緑碧の少女アマリア
扉が開くとそこは豪奢な古風な居間だった、部屋はあまり広くはなくて接客用のソファセットとテーブルに茶器が置いてある。
ルディはこんな所に客が来るのだろうかと疑問に思った。
なぜか部屋の隅に奇妙な木の人形が立っていた、適当な作りで性別不明で頭があるが顔は無かった、関節が金属の輪で繋がれていて動かせる様になっていた。
そして天井の中央に大きな花弁のような照明器具が優しい黄色い光りで部屋の中を照らし出している。
壁の一面が本棚で古い本がびっしりと隙間なく並べられていた、ルディには詳しくは解らないがあの愛娘殿がかなりの高位魔術師ならば魔術師にはかなりの価値がありそうだ、アゼルには垂涎ものだろうと思った。
この時アゼルは魅入られた様に本棚を凝視していた。
いつのまにか部屋に入ってからあの嵐の様な騒音が絶えていた事に気がついた。
「ここは静かだな」
『あれはうるさいからのう、儂の住処には入れない事にした』
その声は木の人形の方から聞こえてきた。
「その人形が愛娘殿なのか?」
『ちがうわい!!玉虫とおなじじゃ!!』
「姿をお見せにならないのか?」
『すぐにわかる、そこの階段から上に上がるぞ』
部屋の右手に螺旋階段の入り口があった、素朴で品の良い木の様な素材でそれは造られていた。
そして部屋の隅に立っていた木の人形が音を立てて動き出した。
『なんじゃ、この程度でおどろくな』
動き出した人形にルディもアゼルも目を瞠っていたのだから。
『はよついてこい』
人形は本棚に未練があるアゼルをせかしながら螺旋階段を昇って行く、ルディとアゼルが後から続きその後ろからカラス達がひょこひょこと登っていった。
数メートル程登るとそこにまた扉があった、その部屋は位置関係から巨大な縦穴の真上ぐらいにあるとルディは推理した。
扉は玉虫の鍵の扉と同じ木の様な材質でできていたが飾り気はまったくない。
『ここはわしの秘密の部屋じゃよ』
その声には僅かに自慢気な響きがあった、人形が軽く触れると音も立てずに静かに扉は開いた。
その部屋は直径20メートル程の大きな円形で、下の部屋と同じ大きな花弁のような照明器具が五つほど天井に埋め込まれていて部屋をてらす。
長机が幾つも並べられその上に用途不明な実験器具の様な道具が所狭しと並べられていた。
壁際には本棚と触媒をならべた棚が幾つも立ち並んでいる、そして丸窓が幾つかあったがすべて両開きの扉で締め切られていた。
そして部屋の中心から外れた壁際寄りに上につながる螺旋階段が一つあった、この上にも部屋があるようだ。
「これは凄いですね」
『ここはわしの研究室の一つじゃ』
アゼルから思わず感嘆のため息が漏れた、魔術に詳しいものなら一生かけて研究するだけの価値がある物が大量に詰め込まれているのだから。
「ここには窓があるのか?」
ルディは部屋の丸窓の意味に気付いていた、あの青白く照らされたドームから延々とここまで降りてきたのだ、ここは地底の深い場所のはずだった。
カラスが人形の頭の上に飛び上がった。
『コラ!!乗るでない!!』
愛娘がカラスを叱りつける。
『いいジャない、ヘルものジャないシ』
カラスが不貞腐れた様に文句を言う。
『わたしワいいこなのデス!!わるいコはこいつナノデス』
ヒヨコが不格好な羽でカラスの背中を叩いた。
『おりるのジャ!!』
人形が腕で頭の上をはらったがカラスは巧みに避けて人形から離れた。
アゼルは人形たちの争いには無関心で本棚に近づき触媒棚を覗きながら何事かつぶやきながら感心しきりな様子だ。
『はよう階段をのぼるぞ?時間が無いのじゃ』
人形は螺旋階段のところまで進み、部屋に見惚れている二人を急かす、螺旋階段を登るとそこにも研究室と同じ扉がある。
『さてあけるぞ』
ルディが僅かな精霊力の流れを感じると扉は静かに開かれた。
その部屋は直径10メートル程の円形の部屋で、天井は球の頭の部分を切り取って伏せて置いた様な形をしていた。
天井の大部分がガラスの様な透明な物質で覆われ、その上に覆い被さる様に扉と似た素材の天蓋が全体を覆っている。
部屋の中心に大きな花弁のような照明器具が優しい光りで室内を照らしだしていた、部屋の中心に大きな古風な様式の品の良いベッドが有り、その上に小柄な人が横たわっている。
