リズと生霊召喚
新市街の雑踏の中を魔術道具店『精霊王の息吹』に向かっていたマティアスは、
繁華街の方向から絶対に会いたくない奴が向かって来るのを見つけてしまった。
(やべぇ!!)
その絶対会いたくない奴は、黒を基調とした高級小間使いのドレスをまとい、黒い長い髪と美しい容姿だがきつい目つきをした娘だった。
その娘は幸いにも遠くから非常に良く目立つ。
マティアスはさり気なく細い脇道に入る、全身から冷や汗が流る、あの娘が異常に鋭い観察力を持っている事はテオから聞かされていた。
足早に細い道を抜けて雑然とした住宅街に入る。
「あいつ何をしているんだ?まだ嗅ぎ回っているのか?テオも近くにいるのか?」
マティアス達はこの近くの『黒い兄弟』にあの娘を隠していた、炙り出されて娘を移した隠し宿もここからそう遠くではない。
マティアスは慎重に迂回しながら『精霊王の息吹』を目指す、この事はピッポに警告した方が良いと思案した。
マティアスは魔術道具屋の前まで来ると慎重に周囲を見渡した。
相変わらず店の前には占いや精力剤や惚れ薬や毛生え薬の宣伝の看板が立ち並ぶ、そしてヘタな精霊王の顔が描かれた看板を一瞥した。
マティアスが扉を開き中に入ると店長のカルロスが店の奥のカーテンの後側から出てきたところだ。
「マティアスか、ちょうどよかったリズを下まで運んでくれないか?」
「何かあったのか?」
「はは、頭をぶつけてな、当たりどころが悪かったらしくて気を失っている」
「それはいいが、今晩は仕事があるか?」
「今の所は無い、今日の午後死人が出たら埋葬は明日以降になるからな」
「珍しいな、ハイネほどの人口なら毎日誰かが死ぬだろ」
「いや、狙いは新市街の貧民か奴隷だけだ、まず監視が緩いところを狙う、そして使役できる程度の体でなければだめなんだよ」
死亡率の高い老人と子供が除かれるなら、仕事の対象はそれだけ絞られる事になるわけだ。
「そうか、そうだピッポは来ているか?」
「いやまだだ」
「しょうがないな、リズを下に運んでやるか、どこだ?」
店長は顎で店のカウンターの裏の黒いカーテンを指した。
マティアスはカウンターの中に入り黒いカーテンを押しのけた。
狭い事務室の二人がけの椅子にリズが寝かされていたがその顔を見たマティアスは驚いた。
目は空けたままだらしない顔で虚空を見つめている、口はだらしなく開かれ唇の端からはよだれまで足れていた、そして彼女はとても幸せそうに見える。
まるで素晴らしい世界を旅しているかのような顔をしていた。
「おい店長、こいつ生きているのか?」
マティアスは見てはいけないものを見てしまった様な気がして慌てる。
「ああ、息はあるようだ、まあ大丈夫だろ、死んだら森で木を切る仕事でもするさ」
死霊術師が屍鬼になったのではしゃれにならないとマティアスは思う。
リズは服も髪も手入れに無関心なのかあまり清潔には見えなかった、彼女の顔は化粧気もなく、目の周りに隈があり顔色も悪く皮膚も荒れている。
産毛ぐらいは剃っていそうだったが、はたして入浴や水浴びをちゃんとしているのか怪しかった、幸い悪臭はしないが代りに触媒や薬品の臭いがリズの体に染み込んでいる。
そしておまけに頭にコブができていた。
「これは酷い・・・」
これがマティアスの正直な感想だった。
良く見ればもう少し手入れをすればそれなりに見えるようになりそうだったが。
とりあえずリズの瞼を閉じる、そしてだらしなく開いた口も閉じてやった。
テーブルの上にリズのモノクルがあったので、それを彼女の上着のポケットに入れる。
マティアスは椅子に寝ているリズを持ち上げたが思ったよりも軽くて驚く。
「こいつまともに食っているのか?」
