馬車の車窓から
傾きかけた日差しの中を大型馬車はひたすら街道を西に進んで行く。
ルディとアゼルの二人はハイネの学園通りから狭間の世界に呼び込まれた、そこで精霊魔女のアマリアとめぐり逢いテレーゼに掛けられた壮大な死霊術の呪いを知った。
そして無事この世界へ帰還を果たしゲーラからハイネに向かう定期馬車の客となった、これで一息つけると思ったが、その馬車にゲーラの宿屋『精霊亭』で働いていたセリアが乗り込んで来て、二人は彼女のおしゃべりの責め苦に遭っていた。
アゼルの趣味や食べ物の好みとか他愛のない話ばかりで、『ハイネの野菊亭』で働くセシリアの話題から、恋話にまで及びアゼルのストレスは限界にまで達している。
ルディは幸いにもセリアの攻勢がアゼルに向いていたので気楽なものだ、ルディが適当に茶化す度にアゼルの柳眉が震えた。
だがいつのまにか後ろのセリアが静かになったのでアゼルが後ろの座席を見ると、彼女はすっかり眠っていたのであった。
馬車の最後尾の椅子にはセリアだけが乗っていたが、彼女が持ち込んだ分厚いクッションに座ったまま気持ち良さげに眠っている。
「よくセリアさん眠れますね」
アゼルの声には僅かなイラツき疲れた響きが隠せない。
「最近の馬車はスプリングが良くなっているからな」
もともと馬車は振動が激しく乗り心地の良いものではない、ルディもつられて後ろのセリアの寝顔を覗き込んだ。
「こうして見ると意外と幼く見えるな、ベルとそう変わるまい」
彼女は発育が良いのでずっと大人に見えたのだ。
「とりあえず馬車は順調に進んでいますね、日が暮れる前に着きそうです」
いつのまにか窓の外を眺めていたアゼルが独り言の様にこぼした。
「ああ、そうだなアゼル」
「今日の事はどうベルサーレ嬢に説明しましょうか?」
「ベルはこの手の変事には慣れている、ありのまま伝えれば良い」
その時馬車が大きく揺れた、近くで何かがぶつかる鈍い音がした。
「あいたたたっ!?もうっ!!」
後部座席からセリアの寝ぼけ混じりの悲鳴が上がった。
ハイネ=ゲーラ間の街道は比較的整備されているが、それでも轍や石を踏み大きく揺れる事がある。
「セリア嬢目覚めたかな?」
「またまたセリア嬢なんて堅苦しいですよ?でも不思議とルディさんが言うと似合いますよね」
「頭をぶつけた様ですが大丈夫ですか?」
アゼルが少し心配した様にセリアに声をかけた、アゼルを見つめ直したセリアの頬が赤くなった。
「アゼルさんって優しいのですね、ご心配に及びませんわっ!!」
「・・・」
「セリア嬢、あとどのくらいでハイネに着くかわかるかな?」
「ええ?そうですねーこの景色の感じだとあと一時間と半分くらいかなぁ」
セリアはそのまま窓から通り過ぎる田園の風景を眺め始めた。
「ハイネで不思議な噂を聞いたのだ」
窓の外を眺めていたセリアは再び前のめりになって前の座席に身を乗りだしてくる。
「ほんと噂って楽しいですよねルディさん,アゼルさんもそう思いますよねっ!?」
アゼルの顔は『よけいな事を』と語っていた、そしてルディを軽く睨みつける。
「リネインから来た商人の噂らしいが、盗賊団が黒い化け物じみた大女に滅ぼされたと言う話だ」
「うんうん知ってますよ、筋肉ムッキムキのバッキバキの怪力大女が人質を救い盗賊共を千切っては投げ千切っては投げて潰したって言う話ね」
「そうだ、それだ」
「でもそれは古いです」
「「えっ?」」
「本当は美しい美少女だったのよ、聖霊拳の達人でまるでお伽噺の妖精の様にスケスケの薄い羽衣に白い下着の美少女だったらしいの、蝶のように舞い花のように踊って盗賊団を蹴散らしたのよ、もうはずかしいっ!!」
「美少女だったのですか?」
アゼルがいくぶん意識が遠くなったかのような眼差してセリアに質問した、それがセリアの頬をなお赤く染める。
「商隊の護衛が清らかな美少女だったと言っていたと聞いたわ、清純派痴女って新しいわね」
筋肉ムッキムキのバッキバキの怪力大女から美しい美少女に昇格したと思いきや、清純派痴女に進化していたようだ。
「そんな女性がいるのでしょうか?」
「ほら、太陽の化身とか武神とか呼ばれてる聖女様がいらしたでしょ?こっちの方が絶対受けがいいんですよ」
「黒い怪力大女は怪談だが、裸の美少女はいかにも受けそうだな」
「若旦那様、まじめに考えるような話ではありませんね」
「セリア殿、他に面白そうな話を知らないか」
「うーん、そうだお隣のエルニアで謀反騒ぎがあったとか噂が流れていたわ、アラティアから来た商人が言っていたわ」
