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ベンブロープ公爵の晩餐会

 広大な緑の芝生の上を数騎の騎馬が駆けめぐっていた、敵味方のポロ選手が玉を打ちそれを追いその度に大きな歓声が上がる。

リェージュのベンブロープ公爵邸に隣接する広大な芝地でポロ競技会が(モヨヲ)され、それに幾つかのチームが参加し激しく競い合っていた。


その観戦会にベンブロープ公爵が威信をかけて招待した、公爵派の領主や大地主と商人達と各種ギルドの役員達とその家族が集う。

そして観戦会の主賓はテーレーゼ巡見使団長のガリレオ大司教と聖女アウラだ。


リェージュの聖霊教会に聖女が閉じ籠もっていたのでは、彼女に謁見できるのはせいぜい一日数十人に満たない、公爵は自分の派閥のあまり身分の高くない人々にも聖女に謁見する機会を与えようとしていた。

ポロ競技は野外で行われる、招かれた人々の前に聖女アウラは姿を現す事になる、公爵の派閥に属する者達に聖女アウラへの謁見の場を与える事で威信を高めようとしたのだ。

聖霊教会も聖女の宣伝も兼ねて協力的だった。


客人達は聖女アウラのもとに次々に挨拶に訪れたが、団長のガリレオ大司教ではなく聖女アウラ目当てなのがあからさまな態度だった、それでも大司教は鷹揚な態度でそれに応じている。


「アウラ様ポロは楽しいですかな?」

「大きな声では言えませんが、先生わたくしルールを存じませんの」

巡見使団長の大司教と聖女アウラは広大なポロ競技場の貴賓席(キヒンセキ)の中央に陣取っていたが、主催者のベンブロープ公爵が挨拶廻りに席を外していたので、大司教につい弱音を吐いていた。


「ほほほ、やはりそうでしたか、これは社交の場でもあるのでお気になさいますな、適当に相槌を打っていればよいのです」


ポロ競技の合間にも聖女アウラのところに途切れる事無く客人達が挨拶にやってくる。


それはアウラがリェージュの武器鍛冶職人ギルドの親方の挨拶を受けていた時に起きた。

アウラの背中が鳥肌立ち悪寒が走った、そして粘りつくようなどろりとした不快な感触の視線を感じた。

アウラはその視線にある予感がしたが今は振り返るわけにもいかない。

天才的な精霊術の素養に恵まれた彼女は、昔から周囲にいる人間の感情を漠然とだが感じる事ができた、それは本能的な皮膚感覚に近い、その能力が嫌でいつも意識しない様に封じていたが、強い感情の流れにふれると無視する事ができなくなる。


アウラは幼馴染のアゼルを思い出してしまった、彼はまったくアウラいやエーリカのセンサーに感知されずに接近し彼女を驚かせていた、それはアゼルの無意識の行動なのでなおたちが悪い。

今ではアウラにとって思い出すのも辛い記憶になっていた。


アウラは意識から雑念をすべて追い出して責務に専念する、隣で正使として対応していた大司教はアウラの僅かな変化に気がついたのか心配げにアウラを見ていた。


鍛冶職人ギルドの親方はやがて感激しながらアウラの前から退去して行った、そこで謁見人の列が途切れた。

アウラは粘つく視線の元を確認した、その先には彼女の予想どおりにサンダリオ司祭が貴賓席(キヒンセキ)の外の木立の影からアウラをじっと見つめていたのだ。

アウラは慌てて前に向き直り意識的にサンダリオの存在を遮断した。


「聖女様疲れましたか?」

「せんせい、いえ大司教様だいじょうぶです」


その時の事だ、はるか遠くから冷たく射し込むようなかすかな視線を感じた。

弱かったが他の誰よりも鋭く冷い、サンダリオのような粘りつく感触ではない、そして誰よりも異質だった。

異質ゆえアウラの無意識的な防御をすり抜けたのだろう、アウラはその方向を眺めたがそこには観客の群れが在るだけでその中の誰かまではわからない。


(今のは何かしら?)


