夜の輸送隊
夜も深まり街が静かになり始めた頃、ハイネの南西を占める倉庫街の一角は人通りも絶えていた。
今夜は雲が多く半月が雲を透かしておぼろげに街を照らしている。
「奴らが動き始めたぞ、子供達の気配が動いている」
ジンバー商会の南門に面した狭い裏路地の奥の闇の中からベルの声が聞こえてくる。
「俺にもわかるぞベル」
「ルディは馬の気配がわかる?やつら子供達を馬車に乗せる気だな」
「あれか、たしかに人とは違う気配があるな」
そこにアゼルの声が加わった。
「お二人には護衛が何人いるかわかりますか?魔術師がいるとやっかいです」
「アゼル、護衛は10人だ、魔術師らしい独特の気もある」
「やはりいましたか・・・」
ベルが閉じていた目を見開いた。
「あ、動き出した」
目の前でジンバー商会の南門の扉が開き始めた、近所の者に開かずの門と言われているその扉が開いていく。
やがて二頭立ての荷馬車が街路に現れた。
荷馬車の荷物の上に大きなホロ布が被せられロープで縛られてしっかりと固定されている。
御者と黒いローブの男が御者台に座り、周囲を武装した八人の男たちに護送され通りを西に向って動きはじめた。
「奴らはそっちの北の城門に向うみたいだ、僕は先回りする」
ベルが暗闇から姿を表した、まるで煙突掃除の少年の様に埃にまみれた汚い格好をしていた、そのまま東側に向って駆け出して行く、大きく迂回して馬車の先回りをするのだ。
「アゼルよ我々も奴らを追うぞ」
「敵に魔術師がいます距離を保った方がよいでしょう」
ルディは頷きそれを肯定した、二人は荷馬車の追跡を開始する。
馬車は十字路で北に曲がりエイダの働いているあの小さな宿の前を通過、ハイネを東西に貫く大通りを横切った、その先は魔術街や豊かな人々向けの店舗が集まる区画になっている。
荷馬車は魔術街から西に三本目の街路を北に向って進み、そのままハイネ魔術学園の西側を抜けて北門に向う路に入っていった。
この近くはセザーレ=バシュレ記念魔術研究所からもほど近い。
その荷馬車の後ろ姿を見送りながら、アゼルは周囲に人がいないのを確認した。
「殿下、彼らはやはりこちらの門を抜けるようですね」
「我々も城壁を乗り越え先回りするぞ」
「いきましょう殿下」
二人は旧市街の西の城壁に向って走り始めた。
城壁の近くに達した二人は城壁を仰ぎ見る、すると遠く南の城壁の上に松明の灯りが揺らめいている、それは巡回の警備兵の灯りだ。
アゼルがルディに声をかけた。
「殿下おさきに行ってください、私は術で行きます」
「わかったお前も気をつけろよ」
ルディは城壁の石垣の僅かな出っ張りをとらえて素早く昇っていく、アゼルは彼から僅かな精霊力の漏れを感じていた。
「はじめますか・・・『風のシルフの羽』・・・『マダイアン風塵のベール』」
アゼルは浮遊と隠蔽の術を自分自身に付与し城壁を昇っていく。
城壁の上に立つとふと南の松明の灯りが気になる、ゆらめく光に照らされながら二人の兵士がこちらに向ってくる。
アゼルは城壁から飛び降りると、羽毛が落ちるようにゆっくりと降下していった。
ハイネの北側にかつて城市全体を囲んでいた水堀の一部が残されていた、その水堀には二本の橋がかけられ北の丘陵地帯を結んでいた。
その対岸の橋を見渡せる小さな林の中にベルが潜んでいた。
「城門が開いた」
林の中の暗がりから一人り言を呟いた、ベルが追放されていた二年の間に一人になると独り言をする癖が身についていたのだ。
先程の馬車と護衛達が橋を渡ってくる、べルはその時何かの気配が急速に右側から接近して来るのを感じた、更にその後からまた一つ。
「来た・・・」
やがて茂みの近くまでそれはやってきた。
「僕はここにいる」
