明日は何をする?
ハイネの野菊亭の酒場に三人が入った時刻は客足が引き始める頃合いだった。
テーブルの空きが目立ち始めていたので、三人は密談しやすそうな酒場の隅のテーブルを選んで囲む。
「ところでアゼル、エリザはどこ?さっきから姿を見ないけど」
「なに!?」
男二人の慌てた反応を見てベルは呆れた。
「まさか狭間の世界に置いてきたとか?」
「いいえ一緒に戻ってきたはずです!」
「アゼルよゲーラの街でいたか?」
「いやそんな馬鹿な!?忘れていたなんて信じられませんが」
「二人共大丈夫?」
「おかしい記憶が曖昧だ」
「私もです」
「ねえエリザは馬車に乗ってた?」
「そうだ、明日セリア嬢に聞いてみるか?」
その時足元で小さな動物が泣くような声がする、三人とも慌ててテーブルの下を覗くとそこに小さな白い猿がちょこんとすわっている。
「あれれ?エリザじゃないか?なんだ帰ってきてたのか、二人ともしっかりしてよ?」
エリザはアゼルの体を這い上ると肩の上のいつもの定位置に落ち着いた。
「いつのまにテーブルの下に入り込んでいたのだ?」
ルディは盛んに頭をひねっている。
「すっかり貴女をわすれていましたよ」
アゼルはエリザベスを優しく撫でていた。
「狭間の世界に行った悪影響なのか?」
まだルディは納得していないようだった。
そこに女給の少女が注文を取りに来る、ベルは何気に見上げて訝しげな表情を浮かべた。
「あれ?セシリアさん?」
「違うわよ、セリアよっ」
ルディとアゼルも驚いた様にセリアを見上げる。
「セリア・・あっ!!思い出したゲーラのセシリアそっくりのお姉さんだ」
「あら、覚えていてくれたのね、あなたはアゼルさん達と一緒に居た娘ね」
「僕はリリーベル、ベルでいいよ」
「ところで、もうここで働いているのか?セリア嬢」
ルディが驚いた様に尋ねる、夕刻まで同じ馬車に乗ってハイネに来たのだから当然だ。
「えー、だっていいじゃないですか、もー」
「余計な事を聞いたな、ところで注文は取らなくていいのか?」
「あっ!?こんな事してたらおこられちゃう、お客さん注文は決まりましたか?」
三人ともエリザに気を取られてまだ決めていなかった。
「俺は日替わり定食にしてくれ」
「私もそれで」
「もう面倒だからそれにしてよ」
ベルは少し投げやりになっていた。
「注文入りました!!日替わり定食三人前ーっ!!」
大きすぎる元気のある声で注文を叫ぶと、セリアは踊るような足取りで厨房に帰って行く。
「ほんとうにセシリアとソックリだね、声がでかいし何考えているのかな?」
ベルはそう言いながらアゼルを見やった、微妙な嫌らしい笑みを浮かべながら。
「困った人ですね・・・」
アゼルは馬車の旅を思い出した様に小さくつぶやいた。
ベルは周囲に目を配ると身を乗り出して声を落とす。
「まず一番重要な話からね、コッキーのトランペットの出どころがわかったかも知れない」
ルディとアゼルの二人が驚く。
「どこから出たんだ?」
「順序だてて話すから」
二人はそれに頷いた。
「あのトランペットを買った魔術道具屋を覚えているよね、その店主が僕を尾行していたので脅して聞きだしたんだ」
「あの男か、名前は・・・」
「若旦那様たしかあの男の名はエミルです」
「あのトランペットはハイネの大精霊教会の大司教府の地下で見つかった遺跡から出て来たみたい、本当の事を言っているかはわからないけど、エミルの店を調べると言ったら教えてくれたよ」
二人はまだ事情が呑み込めて居ないようだ。
「エミルはあれを価値のない物だと思っているみたいだから、本当の事を言っていると思う」
アゼルは思い返すように呟いた。
「目の前で錆びた金属の塊がトランペットに変わらなければ私もただのゴミとしか思いませんね」
「しかし大聖霊教会の地下とはここから近いな」
「いろいろな古代の祭具が出てきたみたいだけど、金目の物は剥ぎ取られた後だったらしい、ただ遺跡に関しては秘密になっていたんじゃないかな?」
