路地裏の火炎旋風
ピッポは請け負った作業をすべて終わり、事務員に納品リストを渡して日当を受け取ると『死霊のダンス』を去るべく通用口に向かった。
「ではわたくしはそろそろ帰りますぞ」
他のメンバーはその挨拶にまったく無反応だ、魔術師は他人への関心や共感が希薄だと言われるがあまりにも極端と言うものだ。
通用口近くで作業をしていたリズに声をかける。
「リズさん私はこれで引き上げます」
初めてピッポに気付いたのか彼女は頭を上げた。
「ありゃ?おつかれさまー」
ピッポは彼女の反応が妙に軽かったので小首を傾げた。
「なにか良いことがありましたか?イヒヒ」
「いやー、お腹いっぱいだと幸せになれるってね?」
「はは、そのようですな、ではこれで」
ピッポはそのまま短い通路を進み『精霊王の息吹』に繋がる階段を上がっていく。
その直後オットーが自分の持ち場から立ち上がる。
「俺もいったん引き上げるぜ」
隣のテーブルにいた黒いローブの男が気だるげに応じた。
「おまえの班は今晩仕事だぞ、もどってこいよ」
「わすれねーよ」
そのオットーはリズのテーブルに近づいてくる。
「ありゃ?オットーこっちを使うなんて珍しいね?」
リズを無視してそのままオットーも『精霊王の息吹』に繋がる階段を昇っていく。
「なんだろ、ゾンビが私の墓の上で踊っている様な気分がしたわねー」
リズは何か苦いものを飲んでしまった様などこか寂しげな表情でオットーを見送っていた。
インチキ魔術道具屋を出るとピッポは伸びをして新鮮な空気を吸い込む、夜の営業を始めた酒場の料理と酒の臭いと、僅かなドブの臭いがまじり込んでいた。
「明日も天気がよさそうですな」
オレンジ色に色づき始めた西の空を眺め、やがてとぼとぼと北に向って歩いていく。
その後ろでインチキ魔術道具屋から出てくる黒いローブ姿があった、それは距離を保ちながらピッポの後を付けていく。
そのローブの男はフードを深くかぶりその顔は見えない、男は家路を急ぐ労働者の群れに流され気味になりながらもピッポを見失しなわぬ距離で後をついていく。
だがしばらくすると突然その追跡は終わった、ローブの男は慌てて道の脇に寄った、ピッポが道の真ん中で向こうからやって来た若い町人の女と出会って立ち話を始めたからだ。
農機具屋の柱の影に身を隠しならがその男は頭を覆うフードを脱ぐ、そこから現れたのはオットー=バラークだった。
そしてピッポが話をしている相手の女を凝視する、かなりの距離があったがその女の姿形と美貌それを見間違える事は無かった。
「テヘペロ・・・」
オットーは思わず呟いた、彼の目にはどこか暗い熱情と欲望の色が浮かぶ。
テヘペロがこちらを見たような気がしたがそれは一瞬の事だった、オットーはさらに一歩奥に引っ込んだ。
やがて二人は連れ立って少し北にある東に向う路を曲がる、ふたたびオットーは追跡を開始した、東に向かう道は人通りがそう多くはなかった、オットーは細い脇道に少し入ると魔術を行使した。
「いそげ・・・『名もなき未亡人のベール』」
死霊術の隠蔽魔術を行使し姿を消してふたたび二人を追跡する。
テヘペロが魔術師と知っているので慎重に距離を維持した、鋭敏な術士だと隠蔽を感知される事があるからだ。
しばらく進むと倉庫の敷地の前で二人は立ち止まる、何事か話し合っているようだが、ピッポが別れて倉庫の敷地に入って行った、そしてテヘペロだけが更に東に向って歩き始める。
オットーはそのまま町の女房姿のテヘペロの後ろ姿を追跡する。
