大聖霊教会の地下遺跡
修道女の衣服を纏ったテヘペロは『風の精霊』の扉を押し開く、ドアベルが繊細な音を奏で来客を告げた。
つまらない店だと思っていたがこのドアベルの音は悪くないと思う。
そして彼女の鼻は馴染んだ触媒と素材の臭いで満たされていく。
カウンターにいたエミルはテヘペロを見てさっそく腰を浮かべて立ち上がった。
「テヘペロさん!!昨日はお役に立てましたか?」
「ふふ、ありがとう、貴重な触媒が手にはいったわ、貴方のおかげね」
エミルは喜色を浮かべてテヘペロの側に寄ってきた。
「それはよかった、ところで今日は?」
何か期待をこもった少し紅潮した顔を寄せてくる。
「今日はねいろいろお話を伺いにきたのよ?」
「と言いますと?」
「場合によっては長くなるけどいいかしら?」
テヘペロは意味ありげな視線をエミルに投げて顔を伏せた。
エミルは入り口に素早く歩み寄ると、小さな看板を手に取り扉を開けてそれを表にぶら下げた。
テヘペロはそれに僅かに苦笑する。
「ねえ覚えているかしら?ジンバー商会の者にさらわれかけた青いワンピースの女の娘の事だけど」
「覚えているとも、その娘を助けようとあの髪の長い娘がジンバー商会の奴らを叩きのめした、たしかコッキーと名乗っていたな」
「その娘が変なガラクタに執着したので売ったと聞いたけど、どこかの遺跡からでてきたのよね、もう少し詳しく聞きたくて」
「妙な事に関心があるのですね?」
「珍しくもないでしょ?古代の遺跡や遺産に興味があるのよ、年代とか遺跡の場所とかご存知かしら?」
「知ってはいるのだが・・・」
エミルは急に口淀んだ。
そのエミルの態度からテヘペロはこれは訳ありな遺物と判斷した、遺物そのものに問題が有るのではなくても発掘の事情やその後の流通に訳ありな事もある。
盗掘品や盗品などが市場に流れる事も良くある話だった。
「あら知っているの?私は魔術師として知りたいだけなのよ、余計な事情には興味はないわ」
テヘペロは一歩エミルとの距離を詰めた、エミルの熱い息が彼女の頭にかかる。
エミルにしなだれかかり真っ直ぐエミルを見つめた、彼女の薄い金色の瞳は濡れている、それでいて妖しくも乾いた微かな虚無の闇が頭を覗かせていた。
エミルの体に戦慄が走り動揺する、そして少しずつ語り始めた。
「そうだな・・・近くなんだ」
「ええっ!?そうなの?」
「ああ、ハイネの大聖霊教会の大司教府の地下から見つかった遺跡から出たらしい」
聖霊教会は古い宗教の聖地や神殿などの上に建てられている事が多い、そして古い宗教の聖地や神殿などもまた古代遺跡の上に建てられていたり聖域とされる場所にある事が多い。
「テレーゼに聖霊教が広がる前、テレーゼの蛮族は大地母神メンヤを祀っていた、その時代の祭器がそこから見つかったんだ、だが祭器自体は更に古い時代に作られた物らしい」
「それは聖霊教会の管理のはずだけど、いつ発掘されたのかしら?」
エミルは言いにくそうに言い澱む。
「5年ほど前と聞くな、その直後に盗まれたらしい」
「あのガラクタはそこから盗まれたものなのね?」
エミルは答えずに頷いた。
どうやらガラクタと見なされた盗品が流されエミルの手元に来たのだろうか?
「他にどんな物が発掘されたかご存知?」
「多少は聞いているよ、詳しいは話は上でしよう・・・」
エミルは奥の階段に視線を走らせた。
「今日はあまり時間が無いのよ、だから」
テヘペロはカウンターの向こうのカーテンを見る。
「ねえ何が出たのかしら?」
「えっ!?大きな祭器と小さな刃物が数本出たらしい、それ以外は金や宝石が剥ぎ取られた祭器の残りだそうだ、あのガラクタは遺跡の片隅に捨てられていたと聞いた」
「あら、もう少し詳しく聞かせてほしいわ」
二人はカウンターの奥の事務室に入って行った。
『風の精霊』の扉が開かれ一人の修道女が魔術街にあらわれた、彼女はそのまま魔術街を北に向う。
そこに学園通りから魔術街に進んで来た非常に印象的な男とすれ違った、魔術街の往来を往く人々は彼を見て思わず振り返る。
だが彼女は考え事にふけっているのかまったく気にも留めない。
その男は執事の制服に身を固めた痩身の初老の男だ、その身のこなしは軽く若々しい、細面で短く切りそろえた白髪まじりの黒髪と白髪まじりの口髭を蓄え鷹の様な鋭い目つきをしていた。
ベルがこの場にいたならその男こそ屋根の上で闘ったあの聖霊拳の上達者と判った事だろう。
その男はセザール=バシュレ記念魔術研究所の執事兼護衛のキールだ。
男は『風の精霊』の前まで進み、一度だけ魔術街を北に進む彼女の背中を一瞥した、そして扉を開けると中に入って行く。
だがテヘペロはそれにも気づく事もなく、魔術街から学園通りを右折して、ハイネ城の城壁の前を進み中央通りに向かって進む、その先にはハイネの大聖霊教会の大礼拝堂がその威容を見せていた。
