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ダンバの休日-2

ラムレッチーのジャンクショップ


 両手にマッシュルームの麻袋を抱えたダンバは、サンテロに扉を開けてもらい店の中に入る。そのまま奥の部屋に通されると、部屋には見知った顔があった。『ラッチ』ことラムレッチー、そしてサンテロの父『ドラセノ』であった。


 静かな室内で、ラッチは目を瞑ったまま革張りのソファに座り、腕を組んでいる。ダンバの後から部屋に入ってきたサンテロは、扉を閉め、近くの壁にもたれかかり、腕を組む。


 久々に会ったというのに、ドラセノはダンバに何も言わず目で会釈をしてくる。ちらりと目配せしたあと、ゆっくりと背を向けた。不愛想とも言える態度だが、ダンバはドラセノという人間を知っているため、特に気に留めることはない。


 痩せ型で丸眼鏡。長い髪はオールバック。昔の印象と何も変わらないなとダンバは思う。それにしてもずいぶんと白衣が皺だらけだ。シリカリから急いでこちらに来たことを思わせる。


 だが、なによりも1番気になるのは、この重苦しい空気の中、俺はなぜ大量のマッシュルームを抱えているのか。そして、なぜ、アロハを着ているのか。


 場違いな自分に思わず苦笑いしそうになるが、誰もしゃべり出さないところを見ると、ひとまず荷物を置く暇は与えてくれるようだ。そう判断したダンバは、部屋の隅にマッシュルームの麻袋を置く。


 その瞬間、ラッチが一瞬目を開けた。視線が袋に向けられ、口元が微かに動いたようだが、何も言わずにまた目を閉じる。その反応に、ダンバは内心で小さく溜息をついた。「何か冗談の一つでも言ってくれよ」と。


 沈黙が部屋を支配する。誰も動かず、息を殺しているような感覚がダンバを包む。


 サンテロは相変わらず壁にもたれかかったまま、視線を床に落としている。ドラセノも腕を組んで考え込むような姿勢を崩さない。


『なんだってんだ、この空気は』


 ダンバは、喧騒に包まれたマーケットの雰囲気が恋しくなった。だが、それも束の間、ドラセノがゆっくりと姿勢を正した。


 その動作だけで、場の空気がさらに重くなった気がした。何かが始まる。直感的にそう感じたダンバは、思わず姿勢を正し、口を閉ざしたままドラセノの言葉を待った。



 ラッチの作業台兼事務用デスクに両手を突き立て、ゆっくりと顔を上げるドラセノ。彼の視線は虚空をさまよい、誰かを見つめるでもなく、何かを噛み締めるように動きを止めている。


「私はここに来る数日前まで、シリカリでとある感染症の研究を行っていた。」


 静まり返る部屋に響く低い声。ドラセノは一呼吸置き、続けた。


「それはゾンビウイルスが人間へ感染するという極めて稀なケースだった。」


 その言葉にダンバの眉が僅かに動く。人への感染は起きないはずだ――そう信じていた。しかし、稀なケースと言われれば、確かにあり得ない話ではないのだろう。おそらく、ゾンビ肉の摂取やゾンビ牛との接触を断つ必要があるということだろう。ダンバは、早くも話の落ちが読めた気がして気持ちが少し軽くなった気がした。


 しかし、ダンバの思考は反転する。ホーロウはゾンビ牛のハンティングでにぎわっている部分がある。もし中断されるようなことがあれば、この街はどうなる。うちの店も大打撃だ。マッシュルームを買いすぎたかもしれない。


「混乱を避けるために公表はできなかった。そして、研究は極秘で行われた。」


 淡々と語るドラセノの言葉に緊張感が漂う中、ダンバは口を開く。


「人間はゾンビウイルスへの耐性を持っていたじゃなかったのか。」


 直球の質問だった。ドラセノは薄く微笑み、ダンバに向けて鋭い視線を投げかける。


「『耐性』ではない。」


 その言葉に部屋の空気がさらに重くなる。


「そもそも『耐性』なんて耳障りの良い言葉を誰が言い出したのかね?」


 唐突な問いかけにダンバは答えられず、言葉を飲み込む。そう教えられてきただけだ。他の誰も反応しないまま、ドラセノが再び口を開いた。


「おそらく、プロパガンダに使われたんだろう。まだ国や政治というものがあった時代、人々に前を向かせるには良い薬だったに違いない。」


 彼は視線を遠くに向け、どこか懐かしむように言葉を続ける。


「だが、耐性という言葉がそもそもの間違いだ。我々人類はワクチンによる予防で『免疫』を手に入れただけに過ぎない。ウイルスが進化してしまえば、感染は簡単に起こる。」


 静かな部屋に、彼の言葉だけが響く。


「ところが、幸か不幸かゾンビウイルスは長い間一度も変異しなかった。それをいいことに、誰かが『耐性』という言葉を広め、そしてそれが定着してしまった。」


 ドラセノの語り口は、まるで遠い過去の失敗を振り返るようだ。聞いている3人は重苦しい顔をしていた。信じて疑わなかったことが、いとも簡単に覆ってしまったからだ。他人事のようなドラセノの素振りがより拍車をかけている。