しばらく進むとテヘペロは北に向かう細い道に入っていく、オットーはあせらずに角まで進み北を確認したがテヘペロの姿がそこに見えない。
狭い路の両側は使われていない大きな倉庫の壁だ、その奥は突き当りに見えた。
「くそっ!!」
急いで進むと奥はT字路になっている、そこまでたどり着き左右を見ると左手側にテヘペロの後ろ姿を見つけた、だがその先は行き止まりになっていた、オットーの顔が思わず歓喜に歪んだ。
その時テヘペロが振り返った。
「私の方を追跡してたんだ、あんたは誰?」
オットーは驚いたがすかさず隠蔽術を解除する、黒いローブ姿のオットーが狭い裏道に現れる。
「忘れたのか?オットー=バラークだ!!」
「一度しか会ってないから顔なんて覚えてないわよ、手紙をピッポに持たせたのは貴方ね」
「読んでくれたのか?」
「読んだけど、まるで良く知っている者同士みたいな文で気味が悪かったわよ」
「これから親しくなればいいじゃないか?」
「ええっ!?」
「なあ、あんた火精霊の下位魔術師なんだろ?」
「それがどうしたの?」
「火精霊で下位魔術師じゃあ安定した仕事なんて無いだろ?」
テヘペロは火精霊の上位魔術師で風の下位魔術と無属性の上位まで使う事ができたが、死靈のダンスには火精霊の下位魔術師と申告していた事を思い出した。
「そうよね、火精霊で下位魔術師じゃあ確かにお呼びがかからないか」
彼女は小声で呟き失敗したと小さく舌を出した。
「何かいったか?」
「それがどうしたの?」
「なあ、おれが面倒をみてやるよ、おれは将来性のある死霊術師なんだ」
「他の女にしなさいな、私はものすごく立て込んでいて忙しいのよ、貴方の相手をしている心の余裕がないのよ」
急速にオットーへの興味を失って行く、そろそろ宿に引き上げたい、大きな難問が彼女を待っているのだ。
オットーがその時なにか乾いた棒の様なものを足元にばら撒く、テヘペロは触媒か何かと判断したが見覚えの無い物だ、それに僅かに眉を寄せ警戒を強める。
「おまえじゃなきゃダメなんだ、俺は痩せた女には興味がない」
何を言っているの?テヘペロの表情がそれに変わる、不機嫌になっても良いはずだが、それ以上にオットーを別の意味で警戒しはじめた。
「まあ言ってくれるわね!?」
「『死せる墓所の下働き』現われよ!!」
オットーの詠唱と共に骸骨が三体立ち上がってきた。
「あら痩せすぎじゃあないかしらこの人達?」
「ふざけるな!!」
「これが死靈術か、召喚術に似た魔術式の駆動だけど対象は幽界の門を経由していない、精霊力だけ幽界持ちと言うわけね、実体に近いけど違うか、どういう仕組なのかしら?さっき撒いたのが触媒、そうか依代がわりか!!」
よく見ると立ち上がった骸骨の骨は僅かに向う側が透けて見えている。
「よくわかったなお前ごときが・・・」
「ピッポが少し教えてくれたのよね」
「そういう事かよ」
「どうでもいいけど、私は帰るからそこどいてくださらない?」
「お前は俺の物になるんだ、喜びを教えてやろう」
「うひゃ」
奇声がテヘペロの口から漏れた。
「楽しそうだけど貴方気持ち悪いから遠慮するわ」
オットーの顔が怒りに歪んだ瞬間テヘペロの唇が詠唱を紡いだ。
「『火蜥蜴の吐息』よっと!!」
人の頭ほどの炎の塊が骸骨の一体に向った、炎の塊がぶち当たった瞬間骸骨が燃え上がる。
「なるほど半実体って処かしら、依代の質量を増やせば実体に近づくの?こいつに武器を持たせたり盾にできるわね、でも燃えてよかったわ、燃えなかったらどうしようと思ってたのよ、ひゃは!!」
