精霊の椅子再び
「アゼル大丈夫か!?」
闇の中でルディの叫びだけが響く。
周囲は薄暗かったが少し離れた所に人の気配がある、ルディは精霊力の探知力を磨いておいて良かったと心の底から思う。
だがアゼルと手を繋いでいたはずだがいつの間にか手を離していたようだ。
しだいに暗がりに目が慣れてくると、窓のない部屋の中にいる事がわかる、そして天井を見上げると天井全体が光苔の様にほのかに緑色の光を放っていた。
「おまちください殿下『セイレンの涙の輝き』」
続いてアゼルの詠唱が聞こえる。
アゼルの魔術の行使で部屋全体が照らされた、ルディはアゼルの無事を確認しとりあえずは安心した。
「ここは前に見た事のある部屋だな?そこに通路がある行ってみよう」
「ええ、まずここがどこなのか確認しましょう」
通路の先は上に昇る長い階段になっていた、それを昇り切ると通路の先に更に上に登る階段がありそこは地上からの日差しで明るく照らされ、そして通路の両側に見覚えのある扉の壊れた部屋が並んでいた。
「前に一度来た記憶がありますね」
「ここはアマリア魔術学院の地下だ」
二人はその廃墟の光景に見覚えがあった、ゲーラからハイネに向かったあの日、ベルの案内でここを訪れていた。
二人は狭間の世界からラーゼ郊外のアマリア魔術学院の廃墟の地下に戻って来たのだ。
「殿下、ここは特別な場所なのでしょうか?」
アゼルの疑問はここがベルとコッキーが幽界から帰って来たのと同じ場所だからだろう。
二人は慎重に周囲を確認しながら地上への階段を目指す。
「ここからですとハイネまで歩いて一日かかりますよ」
「ゲーラに定期馬車があるかもしれん、西門の近くでそれらしきものを見かけたぞ、なんとしても今日中にハイネに戻りたいベルが心配するだろうからな」
ベルもルディ達がハイネから遠く離れているとは夢にも思わないだろう。
「ベルサーレ嬢が我々を探して無謀な行動に出る可能性がありますね、彼女には恐るべき行動力と力があります」
「そうだな、いそいで外にでよう」
地下からの階段を昇るとそこはアマリア魔術学院の廃墟だった、空は狭間の世界に導かれた時と変わらぬ素晴らしい快晴だ。
「陽はほぼ真上だ、あれからどのくらい日が過ぎているのかは見当がつかん」
「殿下、急ぎゲーラに戻り日時を確認しましょう」
「何ヶ月も過ぎていないことを祈ろう、アマリア殿ならばそこらへんは考えてくれていると思うが」
二人はベルが前に切り開いた茂みの道をたどりアマリア魔術学園の石碑が見える学院の門の近くまできた、そこからの見晴らしは素晴らしかった。
ベルの切り開いた跡があると言うことはそれほど月日は経っていないはずだ。
丘の上からは南東の方角に趣のあるゲーラの町並みが見えた、派手さは無いがゲーラの歴史を感じさせるその町並みには落ち着いた美しさがある。
そしてルディは人の住む街を見るのがこれほど心を落ち着かせるとは思わなかった。
二人はゲーラの街へ急ぐ、それは丘の廃道を降り畑のあぜ道を進んでいる時の事だ、ルディはアゼルを振り返りいたずらじみた笑みを浮かべた。
「本当はあのままあそこに居たかったのではないか?」
「たしかにアマリア様のお話を聞くだけで一生すごせそうですね、ですが私は世捨て人になるつもりはありません、人の世の役に立たない知識や学問に何の価値もありませんよ」
「お前らしい意見だな」
アゼルらしい答えにルディは笑った、そしてエルニアの魔術師は実用主義すぎると言われていた事を思いだした。
「俺はハイネ往きの馬車を調べるがお前は何か街に用があるか?」
「私は精霊の椅子に向かいます、そこでホンザどのと相談したい事があります」
「そうだった、あとから俺も行くぞ」
二人は更に足を早める。
半時間も経たない内にアゼルはゲーラの中央広場に面した魔術道具屋『精霊の椅子』の前に立っていた、上を見上げると三角帽子の絵が描かれた看板が下がっている。
そこにルディが小走りでやってくる、彼は西門近くの定期馬車の予定を確認して戻ってきたのだ。