「そうですねその遺跡なら教会の管理下のはずです、その出土品が勝手に出回る事はあり得ません、秘密にしなければならないのはそこらへんの事情もあるかと」
「盗品の横流しかな?」
「盗掘かそこらへんでしょうね」
「しかし店主はなぜベルを尾行していたんだ?」
「エミルはセザーレ=バシュレ記念魔術研究所の聖霊拳の男から、店に僕が来たら素性を調べろと命令されてたみたい」
「ああ、ベルが戦った男だな?しかしなぜ奴とエミルと関係があるのだ?」
「はっきとは言わなかったけどエミルの取引先みたい、ちなみに聖霊拳の男の名はキールらしい」
「そうか思い出したぞ、コッキーが誘拐されかかった時、奴はベルから精霊力を感じたと言っていたな、そこからコッキーを助けた娘と聖霊拳の男が戦った娘を結びつけたか?」
「若旦那様、精霊力を放つ娘がそうそういるはずもありませんからね」
「そうだ、あと遺跡から大きな祭具や小さな刃物が数本出たらしいって言ってた・・・」
「小さな刃物だと?」
ルディはアゼルに目線を送る。
アゼルは懐に手を入れ、小物を幾つかテーブル上に置き始めた、最後に魔術布を取り出してテーブルに置きそれを開く。
布の上に金属か焼き物なのかすら定かではない浅黒いダガーの残骸が現れた。
「ベルサーレ嬢はこれかも知れないと思ったのですか?」
「うん、さっきの話で思いついたんだ、えー渡り石だっけ?」
「これがその一つと言う証拠は有りませんが、その可能性が無いとはいいきれません、あのトランペットと同じ場所から出てきたのですから。
魔術道具かもしれないと盗み出し無価値と鑑定されたので売り飛ばした可能性も有りますね」
「俺とベルだけがこのダガーの異常に気付いたのだ、これは頭の片隅にでも置いておこうか」
「他の祭具が総て渡り石ならかなりの量になりますよ、あれを愛娘様が大量に必要とされていましたね」
「ああ、俺達ならば見ただけであれを判別できる」
「あの魔術研究所が押さえている可能性はありますかね?」
「わからん、もっと情報が欲しいな」
そこにまた元気な声が響き渡った。
「おまちー日替わり定食三人前でーす」
アゼルは魔術布に包まれたダガーの残骸を布で包み懐にしまった。
声の主を確認したベルが少し驚いたように呟いた。
「あれ?今度はセシリアだね?二人共いるんだ」
「わおっ、良くわかったわねー私がセシリアよ」
セシリアは配膳をしていくが、アゼルの前に置かれていた小物の一つに目が釘付けになった。
「あっ、それセリアのカードじゃないの?ほんとはずかしい!!まだ配っていたんだ!!」
「この『セリアからの一言』が痛いですね・・・」
アゼルが疲れたように応じた。
「僕にもみせて、そんなの配っていたんだ、なんかえっちな酒場のお姉さんが配ってそうなカードだよね」
ルディの拳骨が軽くベルの頭を撫でた。
「どこでそんな事覚えたんだ?令・・良いところのお嬢さんが知る必要も無い事だぞ?」
「アウデンリートの妖しい裏町のおじさんが話していた」
「それそれ!!だから嫌な感じがしたのね、ほんといやねセリアに一言っておかなくちゃ」
セシリアは苦虫を潰した様な顔をしている。
「しょうがないですね、ベルサーレ嬢は一番大切な時期に追放されていましたから」
アゼルはどこか遠くを見ていた。
セシリアはいつもの様に踊るように厨房に帰って行く。
「なんであの二人はお尻をふりふりしながら歩くんだろう?」
「あれは『猫歩き』と言う奴だ、猫が塀の上を歩くように歩くとああなるのだ」
「若旦那さまベルサーレ嬢に何を教えているのですか?」
「ああすまん、さあ食べようではないか、料理が冷めてしまうぞ?」
三人はやっと料理に手をつけた。
「僕たちは死霊術の大結界を破壊するのが目的でいいのかな?」
「大目的はそれになる、その為には調査を進め情報を得なければならん」
「コステロ商会のコネで入り込めるかもしれません、近々商会から連絡があるでしょう」
アゼルの話に二人はうなずく。
酒場に泥酔客のわめき声が響いた、それを仲間がなだめながら店から出ていくところだ。