「そこか!?気配を完全に殺していたな?」
「うん」
暗くてお互いの顔も見えないがこの二人には障害にはならない。
そこにまた一人到着する。
「お二人共そこですか?」
やはりそれはアゼルだった。
「アゼルもずいぶん早いね?」
「私は加速の魔術を使用したのですよ」
「そんな魔術があったのか」
そこにルディが呑気に応じた。
「狭間の世界で見た時は素晴らしく足が早かったぞ」
「さて彼らの目的地はどこでしょうか?」
三人が思わず背後を遠望すると丘陵地帯に貴族や富豪達の別邸が立ち並んでいた、館は小さな要塞の様に高い壁で厳しく守られている。
それらは夜の闇に溶け込み、ところどころの窓から灯りがもれている。
その夜は雲が多く半月が時々雲の隙間から顔をのぞかせる度に丘を青白く照らし出していた。
橋に再び目を戻すと荷馬車は橋の半ばまで進んでいる。
「そろそろお静かに」
アゼルが警告した。
荷馬車と護衛は橋をわたり、そのまま道なりに進んでくる、車輪の音と蹄の音が近づいてきた、だがすぐに西側の枝道に入って行く、その道は小高い丘の上に向って伸ている、丘の上には石造らしき大きな邸宅の影が聳え建っていた。
その邸宅に向う道を荷馬車は進んでいく。
「あの館が目的地か、館に近づく前にけりをつける」
「騒ぎがあの館の者に聞こえるとめんどうですね」
「そろそろ顔を隠そうよ」
二人は用意していた黒い布で顔を多い目だけを出す、アゼルはローブのフードを深く降ろした。
作戦は単純でルディとアゼルが組んで道を塞ぎ奇襲を仕掛ける、ベルが遊撃として二人を支援する基本方針だけ決めてあった、あとはその場の判断に委ねる。
三人は動き始める。
それはアゼルの先制攻撃から始まった。
荷馬車の御者台の魔術師が突如大声を上げ警告する。
「近くで術を使うものがいるぞ!!」
周囲の護衛は機敏に反応し分散する、明らかに彼らは闘い慣れている。
「『ウィンディーネ水底の夢』!!」
奇襲攻撃は失敗した、それでもアゼルが荷馬車の馬と御者台の二人を巻き込む様に睡眠の術を行使する。
馬が動きを止め御者の頭が前に深くたれた。
だが魔術師のローブの男は身を屈め、御者台からホロ布の隙間から荷台に飛び込んだ、そしてホロ布を半分ほど剥ぎ取ると姿勢を伏せる様に低く保つ。
「殿下、彼自身は防護していたようです」
近くの茂みの裏に隠れていた二人は様子を伺う。
「どこにいる?とまるな絶えず動け!!固まるな術士がいるぞ!!」
護衛達は荷馬車を守り周囲を警戒しながら場所を変えていく。
荷台の中から魔術師が詠唱を開始した。
「『死せる墓所の下働き』生ける者をさがせ!!」
荷台の木箱の中から三体の骸骨が現れ立ち上がる、二人が隠れていた茂みに向ってよたよたと向ってくるではないか。
アゼルが目を見開いた。
「殿下!!あれは死霊術です、しかしあれは召喚術なのでしょうか?」
「アゼル今は考えるな!!」
「『死せる墓所の下働き』いでよ、荷馬車を守れ!!」
魔術師は再び詠唱すると、木箱の中から再び三体の骸骨が現れて、今度は馬車を守り警戒する位置についた。
「『ウィンディーネ水底の夢』!!」
気を取り直したアゼルが詠唱を唱えた、それと同時に護衛の二人が音もなく倒れる。
「催眠の術だ!!」
敵の中から叫びが上がった。
二人の男が倒れ伏した男達に走り寄った、何か小さな瓶を取りだし中の液体を鼻にかけた。
アゼルはそれが刺激の強い薬品で魔術が使えない者でも睡眠の術を破る一般的な方法だとすぐに理解できた。
「『死せる墓所の下働き』あの茂みに行け、敵がその方向にいるぞ!!」
ふたたび魔術師の詠唱が終わると、新たに現れた三体の骸骨が茂みに向って進み始めた。
