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ダンバの休日-1

 ヴエロが『メタム』へ向かった日、ダンバはいつもより少し遅めに起きていた。


 あまり休むことのないダンバだが、今日は珍しく、1日丸ごと休日にしてある。いつもであれば、眠い目を擦りながら、何枚もストックのあるコック服を羽織って下の階の厨房に降りるのだが、まだ2階の自室にこもったままだ。


 僅かにベランダの戸を開けると、ヒンヤリとした空気が流れ込んでくる。冷たい空気が肌を刺し、タバコの煙が風に絡まりながら、ふわりと漂った。昇りかけの太陽に暖を求めるのはまだ早かった。


 開きかけた戸をガラガラと人1人通れるほど開き、ダンバはベランダの手すりにもたれて立つ。口に咥えたタバコを手に持ち変え、大きく吐き出す。とくに意味もなく外を眺めながら、閑静の中の音を探す。この辺りは夜になれば人が溢れるが、朝はさっぱりしたものだ。


 小さな石畳の路地が見下ろせるベランダから、まだシャッターが閉じられた店々が並ぶ景色が広がる。日常の一部となっている風景だが、今日はなぜか新鮮に映る。


 普段のダンバなら、なんの変哲もないいつもの光景に見えたはずだが、今日は店を休みにしたからだろうか、わずかに浮足立つ感覚がある。気持ちが軽い。


 徐々に昇ってくる太陽が優しく暖かく感じられた。その光が顔を照らすたびに、日々の忙しさから解放されていることを実感する。


「ヴエロがいないと、静かだな……。」


 ふと呟くと、その静けさが少しだけ不安を伴っていることに気づいた。ヴエロがいない店の朝が、こんなにも長く感じるのは初めてだ。


 昼になったらアロハを着てマーケットにでも行くか。久々にラムレッチーにでも顔を出してみるのもいいかもしれない――そんな思いが頭をよぎる。



 ダンバが住むこの建物は、少し大きな一軒家を改築したもので、地下室を倉庫、1階をレストラン、2階を自宅としている。ゾンビハンターを引退したとき、最後の仕事で手に入れた金で一括購入したものだ。


 店を開くと言った時、『ラッチ』ことラムレッチーと運び屋『バーノ』の2人は、子供のように喜んで手伝いを買って出てくれた。テーブルなどの家具から装飾品、厨房の冷蔵庫に至るまで、すべてラッチが他所から買い付けてくれたものだ。


 はじめはダンバが選んでいたが、ラッチがとやかく言うのだ。イスは座り心地が良すぎても回転率が悪くなるとか、冷蔵庫はガス漏れが天敵だからガスタンクの修繕痕をチェックしろとか。一緒にハンターをやっていた時はそこまで煩くはなかった気がするんだが。


 そして、バーノにトラックを出してもらい、3人でバカみたいな即興の歌を歌いながら家具を運んだのだ。バーノは運転席から「この店、絶対に流行るぜ!」と何度も繰り返し、ラッチはラッチで、悪酔いした客の帰し方をひたすらアドバイスしてくる。あのときのラッチは本当に愉快だった。懐かしい話だ。


 今でも2人ともホーロウにいるときは毎日のように店に寄ってくれる。ハンター時代から続くこの縁は、ダンバにとってこの上ない宝物である。


「シューーッ」


 お湯の沸いた音に気が付いたダンバは、ベランダからゆっくりとした足で自室のキッチンに向かう。


 いつもなら、店で余った果物の皮を乾燥させて作った自家製のお茶を飲むところだが、貰い物の紅茶がまだ残っていたはずと思い、棚から取り出したブリキの箱を振る。「カサカサ」という音にダンバの眉が同時に上がる。


 今の時代、お茶を作る人は少ない。貴重な紅茶を購入する余裕のある人間が少ないことと、金銭的な余裕があったとしても、食料に費やす方が合理的であるというのが理由だろう。ラッチが遠方から取り寄せてくれたこの紅茶も、彼にとって特別な贅沢品だ。


 耐熱ガラス製のポットに茶葉を入れ、お湯をわずかに注ぐ。


 蓋を閉じ、しばし待つ。


 十分蒸らせたと判断し、お湯を追加する。はじめは紅茶の濃い色の部分とお湯の透明の部分がぐるぐる混ざる様子がうかがえた。次第に境目はなくなり、ムラのない綺麗な紅茶の色に落ち着く。