「何をしやがる!!」
「ここ狭いのよ?道を塞がないで」
「『アウンズの蠅の群れ』あの女に罰を与えよ」
すかさずオットーが攻撃に出る。
「『シアルコートの炎のカーテン』」
僅かに遅れてテヘペロは術の構築を始め展開する。
黒い豆粒の様な小さな黒い影が幾多も現れテヘペロに向って飛んで行くが、彼女の周囲に現れたオレンジ色の薄膜にぶつかり燃え上がった。
「お前、この術を知っていたのか?」
「知るわけないでしょ、術式や詠唱からある程度わかるものよ、でも今のは普通の攻撃術ね」
テヘペロはオットーより後から術を行使したが完成するのは同時だった、短ければ短いほど相手の動きを見てから術を使える。
理屈ではそうだが実践ではよほど慣れているか天性のものがなければできるものではなかった。
先制攻撃こそ魔術師の定石なのだ。
そんなテヘペロも死霊術師との戦闘はこれが初めてだ。
先程までのオットーから余裕が消えた、それを彼女も感じ取り身構える。
「骨共よ行け!!」
二体の骸骨がテヘペロに一斉に襲いかかる、オットーは骸骨に命じた直後から術式の構築と詠唱を開始した。
テヘペロは素早く対抗する。
「『火蜥蜴の吐息』!!」
鋭い彼女の叫びとともに炎の塊が一体の骸骨を炎上させたが、間髪入れず炎の塊がもう一体を炎に包み込む。
オットーはこれに驚愕したがすぐに原因に気が付いた、テヘペロの手に握られた細く短い金属製の魔術道具に目が吸い寄せられる。
二度目の『火蜥蜴の吐息』がその道具から生じた物だと気付いたのだ、下位魔術とは言えそれを行使できる魔術道具は極めて値が張るはずだ。
だがオットーは心を落ち着かせ術式を完成させた。
「『ヤリンガの沼の白蝋屍体』」
身長二メートルを越える巨大なずんぐりとした人形が現れる、灰色のところどころに青と緑が混じった巨大な粘土の塊のような人形だ。
だがこれも半透明の代物で向う側が透けて見えていた。
その巨人が盾となるようにオットーは素早く動く、テヘペロは興味津々にその巨人をしばし観察していた。
「こいつは簡単には燃えないぞ、水と泥の塊の様なやつだからな、そして触られると毒で体が動かなくなるのさ」
どこが下卑た笑みを浮かべた。
そしてオットーは再び先程の棒の様なものを足元にばら撒く。
「死霊召喚術とでも言えばいいのかしら?盾としては便利そうね、でもどうも仕組みがわからない処があるわね今のもそうよ」
オットーはそんなテヘペロの態度にかなりイラツイていた、そしてローブの下から鞭を取りだす。
「これでお前を調教してやる、お前はこれ無しではいられなくなるんだ」
テヘペロが一歩下がった、オットーにはそれが彼女の怯えに見えた。
「お前の様な女ほど叩きがいがあるってものさ、それがたまらなくいいんだ」
オットーの表情が嗜虐的に変わっていた、死霊のダンスにいた時のこの男からは想像もできない豹変ぶりだ。
「どうしたよ?あきらめたか?」
テヘペロは動きを止めていた、テヘペロの瞳は死んだように何も写してはいない。
「おじさま・・・」
「なんて言った!?」
「あらごめん、すこし考え事しちゃったのよ、今ね最高に気分がいいの」
「へへ、俺がもっと気持ちよくさせてやるよ」
オットーは巨人の後ろで鞭を弄んでいる。
「しょうがないわね、骨も残さず消してやるわ」
テヘペロに表情が戻っている、だがその瞳は怒りと殺意をたたえていた。
「『死せる墓所の下働き』現われよ!!下位魔術師風情に何ができるんだよ」
