神器の暴威
「なに私をそんなに見つめているのかしら?禁断の愛に目覚めたの?」
「禁断の愛ってなんです?」
コッキーが小首をかしげた。
「テヘペロさんそんなに煽らなくても・・・」
そんな事を言いながら後から入ってきたピッポを見たコッキーがまた驚いた顔をする、今度はそれにテヘペロが小首をかしげた。
コッキーの目にはピッポもテヘペロと同じ様に淡い光の網に包まれているように見えていた。
「お二人で何のようです?」
すでに落ち着いたのか憮然としたコッキーの態度に、テヘペロの表情が僅かに動いた。
ピッポもまた訝しげにコッキーを見つめ直している、テヘペロとピッポは顔を見合わせた。
気を取り直したピッポは抱えていた箱をテーブルの上に置いて、空の食器を窓際の床に移した。
「また何かするのですか!?」
コッキーは背嚢に手を伸ばそうとする。
「まあまあ落ち着きなさい、貴女のお母様に合わせてさしあげますよ?」
ピッポはあわてて宥める、それでコッキーの動きが止まった。
コッキーはピッポに気をとられている間に、テヘペロが三歩ほど動きコッキーの視界から消えていた事を見逃していた。
「お母さんは私と居るのに会えないのですよ・・・会えるのですか?」
テヘペロの何か呟くような声がしたが、コッキーは真っ直ぐにピッポを見ている。
「ピッポさん!!本当に会えるのですか?」
コッキーはベッドから立ち上がりかけた、その瞬間テヘペロの術式が完成した。
「『精霊の深き眠り』効いてよね!!」
テヘペロが睡眠の魔術を行使したのだ、有効半径を微調整しながらコッキーだけに効果を及ぼしている。
「あっ!?」
コッキーは小さい叫びを上げるとそのまま意識を失い、心地よい闇に落ちて行った、そのままベッドの上に腰掛けるように崩れ落ちて行った。
「ここまでは順調ね、防護結界があるから追加の結界は張らないわ、私の魔力も残りすくないから気を付けて」
「わかっていますテヘペロさん」
ピッポは箱から小さな香炉を取りだし並べ魔術道具で次々と火を付けていく、香炉の中身すら確認しない初めから準備を終えてここに来た事のだ。
部屋の中にピッポの秘薬の煙と臭いが充満していった。
その臭いを嗅ぎながらテヘペロは先程の死霊術士との戦いを思い出した、その臭いとオットーが使った触媒の反応臭に共通点があったからだ。
想定外の戦いだったが死霊術の一端が理解できた戦いだった、そして新しい謎が増えた。
『各地に幽界への通路を開きやすい場所や死霊が活性化しやすい場所がありまして、これでその場を模す事ができるのですよ、もともと精霊召喚を安全に行なう為の研究でして、精霊召喚の術式の過程でこれと似た事を行います』
以前ピッポがテヘペロに教えてくれた事だ。
「ねえピッポ?」
「なんですか?テヘペロさん」
彼は作業の手を休めずに答える。
「幽界にヤリンガとかティグリカという場所かあったかしら?精霊の名前でもいいわ」
「はて聞いた事ありませんな、それがどうかしましたか?」
「魔鍛冶匠の街ラーバルとか、炎の狩猟民族が住むグリンプフィエルの森とか、術には幽界の精霊の名前や地名が付けられている物が多いのよ」
「さてはオットーくんが使っていた術ですかな」
「そうよ、聞き慣れない名前で驚いたわね」
「興味深い話ですがすべてが落ち着いたらまた検討いたしましょう」
「ええ、わかったわ」
ピッポは集中しているのか作業にすぐに没頭しはじめる。
テヘペロはベッドの上にうつ伏せになっているコッキーに目を移した。
「ねえ、このままでいいの?」
ピッポも顔を上げてベッドの上のコッキーを一瞥した。
「そうですな仰向けにしましょう」
「私がやるわ、こんなのでも年頃の娘だからね」
ピッポはあまりにもな言い草に苦笑した。
「ああ、お願いしますぞ」
テヘペロはうつ伏せに倒れ伏しているコッキーを抱き起こし向きをなおして、両足をベッドの上に持ち上げて靴を脱がしてやった。
「よいしょっと、意外と重いわね、これでいいかな?」
コッキーは仰向けになったまま深い魔術の眠りに落ちている。
テヘペロはその少女の繊細な年齢の割に幼い美貌を眺めていた。
