コッキーの帰還
その夜は雲が多くその流れも早かった、切れ切れの雲の隙間から指し降ろす月の光が、ハイネの野菊亭のオレンジ色の瓦を薄暗がりに照らしだし赤黒く沈んでいた。
その屋根の天辺に黒い何かの影が夜空の雲を背景に浮かび上がっていた。
それは猫にしては巨大だが人にしては子供のような大きさだった、影は屋根の上にうずくまり、肩には長く幾何学的なラインの何かを背負っている様にも見えた。
ルディ達はその屋根の上の影に魅入っていた。
やがて影が精霊力を発しはじめた、幽界の門からの力の発現は幽界帰り独特のものだ。
「コッキー!?」
思わずベルが呼びかける、その影の頭のあたりに二つの金色の光が灯る。
その影は屋根の上で立ち上がった、その影はスカートを纏った少女の影となる、そしてトコトコと屋根の縁まで降りてきた。
そこから商店街の石畳の上にドスンと飛び降りた、両足を踏ん張るように勢いを殺して着地したので、少々淑女らしからぬはしたないポーズとなった。
「ただ今帰りました・・・ルディさんベルさんアゼルさん、ごめんなさい」
ベルがコッキーに歩み寄る。
「コッキー無事なんだね?」
コッキーはそれにうなずいた、ベルは彼女が涙を流している事に気づいた。
「裏切り者と思われたまま皆と会えなくなるのが辛かったのですよ」
その声は疲れたようにかすれていた。
「込み入った話になりそうだ、とにかく中で聞かせてもらおうか?」
ルディは何か言いたげなベルとコッキーを促す、そして彼女が肩にかついだ剣の鞘を一瞥した。
「それは俺の剣だな、奪い返してくれたのか?」
「ルディさん本当にごめんなさい」
彼女は肩にかついだ剣を鞘ごとルディに手渡した、久しぶりに持ち主の手元に魔剣が帰ったのだ。
ルディは重さを確かめ剣を抜き去る、漆黒の精霊変性物質の刀身が解放された、それは月の光に青白く照らしだされる。
ルディはそのまましばらく魔剣に魅入っていた。
「とりあえず中に入りましょう」
今度はアゼルが仲間を促した、コッキーが宿屋の閉じられた入り口に向かおうとしたので、ベルが肩を掴んで止めた、何をするのですかと言いたげな顔をして振り返った彼女に、ベルは二階の窓を指さした。
「僕たちは窓から入るんだよ」
「エリザベス留守番ごくろう様でしたね」
アゼルが窓を潜りながら留守番をしているエリザに呼びかけた。
『キキッ!!』
ベッドの下で寝ていたエリザがアゼルの肩に飛び乗る、久しぶりにこの部屋に四人と一匹が集まった。
ルディとアゼルは自分のベッドに腰掛けベルとコッキーはテーブルの椅子に座る。
話はかなり込み入った物になる為、剣を奪った後の事から逃げ出すまでの経緯から話してもらう事になった。
宿を逃げるように変えた事、秘密の宿に連れて行かれた事、そしてラッパの不思議な力とその力で防護結界を破壊して逃げ出して来たところまで語り終える。
そして女魔術師が語った神器について話が及んだ。
「あいつテヘペロって言う名前なのか」
ベルが不快げに記憶をたぐり吐き捨てた、棒女と言われた事を未だに根に持っていたのだ。
スッキリした性格だと周囲から思われ勝だがけっこう執念深いところがある。
そしてテオ以外にも一人の傭兵風の男と、姿を見た事が無いがもうひとり仲間がいる可能性が明らかになった。
「彼女はかなりの学識もあるようです、高位の無属性魔術も使い慣れているようですね、上位の防護術を複数重ねがけできると言うことは、魔力総量もかなり大きいと考えて良いでしょう」
ルディも興味を持った様だ。
「彼女は無属性魔術の使い手なのか?」
「火精霊術が主力でしょう、火は攻撃魔術としては優秀ですが、使い勝手が悪いので無属性魔術で補完している様ですね」
「ふーん、そういう物なのか、火精霊術の術について教えてよ?」
