ピッポの懊悩
「テヘペロさん、テヘペロさんしっかりしてください!!」
隠し宿の床の上に伸びているテヘペロをピッポが揺り動かしている。
彼女は商家の若奥様風の衣装を纏っているので魔術師には見えない、その彼女の顔は青白かった、そして僅かに身動ぎする。
「何があったの?」
薄っすらと彼女は目を開けた、床に撒き散らかったピッポの機材を見て僅かに眉をひそめる。
「体に力が入らない・・・思い出してきたわ」
「記憶が混乱していますな、しばし安静にすることですぞ」
「あの娘はどこにいるの?」
ピッポは顔を横に振った。
「魔剣を持って出ていきましたよ・・・」
「あれからどのくらい時間が経ったの?」
「約二時間程です、私も先ほど目が醒めました」
テヘペロはなんとか上半身を床から起こした。
「やられたわね、トランペットの音の力を警戒していたけど、精霊力の波動までは想定してなかったわ、精霊力を共鳴させていたわね、あれは神の器の力なのかしら?」
ピッポが水の入った木製のコップをテヘペロに差し出した、テヘペロはそれを素直に受け取った。
そしてベッドを背もたれのようにして水を飲み干した。
「すべてを神器の力で片付けるのは関心いたしませんぞ、それは思考停止です」
「あの精霊力がすべて神器由来と決めつけるべきではないと?」
「もちろん神器の力もあるでしょう、調べた結果最終的にそのような結論に至ったのであるなら問題ありませんぞ?」
「ふふ、錬金術師らしい発想だわね」
テヘペロは伝説の神器に遭遇した興奮から総てを神器の奇跡の力で片付けようとしていたのだ、それに今更ながらに気付かされた。
「あの精霊力が神器からで無いとしたらどこから来たのかしら?」
「あの娘以外に考えられませんな、しかしどこまでがあのトランペットの力なのか、あの娘に由来するものなのか見極めなければなりません」
ピッポは話しながら倒れたテーブルを立て直し、床に散らばった小さな木製の薬瓶と乳鉢を拾い集めてテーブルの上に乗せて行く。
テヘペロはここ数日のコッキーの様子を思い返した。
「それはありえないわ・・・私は何人も魔術師を見てきたのよ?」
「私は、先程あの娘から幽界への門が開いているのを感じ取る事ができました」
「そんな・・・」
「テヘペロさん聖霊拳の上達者は完璧に幽界の門を制御できますぞ、そしてある種の者共も、テヘペロさんはあの黒い髪の娘と対決した事がお有りでしたな」
「アイツは窓を開け閉めするように精霊力を制御していた・・・遮断するのも爆発的に高める事も、まさかあの娘も幽界帰りと言いたいわけ?」
「その可能性も否定すべきではありません」
「よく、観察していたわね・・・」
「私は体内の精霊力が殆どありません、それだけ神器の精霊力の波動の影響を受けませんでした、テヘペロさんはオドの流れが撹乱されて一気に意識を失ってしまいましたから」
「そうだった、私は圧力を感じて気が気じゃなかった、防護結界が消えた直後に意識を失っていたわね」
ピッポが木製のコップにまた水を注いでテヘペロに差し出した、今度は一気に飲み干した。
そして床から立ち上がり自分のベッドに腰掛ける、そして改めて部屋の防護結界が消滅していた事に気がついた。
「精霊力の共鳴現象で総て破壊したのね、信じられない・・・」
「あの娘が幽界への門を開いたなどと、神々のイタズラとしては私には過酷すぎます、すべて神器のせいにしたい処ですよ」
テヘペロは何かに気づいたかのような顔をした、ピッポが幽界への門を開く事ができなかった為に魔術師の道を諦めていた事を思い出したのだ、彼はかつて人工的に幽界への門を開く研究に人生を捧げていた事があった。
「あの娘ではなく何故私ではない!?」
それは普段のピッポからは想像もできないほど深く血を吐く様な言葉だった。
彼は幽界の門を開く方法を見つける為に錬金術への道を進んだ、召喚術の支援研究から始まり、狂戦士の治療方法から人工的に狂戦士を作り上げる研究へ、そして死霊術に手を出し総てを奪われた。
そんな彼の目の前で無知なテレーゼの孤児が幽界への門を開き本人が理解もできない力を持て遊ぶ、それを許せるはずも無い。
テヘペロにはピッポにかける言葉が無かった、魔術師として高い才能と能力を持って生まれた彼女には本質的に彼の懊悩は理解できない。
テヘペロが気まずい長い沈黙を破る様に言葉をつむいだ。
「さて、これからどうしようか?私もこのまま引き下がりたくは無いわ、でもアイツらの目的がほんと謎よね、あの娘と魔剣を取りもどす為にこの街にいるにしては、わけのわからない事ばかりしているし」
「もともと何か大きな目的があってこの街に来たと考えるべきですな、あの娘を見捨てたわけでは無いようでしたが彼らからは必死さが感じられませんでした」
「そうよねー、あいつらただの商人ではないわね、幽界帰りが二人よ、そして神器持ち、何が起きようとしているのかしら?」
そのどこか熱に浮かされた様なテヘペロの表情と声にピッポは内心ぎょっとした。
神器に魅入られていると言うより、世界の運命の渦の中心に位置する神器に関わる事で、何か特別な何かに成れるそんな熱望に取り憑かれているようにピッポには見えたのだ。
過去に神器の疑いのある物に魅入られて破滅した人間の逸話の多くがそれだったのだから。