「ほう、詳しい話は解らないか?」
「王子が謀反を起こそうとして失敗し逃れたとか、詳しくは解らないけど」
「エルニアは公国だから公子だな」
「へー、その後どうなったのかはわからないわ」
ルディガー公子の謀反事件からそろそろ二週間近く経とうとしている、ここまで噂が流れて来ても不思議ではない、ルディもアゼルもこの事は想定内だった。
エルニアではルディガー公子の死亡が公式に宣言されたが、その話がここまで来るのにまだ数日の時間がかかるだろう。
「良い話もあるわよ、ベントレーの馬鹿兄弟が死んで従兄弟のなんとかと言う方が領主になるらしいわ、これで交通の邪魔が消えたわね」
「そんな事になっていたのか、だがあの戦がなければ我々はラーゼからベントレー経由でハイネに向かった、そうなるとセリア嬢とも会えなかったぞ」
「あら、なら少しは悲しんであげようかしら」
「その新領主はよく従兄弟二人を排除できましたね」
「噂だけどね、ハイネや周辺の御領主様達がその方を後押ししたとか聞いたわ」
「ベンブロープ派やヘムズビー派が怒らないのか?」
「難しい事は私にはわからないわね」
「セリア嬢、俺達は商人だからなそうした話題は商売と無関係ではない、それに安全にも関わる」
そこでセリアは少し嫌な笑いを浮かべた。
「あとね怖い話は好きかしら?怪談があるわよ」
「怪談ですか?」
アゼルがセリアの顔を覗き込んだ。
「アゼルさん、もうっ!!」
「俺はそういった話は馬鹿にはしない、何かしら理由があるからな」
「そうなのかしら?ルディさん」
「人が近づかない様に噂を流す、本当に何かが起きていてそれが歪んで伝わったものかもしれん、
たいがい精霊術や死靈術などの魔術的な現象が深く関わっていると見て良い」
「ふーんそう言うものなのね」
「セリアさん、それはどのようなお話ですか?」
「そうね、ゲーラの南にド・ルージュの廃墟があるのご存知かしら、昔はドルージュ要塞の城下街だったけど、ドルージュ要塞と街が滅んじゃった後そのままなのよ」
「そんな処に要塞があったのですね」
ルディが引き継ぐように話し始めた。
「テレーゼの南部の南エスタニア山脈の向う側の沿岸地域に小国が幾つかあるのは知っているだろ?
彼らが北に軍を向ける場合、まず山脈を越えてテレーゼのルビンかアラセアに入りそこからハイネに向かう。
ド・ルージュ要塞はそのハイネへのルート上に有るのだ、クライルズ王国がテレーゼに軍を向ける場合もエドナ山塊のウルム峠を越えてアラセアを通過する、エルニアからテレーゼに侵攻するルートの一つが、やはりグラビエに迂回してウルム峠を越えてアラセアを抜けるルートなのだ。
そしてド・ルージュ要塞が落ちたらハイネまで2日かかるまい」
「ルディさん詳しいですね、でもそんな大切なのになぜ再建されないのかしら?」
「難攻不落の要塞を再建するにも維持するにも費用がかかるものだ、誰かに利用されるぐらいなら無い方がましなのではないか、それに要塞を機能させる兵力を持った勢力が今はテレーゼに存在しない」
「テレーゼが統一されたらまた要塞も再建されますね、そうだセリアさん続きを」
「えっと、そこは湿地や沼地のせいですごく不快な場所らしいわ、悪い病気が流行りやすいらしいの、その中の岩山の台地の上に要塞があるみたい。
迷子になった旅人や、事故で遅れた商隊が要塞近くで諦めて野営する事があるんだけど、そういった人達が消えてしまうそうよ、荷物だけ残して家畜も人も消えてしまうらしいの」
「野盗だとしたら変だな」
「わからないわね、ただ残された積荷で野菜や果物やワインやエールが猛毒になっていたそうよ」
「猛毒だと?」
「それも噂なのよ、昼間は通れるみたいだけど長居はしたくない場所らしいわ、夜に遠くから要塞を見たら、暗い緑色の光で照らされていたとかそんな噂があるのよ、これもド・ルージュ要塞の城主様とご家臣の呪いだと言われているわね」
「その呪いとは?」
「たしか40年近く昔の事よ、お世継ぎをめぐってグチャグチャになって、王家の方々がどんどん殺されて、その時王女様と小さなお姫さまを守ってド・ルージュ要塞の城主様が戦ったけど、裏切りで滅ぼされその恨みが残っているって言われているの」
「セリアさん、それは昔からの噂ですか」
「昔から幽霊がでるとか言われてたけど、ここ数年どんどんひどくなっているわ」
ルディとアゼルは思わず顔を見合わせた。
「やはり、いろいろ調べる必要があるようだな」