「この娘がなぜ神の器に見込まれたのかしら?理由があるはずよね?」
「テヘペロさん神器に関わった者の多くは初めは無名の人物ですぞ?」
「まあそうだけど、無名でも優れた戦士や指導者だったり才能のある術士がほとんどだわ、この娘に何があるのかしら?」
ピッポはそれには答えず椅子から立ち上がる。
「あとは、これを配置します」
香炉をべッドの周囲に動かしていく。
「では、はじめまずぞ」
ピッポが術式を構築し始める、術式とは言葉であり術士のイメージの中に描かれる魔術の設計図の様なものだ、それには複雑な決まり事が定められている。
ピッポは幽界の門を開くことができなかったが、魔術への感受性は鋭かった『良い竈だが薪が無い』それが彼の上司だった男が評した言葉だ。
術式を構築しても駆動する動力が無いのだ、だが相手が死霊のような弱い存在ならば、生体である己の生霊の力で干渉する事が可能だった。
構築した術式に僅かながら力を流すことができると言う。
これは原始部族の霊媒師などがこれに近いらしい。
テヘペロはピッポもまた天才の名に恥じない男だと内心で思っていた、何度見ても彼の術は飽きない。
「そろそろ私の術が解ける時間よ」
ピッポがうなずく。
しずかにベッドの上のコッキーのまぶたが開いた。
そしてゆっくりと起き上がるが、それは妙に上品で大人じみた優美な仕草だった。
ピッポの表情が訝しげに変わるのをすばやく見抜いたテヘペロは一歩ベットから離れた。
「妙ですな?」
コッキーはベッドの端に腰掛けて二人を交互に見た、コッキーからは毅然とした何かを感じさせる。
『私に何か御用ですか?』
ピッポの顔が驚きに変わった。
テヘペロはコッキーの瞳を見つめる、そこには確かな意思の光を感じた。
「貴女はこの娘の母親ですかな?」
『そうですわ』
「信じられませんぞ!?死霊にここまで明確な知性や自我があるわけありません・・・ほんの二日前まではこんな」
ピッポは想定外な状況に狼狽を隠せなかった。
「ピッポ、私には良くわからないけど何か問題が起きたようね?」
『貴方達がこの娘を利用したのはわかっています、私は娘が何者にも利用される事を望みません、そう・・せめてこの娘には自由に生きてほしい』
「もう死霊を制御できないのね?」
ピッポの表情からそれを肯定と受け取った。
「ここまで強い自我がありますと、私の生体の力程度ではもう歯が立ちませんぞ」
その顔は深い苦渋に歪んでいた。
そしてコッキーは再びベッドの上に崩れ落ちて行く。
「どうなっているの?」
「もう私の制御を受け付けません、この娘を利用するのは無理です、いわんや神器持ちの娘では・・・」
「私も口封じできる自信がなくなっていたのよ、そもそも殺せるのか怪しいけどね」
「この娘に情が移りましたか?」
「少しね」
その直後に二人は硬直した、ベッドに仰向けに寝ていたコッキーの上半身が手も使わずに器械のようにまっすぐゆっくりと起き上がってきたからだ。
その気味の悪い動きに二人は二三歩後ろに退いた。
コッキーはゆっくりと瞼を見開くその瞳の奥は黄金の光が満ちていた。
その時テヘペロとピッポが息を呑む音が聞こえた様な気がした、少女から精霊力の流出がはじまっていて二人はそれを敏感に察知する。
そしてコッキーは足元の背嚢の口に手を伸ばす。
テヘペロが警告する。
「ピッポあれを!!」
二人は小さな魔術道具を耳に詰め込む、慌てたピッポが一粒落とすが慌てて拾いふきもせずに耳に詰め込む。
コッキーは堂々とトランペットを取り出すと天にかざした。
「来るよ!!」
トランペットが音を奏でる、音と共に精霊力の波が発生するのをテヘペロは光の波紋として捉えていた。
「精霊力が見えるなんて、どんだけ強いの?」
大声で叫んだがピッポには聞こえない、ピッポも何か言っているようだがそれも聞こえない。
彼の口元が見えればある程度は読み取れるのだが。
幸い音は遮断されているが二人は強い精霊力の圧力に晒されていた。
その精霊力の波動がテヘペロの体の精神干渉防護の結界を揺るがす。
テヘペロは術を行使した。
「『風のアリエリアスの口づけ』」
