血の羅針盤
アゼルとサビーナはハイネの旧市街地を目指し急いでいた。
「サビーナさん、ところで誘拐された子供達は何人ですか?」
息をきらせてアゼルを追いかけていたサビーナが慌てて応じた。
「ええ!?男の子が四人です、名前はシャルル、ヨハン、ネイト、レイフですわ」
「わかりました、しばしお待ちを」
アゼルは何か小さな布のような物にいそいで子供達の名前を記してまた懐にしまう。
「さあ行きましょう」
すでにハイネの西の城門が間近に迫っている。
二人はハイネの中央広場に向って大通りを東に進んでいく。
「アゼルさん、すいませんもう少しゆっくり歩いてください」
後ろから苦しげなサビーナの声がする、サビーナはアゼルから遅れ気味で少し息を切らせていた、アゼルの足に付いてこれないのだ。
「サビーナさん失礼いたしました、少し休みましょう、その後で中央広場の近くで手早く術を使えそうな場所を探します」
二人は中央大通の端により僅かな休息を取る事にした。
「アゼルさん、歩くのがお早いですね・・・」
「ええ、山奥に住んでいたせいで足腰が強くなったようです、ロバを連れて街まで何度も買い出しに出かけていましたから」
「まあ、ロバを飼っていらしたのね、たしかアゼルさんはエルニアの御出身でしたか?」
「はいエルニアのエリカの生まれです」
エリカの思い出は幼馴染のエーリカを思い出させる、その想い出は懐かしさと共に苦さをアゼルに運んで来る。
「エリカって港街ですわね、テレーゼには海がありませんから憧れますわ」
「ご存知でしたか?」
「ハイネからはかなり近い港街なんですよ?」
言われて見るとハイネからエリカまで馬ならば三日程で辿り付くことができるだろう。
「ところでサビーナさんはハイネ生まれですか?」
「私はここで生まれました、でも父母は遠くからここに流れた来たそうですわ」
アゼルはそれを詮索するつもりはなかった。
すでにサビーナの息も整い落ち着いている。
「落ち着きましたか?」
「大丈夫ですご迷惑をおかけしました」
「では、そこの小路の奥を調べてみましょう、そこであの術を使います」
アゼルが示したのは中央通りも近い、大きな商館の隙間を抜ける狭い裏道だった。
小さな休息を終えた二人はそこを目指して歩き始めた。
「アゼルさん、爪が南西をさしていますわ!!」
サビーナの声は僅かながら興奮をにじませていた。
狭い路地の奥に小さな物置があった、そこで路は行き止まりになっている、アゼルはそこで術を行使したのだ。
その幻影の爪はサビーナの言う通り南西の方向を指し示していた。
「どうやら行き過ぎたようですね、ですがこれで絞られましたよ、行きましょう」
「アゼルさん場所がわかりましたら警備隊に通報いたしますか?」
だがアゼルの表情は暗かった、アゼルは相手によっては警備隊は動かないと確信していた、そして証拠としては弱すぎる事を。
血の触媒が残り少なくこの術を使える回数に限度があるからだ。
アゼルはその質問には答えなかった。
「西の城門まで戻り近くでもう一度この術を使います、2つの線が交わる場所に血の持ち主がいるはずです」
サビーナのアゼルを見る目に尊敬の色が浮かんでいた。
「まあ」
「サビーナさん行きましょう」
「はい!!」
「さあエリザベス行きますよ」
荷物の上で遊んでいたエリザがアゼルの肩に飛び乗る、二人は西の城門に引き返して行く。
「今度は南東の方を指していますわ」
サビーナの声は小さく潜められていた。
西門が近い倉庫街は人通りも少ない、そんな倉庫の隙間の狭い路の奥に、若い男女の魔術師風の男と修道女がいるのだから、見られると非常にあやしまれる情景だった。
その薄暗い路地の奥に現れた幽界の水妖の爪は南東の方向を揺らめきながら指し示している。
「おおよその場所がわかりました、そこに行ってみましょう」
「ええ、わかりましたわ・・・」
「怖いですか?サビーナさん」
「ええ、でも子供達が心配ですから」
二人はおおよその場所を目指す、だがアゼルはその場所に見覚えがあった、先日コッキーがジンバー商会の用心棒二人を惨殺した場所に近かったからだ。
アゼルに嫌な予感が広がっていく、それと共にいかにもな思いが募る。
「サビーナさんここはジンバー商会に近い、その商会は存知ですか?」
「名前だけは知っています、あまり良い噂は聞きませんわ、そこがあの子達をさらったのでしょうか?」
「あそこに『鉄槌亭』の看板があります、ここはジンバー商会の近くです」
そのまま二人は通りを東に進んでいく。
十字路に出ると北東の区画がジンバー商会の敷地になっていた、そこから北側の小さな宿屋の前を掃除している少女の姿が見える。