「いずれは知っている限りですが教えましょう」
「俺からも頼む」
アゼルはそれにうなずいた。
「さてコッキー、トランペットをみせてくれませんか?」
アゼルはコッキーを見つめながら促した、一瞬だけ躊躇したがコッキーもうなずき、床に置いた背嚢からトランペットを取りだしてテーブルの上に置いた。
ベッドに座っていたルディとアゼルもテーブルの前に集まって来る。
「何度見ても、なんの変哲のない楽器で魔術道具でもなければ精霊変性物質でもないですね」
「丘で曲を聞いた時には良い曲だとしか思わなかったけど、これにそんな力があるなんてね」
ベルが指先でトランペットを突こうとしたので、それをコッキーが軽く手で払った。
「ベルさんイタズラはだめですよ!?メッです!!」
少しコッキーが怒り、ベルは子供扱いにむくれた。
「何度も演奏している内にだんだん解って来たのですよ、これは魔術を壊せるのです」
ルディとアゼルは目を見交わしていた。
そして何故神器が現れたか?テレーゼを覆う死の結界と無関係な気がしなかった、だが神の意思を詮索する事の無意味さも悟ってはいた、だがいずれ全てが明らかになるだろうと感じていた。
そしてここからがもう一つの本題となる、コッキーをピッポ達がどのように操っていたのか、それを解明していく必要があった。
「リネインの聖霊教会にピッポとテヘペロさんがやってきました、身寄りがしっかりしていて信用できる孤児を雇いたって、そのとき何かをされたのです」
「リネインに居た時から何かをされていたの?」
ベルが不審げな表情で疑問を呈した、そんな話はコッキーから今まで一度も聞いたことが無かったからだ。
「ルディさんの剣を奪ってあの人達に捕まるまで、その事を忘れていたのですよ、なぜかその後で思い出したのです」
申し訳のなさそうな表情で俯いた。
「思い出さない様に暗示の様な物をかけられていたのでしょうかね?」
「アゼルよ何か思い当たる事は無いのか?」
「私には該当する術式が思い当たりません」
「未知の術式なのか?あるいは死霊術に関係があるのではあるまいな、お前が知らぬとはそういう事だ」
「死霊術の可能性も考えられますね」
コッキーは言いにくそうに、何かを話すべきかどうするか葛藤している様に懊悩していた、その態度の変化に三人はすぐに気が付く。
「あの、私の中にお母さんが居るのですよ・・・お母さんが私に命令をするのだそうです、でも何をしていたか思い出せないのです・・・」
「アゼルよこれこそ死霊術の術式ではないのか?」
「そうですが、私には死霊術の知識が殆どありません」
「まだ術が切れていないって事は無いよね?」
ベルが少し不安になったのかコッキーに疑問をぶつけた。
「お母さんはもうピッポさんの言うことは聞かない、そんな気がするのですが、証拠を出せるわけではないのです・・・」
三人は微妙な困惑した表情で目配せをしている。
そこにベルが何か重要な事を思い出した様に言葉を紡いだ。
「ねえ、この宿にコッキーを置いておくのは無理だよ?殺人事件の聞き込みがここにも来ていた、あの朝の騒ぎを見ていた人もいる」
「今晩ぐらいは構いませんが、長くは無理ですね」
それに三人が同意した。
「アゼル、ベル、我々も人相書きで顔が割れている、ここを引き上げる潮時だな」
「若旦那様、市内の宿ではイタチごっこになりますね」
「そうだな、となるとセナ村の農家だな、あそこは部屋に余裕があった」
「それがいいかも」
三人ともそれが名案だと考えに至った様だ。
「あのセナ村の農家ってなんでしょう?」
だがコッキーは自分の身の振り方を勝手に決められている様で不安を感じ始めていた。
「コッキー、そこに聖霊教会の子供達を隠しているんだ」
それにベルが答えた。
「孤児院の子供達ですか!?」