アウラは群衆をもう一度見つめる。


突如大きな歓声が湧き上がる、それでアウラの注意が削がれてしまった。

どうやらどちらかのチームが得点を上げたらしい。

競技にはベンブロープ派の貴族や騎士が代表選手を出していた、腕に自信がある者は自らが競技に加わっていた、これが派閥内の競争意識を刺激していた。

競技会は娯楽だけでは無くベンブロープ派の勢力や軍事力を密かに誇示する意味もあるのだ、それが試合を観戦を真剣な白熱したものに変えていた。


競技が終われば趣向を凝らした野外晩餐会が開かれる予定だが、会場の側のベンブロープ公爵邸の庭園で最期の準備が進められているのがここからも見える。


アウラがまた異様な視線のおおもとを確かめようした時にはその気配はすでに消えていた。






ポロ競技会も終了し入賞チームの表彰式が始まる、チーム名が読み上げられる度に関係者達が歓声を上げわき返った。

この後で来客は隣接する公爵邸の美しい庭園に移動し野外晩餐会が始まる。


晩餐会は早めに始まり比較的早めに終わる予定が組まれていた、聖女アウラへの配慮だろうと人々は密かに推論していた。

またこの宴の中盤以降は夜になる、篝火が炊かれ炎で照らしだされた幻想的な晩餐会になる様に趣向が凝らされていた。


リェージュ近郊の台地の上にベンブロープ公爵の城があるが、その城の影が夕焼けの空を背景に黒ぐろと映えていた。


やがて公爵の挨拶からはじまり主賓の大司教と聖女アウラの簡単な挨拶が行われ宴会が始った、屋外立食パーティなので庭園近くに臨時の厨房が造られそこから料理が次々と運ばれてくる。

だが貴賓席(キヒンセキ)のアウラ達は歩き回る必要はない、流石に聖女に皿を持って歩きまわらせるわけにはいかないと言う事で、アウラ達の前には料理が運ばれてくる。

アウラは立食パーティに出た事はあったが、たいがいこの様な扱いだった、本当は自分の食べたいものを食べてみたかったし、お菓子など少し持ち帰って部屋で食べたいと密かに考えていた。

学研肌で魔術の研究に熱心で若いながら名が知られていたが、聖職者としてはあまり出来てはいない女性だった。


宴はしだいにたけなわとなっていく。


会場の中は招かれた貴賓席(キヒンセキ)の談笑混じりのやざわめに包まれ人々はつかの間の平和を楽しんでいる。


やがて夜の帳が降りるにつれて、アウラは宴会場の周囲の木立や花壇や茂みの影に、黒いわだかまりが潜んでいるのを感じ始めた。

この黒いわだかまりはアウラには見慣れたものだった、大司教が言うにはこれらは迷える霊だと言う。

この世界には数多(アマタ)のそのような霊がさまよっていた、聖職者で感受性が強い者の中で積極的に救済しようとする者もいる、だが世の多くの人々が誤解している様に聖句や道具や聖なる力で簡単に浄化できるものではなかった。


中には彷徨える霊を圧倒的な力で消滅させる事ができる者もいる、アウラにはそれができたが霊を消滅させてしまうだけでは救済にはならない、霊と会話をし霊自ら自分で自分を救済させる様に導くのが聖職者の役割だった。

この種の憐れな霊は害がないかぎり放置されるのが常だった、なにせあまりにも数が多すぎた。

聖霊教の聖職者はなによりも生きている者を優先しなければならなかった。


テレーゼの巡見使の任務に赴いてから、テレーゼ各地を巡ってきたアウラはこの地にはこのような彷徨える霊が異常に多いことに気がついていた。

人口が半減する程の内戦の影響と思われるが、この会場の周囲にも無数の黒いわだかまりが集まり、その数はしだいに増えていく。

それでも会場の周囲の篝火の内側には今のところは入ってこない。

客の中で会場の周囲の暗闇に潜む影に気づく者は僅かだった、そんな彼らも彷徨える霊に感傷など持ち合わせてはいない。


アウラは霊達が自分の精霊力に惹かれている事を知っていた、彼女は昔から彷徨える霊を引き寄せる体質だったから。

アウラの背後の茂みに彷徨える霊が集まり巨大な塊に成長しつつある、それを隣にいる大司教に相談しようとした、彼もまた強力な上位魔術師でアウラの教育係だ、だがアウラは恩師に異変が起きている事に驚く、恩師は彫像の様に穏やかな微笑みを貼り付けたまま動かない。