「それはさておき、重要なことは、今になって感染が確認されたということだ。」


「私や他の研究者が最初に調べたのは2つ。1つは、ゾンビウイルスの遺伝子が変異していないか。もう1つは、人が持つ抗体が減少していないか。このどちらも、感染する理由として最も考えられる可能性だ。」


 皆が話についてきてることを確認し、ドラセノは話を続ける。


「結論から言うと、ゾンビウイルスに変異は見られなかった。そして抗体にも問題はない。にもかかわらず、我々の抗体はウイルスに対して抵抗しなくなっている。」


 言葉を飲み込むダンバの眉間に皺が寄る。


「つまり……どういうことだ?」


 ドラセノは軽く息をつき、全員の顔を見回す。


「変化していたのは、ウイルスや抗体ではなく、我々の身体そのものだ。」


 一瞬、時間が止まったように誰も動かない。


「思い出してほしい。ゾンビウイルス流行以降、環境が変化し、我々の食生活も大きく変わってしまった。」


 ダンバが記憶をたどるように目を細める。


「あまりにも大きく変わりすぎていたんだ。」


 ドラセノは再び口を開いた。


「人間はもともと、生きるために必要な栄養素を食べ物に頼っていた。特に、体内で生成できないビタミンやアミノ酸は、食事から摂取する以外に方法がなかった。しかし、環境変化の影響で一部のアミノ酸が完全に失われ、その状態が長く続いてしまった。」


「そんなとき、一部の品種のゾンビ牛が食用可能であることがわかったんだ。」


 ドラセノの喋るスピードが僅かに早くなる。


「知っての通り、ゾンビ牛の肉にはゾンビたんぱく質が含まれている。そして、このたんぱく質には未知のアミノ酸が含まれていた。」


「その未知のアミノ酸が、人間の身体に取り込まれるとどうなったと思う?」


 ドラセノは全員の顔を見渡し、一瞬の間を置いた。


「人体は、この未知のアミノ酸を吸収し、自らのたんぱく質として再構成した。そして、それがウイルスにとって都合の良い環境を作り出した。」


 部屋の空気がさらに重くなる。


「つまり、ウイルスに感染することなく、人体がウイルスの増殖に適した状態に変化してしまったということだ。」


 ダンバは呆然とした表情で視線を彷徨わせる。ラッチは目を閉じたまま微動だにせず、サンテロも黙り込んでいた。


「そんなこととはつゆ知らず、当時の人たちは喜んでいたことだろうね。ゾンビ牛が栄養不足を補う救世主になると思ったに違いない。」


 ドラセノの唇がわずかに歪む。


「だが、救いのはずが、結果的には罠だった――そんな皮肉な結末だ。」



「公にされていないことだが、ほとんどの加工食品には、ゾンビ牛から抽出されたタンパク質が混ぜられているよ。理由は言うまでもないだろうが、不足したアミノ酸を補うためだ。」


「人々の健康を守るためにやってきたことが、まったく逆の結果に結びついてしまったというわけだ。」


 ダンバは胸に激しく脈打つ怒りを感じた。


 知らなかったとはいえ、自分の店でそんなものを出してしまっていたのだ。客の反応を見ながらうまい料理を研究してきた日々。自信を持って出してきた料理の品々。いつも美味い美味いと言ってくれるお客の顔。店での思い出がよみがえる。はらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りとともに、罪の意識が重くのしかかる。自分も共犯なのではなかろうか。そう思うと何も言葉が出ない。


 ラッチが口を開いた。


「わからんな。なぜ『今』なんだ?」


 ドラセノは口を結んだまま、ゆっくりと目を閉じた。しばらくの沈黙が部屋を包むが、彼は静かに話し出す。


「きっかけはわからない。予兆も何もなかった。最初の感染者が見つかってから1週間後、次々と人間への感染の報告が上がってくるようになった。その増え方はあまりにも爆発的だった。」