マティアスはリズを抱きかかえて地下への階段を降りていく、そこから短い通路の先に扉が在った。
「俺だマティアスだ開けてくれ」
覗き窓が開かれ用心棒が顔を覗かせた。
「ああ、あんたか」
扉の旋鍵が解かれた金属的な音が鳴って扉が開かれる、部屋は薄暗いオレンジ色の光で照らされていたがそれが通路に射し込んでリズの顔を照らす。
扉を開けた用心棒はマティアスがリズを抱きかかえているのを見て驚いているようだ。
マティアスはそのまま死靈のダンスの広間に入っていく。
その広間では死靈のダンスの長老のベドジフ=メトジェイが執務机の前に座ったまま不機嫌そうに来訪者を見ている。
部屋の中央の巨大な実験台の側にオットーと見慣れない死霊術士らしきローブの男が二人いた。
「それはリズか?どうしたんだ?」
しわがれた声を上げてベドジフは慌てて立ち上がった。
「上で頭を打ったらしい」
書類を整理していた同じく死霊術のオットーもマティアスのいるところに歩みよって来た。
「こいつがこんな幸せそうな顔をしているの始めて見たぞ?」
「あんたら知らなかったのか?」
「ここの入り口はあんたが来たところだけじゃないぜ」
たしかにその部屋には扉が二箇所と右手側に上に昇る階段があった、オットーの指はその階段の方向を指していた。
「さてリズを起こすか?」
マティアスが誰ともなくつぶやいた。
だがベドジフが小さな実験台の一つを指しオットーに命じた。
「そこの実験台の上に寝かせろ」
オットーは慌てて実験台の上の機材をよそに動かし始める。
残りの二人のローブの男達が何が始まったのか興味が湧いたのかこちらに近寄って来る。
「リズじゃないか?まさか死んだのか?」
「死霊術士を不死者化したらどうなるか、貴重な実験体だな」
「まだ死んでないぞ?」
リズを実験台の上に寝かせながら、マティアスはリズが実験材料にされたのでは憐れと思い一言添えてやった。
「ずいぶんと穏やかな顔をしているよな」
オットーが何か感動した様にリズの顔をのぞき込んでいた。
やがてベドジフが実験台の側にやって来る。
「ちょうど良い教材だ、気を失う状態と言うのはだな、物質としての肉体と魂の結合が緩んでいる状態なのは知っておろう?」
唐突に老師ベドジフの講義が始まった、その場の魔術師達の態度が変わる。
「こいつは仮死状態の手前にある、だが死んだわけではないゆえまだ強い結合下にあるのだ、衝撃でずれた様なものだ」
老師はリズの頭や胸を手のひらで押さえながら説明していく。
「まだ心の臓はこうして動いておる」
「さて、これからリズの生き霊を呼び出し再融合させるぞ、これから見せるのは夢遊病者の治療や、生き霊を飛ばして騒ぎを起こす者などへの対処などに使う術だが、お前達も死霊術で人間を操る術の基本は生霊を仲介し死霊で人間を操る手法を取る事は知っておろう?」
生徒達はうなずきながらベドジフの講義に聞き入っている。
「生き霊は肉体と融合している為めったに見れぬ、お前たちにそれを見せてやろうと思ってな」
マティアスもこの話に強い関心を持った、ここにピッポがいないのが残念だったが。
「生き霊も見るものの感性や相性で見え方が大きく変わる、呼び出した後でどう見えたか聴かせてもらうぞ」
ベドジフは詠唱を始めた、触媒の反応する臭いと音とともに、静電気を帯びたように空気が皮膚を突き刺す様な刺激を帯びた。
「よく見ておけ!!『顕現せり生者の表に潜むもの』」
リズの寝かされている実験台の上に薄い光の靄が現れ始める。
生徒達がどよめきを上げた。
「なんだ光の雲だ!?神霊か?」
「死霊とはちがう、光の玉から強い力を感じるぞ!!」
「術により光を帯びているだけだ、この術は使う機会が非常に少ないからな知らぬのもやむなしか」
