屋根の上の怪物
ハイネの南方数キロの場所に小さな農村があった、その小さな村はセナ村と呼ばれていたが、その中心に農家が数軒集まっていた。
その一軒の農家の2階の屋根裏部屋の丸窓の扉が小さく叩かれる。
すぐに中から応じる声がある。
「ベルちゃん?」
「う、うん、ファンニだね?」
ベルも少し眉を顰めながら応じた、とにかくベルちゃんと呼ばれるのが苦手なのだ。
「すぐ開けるわ」
窓が開くと中から薄暗い蝋燭の灯りが溢れる、彼女は寝ずに待っていたのだろう。
窓からファンニが顔を出した。
「子供達は?」
「心配いらないよ、ルディとアゼルが子供達を移しているところだ」
「まあ!!よかったわ!!本当に有難うございました、とにかく行きましょう!!」
「僕は玄関の外で待っているから」
「少しまって」
丸窓からファンニが引っ込み窓が閉められた、ベルはそのまま地面に飛び降りる。
数分程でファンニは家からでてきた、家族には予め説明していたのだろう、ファンニは修道女の服を着ておらず、村の農家の娘の様な姿だった。
ベルとファンニは村外れの古い農家に向った、といっても数分の距離しかない。
ファンニの足が突然止まる。
「ひっ!?窓から青白い灯りが!?」
彼らが借りた農家の窓から不自然な青白い灯りが漏れていたのだ。
「あれはアゼルの魔術の光だから怖がらないで、さあ早く入ろう」
納得したファンニがうなずき二人はそこから走り始めた、なぜか二人とも妙に子供っぽく見えた。
二人が勢いよく扉を開いて飛び込むと、青白く輝く光に照らされた部屋の中心に、ルディがくつろいだ姿勢で立っていた。
部屋のリビングに古びた革張りの長ソファが二つ、同じく革張りの短いソファが二つ置かれていた。
子供達は長ソファに二人ずつ横たえられ、アゼルがその様子を確認している。
入り口の扉が勢いよく開かれたので、ルディとアゼルは思わず玄関を振り向いた。
「ベルか?走ってきたようだな、そうだファンニ殿さっそく子供達の確認を頼む」
「はい!!」
ファンニは寝ている子供達全員の顔を確認していく。
「シャルル、ヨハン・・・・ネイトにレイフ、間違い有りませんわ、でも寝ていますの?」
アゼルは改めてファンニに向き直った。
「見慣れない睡眠系の術をかけられていましたのでそれをなんとか解除いたしました、ですがその上で薬を使用されていたようです、正確な薬の種類はわかりませんが毒素の分解を早める術を使いました」
ファンニは初めて三人の格好が普通で無いことに気がついた。
ルディは全身が泥で汚れており、アゼルも服のあちこちに穴が空き血が滲み出た跡がある。
ベルも服に薄っすらと血しぶきがかかっていた。
「ありがとうございます、アゼルさん、ルディさん、ベルさん・・・・お怪我はありませんでしょうか?」
なにか血生臭い方法で子供達を奪い返したのだろう、だがファンニはそれを批判する気はまったくなかった。
「私がすでに治療を施しました、全員無傷ですファンニさん」
「みてファンニ、この子が起きかけている」
子供達の様子を観察していたベルが異変を最初に察知した。
ファンニが近づくとルディとアゼルも頭を寄せてきた。
たしかに一人の子供が一瞬薄目を開けて顔を僅かに揮った。
「ネイト私がわかるかしら?」
ファンニが優しく語りかける、目を開いたネイトはまだ目の前の状況が理解できないかのように困惑している。
「小さい姉ちゃん、ここどこ?この人達誰?」
「ここはセナ村です、聞いたこと有るでしょ?この方々は孤児院から拐われた貴方達を助けてくれたのよ?」
「やっぱり僕たち拐われたんだ、目が醒めたら狭い部屋に閉じ込められ、変な薬を飲まされた・・・」
「もう大丈夫よ、ここなら安全よ」
ネイトは見慣れない三人を見て何かに気づいた様だ。
「あの、お姉さんなら見たことあるよ、礼拝堂の裏で見たよ」
そこでベルが紹介役を買って出る事になった。
「えー私は、ベル、リリーベル=デいやグラディエーターです」
そして背の高い男を次に紹介する。
「今はこの様な成りですが、エルニアのファルクラム商会の若旦那で私の御主人です、名はルディ=ファルクラム、私は若旦那様の護衛と身の回りのお世話をしておりますの」
ネイトは護衛と言う言葉に好奇心をいたく刺激させられたようだ。
「わーだから剣なんてぶら下げているんだ」
ファンニがそれを見て厳しい表情に変わった。
「ネイト、お礼は言わないの!?」
その口調も少し厳しい。
「あ、ごめんなさい」
ネイト少年はソファから立ち上がろうとしたがよろめく。
「そのままでいいですよ、まだ薬が抜けきっていません」
アゼルがそれを静止する。
「遅れましたが、私はエルニアのリエカの魔術師アゼル=メーシーです」
「僕たちを助けてくれてありがとう」
「私からもサビーナの分もお礼を申し上げますわ」
「他の皆はまだ寝ているの?」
