さあ行こうか
ベルが肌寒さから目を覚ました時、焚き火の炎は既に燃え尽きていた、目の前のハンガーに吊るしていた金属の小さな鍋の中身も無くなっている。
裸の上に敷布を巻いているだけの姿にかなり慌てたが、すぐに記憶が蘇る。
「しまった!!つい寝ちゃった」
中天を見上げると、満月から僅かに欠けた月が頭上に昇り、東の木々の隙間から小さな青白いもう1つの月が姿を現しかけていた。
この『天狼の目』と呼ばれる小さな蒼い月は3ヶ月周期で満ち欠けを繰り返す。
「だいたい6時間は寝てたかな、とにかく火を炊こう」
寝ているルディの寝顔を覗き込み、包まっていた敷布を改めて体に巻き直し、あたりから燃えそうな物を手当たりしだいに掻き集め始めた。
なんとか火を起こしたまでは良かったが、燃料の質が悪いせいで青白い煙が盛大に立ち昇る。
「服に匂いが染み付きそうだけどしょうがない」
煙が拡がり睡眠中のルディをつつみ込む。
「うぐ、ゴホッ、グホ、なんだ!!」
ルディが煙で燻され咳き込み始めたが、ベルはそれを愉快そうに眺めていた。
「ルディおはよう?」
「おお!?なんだこれは?グホッ、グホ」
「ごめん質の悪い燃料しかなくて」
「なんだ、にやにやしているな?」
「でも目が醒めたじゃないか!?」
ルディが起き上がり周辺の様子を見回しはじめた。
「今何時ぐらいなんだ?」
「深夜の2時前ぐらいかな」
「かなり寝たようだな」
「疲れはとれた?それに傷や火傷を負ってたけど見せて」
「ああ、だいぶ疲れがとれた、怪我はかすり傷だ大した事はない」
ベルはそれでも傷を見ようとルディに近寄ろうとしたが、裸に敷布を巻いているだけなのを思い出し赤面しさがる。
「あとで服を着てからね」
「しかし服に酷い匂いが付きそうだぞ?」
焚き火から吹き出ていた青白い煙はしだいに無くなり、盛大に炎が立ち昇り始めた。
「アゼルの処にたどりつくまで我慢」
ルディは黙って頷いた。
その間にベルは食事の用意を始めた、それは干し肉のスープと堅いパンだけの粗末な食事だ。
やがて湯が煮え始め干し肉の薬草成分が溶け出し良い匂いが辺りに立ち込め始める。
「ベル、お前のおかげで飢えずに済んでいる、本当に感謝している」
「別にお前の為に用意したんじゃないから」
焚き火の炎の揺らめく光の中で、ベルが少し恥ずかしそうに笑うのを見た、敷布を体に巻いただけのベルは肩と両腕を晒し何時にもなく艶めかしい。
何か言いたいことが湧き上がって来たがそれが言葉に成る事は無かった。
「なに?」
「いい匂いだな」
「ふふっ、今から動けば朝にはエドナの鼻近くまで行ける、食事が終わったら出発だ」
ベルは小さな木製のお椀とスプーンをルディに突き出した。
食事を終え、煙臭くなった服をいやいや着込んだ二人は、荷造りを終え再びエドナの鼻を目指し歩き始める。
ベルは愛剣を片手に邪魔な草や木の枝を払いながら夜道を先導していく。
その後ろからルディが左右と後方を警戒しつつ進む。
「その背中の鞭のような物だが、もしや奴の尻尾なのか?」
ベルの背嚢に括り付けられたグルグル巻になっている太い鞭のような物が気になったようだ。
「気が付かなかった?池から戻って来る時に拾ったんだ」
「疲れ果てていて気が付かなかったな、それが何かの役に立つのか?」
「すごく頑丈そうだし役に立ちそうだと思って、売れるかもしれない」
ルディにはかなり重そうに見えたが、今のベルなら問題は無いだろうと判断した。
「アイツと戦ってわかったんだけど、ルディも神隠しの後から強くなっているんじゃない?」
「それは否定できないな」
「多少は自覚があったんだな」