ベッドの上の人は年齢10歳ほどの美しい少女だった。
ミルク色の髪に日に焼けた小麦色の肌、目が閉じられているため瞳の色はわからない、非常に繊細で整った顔立ちで少し厚めの唇は閉じられている。
服は金属の様に輝く美しい繊維で編み込まれた深緑で、僅かな視線の変化でオーロラの様に青、紫、金と変化する。
ルディ達はその美しさに言葉も出なかった。
ルディがふと足元見るとエリザがアゼルの肩から降りて床を歩いている、彼女はよほど安心しないかぎり下に降りる事はない。
「この少女は!?愛娘殿なのか?」
『これが今のわしじゃよ、かわいいじゃろ?』
「今とはどういう意味なのだ?」
愛娘の言葉の後半は無視してルディはたずねる。
『わしの年齢は人ならば200歳に近いはずじゃからな』
「死を超越されているのですか!?愛娘様」
アゼルが思わず息を飲む、死の超越は本の上の話でしか無いのだから。
『そうじゃの、わしは世間では偉大なる精霊魔女アマリアなどと呼ばれておるはずじゃ、だが不老不死ではないがの』
「やはり愛娘殿はアマリアだったのか」
『ここまで無事これたら教えてやろうとおもっていたのじゃよ』
カラスがベッドの背に飛び上がり寝ているアマリアを見下ろす。
『まなムスメというより、まなイタむすめだネ』
『まないた、まないた、ナノデス!!』
ヒヨコが羽をばたつかせた。
『ええい邪魔じゃ!!世界のはてまで吹き飛ばすぞ!!』
人形が怒り腕を振り上げてカラスをはらう、だがカラスは巧みに逃れベッドの下に駆け込んだ。
「アマリア様なぜこのような少女の姿に?そしてなぜ寝ておられるのですか?」
アゼルは驚きから冷めやらぬままアマリアに尋ねる、若返りや延命術などそれは奇跡の領域なのだ、それを平然と口にするアマリアへの畏怖が強まっていく。
『子供の姿なのはアヤツの戯れじゃよ・・・』
「あやつとはいったい?」
『精霊王の馬鹿野郎じゃ!!どうせなら17歳ぐらいにしてくれればよかったのじゃがのう・・・色々教えてやりたいところじゃが、時間があまりない』
アゼルが慌てて黒いダガーを取り出した。
「殿下、おおよそ残りは半分です」
『見せたい物があると言うたな、それを見せてやろう、まずこの部屋の窓を開いて外を見てみるが良い』
「やはり外があるのか!?」
ルディとアゼルは部屋の丸窓の一つに近づき両開きの扉を引いた。
窓を空けた瞬間あの嵐の様な轟音が再び響き渡る、エリザが怯えてアマリアのベッドの下に駆け込み隠れた。
カラス達も窓に近寄り外を見ようと飛び跳ねる。
窓には透明なガラスの様な丸い透明な板がはめ込まれていてそこから外が見える、だが予想に反して暗黒の地底の世界ではなかった。
まるで巨大なすり鉢の底の真ん中に建っている塔の上から下界を見下ろしている様だ。
ほのかな陽射で照らされて、白と灰色の世界に倦んでいた二人には喜ばしい光がそこにあった、照らされたすり鉢の底に黄色がかった白い何かが敷き詰められていた。
アゼルが魔術を唱え始める。
「『精霊の瞳』視力強化です」
直後にアゼルが息を飲む音がする。
「何か見えたのか?」
「殿下、周囲は人の骨で埋め尽くされています」
『この40年の間に積み重ねられたものじゃ、近くに寄れば骨の隙間から黒い物が滲みでているのが見えるはずじゃ』
「40年だと?」
ルディはそのときテレーゼの混乱が始まった時期を思い浮かべていた。
『さてと天井を開くぞ』
部屋を覆っていた天蓋が花が開くように割れそして開き始めた、しだいに直上の視界が徐々に開けていく。
透明なガラスの天井の向こう側に想像を絶する世界が広がって行く。
天蓋が開いた事で自分達が高い塔の頂上にいる事がわかった。
塔はすり鉢状の窪地を囲むように旋回する巨大な暗黒の竜巻の中心に建っていたのだ、いよいよ凄まじい嵐の様な轟音が耳を覆う。
その竜巻の目のはるか彼方の上空に青と緑色が入り混じった空が見える、その竜巻の目から地上に光が差し込んでいたのだ。
「愛娘殿あの空は?」
『あれはエスタニアじゃよ現実界じゃ』
「なんですって!!」
ふたたびアゼルが叫んだ。
そこには山脈や森や川と畑の様な区画、黒と茶色混じりの灰色の光を反射する都市が見える、そして鮮やかに青く輝く大洋が見えた。