コッキーはリネインの孤児院の子供達を思い出していた、みんなコッキーの帰りを待っているはずだ、そして心が痛んだ、予定では二日前にはリネインに帰って居なければならない。
事件に巻き込まれたかと皆が心配しているだろう。
「うん、ハイネの新市街の南の聖霊教会の孤児院の子供達だよ」
「最近立てられた聖霊教会の話は聞いたことがあります、ハイネのお膝元だったので配達の仕事はありませんでした」
「なぜそこに避難しているのです?」
「人さらい組織から僕たちが奪い返したんだ」
「良くそんな事ができましたね、警備隊も何もできなかったのに!!でもベルさん達ならできそうですよね」
ルディとベルは気まずそうな笑いを浮かべた。
「でも、リネインの孤児院に戻らなきゃならないのです、みんな心配しているのです」
だがルディはある懸念から反対した。
「コッキー、君はあの連中に目を付けられている、そして幽界帰りでもある、おまけにこのトランペットの持ち主だ、奴らがトランペットに目を付けているのは間違いあるまい、いずれはもっと多くの者が君に注目していく事になる、今のままではリネインの聖霊教会を巻き込むだろう」
「ルディさんどうすれば!?」
「我々は幽界帰りがどのような者かよく知っている、しばらく力の様子を見極めて、そして君の母上を利用した催眠術の様子を見極めてからだ、その後ならば自由に行動してもかまわないと思うのだ」
コッキーは驚いた、自由に行動しても構わないと言うのだから、もともとコッキーはハイネまでなんとなく付いて来ただけで、ルディ達と目的を同じにするわけでは無かった。
だがこれも今となっては単なる偶然とは思えない。
ルディはトランペットが神器だと知った上で言っているのだ。
「わかりました、コッキーはしばらくセナ村にいきますのです」
「皆疲れているだろう、しばらく睡眠をとって、日の出の前にベルとコッキーにはセナ村に行ってもらえないか?」
「そうだね、それが一番かも、ファンニに話を通して来る」
「ファンニって誰です?」
「聖霊教会の修道女の人だよ」
「修道女様ですか!?安心なのです!!」
ベルはコッキーに孤児の世話と護衛が任せられるかもと計算し始めていた、屋根から飛び降りた姿から、すでに幽界帰りの力を発揮し始めている。
それはルディやアゼルも同じだった、だがどこまで彼女を信用して良いのか確信が持てない、ピッポ達による支配が残っている可能性、何か新しい罠が仕掛けられているかは定かではなかった。
ハイネから南に徒歩で一日の距離にラリースランの街がある、ここから更に二日の距離にテレーゼの南の大都市リエージュがある。
すでに日が沈み街も徐々に眠りに落ちていく、ただ未だに街の繁華街に猥雑な喧騒が残っていた。
その街を睥睨するかのように、ラリースラン聖霊教会の礼拝堂の大尖塔が見下ろしていた。
その大尖塔の頂点に据えられた聖霊教会の巨大なシンボルの上に人影がある。
足場も悪く狭いその頂点に端然として揺るぎない人影はどこまでも深い深紅の古風なドレスをまとっていた、
やがて深くかぶっていたボンネットを自らの手で外した。
その下から顕になった彼女の顔は、病的なまでに白かった、それは白を通り越して青味すら帯びている、繊細に細く筋の通った鼻、切れ長の目とその瞳はルビーのような赤い強い輝きを帯びていた、彼女の唇は少し厚めで血の色に滑り赤い。
彼女の年齢は10代後半に見えた、髪の色は黒で髪型はボブカット、芸術的なまでに均整のとれた美貌はアラバスターの人形の様に妙に作り物めいて見えた、そして両側に長く突き出た両の耳の先は鋭く尖っている。
そして街を睥睨する姿は夜の女王にふさわしかった。
やがて彼女は背伸びをして大きなアクビをした、その次の瞬間尖塔の上から彼女の姿は消えていた。