ジャンクショップ
「おはようございまーす…預けていたバイクを……」
堅いブナの木で作られた両開きの扉の片側を開きながら、ヴエロは店内をのぞき込む。
室内は床も壁も木の板が打ち付けてあり、レンガで作られた外観とは印象が大きく違う。清々しい朝だと言うのに、そこは薄暗い空間だった。
ヴエロの視線は、一か所だけ光が漏れているPCモニターの背に向けられる。隠れていて見えないが、あのモニターの背の向こうに居る人を知っているからだ。
「サンテロさーん」
近づきながら名前を呼ぶと、モニターの上部から少しだけ見えていた頭が「ぴょこん」と跳ねた。立ち上がったカワウソみたいな反応だ。それを椅子に座ったままやっているのだから、なんとも言えない。
ちなみにカワウソの実物を見たことはない。小さいころそういうアニメを見たことがあっただけだ。
ヴエロからは、サンテロの鼻から上しか見えていないが、目はしっかり合っている。アニメキャラのようなクリっとした目ではない。ジトっとした目だ。
「バイクを取りに来ました」
ヴエロはそう言いながら、バイクのハンドルを握る仕草をする。
サンテロは、椅子に座ったままの姿勢で、壁にかかっていたガレージのカギを取ると、弧を描くようにヴエロに向けて投げた。
「・・・」
サンテロは、親指を横に向けてガレージを指さすと、興味をなくしたように目線を外し、またPCモニターに隠れてしまう。
『ラムレッチー』の助手として、『ジャンクショップ』で働くサンテロ
彼女は、機械に関する知識が豊富で、ヴエロが持ち込む壊れた機械も難なく修理してしまう。その腕前から、ヴエロは「この人に修理できないものはない」と確信している。これは、ダンバから譲り受けた大切なゾンビレーダーをサンテロに調整してもらった経験から生まれた信頼でもある。
さらにサンテロは、無口で控えめながらも面倒見の良い性格の持ち主だ。自分のことを語ることは少ないが、その振る舞いには思いやりが感じられる。同時に、同性であるヴエロが見惚れるほどの美しさも持ち合わせている。無表情な顔に隠されたその魅力に、ヴエロは何度も目を奪われてしまう。
店内を見渡すヴエロだが、サンテロ以外の姿は見当たらない。
今日も、この店のオーナーであるラムレッチーは不在のようだ。彼がいないのはいつものことだ。毎晩のようにお酒を飲んでいるため、朝はたいてい寝ている。昨日もレストランで遅くまで飲んでいたのをヴエロは目にしていた。
それに加え、彼は頻繁に他の街へ出かけることが多い。そのため、この店の実質的な管理はサンテロが担っている。
ラムレッチーは、かつてダンバと共に数々の危険なゾンビハントを乗り越えてきた仲間だった。今では引退し、穏やかな日々を送っているが、時折レストランを訪れてはヴエロに当時の冒険話を語るのが常だった。
特に、希少度Sの品種の群れを捕らえた際の話は、彼の冒険譚の中でも群を抜いて壮大だ。その種は、ほとんどゾンビ化していない希少な牛として知られ、捕獲は命がけの大仕事だったという。激しい戦闘や仲間との絆、命を賭けた判断の数々――その物語をヴエロは何度も聞いてきたが、一度も飽きたことはなかった。
ガレージは油臭く、冷たさが肌にしみ込むようだった。
「ギャリギャリギャリ」
錆びついたシャッターが重々しく悲鳴を上げる。その音に眉をしかめたヴエロは、シャッターを自分の頭の高さまで開けると動きを止めた。
ガレージの中に朝の陽が差し込み、中央に置かれたバイクが温かな光を浴びる。
「ふっふー。会いたかったよ。私のズーマー」
ヴエロは愛おしげに微笑みながら、バイクの座席を優しくなでた。
愛車のズーマーは、モーター駆動の二輪バイク。元々はガソリン燃料で走るバイクだったが、前の持ち主が電気で動くように改造したという。廃都市や廃墟街にはまだガソリンが残っている場所もあるが、輸送コストの高さや危険性を考えると、個人が日常で使うには現実的ではない。
「こんな小さな乗り物にガソリンを消費するなんて贅沢すぎる」今はそう言われる時代で、ズーマーは電動化によって息を吹き返した。
ある日、レストランに訪れた客から「使えなくなったバイクがある」と聞いたヴエロは、その話に飛びつき、懇願して安く譲り受けた。
