遭遇
ハイネを東西に貫く大通の路肩では多くの屋台が軒を並べていた、中央広場から100メートル程西に寄ったあたりに良い匂いをさせている一軒の屋台があった。
「おじさんこんにちは!!」
屋台の店主は20代後半ぐらいの男だった、店主はおじさん呼ばわりされ憮然としながら声の主を見た。
その声の主はなかなか美しい若い娘だ、長い黒い髪を後ろで三編みにして背中に流し、少し野暮ったい地味な服装をしていた、だが薄い青い色をした瞳が妙に強い眼光を放っていた。
初めて見る娘だが、前にもあった事がある様な気がしてならなかった、もう一度娘の顔を覗き込んでやっと気がついた。
若い店主の表情が砕ける。
「なんだ鼻トウガラシ娘じゃないか?ハハハ、そんな格好をしてるから気が付かなかったぞ」
それをスルーしたベルは後ろを振り返る。
「ルディ、ここが僕が言っていた屋台だよ」
店主はベルの後ろの男を見て驚いた、長身で精悍な顔つきだがどこか人の良さと育ちの良さが滲み出ていた、どこかその商人風の服装と似つかわしくなかった。
「ベル、お前のあだ名は鼻トウガラシ娘なのか?あの子達に教えてやろうかな、良い土産話ができたぞ」
朗らかに笑いながらルディはベルをからかった。
「お願いそれだけはやめて!!」
ベルは哀願した、どうにもベルらしくない。
「お嬢さん、今日は小間使いのドレスじゃないんだな」
「えー今は非番なんだよ」
「髪型まで変えたのかい?ずいぶん可愛らしくなったな」
「気分を変えたくなったんだよ」
実際のところ人相書きが出回ってしまったので変装したのだ。
「じゃあ、これください」
ベルは辛子がたっぷりはいった好みの料理を注文する、薄切パンにいろいろな具を挟んで軽く火で炙るテレーゼの名物料理だ、ルディはひき肉と玉ねぎなどの野菜を焼きかためた具を挟んだ料理を注文した。
「店主、これは見たことの無い料理だな?」
「そりゃそうよ、テレーゼの伝統料理を俺がアレンジしたものだからな、歩きながらでも食べられるから屋台向きの料理なんだ」
「ところで景気はどうかな?」
ルディは無難な話から切り出した。
「ベントレーが平和になってラーゼとハイネの街道が安全になったんだ、これから期待できるぞ、あとハイネを中心に通商同盟が結ばれるらしいな」
「通商同盟だと?」
「評議会庁舎の前にお触れが出ているらしい、まあ俺は読めないけどな、ハハハ」
「ねえ、たしかベンブローク派ヘムズビー派だっけ?これが争っていたんでしょ?」
聞き耳を立てていたベルが話に割り込んできた。
「できたぞお嬢さん」
ベルは料理を受け取り小銭を支払いさっそく料理に齧りつく。
「たしか第三勢力ができると言ってた奴がいたな、俺には良くわからねえけどな」
「商人には重要な事だ、商売に関わるからな」
「ああ、なんとなくわかるよ兄さん」
店主は素晴らしく慣れた手付きで料理を仕上げていく、その技に感心したようにルディは見物していた。
「さあ、兄さんの分ができたぞ」
「おお、楽しみだ」
ルディも料理を受け取り支払いを済ませると料理に齧りついた。
二人は食べながら歩く事にした、店主に手を振り別れを告げると、次は仕立て屋を目指して魔術街のある北西区に向う、ベルのお目当ての店は婦人服の専門店だがそこそこ高級な店らしい。
「俺も変装用の服が欲くなった」
「何を買うの?」
「聖霊教の司祭の服だ」
ベルは最初驚いたが、考えて見るとサビーナ達と一緒にいても不自然に見えなくなる。
「ルディそれは良いかも、後で古着屋に行ってみようか?」
「お目当ての店があるのか?」
「この服もそこで買ったんだ」
ベルに案内されて向かった仕立て屋の入り口には『メゾン・ジャンヌ』の洒落た看板が下げられていた。
ベルが言うにはここは婦人服の専門店で、仕立ての注文や修繕なども行っている店らしい。
ルディはとても入りにくそうだったが、ベルの保護者ないしは主人の立場と割り切ってベルに続いて店内に入る。
「いらっしゃいませ~」
四十代の小太りのどこか品のある女性が店番をしていた。
「なんの御用でしょうか、承りますわ」
「これを修繕して欲しい」
ベルは背中に担いでいた麻袋から、黒を基調とした小間使いのドレスを取り出した。
それは貴族か大商人の使用人の制服の様な風格のあるドレスだ。
「まあ、これはアラティアのダールグリュン公爵家の使用人の制服ですわ、これはいったい?」
