魔術道具屋『風の精霊』の来訪者達
魔術道具屋『風の精霊』の店主エミルはテヘペロとの逢瀬の余韻に浸っていた。
彼女に絆されセザーレ=バシュレ記念魔術研究所の魔術道具屋への紹介状を書き、外部に漏らしてはいけない情報まで彼女に与えてしまったがエミルには後悔はない。
魅入られたように彼女のペースになっている気もするが逆らう気もなかった。
ふとエミルはまだ「閉店中」の看板を出したままだった事を思い出す、重い腰を上げて入り口の扉に向かった。
だが扉に到達する前に目の前で扉が押し開かれ、ドアベルが再び繊細な音を奏でた。
エミルの驚いた目の前に執事の制服に身を固めた痩身の男が立っていた、それは細面で白髪まじりの黒髪と白髪まじりの口髭を蓄え、鷹の様な鋭い目つきをした初老の男だった。
「キールさん、お久しぶりですね?」
エミルは混乱していた、魔術研究所の執事のキールは普段ここには来ない、精霊変性物質の破片を個人的に売った時以来だから三ヶ月ぶりとなる。
「休店中ではなかったのですか?無駄足だったかと心配しましたよ?エミル君」
キールは皮肉そうな笑みを浮かべた。
「いえ展示の商品が無くなったので在庫を出していたのです」
「そうですか修道女がこの店から出てきた様な気がしたのですがね」
「ああ、あの方は私の個人的なお客様なんです」
「なるほど、私がここに来たのはですネ、いくつか話を聞きたい事がありましてね」
エミルは身構えた、テヘペロを偽りの身分で魔術研究所の道具屋を紹介した事、まさかとは思うがエミルが箝口令を破って盗品の出どころを彼女に話した事がさっそくばれたかと思ったのだ。
今更のように自分がした事に動転しはじめていた。
そんなエミルを訝しげにキールは見ていた。
「なんですか、そう緊張しなくてもいいですヨ?」
エミルはこの執事が恐ろしかった、聖霊拳の上達者で幽界への路を開いた男で恐るべき戦闘能力を持っているのだから。
彼はキールを奥に招き入れようとしたがキールは仕草で拒否する。
「このままでいい、すぐに終わります、さて三日ほど前の事ですこの店の近くで乱闘騒ぎがありましたね?」
「なぜご存知で?」
「貴方も知っていましたか、それにジンバー商会の者が関わっていた事も知っていますか?」
「ええ、一応」
「話が早くて結構、ジンバー商会からコステロ商会に報告書が上げられまして、今日になってこちらも手に入れました、いいですか単なる乱闘ならば報告は上にあがりません」
「それはもしや黒い長い髪の娘の事でしょうか?」
「おお素晴らしい!!エミル君なにか詳しく知っているのですか?」
「たしか名前はリリーベルと名乗っていました、彼女が仲間の少女を助けようと手下を叩きのめしたのですよ」
「助けられた少女は青い服のなかなかの美少女ではありませんか?ジンバー商会からはコッキーと言う名前だと報告が上がっていましたね」
「たしかそうです」
「キールさん、私は彼らの一行をこの店に招き入れました」
「なっ!?そうだったのですか!!なぜ迎えいれた?」
「その娘がジンバー商会の奴らを叩きのめした時に僅かに精霊力を感じました、聖霊拳の心得が有る剣士かと思い興味が湧いたのです」
「なるほど君も精霊力を感じましたか、だが私の様に精霊力を使える使い手なんてほとんどいませんよ?エミル君」
「そうだ、あと狂戦士では無いかと推理した方もいましたが」
エミルがついこぼしてしまった。
「ほう誰かに話したのですか?」
「いや、あの場で乱闘を見ていた術士が他にもいたのです、その方の推理です」
「そうですよね、ここは魔術街ですからねえ・・・」
「はい旅の魔術師でした」
エミルは嘘をつかずに嘘をついていた、テヘペロが旅人なのは嘘では無いからだ。
「そのリリーベルとコッキーの二人をこの店に招いたのですか?リリーベルの素性の手掛かりになりそうな話があるなら聞かせてくれませんかね、どんな事でもいいですヨ?」
「いいえ、他にも二人いました」
「なんだと!?」
「名前は思い出せませんが、商人の若旦那の男と雇われている男の魔術師の連れがいました、たしか骨董品の商売の為にハイネに来たと言っていた」
「その娘達との関係はわかりますか?」
「そうですね小間使服の娘は商人の身の回りの世話係のように見えました、もっと意味有りげな態度でしたが、青い服の娘は友達だと」
「友達?」
キールは唸りながらしばらく考え込んでいた。
「ジンバー商会からの魔術街の乱闘事件の報告書にはその二人の事しか書いてなかったですね、その男二人の名前は覚えていないと?」
「二人の娘の印象が強すぎて」
「ふむ、ジンバー商会から他にも報告書が上がっているそうなのでそちらに書いてあるかもしれませんねえ」
エミルは訝しげにキールを見た、そちらの報告書は極秘扱いなため首領のコステロ以外に開封できない。
コステロは明後日の昼頃ハイネに戻ってくる予定だった。
「まあ二人共常人では無いですからねえ、それになかなか美しいと聞きますし」
「常人では無いと!?あの青い服の娘も?」