「これならバッテリーを交換するだけで乗れるはず!」とウキウキ気分でジャンクショップに持ち込んだヴエロ。しかし、ラムレッチーの言葉は無情だった。
「こいつぁ……どこで拾ってきやがったんだ」
ラムレッチーは渋い顔をしながら、ズーマーの車体を眺め回した。そして、「水没してるじゃねえか、こんなもんゴミ同然だな」と吐き捨てた。だが最終的に、「もう少し見てやるから、今日は帰れ」と言ってヴエロを追い返した。
後日聞いた話では、あまりに落胆したヴエロの姿がいたたまれなく、ラムレッチーはその日の夜から次の日の夜までガレージにこもり、バイクを完全にオーバーホールしたという。
その話を聞いたとき、ヴエロはラムレッチーに感謝しきりだったが、肝心の本人は「別に大したことじゃねえよ」とそっけない態度だった。
「じゅるり・・・」
よだれを垂らしながらうつ伏せで眠る恩人の姿を見つけたヴエロは、思わず苦笑いを浮かべた。
オンとオフが極端すぎる。
それに、こんな冷え込む朝に、コンクリートの床に直で寝るとは、さすがに無防備すぎる。
「これ、サンテロさん絶対知ってたよね……」
ヴエロは状況を察した。サンテロがガレージのカギを閉めたのは、ラムレッチーが中にいるのを知ってのことに違いない。
「もし私が来なかったら、このままずっと閉じ込められたままだったのかな……」
夜、いびきをかいて寝ている姿を視界の隅に入れつつ、何事もなかったかのようにカギを閉めるサンテロの冷淡な表情を思い浮かべて、ひとりクスクスと笑ってしまう。
だが、心の中で自問する。「私もカギを閉めて立ち去るべき?」それとも「普通に起こしてあげるべき?」どちらにしても、ラムレッチーをそのままにしておくのは後味が悪い。
「いや、せっかく寝てるのに起こすのは悪い気がするし……」
少し考えた末、ヴエロは自然な形でその場を後にするための“名案”を思いついた。
「私はラムレッチーさんが寝てるなんて気づかなかったし、カギも閉め忘れちゃった、ってことで……」
そうつぶやきながら、ズーマーを静かにガレージの外に出す。そしてラムレッチーが起きないよう慎重にシャッターを下ろしたが、「ギャリギャリギャリ」という音だけはどうしても避けられなかった。
ヴエロは深いため息をつきつつ、自分の頬を軽くたたいて気持ちを切り替えた。
「よし、今日はゾンビ牛をしっかり狩って、ダンバさんにいい報告をするぞ!」
目的を胸に、ヴエロはズーマーにまたがり、エンジンを静かに始動させた。
一旦、バイクをジャンクショップの店の前に停め、カギをサンテロに返すために、ヴエロは来たときと同じように両開きの扉の片側をそっと開けた。暗かった部屋は、照明が付いただけで不思議と暖かみを帯び、居心地の良さを感じさせる空間へと変わっていた。
相変わらずサンテロは、PCモニターをじっと見つめている。その集中した横顔に声をかけるべきか少し迷ったが、ヴエロは気を取り直し、部屋の様子を見渡す。
部屋の中は相変わらずモノで溢れていた。
床には、乱雑に詰め込まれた箱がいくつも置かれ、その中には値札もない部品が雑然と収められている。部屋の隅には、サイズが微妙に異なるバッテリーが山のように積み重なり、まるで機械の墓場のようだった。
しかし、一方でガラスケースの中は対象的に整然としていた。そこには、ゾンビレーダーをはじめとする高価そうなデバイスや、同じサイズでぴたりと並べられたバッテリーが丁寧に配置されている。機械用の交換部品だろうか、見ているだけでその精密さと価値が伝わってくる。
「カギ、返しますね。」
ヴエロは軽く声をかけながらカギを返すと、サンテロが何か言いたげに一瞬顔を上げた。だが、すぐにまた視線をPCに戻し、特に何も言葉を発しなかった。
「……じゃあ、行ってきますー」
ヴエロは小さく頭を下げると、再び外に出た。店のドアが閉まる音が静かに響く中、サンテロの視線が背中に突き刺さるような気がしたが、ヴエロは深く考えないことにした。
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