 うまく淹れられたであろう紅茶に満足したダンバは、ポットとマグを持ってローテーブルへ移動し、どっしりとソファに座り込む。


 壁に掛けられた古い時計がチクタクと音を刻む。温かい飲み物は、どこか不思議な安心感をもたらす。


 マグを口に運びながら、彼はふと思う。


 朝からこんなにゆっくりとした時間を過ごすことは、ほとんどない。ダンバは改めて、今日が良い休日になりそうだと思うのであった。




 ホーロウの街の中心部には扇型の広場があり、露店が所狭しと並ぶ。


 この街で食材を探すならこのマーケットしかないといってもいい。一見、色とりどりの品物が並んでいるように見えるが、乾燥させた野菜にオイル漬け、ピクルスといった保存食が大半を占める。


 ほかに目につくのは、『ミルク』と書かれた山積みの缶だろう。ゾンビ化した哺乳類は乳を出さない。酪農は存在しないはずだが、なぜ『ミルク』があるのか。それはミルクの文字の横に書かれた小さな文字を見るとわかる。


 そこには『アーモンド』もしくは『大豆』と書かれている。


 生の野菜もあるにはあるが、かなり値が張る。ホーロウ周辺は降水量が少なく、土地が痩せているので育てられる植物の種類がわずかしかない。そのため、野菜のほとんどは遠くの街から運ばれてくる。保存食が多いのはそのためだ。


 このあたりで採れる植物はトウモロコシとサトウキビである。サトウキビを原料とした蒸留酒『ラム』は、この街では手に入りやすい。うちの店でも『ホワイトラム』と『ダークラム』をかなりの数取り扱っている。


 どの店も顔なじみの連中ばかりだ。皆、声をそろえたように「今日は休みかい?」とたずねてくる。いつもはコック服を羽織っているからだろう。


 ダンバも物色しながら歩き回る。小麦の値段がまた上がっているなと思った。ここ数年小麦の値段は上がりっぱなしだ。値上がりした分は、乾燥ジャガイモやトウモロコシを挽いた粉と混ぜていたが、そろそろ限界だな。これ以上上がるようなら値上げしないとやっていけない。


 ふと、ダンバの足が止まる。顔は露店の店先を凝視している。


「ありゃ・・・マッシュルームか。しかも乾燥モノじゃない。生じゃねえか」


 この辺りではほとんど見かけることのないキノコが、麻袋にどっさり詰め込まれている。ハンター時代に、食べたことがあったダンバは、その見た目ですぐに気が付いた。パッと塩を振って、火に炙って、汁が出てきたところをかぶりつくのが最高に美味かったんだよなあ。そんな記憶がよみがえり、ついつい口元が緩んでしまう。仕入れに来た訳ではないのに、思わず3袋も買ってしまった。


「3分の2は、丸ごとオイル漬けとピクルスだな。

残りは網焼きと、薄く切ってスープで店に出すか」


 漬け用の蓋つき瓶が店にいくつ余っていただろうかと、頭の中で考えながら歩くダンバ。


「ダンバさん」


 突然呼び止められ、振り返るとサンテロがそこにいた。


 ダンバは驚いた表情を向ける。なぜなら、彼女は昼間からマーケットに顔を出すようなタイプではないからだ。サンテロはスッとした立ち姿だが僅かに息を切らせている。ダンバは何かあったに違いないと感じた。


「突然すみません、……父が呼んでいます。重要な話があるようなので、一緒に来ていただけますか?」


 申し訳なさそうに言って踵を返し、歩き出すサンテロ。


『父』。一瞬、ラッチのことを言っているのかと思ったが、すぐにそうではないと気づく。ラッチのことは父親も同然だが『父』と呼んでいるのを聞いたことは無い。


 サンテロの『父』といえば、『ドラセノ』だろう。


 ドラセノのことはよく知っている。普段はシリカリにいるはずだが。あいつがこっちに来るときは、新しい発見をしたときか、何か良くないことがあったときしかない。サンテロの様子からはどちらか判断が付かないが、嫌な予感がする。


 スタスタと歩くサンテロの背中を見つめるダンバ。賑やかなマーケットの喧騒が耳に届かなくなっていくのを感じた。


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