それだけではなかった周囲の人々総てが凍り付いた様に動かなくなっていた、そして自分の体も動かす事ができなかった、強大な魔術師であるアウラがその力を封じられ手も足もでないのだ。

何が起きているのか理解できないまま背後の瘴気だけが高まり強くなっていく。


その瘴気が後ろから迫りアウラの体を包み込んでいく、彼女は叫びたかったが声が出ない、そして意識が遠ざかる、やがて体が宙に浮くような感覚に囚われた。


アウラはいつの間にか貴賓席(キヒンセキ)に座る自分を上から見下ろしていた、その隣には大司教の姿も見える。

大司教が自分に語りかけているようだがアウラは死んだ様に動かなかった、そして体がどんどん空に登って行くアウラは自分が死んだのかと恐慌状態になった。


(誰か・・・)


視界が大きく変わった、黒い瘴気の流れが幾筋も集まり大きな河になり、それが更に幾筋もあつまり巨大な流れとなり、その流れは無数の怨嗟や呪い怒りの呪詛を上げながら、暗黒の穴に渦を巻きながら吸い込まれていく、それを遥か高みからアウラは見下ろしていた。


(あれは不浄の川)


テレーゼで何度も遭遇した死の瘴気の流れ、聖霊教ではそれを不浄の川と呼び表していた。


次に目の前が戦場に切り替わった、篝火に囲まれた宴会場が戦場と化していた、公爵の野外晩餐会に敵兵が奇襲をかけてきたのかと驚愕したが、そこは公爵の庭園ではなくどこか別の森に囲まれた宴会場だとすぐに理解できた、見知らぬ宴会の客たちが完全武装した兵に囲まれ次々に討たれていく。


また景色が切り替わる、無数の火の粉の様な光の川が山を降り坂を流れ下って行く。

それはまるで地上の天の川の様に美しく幻想的な眺めだった、その光は勝利への高揚と喜びの力に満ちていた、だがその流れ下る先の暗闇の底から怒りと絶望と恐怖と呪詛が吹き上がり、多くの命が散りそこから新しい瘴気が生まれて集まり川となり、それは巨大な瘴気の流れへと集まっていく。

その流れの遥か先にあの暗黒の穴があった、どこまでも暗い完璧なる暗黒の穴、そこに総てが渦を巻きながら吸い込まれていく。


アウラはこれを止めなければと思った、だが体は動かない、そして自分では何もできないと絶望した。

聖女ならばあれを止めなければならないのではないか?でも自分が聖女に相応しくもなければ資格も無い事は自分が一番良く知っていた。



(聖女なんてもういや、怖い、怖い)





「アウラ、アウラ、聖女様どうしました!?」

遠くから大司教の呼びかける声が聞こえる、アウラはその声に呼び戻される。

「アウラよ?」

焦りを感じさせる恩師の呼びかけにアウラは意識を呼び戻された。


意識が戻ると体も口も動く様になっていた。

「先生、意識が少し遠くなっておりました」


「つかれましたかな?」

「もうしわけありません、もうすぐ宴も終わりますので大丈夫と思いますわ」

「無理はなさりませんように、明日からはノイデンブルクへ馬車の旅です」

アウラはその言葉で気持がいくぶんか軽くなった、テレーゼでの任務はもう終わったのだ。


「ご迷惑をおかけしました先生、休む前に疲労回復の術を使いますわ」

「体の疲労は癒せても心の疲れを取る術はありません、無理をなさいませんように、早めに教会にひきあげましょう」


「はい」


アウラはなぜか東の空の彼方を見上げた、本当にこのままで良いのだろうか?

明日アウラはこのテレーゼを去る。

幻覚の中で見た黒い瘴気の渦と総てを飲み込む暗黒の穴を思い返していた。









リェージュのコステロ商会の一番奥まった暗黒の部屋の扉越しにその声は響いた。


「ドロシー様、コステロ様がお呼びです」


まるで誰かが遠くから呼びかけるような声だった。

それは少年の声だった、だがその響きからは恐れの成分が滲み出ていた。


やがて木の扉が開く音を立てて(キシ)む。

「もどったのね、すぐいく」

感情の平坦な声がそれに応える。


「お伝えいたします」


少年の足音が足早に遠ざかっていった。







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