風精霊の下位の魅了の術だが効果が無い、コッキーの黄金の瞳が不機嫌にテヘペロを睨みすえた。
さらにテヘペロは術を重ねた。
「『風塵の愚者の軛』!!」
同じく風精霊の下位の拘束の術だ、風の過流はコッキーの四肢を捕らえるがまったく動きが止まらない。
「なにこれ神器の力?」
コッキーのトランペットが発する精霊力の波動は魔術結界を波打つように変化させている、その度にテヘペロやピッポの防護結界や部屋の防護結界が力の干渉に揺らめき光かがやいていた。
突然コッキーは演奏を止めてテヘペロを見た。
そしてにんまりと笑い何かを呟いた、だが読唇術の心得が多少ある彼女にはだいたいそれがわかる。
『やっと見つけたのです』
コッキーが何を見つけたのかはわからない、だがテヘペロの背筋に冷たい物が流れた。
またピッポが何か叫んでいる。
『火の精霊術は使わないでください』
口の動きからおおよその事はわかった、テヘペロはうなずきながら聞こえないながらも大声で返した。
「わかっているわよ!!」
ここではテヘペロの得意な火精霊術は使えない、もっとも魔力が底を尽きかけていたが。
『さあいくのです!!』
コッキーの口がそう叫んでいた、そしてマウスピースに口をつけ頬を膨らませた。
突然トランペットが階段を駆け昇る様に精霊力の波長を高速に変化させる、とてもトランペットの成し得る技では無い。
「なによピアノじゃあるまいし!!」
テヘペロの体を覆う防護結界が波長の上昇に従い強く光り輝くように明滅し揺らいだ、その駆け昇る力が突然止まって数歩だけ下がった。
その直後凄まじい衝撃波がテへペロを殴りつける、その瞬間テヘペロの一番外側の魔術防護結界が光り輝きながら砕け散る、彼女の目が信じられない物をみたかのように見開かれた。
さらに再びコッキーは駆け昇るように精霊力の波長を高速に変化させる、魔術防護結界が大きく波打ちながら輝き明滅する、波長の上昇が止まるとまた数段階だけ下がりその直後にトランペットから精霊力の衝撃波が襲いかかって来る、ふたたび魔術防護結界が吹き飛ばされた。
「精霊力が共鳴しているわ!!」
テヘペロは神器の力は音の力だと思いこんでいた、録音された音の暴威に翻弄された経験があったからだ、そして楽器と言う先入観に捕らわれていた、精霊力が生じているのは理解していたがこれは想定外の威力だった。
テヘペロとピッポが同時に動く、ただ演奏を止める為に前に出る。
その直後に最後の魔術防護結界がふたたび光かり煌めきながら砕け散った。
それと同時にピッポとテヘペロはコッキーに掴みかかった、小柄な少女には勝ち目の無い戦いに見える、だがその少女は二人に掴みかかれても微動だにしなかった。
コッキーが二人を軽く振り払うとテーブルを押し倒して向かいのテヘペロのベッドまで吹き飛ばされた、当たりどころが悪かったのかピッポはそのまま頭を抱えている。
テヘペロはふらつきながらも立ち上がる、事態を打開しようと頭を巡らすが良い考えが思い浮かばない。
彼女が気が付いた時にはトランペットの口が自分に向いていた。
テヘペロは上も下もわからなくなった、体内の精霊力がかき乱され立っている事ができない、膝を着き床に倒れ伏す、視界の隅でピッポが何かを叫んでいたが、やがてテヘペロの意識が濁り何も考える事ができなくなった、そして意識を失った。
コッキーは室内を見渡した、床にはピッポの道具が散らかっているが大きく壊れた物は無い、床に気を失ったテヘペロとピッポが倒れ伏している。
「次はこれに挑戦ですよ!!」
トランペットを壁に向けて再び鳴らす、凄まじい高速で精霊力の波長を変えて行く、部屋の防護結界が一番強く反応するポイントを見つける、それは光の波紋の輝きでわかる。
(壊れるのです!!)
その意思をこめた衝撃波で部屋の防護結界は歪む、そこに次から次と衝撃波を加えていく、たわみが増幅されて最後に耐えきれずに結界は崩壊していった。
美しい光の粒子を撒き散らしながら精霊力が散っていった。
『さあ剣を見つけてテレーゼから逃げるのよ』
ふと声が聞こえた様な気がしたコッキーは小首を傾げた。
「ルディさんの剣を見つけてベルさんのとこに帰るのですよ!?」