すでに客もルディ達以外に1組しか残っていなかった。
「あとコッキーと魔剣の問題ですが」
「昨日の午後からあいつの気配が無くなった、ハイネにいないかもしれない・・・」
ベルは今日一日テオの尾行の気配を感じる事ができなかった。
「魔剣だけでもかなりの価値があります、彼らは昨日まではハイネの市内に潜伏していましたが、ハイネから逃げた可能性は高いです、その場合コッキーがどうなるか、ところで若旦那さまとベルサーレ嬢は幽界から帰ってからどのくらいで力を自覚されましたか」
「前にも話したけど、僕はすぐにおかしいことに気付いた、でも思い通りに力を使える様になったのは2週間ぐらい後だよ」
「俺もそんなところだ」
「そろそろ力を自覚する時期ですかね?」
「あれから一週間ぐらいだよね」
ベルは黄昏の世界の冒険を思い出していた、灰色の空とくすんだ緑の大地を思い出し気が滅入る。
そんな彼女の僅かな変化を気遣うようなルディの視線にベルは気づかない。
「生きてさえいればそろそろ手に負えなくなる頃だな」
「トランペットが本当に神器ならば彼女が死ぬ気がしませんが、今はそれに期待するしか」
「俺の手元に100人も居るならハイネを虱潰しに捜索してやるのだが・・・無い物ねだりは意味がないがな」
「セザーレの陣営を見極める、そして妨害や嫌がらせも必要ならやらねばならんか」
ルディの言葉にアゼルもベルも賛同した。
「これからの事を考えると魔剣を失ったのは大きい」
そのルディの口調からは愛剣を失った無念が滲み出ていた。
ベルはルディの口から初めて魔剣の喪失を嘆く言葉を聞かされた、コッキーの事を思って言わなかっただけなのかも知れないと思った。
三人は手短に食事を終えると再び部屋に戻る。
「そうだあとこれを見て」
ベルは懐から袋を取りだす、その袋の中に黒ずんだ焼き焦げた植物や豆や種や動物の骨の様な物が数種類入っている、そして小さな袋から昆虫の薄羽のようなものを取りだしてアゼルの前に並べた。
アゼルは袋の中を覗く。
「これは、どこで手に入れました?」
「例の『精霊王の息吹』の店内で死霊術師の女の人の懐から頂いてきた、これは何だろう?」
「これは使用済み触媒です、この羽は触媒の一種です後で調べてみましょう、設備が無いので限界がありますがね、普通は使用済み触媒は場合によりますがすぐに捨ててしまう物ですよ」
「女の人の懐の大きな袋に沢山入っていたよ」
「使用済み触媒が大量にですか・・・」
ベルはそれに答えず頷いた。
「ベルどうやって手に入れたんだ?」
「その人に少し眠ってもらった・・・」
「そうかやはりな」
ルディはその女魔術師に少し同情を感じていた。
「ルディ明日は何をする?」
「魔術街で地図を買う予定があの騒ぎで買えなかった、早めに片付けておきたい」
「アゼルは?」
「コステロ商会から連絡があるかもしれないので、誰か残った方が良いでしょうね、私は手元の本を調べます、あとこの触媒も調べますよ」
「僕はアマリアの店があったあたりを見ておきたい、あと鞭を買いたい」
「例の研究所からそう遠くない場所だ気をつける必要がある、しかしなぜ鞭なんだ?」
ベルは床に置いてある背嚢にくくりつけてある大きな麻袋を指差した、その中にはあのグリンプフィエルの猟犬の尾が入っている。
「あれを鞭にするのか?重すぎると思うがお前なら使いこなせるか、それは精霊変性物質だったな」
「研究してあれを鞭にしたいんだ」
「私も良い考えだと思います」
アゼルもそれに賛成した。
「今日も早めに休もうか」
「まってください殿下、精霊通信を確認しましょう」
アゼルは部屋の隅に設置した精霊通信盤に歩み寄り特殊な砂の盤面を確認した。
「返信がありませんね、不確定になると通告されていましたが、何か起きているのでしょうか?」
この日クラスタ・エステーべ連合軍がアラセアを陥落させているとは彼らの想像力の彼方だった。
この小さな波紋がやがて巨大な争乱の狼煙になるとは誰も夢には思わなかった。