古地図と令嬢と修道女
ルディは高さ10メートルを越えるハイネ城の内壁を見上げていた、魔導師の塔は更にその上に聳え立っている。
塔が高いため見た目にはわかりにくいが塔の太さもかなりのものだ。
「ねえ今晩あたりハイネ城を探検しよう?」
ベルが下から見上げるように覗き込んできた、その顔は何かイタズラを企んでいる時の顔だった、それは幼い昔から変わっていない。
「なんだと!?」
いきなりベルがハイネ城に乗り込もうと言い出したのだから驚く。
「中の様子を知りたいんだ、魔導師の塔に行くことがあるかもしれないだろ?深入りはしないから」
いずれそうなる予感はしていたのだ、アマリアの言っていたテレーゼ全体を覆う死の呪いの結界の制御魔術陣が城の中にある可能性があった。
「俺達ならできるか・・・」
「うん、いける」
「たしかに城の内部を把握しておきたいが」
「何かあるの?」
だがその態度からあまり乗り気じゃないとベルに受け止められてしまったようだ。
「あの瘴気の流れの先をみきわめてから、城を調べようと思っていたのだ」
「あっ!!忘れてた」
ベルは舌をペロリと出した、ベルの舌をつまんで引っ張ってやりたい衝動にかられたが耐える。
「アマリア殿の話ではそう遠くでは無い、ドルージュ近辺に瘴気が集まっているそうだ、時間が少なくて結界の破壊方法など聞く余裕が無かった、渡り石の量が限られていたからな」
「そこにも、例の魔術陣があるかもしれないのか」
「死の呪を制御する為の魔術陣だそうだ」
ルディとアゼルはあの白い狭間の世界で碧緑の魔女からテレーゼを覆う巨大な死の呪いの存在を教えられた、だがこれを破壊する方法はわかっていない。
それに関してはアゼルが頼みだが、今のところ彼はロムレス帝国の予言に執着している、アゼルはいろいろと因縁の深い大公妃の精霊宣託につい関心が向いてしまうのだ。
これも重要だが今は結界破壊を優先すべきではないかと思う、昨日の夕刻あわただしくハイネに帰ってきたが、こうして歩いているとしだいに気持ちが落ち着いてきた。
「やらねばならぬ事が多すぎるのだな・・・」
すこし下からどこか気遣う様な視線を感じた、このごろ視線や気配から人の感情を感じ取れる様な気がする、もしやこれも神隠し帰りの影響なのだろうかと思った。
「ルディ!?」
「すまんな考え事をしていた、買い物したら宿に戻ろう、こうしてお前と何も考えずにぶらついていたら頭がすっきりした、これから何をすべきか優先順位をつけたい」
「コッキーと魔剣の事もあるよね」
ベルの言葉でルディは我に帰った、それを失念していたからだ、そして思わず頭が痛くなる。
「まさか忘れてた?」
「忘れてはいないぞ?とりあえず狭間の世界に導かれた場所まで案内しよう、学園通りの西の端にあの魔術研究所があるから気をつけようか」
二人は再び歩み始めた、学園通りをハイネ城の正門の前を通過して魔術街に向かって進んで行く。
「そろそろ見える頃だ、あの大きな衣料品店の近くだ」
やがてハイネ城の内壁の端まで来ると、魔術学園の正門が見えてくる、そして路の向かい側に大きな衣料品店の洒落た看板が見えてきた。
鉄柵に囲まれた魔術学院の敷地の中から小鳥のさえずりが聞こえてくる、かなり日も高くなり学園の樹々を照らし出していた。
通りを行き来する人々の数もまばらで街は静かだった。
ベルにわかるように街路樹に隠され見えにくい本屋の看板を指さす。
「思い出したぞベル、その向こう側に本屋があるはずだ、そこだ」
「そこにアマリアの店があったんだ・・・」
二人は魔術街を通り越して大きな衣料品店の前までやってきた。
「このへん良いお店が多いね」
「一等地だからな、ここも高級品揃いだぞ、吊るし物でもそこそこの物が有りそうだ」
「へー」
興味なさげなベルの反応に少し呆れて立ち止まる、横を歩いていたベルを引き止めて彼女の顔を見つめた。
「なんだその態度は?興味がないなんて言わせないぞ、それなりの衣服がなければ入れない場所もあるし、令嬢になってもらう事もあるかもしれん、なんなら俺が買ってやろう」
「あら?今なんておっしゃったのかしら?ルディガー殿下?」
(しまった!!今の俺はこいつの金に頼っていた!!!)
ベルはさっそく令嬢になった、だがそれは旅芸人一座の劇に出て来そうな悪の女王か悪役令嬢だった。
「お金は命より重いのですわ殿下、私が本当のことを教えてさしあげます、お金は命より重い、その認識をごまかす御方は生涯地をはいますのよ、おほほほほほ、ぶっ!!」
庶民に人気の有名な劇のセリフをベルは暗唱していたのだ、ルディはおもわず手の平でベルの頭の上を軽く叩いていた。
「何をする!?」
ベルは怒ったが半分笑っている、そのベルが前を向き直った横顔が不審げな驚いた様な表情に変わった。
ルディはその瞬間豹変する、育ちの良い温厚な若者が瞬時に戦士の顔に切り替わった、身構えて前を向き直ったが特に何事もない。
「どうかしたか!!」
「変なものが見えた」
「何が見えた?」
「何か黒い小さな物が凄い速さで向こうから走って来てそこの本屋に飛び込んでいった、扉をすり抜けて消えた」
なんだそれは?お互い顔を見合わせた、狭間の世界で出会ったカラスとヒヨコの姿がルディの脳裏をよぎる。
二人は魔術街の入り口で別れた、結局あの本屋は変哲もない普通の本屋で、品の良い教養書が展示されていただけだった。
ベルと別れて魔術街の馴染みになった古書屋に向かう、先日ここに来た時にそこで地図を見かけていた、地図は貴重品であり軍事的にも重要な為その精度や値段で適当な物が見つからない。
探していると偶然ハイネの古地図を見つけた、そこには新市街は無く旧市街全体が外壁と水堀で囲まれた要塞都市の姿が描かれていた。
書き込みも細かく今と違うところも多い、そして街の北西の丘が連なるその先から直線的な線が伸びて北西の堀にかかる橋と重なっていた。
(ずいぶん古い時代の物だろうか、もともと水堀で全体が囲まれていたわけか、この線はなんだ街道ではないな?)
