対決の前章
テヘペロは隠し宿にようやく帰ってきた、ここの廊下の奥の部屋の中にあの娘がいる。
「まったくあの変質者のおかげで魔力を無駄遣いしたわ、回復させるのにけっこう時間が経ってしまったわね」
ささやくような声で愚痴をこぼす、そして廊下の端のピッポの角部屋のある方を見た。
(とにかく、これからの事を決める必要があるわね、あれは危険すぎる)
テヘペロはコッキーのトランペットが神器だとほぼ確信していた、これをピッポに打ち明けた上で協力を得るしか無いと結論に至っていた。
(私一人で秘めておくのはもう無理、あれは手が付けられないわ、あの娘に憑依した死霊の力でなんとかできないかしら?)
「でも神器ってこんなにもあからさまに力を示すものなの?」
呟きながらテヘペロはピッポの部屋に向う。
テヘペロは伝承や英雄伝で語られる神の器についての記憶を改めて整理した、世界の変革期にその渦の中心に存在し、幸運や奇跡をもたらす物としていつしか崇められ、やがてすべてが終わり忽然とあるいは壮絶な逸話を残してこの世から消え去る存在。
その時初めて神の器だったと人々は悟るのだ、それは例外なく意外な物や形を成していた。
トランペットはその例にもれないがあまりにも主張が強すぎるのでは?もっとも神器とされる物の事例が少ない上に正確な記録も少ないので断言できないが。
ピッポの部屋はテヘペロ達の部屋から離れた二階の角の一人部屋だ、テヘペロが扉に触れると、防護魔術の結界に波紋が広がり彼女の手を受け入れる、彼女の柔らかな手が扉をノックする。
「私よ入るわよ」
扉が開くと中からピッポの声がする。
「ずいぶん遅れましたね少し心配しました、何かありましたか?」
「オットーさんと熱いお話し合いをしてきただけよ、相談があるけどいいかしら?」
「やはりオットーさんでしたか・・・ところで相談とはなんでしょう、とにかくおはいりください」
テヘペロの後ろで扉が閉まり防護結界は閉じられ再び侵入者を阻み始める。
コッキーはその日何度目かの演奏を終えベッドの上に寝転がっていた。
また力は去った、だが力の源から伸びる細い糸のような手がかりを残している、その糸は幽界の細い通路の彼方から伸びていた、あとは彼女の意識の腕がそれを掴みさえすればそれはやってくる。
「みつけましたよ、もう何時でもラッパを吹けるのです」
満足気にコッキーは微笑んだ、僅かに口の端が釣り上がる。
そして何かがどこかで笑った、そしてコッキーもそれに釣られて笑った。
「アハハハハハ」
無人の部屋の中で甲高いコッキーの笑い声が響いた、それはとてもとても楽しげな可愛らしくも無邪気で邪悪な笑いだった。
ベッドから突然起き上がる。
「さあ、くるのです!!」
コッキーの体が温度が上がり始めたかのように陽炎に包まれる。
「ああ、来ますよ熱いのが来るのです、もっともっともっと早く!!」
コッキーの瞳の奥が黄金の光を灯す、それはいつも足元からやってくる、足から腰へ背骨を伝いながら脳天に昇り全身を痙攣させた。
彼女の瞳は潤み頬は赤く染まっていた。
そしてトランペットのマウスピーズに口づけた、その儀式じみた仕草は妙に扇情的でいてどこか神々しくも威厳に満ちていた。
この日何度目かの演奏会が再び始まった。
ピッポの部屋はテへペロの部屋より小さな一人部屋だった、調度品はテヘペロ達の部屋の物と同じでベッドが一つだけ置かれていた。
そのベッドにピッポがテヘペロがテーブルの側の三脚椅子に腰掛けていた。
テーブルの上に小さな天秤と乳鉢と魔術道具の加熱器、得体のしれない器具が並べられ小さな実験室となっていた。
「テヘペロさんの推理が正しいとなると、計画を根底から変えなければなりませんぞ、ですが未だに信じがたい事で」
「ええ神器で無いとしても異常な何かなのは間違いないわ」
「しかし、あれが神器だとしたらですぞ、たしかに私達では手に余りますな、あれを取り上げたとしてもそれすら大きな計画の一部でしかないとかなりかねない」
「ほんといやね、何か大きな手の平の上で踊らせれるなんてさ」
「幽界帰りが二人も存在する事が異常だと思っていましたが」