やがて樹木が広範囲に焼かれている場所に到達した、炭化した燃え残りから白い煙が噴き出しあたりに漂っている。
「見て、ここらへんの木が焼けている、火はもう治まったようだけど」
「そのようだな」
「この獣道に沿って進むと『鹿の踊り場』を抜けて『エドナの鼻』の麓までいける」
ルディが後ろを振り向くと焼け野原の彼方に化物と戦った池の畔を見る事ができた。
「これからどうするか考えないとな」
「何も考えて無いの?」
「今のところ判断になる材料が無い、まずはアゼルと合流する事だ」
「でもアゼルって萎びたキュウリみたいな奴だけど頼りになるのかな?」
ルディはそのあまりにもの言い草に笑いながらも嗜める事は忘れない。
「ベルその言い方は幾ら何でも酷すぎるだろ?魔術士は見かけで侮ると取り返しの着かない結果を招くぞ、あの召喚精霊を呼び出した男も大して風采の上がらない男だ」
「そうだね・・・動く屍体とかあの化物とか、今まで魔法や精霊とか侮っていた」
ベルが精霊や魔法を軽視しすぎていると昔から危惧していたが彼女の変化を良い傾向だと思った。
やがて二人はおしゃべりを止めひたすら前に進み始める。
二人が二度目の小休止を取った時、空は明るいスミレ色に変わり、雲は明るいオレンジに輝き始めていた。
「今どこにいるんだ?」
「『鹿の踊り場』だよ、そろそろ明るくなってきたから、峰の向こうに『エドナの鼻』の頭が見え始めるはずだけど」
「この峰を回り込むのか?」
「うん」
ベルは杏に似た果物をルディに投げた。懸案だった召喚精霊を撃退し、敵の追跡をほぼ振り切った事で二人は饒舌になっていた。
「アゼルはなぜ山に引き篭もったの?僕が追放になったせいでルディとも会えなくなったから事情が良く解らない」
「例の神隠しの一件だ」
「アゼルが大公妃の精霊宣託に関わっていたとか?」
「奴は魔導庁に所属していた、本人が言うには詳しい事は知らないらしいが、精霊宣託をした術師が消されたと知り身を隠した、術師をエルニアまで案内した使節に加わっていたからな」
「まあ宣託の内容を知っていると疑われる立場だよね」
「あとアゼルが俺の従兄弟なのは知っているだろ?」
「たしかルディの母上のお父さんがメイシー家の人だったよね、たしかに身の危険を感じるわけか」
「俺とも特に親しかったからな」
「あとベルもアゼルの遠縁の親戚だからな?」
「言われて見ると、みんな又従兄弟や又々従兄弟ばかりじゃないか・・・」
「気にするな貴族はどこかでみんな親戚だからな」
ルディはアゼルも遠い親戚なんだから親切にしてやれと言いたかったのだが、ベルはそうは受け取らなかった。
ベルの頭にはルディガーやアマンダやアゼルや多くの知人の姿がよぎり心の中で頭を抱えた。
「お前だって5代遡ると王家の姫に当たるぞ?」
「なんだって!?そうかお嫁さんの血筋を遡るのか?僕って王家の蒼い血を引いていた?」
「まあ数滴分ぐらいだろ」
ベルは一瞬だけルディを睨みつけた。
「なぜそんな事知っているんだ?」
「城にはそこらへんの記録が漏れなく残っているからな」
「調べたの?僕の事?」
「昔クエスタ一族の事を調べた事があったのだ」
少しがっかりした様子のベルを見て、ルディはベルがひょっとしてお姫様に憧れているのでは?そんな疑いを少しだけ持つ事になった。
ふと西のエドナ山塊を見ると、峰の上から頭を出したエドナの鼻が朝日を浴び始めている。
「みて日の出が近い」
「また生き延びたな」
「うん?」
「人間生きて明日の太陽を見られるとは限らないんだぞ?さあ行こうか」
「それ僕のセリフだから」