ピッポは床に散らばった道具を片付け終わりテーブルの側の丸椅子にやっと腰掛けた。
「私は、あの薬を完成させますよ、幽界への門を塞ぐ力があります、そして死霊術が盛んなテレーゼでしか完成しえない」
「そうね、それはピッポしか製造できない秘薬になるわね、ねえ逆に幽界への門を開く薬ってありえるの?」
ピッポはしばらく熟考したあとで静かに答えた。
「前にもお話したかもしれませんが、私は幽界への門を開く引き金になりえる物質を突き止めかけたのです、中断せざるを得なくなりましたが、研究があのまま進んでいたらあるいわ、ただしそれが薬の形に成るとは限りませんぞ?」
「思い出したわ、古代にはその物質が豊富にあったから幽界の大いなる存在がこちらに顕現しやすかったというあの仮説の物質ね」
「ええそのとおりですテヘペロさん」
「それがあれば作れるかも知れないって事ね」
「研究が必要です、すでに誰かが実用化していない保証はありません、あの連中が人工的に幽界への門を開いた可能性も捨てきれてはいませんぞ?」
「その話も聞いたわね、その場合は大きな組織がバックにいるわよ、奴らそこの密偵か工作員って事になるわね、あの神器が作られた魔術道具である可能性はあると思う?」
「あんな物を作るなんて想像もできませんな」
その時テヘペロが何かに気づいた様に急に慌て出した、床にしゃがみ込み足元に置いてあった背嚢の中身を改めだした、しばらくした後に顔を上げピッポを振り返る。
「良かったわ、魔術道具は無事だったみたい・・・」
「そうでしたか・・・魔術道具に固有振動数があるならば、あの娘がその気になれば魔術道具を破壊できるかもしれませんな」
「うわっ嫌すぎるわ」
そこで二人はまただまり込んでしまった。
「奴らがハイネにまだ居座るなら、旧市街の魔術ギルドかセザーレ=バシュレ記念魔術研究所あたりに潜り込もうかな?あの娘の子守も必要なくなったし、この宿にいる必要もないわね、今度は高く売り込もうかしら」
テヘペロはベッドに腰掛けながら足をパタパタとさせた、それは奇妙に子供じみて見える。
「いやいや、その前にこの状況をテオ君とマティアス殿に説明しなければなりませんぞ、おおっとジム少年を忘れていました!!」
「ええ、ほんと頭が痛いわね、どう言い訳しようか?マティアスは助けられたのを恩義に感じてくれているし、わけまえも棚ぼたの儲けものって感じだったけど、こりゃテオが怒るわね」
「まったく大赤字ですな、イヒヒ」
ピッポとテヘペロは苦笑した。
ハイネの露天掘り炭鉱から約南西一キロ程の所に古い農家の廃墟があった、そこは富農の館の跡らしく醸造所の頑丈な廃墟だけが残されていた、その廃墟を照らす正体不明の青白い光の下で数人の人影が蠕いていた。
「まだオットーは来ないのか?誰かヤツの事知っている者はいるか?」
「おいリズ何か知っているか?」
その廃墟の中から声が響きわたる。
「えー特に何も聞いてないよ?」
どこか気の抜けた様な女の声がそれに答えた。
廃墟の石壁の内側に、一台の荷馬車とそれに乗せられた三人の奴隷、そして護衛達が手持ち無沙汰そうに周囲に集まっていた。
「奴は中位魔術師に昇格した後からこの仕事にケチを付けていやがった、調子に乗っているのではあるまいな?」
苛ついた様な野太い男の声がそう吐き捨てた、それはこの新人募集部隊の頭をやっている男だった。
「リズ、今日オットーに関して何か気づいた事あったか?」
それはマティアスだった、声の主を振り返ったリズの表情が僅かに柔らかくなった。
「そうだねー、何時もと違って精霊王の息吹の方の階段を上がって行ったよ、いつもは倉庫の階段を使うんだよね」
「何か他に気づいた事とかあったか?」
「あー、そう言えばピッポさんが精霊王の息吹側の階段から帰ったすぐ後にオットー君が出ていったんだ」
「ピッポだって!?」
これにはマティアスも驚いた、知人の名前が出てきた上にオットーに尾行されていた可能性まで出てきた。
「マティアス、そのピッポって誰だ?」
新人募集部隊の頭の男が疑問を呈した。
「魔術ギルドに雇われた錬金術師だよ、あんたらのところにも作った品が納品されているはずだ」
「腕の良い錬金術士が入ったと聞いたがそいつだったのか・・うちの阿婆擦れに使ったが良い効きだったらしいな」
頭はニヤけた笑いを漏らした、だが周辺の男たちが頭を見詰めているのにやっと気づいた様だ、全員が彼の決断を無言で求めていた、魔術師リズ一人で仕事をするか中止するかの二択しかない。
頭はそこで唸り初める。
「おいリズ、一人で全部できるか?」
「今日は一か所で新人は一人だけだよね?」
「そうだ、いけるか?」
「うーん、いけそうだね」
ヘラリとリズは自信有りげに笑う、どこか無気力で気怠そうな昼間とは違い、夜は目の輝きが違う。
美しくも魅力も無いが妖しい負の活力に満ち溢れ彼女は輝いていた。
そんなリズを残念そうにマティアスが見つめていたが彼女はそれに気づかない。
頭はついに決断した、全員を見渡すと宣言する。
「出発が遅れたが、予定通り仕事をするぞ、いつもより警戒は密にしろ、では行くぞ!!」
リズが一人廃墟の外に走り出ると詠唱を開始した。
「さあ『道征く鬼火』貴方はロミオ!!」
彼女の叫びとともに青白い鬼火が宙に現れる、その怪しいキャラバンはその鬼火に先導されるように闇の中に消えていった。