最初の骸骨は茂みを突っ切りルディ達の処に突入してきた、それを一気にルディが剣で粉砕し吹き飛ばした、骨の破片が当たり一面に撒き散らされる。
「アゼルよ奴らはかなりの手練だ手加減無用だぞ!!」
「殿下わかりました」
ルディはそのまま茂みを乗り越えて道を塞ぐ位置に立つ、そして長剣を大きく構えた。
護衛達の前に初めて現れた敵の姿に彼らの間に緊張が走った。
「他に術士が居るはずだ!!」
指揮官らしき男が警告した、続いて馬車の荷台の魔術師も大きな声で叫ぶ。
「敵に水精霊術の中位以上の使い手がいる!!」
「くそどこに隠れている!?あの茂みの裏が怪しい!!」
その時、第二波の三体の骸骨がルディの前に到達しようとしていた。
護衛達は骸骨を利用しその空きを突くべくルディを挟み撃ちにする位置に移動しようとしていた。
アゼルは護衛を攻撃すべく術の構築を始める。
「『氷の・・』」
それにかぶせるように死霊術師の詠唱が完成していた。
「『ナンガ=エボカの藪蚊』!!」
荷台の死霊術士は茂みに向って黒い霧のような何かを放つ、アゼルは敵が僅かに早く術の構築を初めていた事をこの時悟った。
死霊術はアゼルには未知の魔術なのでその効果が予想できなかった、少しでも避けようと全力で走る。
術は風に巻かれた小石が当たるようにアゼルの全身にぶつかって痛みを与えたがそれだけだ。
「下位の術でこちらの詠唱を邪魔しましたか」
アゼルは魔術師との闘いの経験の差を感じ悔しさに臍を噛んだ、痛みに絶えながらルディの後方の位置に走る。
「敵の術士があぶり出されたぞ!!アーディ、ベルク、あの魔術師を殺れ、すばやく接近しろ!!」
敵の指揮官が指示を下す、彼の二人の部下がルディを迂回して背後にいるアゼルに向った。
だがルディはそれを一瞥しただけで骸骨と左右に位置取りした敵に注意を戻す。
それと同時に第二波の三体の骸骨がルディに襲いかかる、それと同時に左右から剣を振りかざした護衛二人が同時に斬りかかった。
ルディは三歩踏み込み剣を横薙ぎに骸骨を粉砕しながら、そのまま左側にステップし斬りかかる敵を串刺しにした、その男の目は何が起きたか信じられない様な顔を貼り付けていた。
ルディは裂帛の気合で右側から襲ってきた男に剣で突き刺したままその男を叩きつけた。
二人はそのまま吹き飛ばされ木の幹にぶつかり二人とも動かなくなった。
指揮官の目が信じられない物を見たかの様に大きく見開かれた。
アゼルに向かった男たちは次の術式が終わる前に懐に飛び込もうと全力で走っていた。
その一人の頭が突然消えた、血が吹き出る音と共に体が前に倒れ伏す、それに気がついた仲間の男の顔が驚きに歪んだ。
「おい!?アーディ!?」
思わず立ち止まってしまったのだ、それは致命的な失策だった。
闇の中から浮き上がるように薄汚い格好の少年らしき人影が現れる、顔が黒い布で隠されていて人相はわからない、だがその瞳は黄金の光をたたえている、それに人間れした何かを感じ慄き後ろに下がった。
右手に珍しい形の幅広の小ぶりな剣をたずさえていた、だがそれは血で濡れてはいない、何が起きたのか未だに理解できなかった、その少年らしき敵が一歩前に踏み出してくる。
それがこの男が見た最後の景色だった。
指揮官は異常な事態が起きている事を理解しはじめていた、二人が目の前で信じられぬ方法であっけなく倒され、奥の魔術師へ二人が向かったはずだが闘いの音も聞こえず不気味なほど静かだ、不吉な予感と不安が湧き上がってくる。
ジンバー商会の腕利きの男たちが僅かな時間で失われたのだ、馬車の方向に慎重に後退を始める、背後を確認しようと振り返った彼は見た。
荷馬車の前に三メートルを越える枯れ乾きった大木の様な巨人が屹立し、その後ろに彼の三人の部下と数体の骸骨達が馬車を護るように展開していた。