なぜか興味を惹かれたのでこのハイネの古地図を購入する、この地図から読み取れる事があるかもしれない、古い地図から思わぬ情報が得られる事があるものだ。
だがこれは古すぎた、もうすこし新しい地図も手に入れることにする、時代こそ新しいが空白が目立つ値段も適当な地図を見つけたのでそれも買うことにした。
さらに羊皮紙を数枚買い足した、そこに地図を複写して必要に応じて書き印していく。
一通り買い物を終え魔術街に出る、昼休みまではかなりの時間が有るようだ、大きく伸びをしてからゆっくり待ち合わせ場所に向かう、魔術街の南の入口がベルとの待ち合わせ場所になっている。
今頃ベルは町娘に見えそうな衣装を古着屋で買い、武器屋と皮細工屋と馬具屋など見てグリンプフィエルの猟犬の尾を鞭にするために材料を買い集めているはずだ。
「信用のできる職人を見つけて武器にした方が良いのだがな」
ルディはふと独り言をこぼした。
だがあれをそこらの武器職人に見せる訳にはいかない、ベルはクラスタ家で簡単な武器の応急修理などを学んでいる、この件はベルに任せる事にしていた。
やがて大きな麻袋を2つ下げた黒い小間使服の娘が大通りの西門方向から向ってくる。
(たしかにあれは目立つな)
クラスタの子供達はみな美しいと言われていた、ベルは長い黒髪と鋭利な美貌の持ち主だが、いつも不機嫌そうな顔をしているのでかなり損をしていた、その鍛え抜かれた細くしなやかな体の線は力強く美しい。
それが一般の彼女への評価だったそれを思い出す。
だがここ1~2年ですっかり女性的な線を加え、高級使用人風のドレスの禁欲的な色彩と意匠がベルにとても良く似合っていた。
「おまたせー」
「ずいぶんと買い込んだな?」
重そうに見えるがまったく気にしていない、ベルにとってこの程度の荷物を持つ事など平気なのだ。
ルディはベルから極僅かな精霊力の漏れ出す力を感じていた。
「では帰ろうか?」
ベルが片手を差し出して来た、荷物を持って欲しいのだろうか?どこか期待に満ちた目をしていた。
「持ってやりたいが、商家の主人と使用人の立場なのだ、悪く思わないでくれ」
「それでも男なの?思いやりはないの?」
ふくれたベルを後ろにルディはさっさと進んでいく、ベルはわざと重そうな仕草で後をついて行く。
冷酷な主人に酷使される薄幸の使用人の美少女の絵になるはずが、演技がわざとらしいせいでそれは妙にコメディじみていた、通り過ぎる人々が振り返って頭をかしげる。
ハイネの野菊亭で留守番をする事になったアゼルは充実した時を過ごしていた、ハイネに来てから休む間もなく事に追われ、昨日も午前中こそ寛げたが、午後は狭間の世界に飛ばされ旅をし、偉大なる精霊魔女と謳われるアマリアに出会い、驚くべきテレーゼに仕掛けられた呪いを知り生還した。
今はじめて安らげる時を得たのだ。
その彼は集められた触媒の分析を始めていた、これこそが彼の天職だった。
「死霊術の研究が必要ですね、禁忌なのであえて避けていましたが、こうなると避ける事はできませんか、知る必要があるようです」
アゼルはベルが持ってきた触媒の残骸と昆虫の羽を見ながらつぶやいた。
(さてあとはテレーゼの歴史も知る必要があるかもしれません)
二人は早めに戻ると言っていた、彼らが戻ってきたら魔術街に行きまた本を買い込もうと決意した。
そして使用済み触媒の検証を進めていく、触媒の構成などを見ると、アゼルがよく知る火水風土そして無属性の魔術とは系統が違う術の存在を確かに感じた、あえて言うならば無属性に比較的近い。
触媒の燃えカスには僅かながらその残り気がある、そして術式には、力、熱、指向性、拡散、運動力など各種の要素で構成されて、触媒はそれらの要素と密接に結び付いている。
使用済み触媒から元の術式を逆に類推すると言う知的作業にいつしかのめり込んでいった。
死霊術は禁忌とされなかなか表には出てこない、だがここテレーゼでは大腕を振ってのさばっている、だからこそこれが容易に手に入った。
どのくらい時が経たのだろうか?扉の外から呼びかける者がいる、この部屋は防護魔術で守られ内部の音は外には漏れないが外部の音は聞き取る事ができた。
その声は聞き慣れたこの宿の主人の声だった。
「アゼルさん、あんた達にお客さんだよ、修道女の御方だよ」
その瞬間アゼルは立ち上がっていた、そして彼の貌は蒼白に凍り付いていた。