ベドジフは鼻で笑った。
「わかっただろう、生霊は死霊などとは比較にならぬ強い力を持っている、極度に肉体が弱るか、精神的に問題が無い限り死霊が人に干渉する事はできぬ、だが、おおっと今はそれを講義している時間はない講義は後だ」
マティアスの目には光の繭に包まれたほとんど透明な裸の女性が見えていた。
それは年齢20代後半ほどに見えるほっそりとした四肢のやせた長い髪をした女性だった、少なくとも彼女の姿は実験台の上のリズの10倍は美しく見えた。
マティアスはその生霊の表情などもっとはっきりと見たかったが、それはあまりにも淡く儚かった。
「そろそろ終わりだ、ここまで近ければ後は勝手に再融合が始まる、生きている限りな」
光の繭に包まれた透明な影はしだいに下に降り、リズに吸い込まれていった。
聴講生達からため息が漏れた。
「さてどう見えた?」
ベドジフがさっそく死霊術士達に質問を投げかけた。
「白い雲の塊に見えました」
オットーがまず最初に応える。
「光る珠に見えました」
「私には光る霧の中に人の影のようなものが見えましたが」
残りの術者達もそれぞれ見えたものを伝える。
「わかったか?見るものによって見え方が違うのだ、本人の感受性や相性などで変わる」
ベドジフが得意げに解説していく。
マティアスには光の繭に包まれた透明な裸の女性が見えていたが、わざわざ話す気にならなかった。
「おっ、リズが動き出したぞ」
「やっと目が覚めたか?」
ベドジフの口調からは僅かにリズを嘲る響きがある。
目を開いたリズはしばらくは自分がどうなってるのか解らないのか目を瞬いていたが、周りに死靈のダンスのメンバーが囲んでいる事に気が付いて慌てて起き上がった。
「なに!?なんでこんな所で寝ているの?」
すぐに死霊のダンスの実験台の上に寝ている事に気が付き降りようと慌てる。
「私を実験材料にする気だったね?」
「お前を起こしてやったのはわしだぞ?」
ベドジフは鼻でリズの抗議をあしらった。
リズは実験台から降りたがまだ足元がおぼつかず、ふらふらとする。
マティアスはリズを受け止めてやった。
「なぜ私を取り囲んでいたんだよ?変な事する気じゃないでしょうね?ええっ!!」
魔術師達は微妙な顔でお互いを見やった、ベドジフは黙ったままニヤニヤしている。
マティアスはこの空気はまずいと思い助け船を出す事にした。
「リズはまだ調子が戻らないようだ、どうだ飯でも食いにいこうぜ?奢るから」
「ええっ!!食事!?おごってくれるの!!!」
妙にリズの食いつきが良かった。
そのままマティアスはリズを引っ張り精霊王の息吹の扉に向かった。
繁華街の死霊のダンスからも遠くない飯屋のテーブルで、マティアスは対面に座ったリズがガツガツとパンと野菜スープを啜るのを唖然と眺めていた、空の皿の上には豚肉と野菜を炒めた料理が盛られていのだが真っ先にリズに食い尽くされていた。
「お前まともに食って無いのか?」
マティアスはリズが落ち着いた所を見計らい声をかけた、さきほどまでは声をかけれたものでは無かったのだ、空腹が満たされたのかリズの表情がいくぶん和らいだ物になった。
「うーん、研究にお金をつかうし、寝る時間も無いのよ・・・今日は正直助かった、お金がなくなったのよ」
「次の収入はいつ入るんだ」
「えー五日後かな?」
「お前阿呆だろ?」
「なんだって!!・・・まあそう思われてもしかたがないか」
「そうだろ?」
リズはそれには答えず再びパンと野菜スープを啜りはじめた。
「あっ!!ピッポがいま店の前を通ったわ」
マティアスは飯屋の入り口を振り返ったがピッポの姿はもう無かった。
「俺達もそろそろ戻るか?」
「俺達?まあいいか、戻りましょう」