闘いの結末
ベルは予想外に手強い目の前の男に敬意すら感じていた、実用的で無駄のない技術と力が無駄なく融合している。
人外の域に達している聖霊拳の上達者達や幽界帰りの自分達を除き、今まで出会った者の中では最強に近い、だがそれだけの男がこんな処で何をやっているのかが不思議だ。
それでも男に切り込んだ時にどろりとした松脂の様な何かを切りつけてしまった様な手応えが剣から伝わってくる、これが魔術による防護だと直ぐに理解できた。
アゼルと行動を共にしているおかげか、魔術と言う物に自然と理解が深まっていた、以前はインチキ占いの類と変わらぬ冷めた目で魔術を見ていたのだから。
意識して観察すると体全体が向こうが透けて見えるような青白い薄布に包まれていた、魔術結界に似た光だ、そして力で押し切れると直感的に感じていた。
術士にオービスと呼ばれたこの男は、最初の二撃を耐えたが既に限界を見せ始めていた。
ジンバー商会の重要人物ならば貴重な情報を得られる、必殺の攻撃を控え、捕虜にすべく相手の体力を削ぐ攻撃に意識を傾けた。
その変化をオービスも鋭く感じ取った様だ。
クランの前にいる長身の覆面の男は巨人を迂回すべく動く、彼はその意図を察し巨人に命令を下した。
「奴を通すな!!」
巨人は大きさの割に動きは俊敏だ、振り回す太い木の幹のような腕に殴られたら普通は無事では済まない。
クランは焦り始めていた、速やかに目の前の男を排除しオービスを支援しなければならなかった。
覆面の男は巨人の腕をまともに受け止めようとはせず、それに追い打ちをかけるように剣を叩きつけた、腕が加速し姿勢がよろめき崩れる、そこを狙った様に巨人の膝に連続で打撃を加え飛び退る。
巨人の反撃をまた同じ様に躱して、体勢を崩した巨人の膝に傷を加えていく。
その信じがたい身体能力に敵が並の人間では無いとしだいに確信を深めて行く。
そこに右手の森の中から氷の槍が飛翔してきた、槍と言うには大雑把で三角錐の氷の塊だ、それは確実にクランを狙いすましている。
それを生き残りの骸骨が抱きかかえるように受け止めた、双方とも乾いた音とともに砕け散る。
森に入り込んだ骸骨は全滅したのだろう。
クランは急いで術式を構築し詠唱する。
「『死せる墓所の下働き』俺を守れ!!時間を稼げ」
骸骨が三体箱の中から現れ荷馬車をかためた。
目の前の覆面の男の意図はまるわかりだった、巨人の足に集中的に傷を加えて動きを封じるつもりだ。
再生が終わる前に新しい傷が幾つも重ねられしだいに深くなっていく。
理屈では理解できても巨人の動きは素早く強い、それを躱しながら実行するのだから並の身体能力ではない。
「くそっ!!」
吐き捨ててから再び詠唱する。
『アウンズの蠅の群れ』!!」
再び黒い無数の瘴気の粒が長身の男を襲う、信じられない反射神経で飛び退り、長剣で過半を叩き落としてしまった、むしろ巨人を巻き込み何発か被弾してしまう。
「やはり直接攻撃では回避される危険があるか、うごきを止める」
小さな声で思わず呟く。
右側で冷気の集中と何かが砕け散る音が響きわたる。
骸骨が敵の術式を相殺したのだ、すべて相殺できるわけではないが、下位の単体攻撃魔術や単純な物理攻撃の盾にはなってくれる。
クランは更に術式の構築を始める、力がクランの周囲に集まり始めた。
だがその直後馬車の荷台の中にいるクランの周囲に冷気が集まりだした、敵が荷物を巻き込み攻撃するつもりなのかと焦る、それでも正常心を保ち詠唱を止めない。
敵の術式の完成は早かった、周囲に雹の様な氷の粒が現れ竜巻に揉まれる様に旋回しながらクランに叩きつけられた。
ローブが引き裂かれ、幾つかは皮膚を引き裂き血が吹き出た、それでも歯を食いしばり絶えた。
その痛みが魔術防御結界の切れる時間が近いことを思い出させる。
丘の上の館の影をにらみ据える、何時もならあそこに着くまでは結界が持つはずなのだ。
「『ガンガブルの黒き縛め』」
それでも捨て身の詠唱が実を結んだ、覆面の男の周囲数カ所の空間に黒いわだかまりの様な雲か穴の様な物が生まれようとしていた。
覆面の男は何が起きているのか理解できず一瞬戸惑ったようだが、右手に横飛で逃れた、だがその僅かな遅れで十分だった。
黒い穴から細い漆黒の薄い布の様な何かが男に襲いかかった、その殆どはおそるべき速さと正確さで叩き落される、その反応速度にクランの目が驚きで見開かされた。
その瞬間に巨人が動き恐るべき速度で豪腕をその男に見舞った、クランもまた何が起きたか戸惑っていた、彼も覆面の男の右足首に巻き付いた黒い布を見落としていたのだから。
動きを止められたその男に巨人の豪腕が直撃、男は10メートル以上吹き飛ばされ林の中に消えていった。
「ルディーーー」
左側でオービスと対峙していた敵から叫び声が上がった、その声は若い女性の叫び声だ。
「お、女だったのか?やはりあの三人か!!」
僅かに余裕ができたクランは改めてオービスの状況を確認する、それは傍目にも限界が近かった。