「アゼルよ西門からハイネ行きの最終便が出る、出発予定は二時頃だ鐘の音が合図らしい」
「では一時間の猶予がありますね、余裕をもって40分にいたしましょう」
アゼルは告時石と呼ばれる小さな石の様な魔術道具を取り出す、術式を唱えると石は青く光り始めた。
「さて準備ができました」
二人は意を決し『精霊の椅子』をくぐった。
二人が店に入ると正面のカウンターに馴染みの老魔術師が店番をやっていた、白い長い顎髭を伸ばし頭には看板の絵と同じ魔術師の黒い三角帽子を乗せている。
その老人こそホンザ=メトジェイだ、セザール=バシュレの弟子だった男で、アマリアの孫弟子ということになる、ルディはあの少女の様なアマリアの孫弟子がホンザのような威厳のある老魔術師である事を面白く思った。
店内は相変わらず商品棚が所狭しと並べられ狭苦しい、だが天井の採光窓からの陽射しが店内を明るく照らして開放感を与えている。
「お主たちか?いったいどうした?」
ホンザは不意の来客にひどく驚いていた。
魔術道具屋の二階で三人はホンザの煎じた薬草茶を飲んでいた、ホンザはルディとアゼルから驚異的な話を聞かされ続けていたせいで茶の味を感じる余裕などなかった。
「これがあの黒いダガーの成れのはてなのか?これが渡り石だと」
ホンザはテーブルの上に広げられた魔術布の上に残る組成不明の金属の様な欠片を覗き込む。
その隣には告時石が青い輝きを放っている。
「お主達が来る度にとんでもない事が起きる、今度は偉大なる精霊魔女のアマリア様と会ったなどと、驚くことばかりだ」
「だいぶ姿がお変わりになっていました」
アゼルは少女と化してしまったアマリアの姿を思い出して苦笑した、目の前のホンザの倍以上生きているのだから。
二人を並べたらホンザが大師匠でアマリアは孫弟子の魔術の見習いにしか見えないだろう。
「アマリア様が精霊王との契約に成功されたのはかなりのお年になってからだ、生きておられれば200歳に近いだろうよ、しかしセザールがそこまで堕ちていたとは思わなかった、たしかにアマリア様への嫉妬と恨みだけでは説明できぬほどにやることが大きすぎる」
ホンザは何か苦いものを飲み込むように茶を飲み干す。
「お主たちはこれからどうするのだ?もはやアマリア様に会い精霊宣託の内容を知るなどと言う次元の話ではないぞ?」
ルディは少し俯き熟考していた、それを妨げぬ様に二人は静かに待つ。
やがてルディは面を上げた。
「俺はこのまま進むつもりだ」
「で、旦那様」
「運命など信じてはいないが、大精霊とやらが何かを俺達にやらせたがっていようとも、俺にはわかるのだ、精霊宣託が何を語ったのか、なぜ俺たちが幽界に堕ちて戻ってきたのか、幽界で何が起きたのか?それを究明しないかぎり俺の未来も開けぬと確信している、この死霊術を打ち払った先にそれがあると感じているのだ」
「それは幽界帰りの直感なのか?」
ホンザの声から僅かな呆れと畏怖が滲み出ていた。
「俺にも解らないが確信があるのだ」
「私としてはお供いたすまでです」
アゼルもそれに答えた。
「お主達はセザールと戦うつもりなのか?さてさて・・・おぬし達はいったい何者なのか?言いたくなければ言わずとも良いぞ、ホホホ」
そして突然何かをルディは思い出した。
「そうだった、ホンザ殿は我々と居た小柄な金髪の娘を覚えているか?」
あまりにも語るべき話が多すぎて本来重要なはずのコッキーの話をすっかり忘れていた。
「忘れるわけがない、幽界帰りの少女を忘れるものか、コッキーと言っていたな」
「そのコッキーがハイネの魔術街で見つけた金属の塊に魅入られてな、それがトランペットに変化したのだ」
「トランペットに変化しただと?それは魔術道具なのか?」
「我々にもはっきりとは感知できませんでした」
「我々とはアゼルとルディガー殿もか?」
普通の魔術道具や精霊変性物質ならば魔術師に感知できるはずだ、それが感知できないとなると極めて特殊な道具以外にあり得ない、たとえば神器と呼ばれる様な神々の道具である。
