言をもらした。
どうやら彼女を水道に流す計画を立てていたようだ。
ルディにはまだもう一つ調べて置きたい事があった、城の北にある水堀を目指す事にする。
丘の北側に降りる小道を見つけたのでそこを降りはじめた。
ルディの目の前の街道を鉄鉱石を運ぶ荷馬車が通過して行く、鉄鉱石はハイネから北西に約20キロ程の場所にある鉱山村からこの街まで運ばれてくる。
ルディは馬車を見送りながら全身に着いた小枝や葉っぱを落とし全身の身だしなみを整えた。
そして北の水堀に向かう、ルディはハイネ城の排水はこの水堀に流れ込んでいると予想していたがそれを見極めるつもりだった、そしてこの水堀の水はどこに向かっているのかを調べる。
古地図ではハイネの水堀の南側から小川が流れ出していた、今は水堀は埋め立てられ新市街地になっていた。
製鉄所の北側のこの近辺は鍛冶屋が集まり、製鉄所の資材の集積場所が近く人通りが多い、通りを横断し水堀を目指そうと雑踏をかい潜っていた時の事だ、一瞬僅かな精霊力を感じる。
精霊力を発生させた者を見つけようと慌てて足を止め周囲を見渡した、だが周囲には魔術師らしき姿はない。
精霊力が通過したおよその方向を見定め、足早に歩きながら周囲の気配を探る、すぐにかすかな精霊力を捉えた、それは一人の後ろ姿の女性から発していた。
彼女は魔術師のお約束のローブ姿ではなく富裕な町人の御婦人だった。
ルディは警戒を強める、魔術師が敢えて姿を変えるのはそれなりの理由があるはずだからだ、あのアゼルも魔術師のローブ姿にこだわりがある。
『一流の術者ほど精霊力の漏れはむしろ小さくなる傾向があります、漏れた精霊力の強さから相手の実力を図るのは危険です』
ついでにアゼルがそう論じていた事を思い出す。
精霊力を確認した後は彼女の服装や肢体を目に焼き付け一定の距離を保った。
彼女は女性としてはかなりの長身で、豊満な体の線を揺り動かしながら歩んでいる、太りすぎの直前で踏みとどまっている豊かな後ろ姿は男好きがする。
ルディは記憶を探るが該当する魔術師はいなかった、せめて顔を確認すれば何か解かるかもしれないと思ったが、道行く男達の視線から彼女が美しい容姿の持ち主だと容易に想像できる。
だがルディは後ろ姿から俺の好みではないと心の中で品評していた。
「さて俺の好みか・・・」
ふと小さく独り言を漏らした、脳裏をベルやアマンダの後ろ姿がよぎった、今彼女達はどんな顔をしているのだろかと苦笑いをうかべる、彼のささやきは雑踏の騒音にかき消された。
その彼女はひたすら旧市街に向かって進んで行く、その先に城壁の西に大きく口を開く城門が見えた。
歩きながらルディは彼女の正体を考察していた、ハイネ程の大都市ともなれば多くの魔術師が集まってくる、旅の魔術師が旅先で商売の真似事をする場合は地元のギルドに顔を通すのが通例だった。
ゆえに魔術師のお約束の姿をしていない者は何か後ろ暗い事に手を染めていると思われても仕方が無かった。
彼女は密偵かギルドに所属していない掟破りの魔術師だろうと想像できた。
「顔を確認しておくか、あの門を必ず通るなら先回りできるな」
ルディは小さな呟きをもらすと脇道に入り、その後は西の城門に向かって狭苦しい裏道を駆け抜ける。
西の城門の外に定期馬車の停留場があった、ルディはこの定期馬車の乗客にまぎれて彼女を待つことにした、そして東門の側にも定期馬車の停留場がありゲーラ間を結ぶ定期馬車が出ていたことを思い出した。
普段は南西にある小さな城門を通過する事が多かった、あらためて西の城門の周囲を観察し頭に叩き込んで行く。
そのうちにあの後ろ姿の魔術師と思われる女性が近づいて来る。
その女性は20代後半ほどの婀娜っぽい美女だった、ブルネットの肩までの髪と厚めの色気にあふれた唇と、唇の右のほくろが目立っていた。
何よりも服の上からもその豊満な肉体の線が隠し切れない、そして見事な大きさの胸が揺れていた。
彼女が男の目を引きつけるのは間違いないだろう、だがルディは砂糖を入れすぎた紅茶を飲んだような気分になっていた。
そして彼女をどこかで見たことが有るような気がするが思い出せない、だがそのほくろが記憶を刺激した。
ベルが教えてくれたピッポの仲間の女魔術師の特徴に良く当てはまる事に気がついた、そしてラーゼの大道芸でピッポをアシストしていた女性の姿を思い出した。
ならば彼女はコッキーの世話をしていた女魔術師のテヘペロと言う事になる。
「何という偶然・・・」
彼女がテヘペロならばピッポへの手がかりになる、彼らが危険な敵の一つである事は間違いない、コッキーに施された術を解明する手がかりが欲しかった、ルディは優先順位を組み替えこの女性の追跡を優先する事にした。
ルディは停留所の商人の一団と談笑をするかのように装いながら、近づいてくるテヘペロに背を向けた。
そしてふたたび彼女の尾行を開始した。
テヘペロは城門を通過すると大通りをそのまま東に進んでいく、だが魔術街の角を曲がると通りに入って行く、魔術師が魔術街に向かったとしても不思議な事ではないが、彼女がどこに行こうとしているのか興味があった、そのまま彼女の後を追跡する。
魔術街は魔術学園の授業が終わり生徒達が街にあふれ出す時間だった、魔術師や学者の卵が家路を急ぐ時間だがまっすぐ帰る者は少ない、真面目な生徒達は本屋や道具屋に潜り込み宿題や予習の準備に余念がなく、不真面目な生徒達はさっそく歓楽街に行こうと計画を立てていた。
その中を悠然とテヘペロは北に向かって進んでいく、男子生徒が何人も彼女を振り返り一人はテヘペロの大きな尻を見つめていた。
テヘペロは魔術街の出口に近い一角、魔術学園の正門にほど近い店に入っていった。
ルディがその店を確認すると『風の精霊』の看板が下がっていた。
ここはコッキーのトランペットを手に入れた店だった、それにルディは驚く。
「何の用なんだ?そうか彼女も知っていたか・・・」
「さて、何を知っているのでしょう?」
突然男がルディに話しかけてきた、これにはさすがのルディも驚く、接近されるまでその男の気配に気が付かなかったのだから。
その男は執事の制服に身を固めた痩身の初老の男だった、年齢は五十代なかばだろう、だがその身のこなしはとても老人とは思えなかった。
細面で短く切りそろえた白髪まじりの黒髪と鋭い眼光、白髪まじりの口髭を蓄え皮肉な笑みを浮かべていた。
その容貌はベルの父親のブラスに似た所がある。
この男と出会っていらいルディは最高レベルにまで警戒を高めていた、その男の身のこなしにアマンダと共通する聖霊拳の修練を極めた者独特の癖があったからだ。
そしてこの男こそベルが戦った聖霊拳の達人と確信していた。