オットーが鼻で笑いながらも新たに骸骨の下僕を三体呼び寄せた。
テヘペロはその詠唱に詠唱を重ねた「『陽炎の隔壁』!!」テヘペロの姿は揺らぐ炎の壁の向こうに隠される。
「お前は初心者かよ?」
オットーは嘲笑した。
「上位者は魔術をこう使うんだ、『ティグリカの死の法廷・・・』」
その詠唱は途切れた、炎の壁の向う側から握りこぶし大の金属製の何かが音を立てて転がり落ちてきたからだ、それは泥人形の足元で止まった。
オットーは危険を察して距離をとろうと数歩下がった。
「なんだこりゃ?」
「それピッポ達が作ってくれたのよ、あはっ!!」
そして炎の壁の向う側から今度はテヘペロの詠唱が始まる。
その金属の塊が炸裂しあたりは黄金色の閃光に包まれる。
「目が!?目が見えねえ!!」
閃光の中でオットーの叫びが上がった。
その間にテヘペロの術式の構築が完了していた。
「『火猫の九尾鞭』上位者は鞭をこう使うのよ?」
炎の蛇が何匹も炎の壁の向う側から飛び出して、泥人形と骸骨の下僕たちに襲いかかる。
「てめえ、それは中位魔術じゃねえか、騙したな!!」
テヘペロを隠していた炎の幻影の壁が消えた時、テヘペロは遮光メガネをかけていた。
骸骨の下僕達は炎の蛇を何匹か受け止め消えていく、彼らはお互いにその使命を果たしたのだ。
泥の人形には残りの炎の蛇がからみついていた、泥人形を大きく削り蛇達もまた消えて行こうとしている。
「陽炎の壁は隠れる為のものじゃない、何をしようとしているか隠す為の術なのよ」
テヘペロは更に詠唱を始めた、オットーは視力の回復を図り裾で目をこするが未だ視力が戻らない。
「くそー、早く見える様になれってくれ!!」
彼はまろびもだえながら壁に体をぶつけていた。
「『火狐の円舞』」
炎の回転する輪が泥人形の足元に現れ全身を包み込み始める、だがオットーはまだそれに気が付かない。
「何をしている!?」
「こうしているのよ」
テヘペロはまた術式を構築し始めた、その間にもオットーの視力は徐々に戻りかけていた。
「おおっ!!見えてきたぞ!?くそ、ただじゃすまさん、徹底的になぶってやる!!!」
その間にもテヘペロの術の構築が進んでいくがかなりの手間がかかるようだ。
「『ラーバルの魔鍛冶匠の絶対隔壁』!!!」
そしてついにそれが完成した。
その瞬間オットーからすべての表情が消えた。
「なんだよ上位魔術じゃねえか・・・」
オットーの甦った視界には遮光メガネを付けたテヘペロと燃え上がり崩れ落ちていく泥人形の姿があった。
「こうしないと街が大火事になるからね、これが火の精霊術の欠点だわ」
「何をする気なんだ?」
「さっき言ったでしょ?」
「やめてくれ、なっ?」
「あんた戦った感じ中位くらいね?敵対した魔術師を放置できるわけないでしょ、危ないったらありゃしない、おまけに変質者だしさ」
「あんたに一生使えるから止めてくれ」
「それが嫌なの」
テヘペロが詠唱を始める、オットーは泣きわめきながら逃げようとするが見えない壁にぶつかるように進めない。
「『アータルの炎の魔神の火炎旋風』!!!」
灼熱の炎の竜巻が生まれい出た、だがそれは絶対隔壁の外には何の影響も及ぼさないだろう、絶望を湛えたオットーの瞳が炎の柱を映し出す、その瞬間オットーは絶叫を上げるまもなく渦巻く超高熱の炎に巻かれ瞬時に姿が見えなくなった。
誰もいない裏路地に何もなかったかのように静寂が戻っていた、ただ石畳の上に僅かばかりの砂の様な灰が積もっていた、それも夜風に吹かれ舞って散って消えていった。