「それを彼女が吹き鳴らすとこの世の物とは思えぬ美しい曲を奏でたのだ」
「あの娘が奏者だったとはのう」
「いや、彼女はトランペットに触れた事もなかったし音楽の教育などうけた事すらない」
ホンザは呆れた様な顔をしたが何かを思いついたようだ。
「あの娘も幽界帰りだったな、そうだメンヤ様じゃテレーゼの土地女神様よ!!」
アゼルも内心の推理をここで吐き出した。
「我々もハイネの聖霊教会の女神メンヤの小礼拝堂を参拝しましたが、その女神像はホルンをお持ちでした」
「あそこに行ったのか?ホルンとトランペットは別物だが通ずる物がある、あのホルンは大地のホルンと呼ばれるメンヤ様の神器じゃよ」
「私も神器に近い何かだと思いました」
アゼルもそれを肯定する。
「お主達はどこまでメンヤ様の事を知っているかな?」
それにアゼルが答えた。
「テレーゼの土地女神様であられると言う事だけです、ここ100年彼女と契約をした術者の話は聞きません、私達にとっても隣国の土地神という事でそれほど詳しい事は」
「メンヤ様は豊穣の女神とよばれ生命と繁栄を司るが、同時に死や滅びを司っておられる、死は次の命の始まり、滅びは次の創造の始まりなのだ、故にセザールの行いにお怒りなのは当然だ」
ルディとアゼルはホンザの話に引き込まれ行く。
「だがな大精霊は人の倫理や道徳には縛られぬ、それはわかっておろう」
アゼルはだまったままそれに頷いた。
「かつて聖霊教がこの地に広がるまでは、この地のテレーゼの蛮族達はメンヤ様を主神とする教えを信じていたのだ、メンヤ様は繁殖と性愛をも司る、それもまたメンヤ様の顔の一つよ、おかげで聖霊教の一派の中にはメンヤ様を邪神と考える者もおる」
「コッキーも女神メンヤの影響を受けると?」
「何の影響も無いとは思えぬ、あの娘はどうやら女神メンヤ様に見込まれたようだからな」
「だが今は彼女は事情があり我々の手から離れている」
ルディは躊躇しながらもホンザにコッキーが行方意不明になっていることだけを告げる事にしたのだ。
「なんと!!」
ホンザも二人が多くを語るつもりが無いことを察したようだ、彼が続けて何かを語ろうとしたその時の事だ。
テーブルの上の告時石が青い輝きを失った。
「どうやら時が来たようだ、帰ったらあの娘にもよろしくと伝えてくれ、すぐに会う機会がありそうな気もするがな、ほほほ」
二人はホンザに別れを告げ精霊の椅子を後にした、しばらくすると定期馬車の出発を告げる鐘が遠くからのどかなゲーラの街に響き渡った。
ハイネの間を往復する定期馬車は二人がけの椅子が三列の二頭立の大型馬車だ。
ルディとアゼルは余裕を持って馬車に乗り込む事ができた、二人は真ん中の椅子に座る、だが出発にはまだ時間があるようだ。
まもなく他の客も乗り込んで来た、そして出発を告げる鐘が鳴り響き馬車は動き出す。
それは馬車が西門を出て直後の事だ、突然後ろの座席から若い女性が二人に声をかけてきた。
「あのもしかしてアゼルさんとルディさんではありませんか?」
二人は驚き後ろの座席の声の主を確認する。
そこには榛色の髪をした背の高い美しい少女が少し顔を赤らめて座っていた。
「セシリア殿なぜここに!?」
「貴女はセシリアさんですか?」
「あらセシリアを知っているのね?私達姉妹なのご存知よね?」
「精霊亭のセリア嬢でしたか!!」
「たしかに似ておられるな」
ルディは感心した様にセリアを隅々まで見つめた、セリアはますます顔を赤らめた。
アゼルがセリアの相手をする。
「我々はハイネに帰るところです、セリアさんはどのような御用です?差し支えなければ教えてください」
「休暇が取れたので家に帰るのよ、セシリアも家にいるわ」
「我々はハイネの野菊亭に宿をとっているのですよ」
「まあ!!セシリアが働いているところだわ、セシリアの事話した記憶は無いし、これは凄い偶然よね?」
「まあ、そうかもしれませんね・・・」
ふと最近あまりにも偶然が多すぎるとアゼルは感じていた。
馬車は快調に街道を進んでいく。