「私は逃げ出したんだよ。」


 小さな声でそう言ったドラセノは、どこか遠くを見るような目をしていた。


「感染経路は判明しておらず、シリカリでは『詰み』だと判断した。私にはまだ、研究するための時間が必要だった。」


 ドラセノの後ろめたそうな表情を見て、ダンバは責める気にはなれなかった。それに、ドラセノはまだ諦めてはいない。生きるために必要なら逃げるのは当然だと、ダンバは感じた。


「なぜ『シリカリ』だったんだ?」ラッチがさらに質問を投げかける。


 ダンバも確かにその疑問を抱いたが、同時に1つ心当たりがあった。話を聞いていた3人も、おそらくうっすらと気がついているはずだ。ラッチは確認の意味で、あえて聞いたに違いない。


「感染経路は分かっていないと言ったが、ゾンビ牛から直接感染していると、私は予測している。」


 ドラセノはやや歯切れ悪く答えた。


「根拠は?」ラッチが間髪入れず求める。


 ドラセノはわずかに息をつき、慎重に言葉を選びながら話し出した。


「皆も知っての通り、シリカリはゾンビ牛の目撃情報が多い街だ。最初に見つかった感染者はハンターで、ゾンビ牛の捕獲に失敗し、シリカリの病院に担ぎ込まれた。そしてその病院で感染していることが判明した。この感染者は外傷による出血が多く、傷口から感染した可能性が高い。そして、その後感染者として報告が上がってきた者たちもまた、ゾンビ牛の捕獲から戻ってきたハンターだった。」


 ドラセノは一瞬視線を落とし、再び顔を上げる。


「つまり、ゾンビ牛との接触が感染の引き金になっている可能性が極めて高いということだ。」


 部屋の空気がさらに重く沈む。ドラセノの言葉が意味するものの大きさを、全員が理解していた。


 ダンバは無意識に拳を握りしめ、部屋の静寂の中で深く息を吐き出した。ラッチも口を閉ざし、腕を組みながら椅子にもたれかかる。


「感染者から採取したゾンビたんぱく質の濃度が、この時に捕獲されたゾンビ牛のものとほぼ一致した。だが、濃度が一致したからといって断定するほどの材料にはなりえない。」


 ダンバにしてみれば、それはほぼ間違いないのではないかと思えた。しかし、ドラセノの慎重な態度が彼の考えを制止する。


「断定できない理由はもう一つある。」


「感染した人間は、ゾンビ牛と同じ特徴を持っていたが、違う部分もある」


「人間に感染したゾンビウイルスは、これまでに発見されたものとは違う、更に新たなアミノ酸を作り出していた。ゆえに、ゾンビ牛が宿主ではない可能性もある」


「その新たなアミノ酸の構造解析は終わっていないが、どのような機能を持っているのか近いうちに判明するだろう」


 ドラセノの言葉は冷静だったが、その背後に潜む不安がダンバにも感じ取れた。彼はチラリと顔をラッチに向ける。


 ラッチはメリメリと音を立てながらソファからゆっくりと立ち上がった。その動作には、彼独特の落ち着きと確信が漂っている。


「現時点では推測の域をでないということだな。」


 ラッチが静かにそう言うと、ドラセノは苦虫を噛み潰したような表情で「そうだ」と短く答えた。その言葉に、ダンバはさらに疑念が膨らむ。


 しかし、ドラセノの態度にはまだ何か言いたげな様子があった。それこそ、彼がわざわざこの街まで来た理由でもあるのだろう。


 ドラセノは視線を外し、サンテロのほうをちらりと見た。だが、サンテロは虚空を見つめているだけだった。どこか考え込んでいるようにも見えたが、表情は読めない。


 沈黙が流れる中、ラッチが口を開いた。


「わざわざそれを言いに来ただけではないのだろう。」


 その一言で、ドラセノは重い口を開く。


「今すぐに、この街を離れるべきだ。」


 その言葉が部屋に落ちた瞬間、空気が張り詰めた。


 ダンバは思わず息を飲む。彼の頭にはすぐに疑問が浮かんだ。今すぐこの街を離れる?どうして?なぜそんな結論に至ったのか?


「理由を聞かせてもらおうか。」


 ラッチがまっすぐにドラセノを見据えた。その目には冷静さと疑念が混ざり合っている。


 ドラセノは深く息を吐き、目を閉じて言葉を選んでいるようだった。そして、低い声で静かに答えた。


「感染が爆発的だと言っただろう。無自覚な状態で人から人へも感染している。この街も時間の問題だ。」


 その言葉に、部屋の空気がさらに重く沈んだ。



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