「君は知らないのですか?その青い服の娘がジンバー商会の護衛二人を防具ごと真っ二つにしてしまいましてね」
「ええ!!私は知らなかった、ですが魔剣を持っていた可能性もあるのでは?」
「当然それも考えていますよ、そんな魔剣を持っている時点で普通ではないですよね?」
「そう言えば、あの青い服の娘が金属のクズの塊に魅了されたようになって、彼らはそれを買って行きました」
「ほう、それはどんな物です?」
「それは、あのハイネの大聖霊教会の地下遺跡からでてきたゴミの一つです」
「ああ、あれですね思い出しました、クズは良いとしてどこから出てきたか話してはいないでしょうね?」
「も、もちろんです、古い遺跡から出てきたとだけ言いました」
「まあ、良いでしょう」
キールは僅かに疑うようにエミルを見た。
「さて、彼らはハイネのどこにいるか手掛かりはありますか?」
「連絡先も彼らの予定も聞いておりません」
そして顎に手を当てて考え込み始めた。
「二~三日でリネインやゲーラに送った調査員が戻ってくる、首領がお帰りになれば警備隊関連の調書も閲覧可能になる」
彼は思わず小さくこぼす。
ハイネ評議会の評議員は役所などの公文書を閲覧する権利がある、警備隊司令部は評議員のコステロの正式な開示要求がなければ、青い服の少女が引き起こした殺人事件の記録は出せないと突っぱねているらしい。
絶対見せないとは言っておらず筋を通せば開示すると言う態度らしい、無理押しできない状況だとキールは所長から聞いていた。
(はたして奴らは密偵なのか、聖霊拳の使い手なのか人工的な狂戦士なのか)
「エミル君、ここに来て有意義な情報を得られましたよ」
「お役に立てて嬉しいですキールさん」
「もし万が一彼らがここに来たら、彼らがどこにいるか調べてほしいのですヨ」
「しかし」
「君も私達との付き合いでいろいろ得をしてきた、これからも良いお付き合いをしたいものです、わかりますよね?」
「はい・・・」
「では私は引き上げますよ」
キールは入り口に向かう、だが扉に手をかけて動きが止まった。
「そういえば、私が来た時に修道女のお姿をお見かけしましたが、修道女にしておくのがもったいないレディのようですね?」
エミルの表情が強張る、それをキールは薄ら笑いを浮かべながら観察していた。
「ではさようならエミル君」
ドアベルが繊細な音を奏でキールは魔術街に出て行いった、一瞬店に差し込んだ日差しはすでに黄昏の気配を感じさせた。
エミルはため息をつきカウンターに戻り椅子に座り込む。
キールは魔術街に学園通りに向かって歩き始める、その足取りはとても早い。
その後ろ姿を中央通りの魔術街の入り口から見つめる者がいる、それは話題の当人のベルだった。
一度ハイネの野菊亭に帰ったものの誰もいない、ルディとアゼルがまだ魔術街の本屋にいると見て合流するためにここにやってきたのだ。
だが聖霊拳の男を目撃し素早く身を隠していた。
「危ない、少し早くきてたらぶつかってた」
キールが通りを左折するのを見送った後で大きな本屋の立て看板の影から出てきた。
ベルは魔術街の本屋や古本屋を一軒一軒確認しはじめた。
「うーん、どこにいるの?」
どこにも二人の姿が無い。
あの二人に何か起きるとはなかなか考えられない、だが二人を見つける事ができなかった。
二人はゲーラからハイネへ向かう定期馬車の上にいるのだが、そんな事になっているとはさすがのベルも夢にも思わなかったのだ。
ふと『風の精霊』の看板がベルの目に止まる。
コッキーが潰れた金属の塊を見てからおかしくなり、潰れた金属の塊がトランペットに変化した事を思い出した。
遠い昔に感じたがわずか三日前の出来事だった、もう一度あの潰れた金属の塊がどこから出てきたか詳しく知りたくなった。
「そうだ、忙しすぎて忘れてた」
魔術道具屋『風の精霊』の店主エミルはカウンターの椅子に座り込んでいた、今更の様に不安になってきたのだ。
面倒な事に足を突っ込んでしまい、それが自分で望んだものではないとしても巻き込まれてしまった事に頭を抱えていた。
そもそもあのテヘペロと言う女魔術師は何者なのだろう?あのふざけた名前は恐らく偽名だろう、これはもっと早く考えるべき事ではなかったのか?
女魔術師のローブも良いが修道女服も悪く無いないなどと愚かにも考えていたのだから、己の頭がまったく回っていなかった事を悔やみ始めていた。
そのエミルの思考を断ち切るように扉が再び押し開かれ、ドアベルが繊細な音を奏でる。
顔を上げたエミルの前にその問題の人物が立っていた。
足を真っ直ぐ伸ばし僅かに開いて立つ、黒が基調のほつれや傷が目立つ使用人のドレスを纏い、そして小ぶりの幅広の剣を佩いていた。
長く黒い艷やかな髪を真っ直ぐに流し、瞳は薄い青で化粧気がないが美しい若い女性だった、きつめな目元が気難しげだった。
エミルの顔が驚愕に歪みそして動揺する、そこには不安や恐怖の色が見えた。
ベルはそのエミルの劇的な変化に不審をいだいた、そして少しだけ傷ついた。
「こんにちはエミルさん」