アゼルはその少女に見覚えがある、記憶を探ると彼女はコッキーの引き起こした惨劇を目撃した少女だった、だが少女の名前までは思い出せなかった。
「よろしいですか?」
アゼルに声を掛けられた小さな小間使いの少女は怯えアゼルから飛び離れた、まるで子猫の様だとアゼルは内心苦笑する、だが少女は修道女のサビーナに気が付くと驚いた表情を浮かべた。
「南の聖霊教会の修道女様ですか!?」
「そうよ私はサビーナよ?貴女の事何度か見たと思うわ」
「私はマフダ、ここで住み込みで働いているけど、お父さんがそっちに住んでいるのよ」
サビーナはなるほどと納得したように頷いた。
「マフダさん、貴女はここの住み込みですか?ならばそこの裏門から昨晩大きな荷物が出入りする処とか見ていますか?」
アゼルが少女にいきなり質問した、マフダは不信に満ちた目でアゼルを睨んだまま言葉を発しない。
「おねがいマフダさん、とでも大切な事なのお願い」
サビーナはマフダに懇願した。
「修道女様なにかあったのですか?まさか!?」
周囲を見回したサビーナが声を更に潜めてマフダに近づき言葉を紡ぐ。
「教会の孤児院の子供達がさらわれたのよ」
マフダの表情が驚きから苦痛に変わる。
「あそこの子供達がさらわれたのね?あいつら悪い奴らよ!!エルマをさらったのも彼奴等に決まっているわ!!いいわ修道女様なら教える、でも昨夜は出入りは無いと思う、真夜中に荷車が出入りするととてもうるさいのよ?」
サビーナはあからさまに落胆している。
「でも知ってる?ジンバー商会の南側に開かずの門があるのよ?夜になると静かに馬車や荷車が出入りすると噂はあるけど良くわからないのよ、私の宿屋からはわからないし」
アゼルとサビーナは顔を見合わせた。
二人はマフダと別れジンバー商会の南側に向かう、その通りを東に向ってさりげなく門の前を通過する。
「アゼルさんそこに門がありますわね」
「あまりじろじろ見ないように」
「あ、申し訳ありません・・・」
アゼルはその通りから南に向かう裏路地を探した、そして見つけた狭い裏路に二人は入って行った、そこで商家の裏口の馬車寄せと荷物置き場を見つけ、そこで術を行使する事にしたのだ。
「あっ!!今度は北を指していますわアゼルさん!!」
サビーナの声は小さく震えていた。
「ジンバー商会ですね」
アゼルは予想通りの結果として驚かない、だがこれによって状況は更に悪化した。
小悪党の犯罪ならどうにかなるが相手が厄介なのだ。
水妖の爪の幻影が再び揺らめきながら消えていく。
「ありがとう妖怪さん」
サビーナは小さく感謝を捧げて消えゆく幻影を見送る。
アゼルは沈黙したまま動かない、それを邪魔しないようにサビーナは見守っていた、彼が何か真剣に考えていると思ったからだ。
アゼルは葛藤していた、若旦那様ことルディは国を追われたエルニアの公子だ、そして大公妃の精霊宣託の秘密を解くために自分たちはテレーゼにやってきた。
そこでテレーゼを覆う死の呪いを知ってしまった、幾万幾数十万の命を喰らい続けた死の結界、何もしなければセザーレはそれに命を喰らわせ続けるだろう、それは碧緑の偉大なる精霊魔女アマリアへの攻撃の為に。
四人の哀れな孤児の運命に関わって良い状況でも立場でもなかった、それが当たり前の判断だ。
そして人さらいはこの世界に蔓延していた、特にこの混乱のテレーゼではそれは日常だった。
子供達を仮に助けることが出来たとしても本質的には何も問題は解決しない。
このまま手を引いても自分たちが責任を問われるわけではない、だがサビーナの姿を見ていると心が揺らぐ。
そしてアゼルは根拠はないが何者かに試されているような、人とは異質な精神をもった者達の興味と関心が自分たちに注がれている、そんな奇妙な感覚にとらわれていた。
その時商家の裏口が開いた、野暮ったい小間使いの少女が大きな麻袋を抱えていたが、裏口近くに魔術師と修道女がいたので目を丸くして驚いていた。
それを切っ掛けにアゼルは面を上げた。
「サビーナさん我々の宿に来てください、若旦那様達とお話があります」
サビーナは大きく頷いた。
二人は『ハイネの野菊亭』に戻る、サビーナの表情は宿に来た時より落ち着き顔色も戻りつつあるように見えた。
「あれサビーナ、アゼルと一緒だったんだね」
アゼルが部屋に戻るとルディとベルの二人はすでに宿に戻っていた様だ。
ベルがアゼルを見る目には何かを揶揄するような色がある、それが意味するものに直ぐに気付いたアゼルは不機嫌になった。
「ベルさん、私は捜査に協力していたのですよ?」
「そうか・・・」
ルディがテーブルの上の小さな石版を見やりながら呟いた。
「結論を言いますと、子供達を救出したいのです、御二方に協力をお願いします」
アゼルの言葉にその場に沈黙の驚きが広がった、サビーナも大きく息を飲む。