「神器と考えるとかえって納得できるわね」
「もう一度整理いたしましょう、予定では幽界の門封じの薬を完成させあの娘を解放し幽界帰りの娘の捕獲を狙う、万が一の時には魔剣だけ持ってテレーゼから撤退するでしたな」
「まだ死霊による制御が効くのかしら?」
「やって見なければわかりませんが、既に命令は与えてあるのですぞ?」
「覚えているわ、なら解放して様子を見たらどうかしら?薬ができてからじゃないとダメ?」
「薬を後から渡す方法も決めてあります、必要な刺激を与える必要がありますが」
「あら、あとから渡せるのね?」
「そういう事です、ですが早く解放しすぎると奴らがハイネから移動してしまう危険がありました」
「そこまで考えていたのね」
「あとはあいつらがあの娘を信じるかよねー」
「魔術には人を操る術があります、あの娘が魔術か何らかの方法で操られていたと奴らも推理するはずです、ですが私の術を見破るには魔術の幅広い知識と錬金術の知識が必要ですぞ、キヒヒ」
「操られていたと疑っても簡単にはわからないって事ね」
ピッポは上機嫌でうなずいた。
「やっぱり死霊による支配が生きているか確認が必要でなくて?」
「そうですな、支配が効かなくなっているならあの娘を放り出してテレーゼから撤退の一手です」
「そうよね確認だけは必要か・・・みんなが納得しないわよね」
テヘペロが背嚢の口を開けて、豆粒程の小さな物体をピッポに渡そうとする、ピッポは訝しげな顔をしながらも手を出してそれを受け取った。
「これはなんですか?」
「即席の魔術道具よ、作るのにけっこう時間がかかったわよ、こういうのは余り得意じゃないのよね、あの娘がトランペットを吹きそうになったら耳に入れて」
「耳栓ですな」
「わざわざ起動させる必要はないわ、明日のお昼ぐらいまでは持つから」
ピッポは試しに耳の穴にそれを入れた。
「テヘペロさん何か話していただけますか?」
その時宿の近くを馬車が騒々しく通り過ぎて行く。
「聞こえる~かしら~ ひずめの音~ 」
ピッポが少し驚いた顔をしてテヘペロを見る。
「何も聞こえませんぞ!!」
ピッポは小さな魔術道具を取り外した。
「これで音は遮断できますな、しばらくおかりします」
テヘペロも自分の分を懐に入れた。
「録音魔術道具の音で実験済みよ、でもぶっつけ本番なのが怖いわね」
「さすがですテヘペロさん、夜も遅くなる前に始めましょうぞ」
「ありったけ防護魔術をかけるわよ、あまり得意じゃ無いのよね、無属性は魔力も喰いすぎるしこういう時に痛いわ」
演奏に酔いしれていたコッキーはふとある予感を感じた、ここに誰かがやってくると。
(あの人が帰ってきたのです?)
演奏を止めてあの力を引かせる、力が潮のように引き熱が力が去っていく、すでに自分の意思で力を引かせる事もできるようになっていた。
「まだ知らせたくないのです・・・まだ?」
コッキーは小首を傾げたが、いそいでトランペットを足元の背嚢の口に放り込む。
コッキーが扉を見つめているとそこの防護結界に揺らぎが生まれた。
彼女は防護結界が揺らぐ時に生まれる波紋を見るのが楽しかった、その光のさざ波のような波紋は美しくも淡い。
静かに扉が開き始める。
「かえったわよ・・」
それは最近すっかり聞き慣れたテヘペロの声だった、だがそこには緊張したようないつものような伸びの無い声だ。
「おかえりなのです」
テヘペロの後ろからピッポが続く。
「ちょっとお邪魔しますよ」
そのピッポは何かの箱を抱えていた。
コッキーはテヘペロの姿を見て驚愕していた、淡い光の網が彼女の体を幾重にも包み込んでいたからだ、目を見開き口が半開きになる。
テヘペロも不審げな顔をしながら歩みを止めて彼女を見つめ返す。
「テヘペロさんどうかしましたか?」
気遣うようなピッポの声がテヘペロの背中に投げかけられた、テヘペロが急に動きを止めてしまったので部屋に入れないのだ。
「貴女どうかしたの?」
我に帰ったコッキーはとりあえず言い繕う。
「な、なんでもないのです」
そして淡い光の網に包まれたテヘペロに見惚れる。