「どうなのでしょうか?」
ファンニとネイトはアゼルを見た。
「個人差があるので慌てずに待つことですよ」
二人はこれで一応の納得はしたようだ。
「大きな姉ちゃんは?」
ネイトはファンニと三人に目線を巡らした。
「サビーナは聖霊教会を守っているわ」
「ちいさい姉ちゃん孤児院にもどろうよ?」
「それは・・・」
ファンニは言い淀む、南の聖霊教会が誘拐組織に監視される危険が高い、しばらくは帰れないのだ。
「悪い奴らをやっつけるまでまってて」
そこでベルが平然と無茶を言ってのける、だが実際の処そうなのだ、敵が健全な間はほとぼりが冷めるまで隠れているしかない。
ルディとアゼルは呆れた目でベルを見たが、ファンニは子供を元気づける為の嘘と思ったようだ。
「だから、しばらくは皆ここにいるのよ、この村に私の生まれた家があるのよ、しばらくここで泊まるから心配しないで」
ネイトは安心したのか眠そうな目をし始めていた。
「まだ薬の悪影響が出ると思います、無理をせずに眠らせてください」
「わかりましたわ、ありがとうございます・・・」
まだこの家は多くの物が不足している、藁を敷きその上に布をかぶせた寝床でとりあえず休ませるしかなかった。
ネイト少年が寝入った頃合いで、ルディがファンニに近づいた。
「そろそろ我々はいったん引き上げなくてはならん、荷馬車をこの村に長く置いて置けない」
ファンニは立ち上がり三人に向き直った。
「僕たちはサビーナに報告しに行く、当分は南の聖霊教会に顔を出すことは無いからよろしく」
「ベルさん、やはり疑われるのですか?」
「南の聖霊教会の孤児院の子供達が奪い返されたのだから必ず疑うと思う」
「そうですわね・・・」
そこにルディが補足した。
「奴らはどうやら以前から関心があったのか、我々の出来の良い手配書を作っていた、ベルが何度もそちらに顔をだしている以上その関係に気づく、サビーナ殿に報告して今後の対策を調整してくる」
再び子供の様子を見ていたアゼルが立ち上がった。
「我々も連絡は密にとると約束します」
「本当に言葉にできないほどですわ」
「ファンニ、サビーナに伝えたいことある?」
「ええ、こちらの子供達はなんとしても守ります、そう伝えてくださいベルサーレさん」
セナ村を後にして十数分後、ハイネの新市街の聖霊教会の墓地から、さらに南に離れた森の中に荷馬車を隠した。
「ベルどうだ監視らしき反応があるか?」
「それらしき奴は見えない、ルディには何か見える?」
「俺はまだ慣れていなくてな」
サビーナは夜は修道女の私的な生活場所になっている修道女館にいるらしい、修道女館といっても平屋で三部屋しか無い小さな建物だ。
ベルがさっそく打ち合わせ通りに一番奥にある部屋の窓に近づく、窓は閉め切られていたが板の隙間からランプの灯りが僅かに漏れていた。
鎧戸を軽く叩いて小さく声をかけた。
「サビーナ、僕だ!!」
「まあ、うまく行ったのね?すぐ開けるわ」
その声は喜びが滲み出ていたが、その声は押し殺したかのように小さい。
直ぐに小走りに走る足音が聞こえると、修道女館の玄関が開かれる音がする、三人が急いで玄関に回るとサビーナが修道女服のまま待っていた。
「まあアゼルさん!!ベルちゃんとルディさん、巧くいったのですね」
「今後の話をしておきたい、夜半不躾とおもうが中に入れてもらえないだろうか?」
ルディが三人を代表する。
「こんなとこで何でしょうからこちらに、空き部屋が一つあるのでそこをお客様様にしていますのよ」
三人は修道女館の中に導かれる、最後にベルが広範囲に探知を行い扉を閉めた。
ハイネの旧市街の南の城壁近くの暗がりから密やかな声が聞こえて来た。
「馬ごと林の中に放置するなんてもったいなかったな」
やがて三人分の足跡と混ざり合いながら北に向かって動き始めた。
「売ったらすぐ足が付くぞ?ベル」
「そんな事解っているよ、でも売ればどのくらいになるか考えると」
2頭の馬と荷馬車は新品で買ったら庶民の一家が一年生活できる程の価値があるのだ。
「殿下あの馬車には僅かな小銭入れと、骨が詰まった箱があるだけでしたね」
「誰かが見つけて売り払うかもしれん、そいつが疑われ敵を混乱させてくれるとありがたいのだがな」
ベルは僅かに驚いてルディを見つめてしまった、この男は時々こんな鬼畜な事を言う所があったと思い出した。
三人はハイネを東西に走る大通を横断し、今や見慣れた商店街に踏み込もうとしていた。
ハイネの野菊亭がそろそろ見えてくる頃合いだった。
「みんな止まって!!」
ベルが慌てて仲間を止めた。
「宿の屋根の上に何かいる!!」
三人は闘いの準備をかためながら商店街を足早に北に進む、そしてベルが少し上を指さし示す。
その先のハイネの野菊亭の屋根の上に黒くわだかまる影がある、その影に金色に輝く二つの光が灯った。