ルディもアゼルも自分が生きていた世界を生まれて始めて上から見たのだ、言葉もなくそれにいつまでも魅入っていた。
『さて黒い竜巻を良く見るのじゃ、黒い毛の様な物が千切れて飛んでおるじゃろ?』
「あれですか?」
アマリアの言う通りに竜巻の回転に合わせて糸屑の様な物が幾つも空を漂っている。
『天蓋を開いたから奴らが寄ってくる、良く見ておけよ』
竜巻の近くを飛んでいた黒い糸屑のような何かが、何本もこの塔に向って飛んで来た。
それは黒い細長い雲の糸に見えたが、塔に接近するにつれて小さな起伏に富んだ無数の触手の様な物をうごめかせる漆黒の黒い塊となる。
「あんだあれは?」
それはやがて塔の廻りを旋廻しはじめた。
その黒い雲から生えた無数の触手は黒い人の腕だ、その無数の腕の指も何かを掴もうとするかの様に虚しくうごめく、その表面には黒い人の顔が幾つも張り付き、何かを叫ぶような苦悶の表情を浮かべたまま凍り付いていた。
それらは塔のガラスの様な天蓋の窓にぶつかってきた、だがぶつかった瞬間それは弾き飛ばされ文字通り霧散した。
『しつこいのう無駄じゃ』
「アマリア様あれは何なのですか?」
そのアゼルの声は恐怖にふるえていた。
『死霊の集合体じゃ、不肖の弟子の仕業よ』
「それはセザール=バシュレだな」
『そうじゃあのアホは数で押してきおった、さすがに百万単位の悪霊ともなると儂も身動きが取れなくなった、さすがに数百万単位の死を利用するとは想像外じゃった』
「ではあの竜巻はまさか!?」
『そうじゃよ、あれがあ奴が長い時間をかけて集めた死靈の大集合体じゃ、ここ数年で更に力を強めておる』
「このままでは愛娘殿も危ういのか?」
『まだ大丈夫だが、このままでは危うくなるかもしれん、だがそれ以前に儂を潰すために死人を増やされては迷惑じゃ』
「セザール=バシュレが人々を殺していると?」
『奴が殺しているわけではない、そういった状況を作り出しているのは確かじゃな、じゃがな奴一人でここまで大掛かりな事ができるのか?それがどうも気がかりじゃが』
『儂が見せたかったのがこれじゃよ、これをなんとかせねばわしはうごけん』
「殿下の願いを叶えるのは無理と」
『それもそうだが、これ以上無駄な死を増やしたくない、そして奴がわしを斃した後であの死霊の集合体をどうするつもりなのかが問題じゃ』
「あれを悪用された場合どうなりますか?」
『奴は素直に霊を魂の回帰に戻すとは思えん、幽界の精霊達が恐ろしい化け物の存在を警告し始めている』
「幽界の精霊達だと?」
「殿下、幽界は現し世の鏡の様な世界なのです」
「そうだったか」
その時巨大な暗黒の竜巻から一塊の雲の塊が千切れ、塔に向って来る。
『おっと話しすぎたか天蓋を閉じるぞ、あと窓の扉も閉めてくれ』
アゼルが窓に近寄り扉を閉じる、天蓋が花びらが閉じるようにゆっくりと再び天井を覆っていく、やがて嵐の様な轟音が途絶え静寂が戻った。
「エリザベスもう大丈夫です」
アマリアのベッドの下に隠れていたエリザがアゼルの肩に駆け登った。
「アマリア様、この塔は貴女がお造りになったのですか?」
『この塔は初めからここにあった、いつから在るかは精霊王も知らぬ太古から存在しておる、儂はその塔のてっぺんに別荘を構えたのじゃ、ちなみにこれは魔術道具でもある』
「魔術道具ですか?アマリア様は大型の魔術道具の研究に長じておられましたね」
『気持ちは解かるが今は話している時間は無い、わしがお主らを招いたのはお主達が大精霊達に選ばれているからじゃ、わしの現状とテレーゼの惨状をおしえたくての』
「申し訳有りませんアマリア様」
「愛娘殿、この死靈を打ち破る方法はあるのか?」
『テレーゼのどこかに死靈を呪縛しわしを封じ込めている死靈術の大魔術結界があるはずじゃ、これほど大掛かりな仕掛けともなると隠しきれる物ではない』
木の人形がアゼルの方を向き直った。
『アゼルとやら、顔色が悪いが大丈夫か?』
「アマリア様あまりにも情報が多くて混乱しております」
アゼルはあまりもの情報の多さから消化しきれていなかったのだ。
『すまんな、時間が無いのでいろいろ詰め込みすぎたか』
その時大きな振動が塔を揺すぶった。