「そうだったのか!?たしかダールグリュン公爵家と言えばアラティア王家の縁戚だぞ」
さすがのルディも他家の使用人の制服までは知らなかったようだ。
「これはラーゼの古着屋で買ったんだ」
ベルが店番の女性の疑問に答えた。
「まあ、何かの事情で売られたのですね、あってはならない事ですが、たまにそんな事が起きるのよ」
女性はため息を吐いた。
「でもずいぶん酷使されていますね、何をすればこうなるのかしら?」
「色々あったんだ・・・」
女性は一つ咳払いをした。
「これは私の先生がデザインした制服なのですよ、もう20年も前の話ですが」
彼女はどこか懐かしむようにそのドレスを見つめていた。
「わかりましたわ、明後日の午後までに直します、ですが傷みが酷いので完全には治せるとは保証いたしかねます、料金は前払いでお願いしますわ」
ベルと女性は料金の見積もりを立ててベルは修繕代を支払った、そしてドレスの受け取り用の木板を受け取る。
ルディは店内を見渡していたが、下着を売っているコーナーがあったので慌てて目をそらす。
ベルが横目で見て笑ったが幸いにもルディは気づかなかった。
二人は『メゾン・ジャンヌ』を後にしてさらに西門に近いところにある古着屋で変装用の司祭の服を手に入れた、これも本来はあってはならない物らしいが、いろいろな事情で古着市場に出てくる事があるとそこの店主が教えてくれた。
目的を達した二人は古着屋を後にした。
「じゃあ、あの丘の屋敷を見に行こう」
その屋敷とはオービス隊が子供達を運び込もうとした丘の上の屋敷の事だ、それはハイネの北側の丘陵地帯の小高い丘の上にある、
だが夜の事で詳しい事は良くわかっていないそれを調べるのだ。
「深入りはしないぞ、安全な場所から見るだけだ」
「判っているよ、深入りするのは調べた後だ」
二人は魔術学園の西の道を北の城門を目指す、城門を通ると水堀を渡る橋がまっすぐ北に向かって伸びている、ふとベルが池の東側を見た、遠くに城門から対岸に渡る橋が見える、先日ルディと二人でその橋の上からこちらを眺めた記憶が蘇る。
橋を渡ると丘の間の谷間の林の中を縫うように道は北に伸びて行る、すぐに昨夜の戦いの場に着いてしまった、そこから丘の上の屋敷を仰ぎ見る事ができた。
丘の上の舘は二階建ての大きな建物で周囲を高い石壁で囲まれ小さな城塞の様だ、この付近の丘には富裕者の別邸などが立ち並んでいたが、どれも例外なく厳重に守られていた。
激しい戦いがあったその場所には遺体はおろか戦いの痕跡はまったく残されていなかった、林に踏み込んだベルは踏みにじられた下草と木の幹に刻まれた戦いの痕跡を見つける。
「ここで間違いないよ」
林から出たベルが確信をもって断言した。
「ここは見覚えがある場所だ」
「ねえ、あの舘は誰の物なんだろう?」
「通行人でもいればよいのだが・・・どうしたベル?」
ベルはハイネの方向を振り返っていた。
「馬車と馬が何頭かこっちに近づいてくる」
「なんだと!?林に隠れるぞ」
二人は慌てて隠れる為に林に飛び込んだ、道から20メートルほど奥にある茂みの影に隠れた。
やがて馬蹄の音と馬車の車輪の騒音が近づいてくる、やがてそれは二人の目の前を通過しようとしていた。
それは一台の二頭立ての黒塗りの窓のない大型の箱型馬車とそれを護衛する四騎の軽騎兵達だった。
二人ともその護衛の騎兵の装備に見覚えがある。
「ベル、あれはサンティ傭兵隊の装備だ」
ルディが小声で話しかけてきた。
「あっ、エリオット隊長のところか、見たことがあると思った」
「コステロ商会と関係があるのか?」
ベルが僅かに力を解放する、その力の放出をルディも感じとる、彼女が馬車に探りを入れたとすぐわかった。
そして驚いた様な顔をしたままベルが固まる、今度はそれにルディが驚く。
「どうしたベル!?」
「中に何かがある、でも何も見えないんだ、黒い穴があるみたい」
ベルの声が僅かに震えていた。
暗黒の馬車の闇の中から若い女性の透明感のある声が響いた。
「敵が近くにいる」
「ドロシーいきなり何を言うの?」
それに先程の声より幼い少女の声が応じた。
「何万年も昔からそう決まっているの」
「ドロシー変よ」
「貴女は寝ていなさい」
「もうお屋敷に着くわよ!?」
馬車は舘に向う坂を登り初めていた。