彼女は大礼拝殿の前の大きな半円形のアーチ門の前にたたずんでいた。
一瞬だけ躊躇したが中に踏み込んで行く。
「なんかいろいろ罪つくりよね」
自嘲を帯びた彼女の声がベールの下から聞こえた、教会内の聖職者に話しかけられた場合の作り話も用意したが、できれば彼らには関わりたくなかった。
彼女はまず入り口の案内板を確認する、大司教府は大礼拝殿の東側にあるようだ、そして大礼拝殿のすぐ東にメンヤの小さな礼拝堂があった。
まずは大礼拝殿を参拝し周囲を一周しながら観察する事にした。
大礼拝殿まで広い石畳の参道が続き両側には偉大な聖人や精霊を形どった石像が立ち並んでいる。
それを見物しながら魔術師らしく検証していく、彼女は何かブツブツと独り言をこぼしていた。
壮大な大礼拝殿に入り形通りの参拝をする、周囲にいる司祭や修道女達の視線が好奇心を帯びて彼女に集まる。
深い理由から修道女になって日の浅い未亡人のように思われているに違いない。
慎ましく大礼拝殿から退去すると大礼拝殿の周囲をゆっくりと散策し始めた。
敷地には整備された芝生と小さな林が点在している、ところどころに古い時代のドルメンらしきものもある。
聖霊教会はあえて破壊せずにそれらを取り込んでいるのだ、テレーゼの大地母神も今では聖霊教に吸収されていた。
「たしかにここは古い時代の聖域よね、でも本当に古い時代ではないわ、せいぜい1000年か、もっと下に遺跡があるかもしれないわね」
大礼拝殿を時計まわりに進むとやがて大司教府の白亜の建物が見えてきた。
テレーゼの聖霊教の政務の中枢で周囲を柵で囲われ厳重な警備が敷かれている、この地下に遺跡があったとして中に入る事はおろか近づく事も難しいだろう。
そして目の前に小さな礼拝堂があらわれた、周囲を樹々に囲まれた礼拝堂は花の蕾の様な形をしていた。
聖霊教の直線と平面で構成された建造物とは異質な曲面で構成された異教的な趣の美しい礼拝堂だ。
その礼拝堂に入り口が一つだけある、テヘペロはそこをくぐる。
高窓から陽の光を内部に巧みに取り入れる工夫がされており中は明るい、中央に豊満な半裸の女神像が置かれ、その像の高さは人の背丈ほどもあるだろう。
その像は大地が盛り上がりそこから生まれでたかのように下半身は土と一体化している、上半身は美しくも豊満な人間の女性だが、両眼の間にもう一つの目が開いていた。
その三眼の女神は古い様式のホルンを右手に持っていた。
テヘペロはその女神像とホルンに目を引きつけられ何時までも見ていた。
「トランペットとホルンは違うけど金管楽器と言うところは同じよね、でもガラクタがあのトランペットに変化したとでも言うの?」
あのトランペットからは魔術道具固有の力は感じなかった、あれが魔術道具で無いとしたら何んだろうかと、テヘペロは一人で礼拝堂の中で熟考し始めた。
それは後ろから声をかけられ断ち切られるまで続いた。
「シスター、ここに何か御用ですか?」
突然後ろから声をかけられテヘペロは驚き心臓が飛び上がりそうになった。
「失礼いたした、驚かせてしまいましたか」
テヘペロは慌てて振り返る、そこにいたのは小太りの小柄な中年の教会の事務職風の男だった。
「お気になさらずに、興味があったので魅入っていたのです」
「貴女様はここの聖霊教会の方ではありませんね?」
「わかりますか?」
「ええここの修道女の方々とは衣服が違いますから、あなたはもしやアラティアのお方ではありませんか?」
テヘペロは慌てて考えた、テオが用意した修道女の服を着ているだけなのだ、相手の思い込みに合わせる事にする。
テヘペロはベールを上げる、僅かに男の表情に感嘆の色が走るのを見逃さない。
「そうですのよ、主人が無くなりましてアラティアの田舎の聖霊教会に入りました、外聞を広げる為にハイネに参りましたの」
「ご心痛お察しいたします」
聖霊教会の大礼拝殿の鐘が一つなった、それは午後三時を告げる鐘だった。
「私も魔術師の端くれなのでテレーゼの土地女神様に興味を抱いたのですわ」
「なんと!!貴女は魔術師でしたか?」
「ええこれで微力ながら聖霊教会のお役にたつつもりです」
「おおそれは素晴らしいですな、おおっとご主人を失った貴女に申し訳ない事を!!」
その男は申し訳なさげに頭を下げ謝罪した。
「お気になさらずに、ところで女神様のお持ちのホルンの由来はご存知ですか?」
「これは『大地のホルン』と呼ばれております、テレーゼの者なら良く知っている楽器ですぞ」
「まあ神器なのかしら?」
「私には詳しい事は言えませんが、神様がお持ちなら神器なのではありますまいか?」
テヘペロは上機嫌に笑った。
「ははは、まあそうよねありがとう、そろそろ私は行きますわ」
テヘペロは男に礼を言うと小さな礼拝堂を後にした。
「あの娘と話し合う必要があるわね」
テヘペロは独り言をつぶやいた。