休息
ルディガーとアゼルは温泉に向かうベルの後ろ姿を見送る。
「困った御令嬢ですね」
「追放されてから大切な時期に森にいたからか、かなり世間離れしているかもしれんが、信用できるしとても頼りになる」
「貴方もかなり世間離れしていますよ」
「そうか?」
「ええ」
「まあ、クエスタのブラス殿もベルの身の振り方を決めていたようだが、それを振り切って森で気楽に猟師をしていたらしい、クエスタは長らく大公家の狩猟区の管理をしてきた家だ、勢子の指揮から獲物の解体までなんでもできる」
「それは良く知っています、私もお祖母様がクエスタの出ですから」
「まあそれはさておき、ベルが戻って来る前に話をしておくか」
ルディはアゼルの庵に現れるまでの経緯から話始めた、大公妃と宰相によるルディガーの抹殺を狙った謀略をアマンダが察知した事、彼女の手引きで城から脱出、バーレムの森の逃走と宰相直属部隊との戦い、グリンプフィエルの猟犬との戦闘までを一連の出来事を説明したのだ。
「遅かれ早かれこうなるだろうと予想はしていましたが、広いバーレムの森でベルサーレ嬢と普通出会いますかね?」
「事実は物語より奇なりとも言うではないか、まあベルと出会わなければ死んでいたな」
「しかしこれからどうしましょうかね?ここも引き払う時が来たようですが」
「三人そろってから決めよう」
「では私は食事の用意でもしましょう」
一方アゼルの小屋を出たベルはすぐ温泉を見つける事ができた。
岩山の斜面の岩の隙間から温泉が湧き出し、それが岩肌を流れて、かなり広い池のような湯だまりに注いでいた、あたりは湯気と硫黄の匂いが立ち込めている。
ベルの予想通り露天風呂だった、少し微妙な顔になったが、幸いな事に露天風呂の周りは大きな岩に囲まれている。
よく見ると湯船の側には小さな犬小屋のような箱まで置いてあり、中に木製の桶まで用意されていた。
ベルは温泉は初めてではない、エドナ山塊には温泉が湧き出る場所がいくつかあったのだ。
さっそく温泉に手を漬けて温度を確かめる。
「少し温いけどまあまあだな」
と呟くとアゼルから借りた着替えを岩にかけ、服を脱ぎ捨て温泉に飛び込む、長い髪が濡れるのも気にしない。
ベルは清潔好きで泉などでよく水浴びする、だがバーレムの泉はエドナ山塊からの地下水を水源としているので水温が低かった。
久しぶりに温かい湯につかり生き返った気分で体を伸ばしリラックス。
軽く目を瞑りかけたが、その湯けむりの向こう側で何かが動いた、いや動いた様な気がしたのだ。
すばやく気を探ると小さな気配があった、だが敵意は感じない。
油断しすぎた
「誰?むっつりスケベのアゼル?」
なぜかルディの可能性をスルーしている、ベルが彼の朴訥で誠実な人柄を信じている証だが、男としてどうなのか?もしくはベルが女として見られていない可能性もあるが。
『ウキッ』
「なんだサルか・・・」
少し期待はずれだったが、平泳ぎで岸に近づくとその影の正体は白い小さな猿だった、体毛が白いのはアルピノだからだろう。
「さっきの猿だね」
エドナ山塊に生息しているこの猿は成長しても30センチ程にしかなならない。
普段はこの猿は群れで行動する、一匹だけなのは群れから逸れたか、仲間外れになっているのかもしれない。
「仲間はいないの?」
白い猿はベルが近づくと少し逃げて距離をとった。
「もしかして温泉に入りたい?」
『キキッ』
「食べないからこっちにおいで」
だが猿は警戒して近づかない、ベルは猟師として多くの獲物を殺めてきた、それを感じるのであろうか?
突然、猿は小走りにベルが脱ぎ捨てた衣服のところに向かって走り始めた。
「あっ!?」
『ギギッ!?』
猿はベルが脱ぎ捨てた衣服を掴み匂いを嗅いだとたん叫び声を上げ、衣服をほうり出して林の奥へ逃げていった。
「ああ早く洗濯しなくちゃ」
あとには悄然と唇を噛みしめるベルが残された。
バーレムの森を武装兵の集団が進んでいく、そのエルニア軍小隊は最後に受けた命令のままルディガー捜索を遂行していた。
「森に埋もれた旧街道が生きていればな、馬ならば半日もかからずにボルトからエドナまで到達できるのだが」
小隊の指揮官は愚痴を溢した。
ボルトの町から離れるに従い司令部からの指令やこちらからの報告が届くまでの時間が長くなり始めている、森の中を徒歩で移動するとボルトからエドナまで2日以上かかるのだ。
小隊の指揮官はままならない森の行軍と情報の遅れに苛立ちを隠せない。
「魔術士が全ての小隊に配属されておればな」
すでに陽は中天を周り西に傾き始めている、指揮官は二日目の野営地の事を考えはじめていた。
「隊長様」
その時、部隊の先頭の方から呼ぶ声がする。
ここで指揮官を隊長様呼ばわりするのはガイドとして雇われた民間人の猟師しかいない。
「どうした?」
「へい、この先に新しい野営の後がありやす」
「何かしら殿下に由縁のある物が見つかるかもしれん」
最後尾の分隊にいた小隊の副官が指揮官の側によって来た。
「そこが殿下の昨晩の野営地とすると、すでにエドナ山脈を越えつつある可能性があります」
「俺もそう判断する」
だが野営地に到達した彼らは更に困惑する事になる、真新しいキャンプの跡があったが、その周辺が不自然に荒らされていた。
大型の獣らしき足跡と人の足跡がいくつも入り乱れ、下草や木々の小枝がへし折られ踏みにじられていた、そこは戦いの跡のようにも見えたのだ、更に北東の方角にその戦いの痕跡が伸びている。
「新しい焚き火の跡だが、それ以上の確たる物はないな」
「ずいぶん荒されていますね、何か大きな獣と戦った跡の様に思えます」
「ここを辿って進もう」
指揮官は戦いの痕跡にそって部隊を進める、だがしばらくして小隊は前進を停止した。
「なんだこれは?」
指揮官は唖然とした、兵たちは眼の前の異様な光景に萎縮する。
周囲の樹木が部隊が来た方向になぎ倒され、その上に吹き飛ばされた樹木が積み重なり、その向こう側に大きな池が見えるが、池の近くの樹木は根本から引きちぎられた様に無くなっていた。
兵士達は臆病では無いのだが、異常な光景に迷信深い兵士達が動揺し始めた。
池の手前には大きな穴が空いているようだがまだ距離が遠くて詳しくは解らない。
指揮官は勇気を出して部隊に前進を命じた、すぐ視界が開け北西の方角の森が広く焼き払われた様に無くなっている事に気がつく。
穴の周囲には数本の折れた剣と短剣、正体不明の何かの破片の様な物が散らばっていた。
「なんだここは?昨日の轟音と関係があるのか?」
「とにかく殿下の遺体か遺品を見つけるのだ」
指令部に伝令を出したいが日没もそう遠くないであろう。
「副長、ここを調査後に伝令を司令部に出したい、猟師の案内をつければ夜間でも移動できると思うか?」
それに副長が答えようとしたその時。
「隊長殿!!服か外套の切れ端の様な物があります」
穴の周囲を調べていた兵士が何かを見つけたようだ。
「なに?」
指揮官はそれを確認すべくそこに向かった。