「情報を得られると思って、欲を出したのが間違いだった」
その女の声は自分自身に向けられたようにも、誰かに聞かせたかったのかまでは定かではない。
その声は凶暴な怒りを隠していた。
「巨人よその女を殺れ!!急げ!!!」
クランの背後でまた何かが砕け散る音が響いた、だが今はそんな事を気にしていられない。
その女は瞬間移動したかの様な加速でオービスの眼前に踏み込み、あっけなく袈裟懸けに切り捨ててしまった。
もはや彼には敵の攻撃を受ける力も回避する力も残っていなかったのだ。
防御結界に限界以上の負荷を加えられたのか、見ることのできる者には結界がオーロラの様な淡い光を発し散っていくのが見えたはずだ。
「奴の攻撃は結界では吸収しきれないのか!?」
クランが驚愕に叫ぶ。
その直後巨人が女に迫り左右の腕を交互に振るい連続攻撃をしかける、女は一度はひょいと姿勢を低くして躱すと、そのまま地面を蹴って後ろに下がってしまった、そしてすぐに体制を立て直してしまった。
「こいつは巨人に任せて、術士を何とかするしかあるまい」
クランは呟いた。
クランの背後で何かが砕け散る音がまた響いた、思わず後ろを振り返ると骸骨の盾が消えていた。
敵の術士は姿を隠し、こちらは開けた道の上で姿を晒している、間抜けな状況に怒りがこみ上げてくる。
ここで探知の術を使うか迷うが、敵の位置を知らなければどうしようもない。
荷馬車から離れて闘う事も覚悟した。
「『生者の光の道標』・・・なんだと?」
クランは一際輝く光の点が近づいて来るのを見た、おもわず先程男が飛ばされた方向を見る。
その林の暗がりから巨人に吹き飛ばされたはずの男が平然として向かってくるではないか、特に大怪我も負っているようには見えない。
「化け者か?」
クランは決意した。
荷台の片隅の小さな箱の中身を弄る、ハイネの魔術ギルドが作成した魔術と錬金術の合作とも言える握りこぶし程の小道具だ。
まさかこれを使うことになろうとは思わなかった。
それを二個両手に掴み荷台の床に叩きつけた。
その直後、周囲一体が暗黒のガスで包まれ何も見えなくなった、これはただ視界が遮られるだけではないのだ、魔術師の探知系の術式すら妨害する力を持っている。
「うわ!!本当に何も見えない!?」
「気をつけろ!!奴を見失った」
敵が慌てる声が聞こえる、クランは馬車を飛び降りて、おおよそ見当をつけていた北西側に向かって走る。
南側に逃げた方が安全に思えるがハイネの城壁まで生きてたどりつける気がしなかったのだ。
すぐに黒いガスから抜ける、このまま館に駆け込み情報を伝える、無傷の護衛が一人残っていた事を思い出したが、それを脳裏から振り払い走った。
その時、体の右半身がある予感に痺れた、それは魔術攻撃の予感だった、百戦錬磨のこの男の直感だ。
先程の探知の魔術はもともと術士の位置を探るために使ったはずだ、だがあの男に気を取られ術士の位置を見失ったままだった。
後悔よりも早く、視界の右隅に青白く輝く何かが目に入る、その直後に氷の槍が彼の体を貫いていた。
黒い漆黒のガスが晴れて行く。
「術士は私が仕留めました」
アゼルが身を隠していた林から出てきた、どうやら巨人に吹き飛ばされたルディの近くに移動していたようだ。
「後は負傷者と御者が残っているのか」
ルディは凄惨な戦場を一瞥した、負傷者は出血が酷く意識不明で御者は未だに催眠が解けていない。
「もう一人いなかったか?」
「いたような気がしますが姿が見えませんね、逃げましたか?」
ルディの側に戻ったベルが動きを止めた巨人を指さす。
「見て巨人が溶けていく・・・」
三人が見守る中で立ったままその巨人が溶け崩れ消え去ろうとしていた。
「いそいで荷馬車を動かすぞ!!」
ルディが小高い丘の上を指差した、そこには松明の光が動き始めている。
「中身を確認するのは移動してからでいい」
ルディとアゼルが御者を降ろし道端に捨て御者台に乗る、目を醒ました馬の轡をベルが取り馬車の向きを変えるのを手伝った。
「よしいくぞ!!乗ってくれ」
ベルが荷台に飛び乗ると馬車はもと来た道を引き返していく。
荷台のベルからは異変を感じた館の者が様子を見るために坂を下ってくるのが見えていた。
湖の岸辺近くまでくると荷馬車は東に向きを変え、水堀の畔を東に向かって走る、西側の製鉄所や露天掘り炭鉱は夜も警備が厳しい、もともとハイネを東廻りに迂回する予定だった。
「箱を開けるよ」
「確認を頼む」
ベルが次から次へと木箱を開けていくと中には意識の無い子供達が納められていた。
特徴からシャルル、ヨハン、ネイト、レイフの四人だと当たりを付けた。
「孤児院から攫われた子供達で間違いないと思う」
「起こすのは安全地帯でやりましょう、もっとも自然に醒めるかもしれませんが」
荷馬車は水堀の東端に到達すると、ハイネの東を南北に走る丘陵を越えるべくそのまま暗闇に消えていった。