プロローグ
20世紀後半、突如として全世界で「ゾンビウイルス」が流行した。感染は動物に限られ、鳥、魚、そして哺乳類に至るまで、地球上のすべての生物がゾンビ化してしまった。しかし奇跡的に、人間だけはウイルスへの耐性を持ち、生存することができた。
だが、それは人類にとって救いではなかった。
家畜を失ったことで、深刻な飢餓が始まった。牛は乳を出さず、鶏は卵を産まず、畜産業は壊滅した。さらに、動物の糞や死骸を失った土壌は急速に痩せ細り、農作物も衰退。植物の減少が環境を悪化させ、気候変動や自然災害が多発するようになった。
人類はまさに絶滅の瀬戸際に立たされていた。
そんな中、人々はある「発見」に希望を見出す。ゾンビ化した動物の体内では、「ゾンビたんぱく質」と呼ばれる未知の物質が生成されていたのだ。それは腐敗したように見えるが、人体には無害であることが判明した。さらに調査を進める中、見た目の腐敗がほとんど進んでいないゾンビ牛が発見される。
その牛は、不老不死とも呼べる奇妙な存在だった。食べることも、排泄することもなく、ただ生き続けていた。その肉は通常の牛とほぼ同じで、食用に適していた。だが、ゾンビ化した動物には繁殖能力がなく、個体数は限られている。
ゾンビ牛の発見は、人類にとって光明だった。しかし、その肉を求める競争は激化し、命を懸けてゾンビ牛を捕獲する「ゾンビハンター」と呼ばれる者たちが現れた。
ゾンビハンターたちが集まる街では、肉の取引や装備の修繕を行う職人、宿屋、酒場がにぎわいを見せるようになる。
そして今、一人の若きハンターがその街に足を踏み入れる。飢えを凌ぐためか、夢を追うためか。それとも、もっと別の理由か――。
人類が見つけた小さな希望は、同時に新たな争いの火種でもあった。
――――――――――――――
ヴエロは、閉店後の厨房で洗い物をしていた。蛇口から勢いよく水が流れる。大きなシンクの中には、サイズがバラバラのお皿が積み重なっていた。ヴエロは、そんなお皿を泡まみれにしながら無心で手を動かす。
「(このお店、こんなにお皿があったんだ…)」
目の前の泡の山を見つめ、ヴエロはため息をつく。フロアのあらゆる作業に忙殺され、途中で洗い物を手伝う暇は全くなかった。その結果が、この有り様である。
洗い終わっていない食器が山積みだ。まだまだヴエロの仕事は終わりそうにない。
「おい、今日はもう切り上げろ。」
突然、後ろから低い声がかかる。振り向くと、オーナー兼調理長のダンバが腕を組んで立っていた。
「明日は朝から行くんだろ?
さっさと帰れ」
ヴエロはその言葉に、少し肩の力を抜いた。ダンバなりの気遣いが嬉しい。
ヴエロは、キリの良いところで蛇口をひねり、水を止めた。泡だらけの手をエプロンで拭いながら、厨房を見回す。
「よし、これで終わり…」
言いかけた瞬間、後ろからダンバが声をかけてきた。
「ちょっと待て、これ持っていけ。」
気づけば、ダンバが大きな葉に包まれたものを押し付けてくる。ほんのり温かく、香ばしい匂いが漂っていた。
「明日の昼まではもたねえから、朝食えよ。」
「ありがとうございます!」
ヴエロはその厚意に胸が温かくなった。この街で食べ物を分け合うことがどれほど貴重かを、彼女は知っている。
「本当に、ダンバさんって優しいな…」
そんな感謝の気持ちを胸にしまい、エプロンを外して帰る準備を始める。ダンバは手をヒラヒラさせながら、厨房の奥へと戻っていった。
――――――――――――――
ここは『ホーロウ』という小さな街。
昔から、周辺の廃墟街や近くの森でゾンビ牛の群れが目撃されるため、常にゾンビハンターや商人で賑わっている。
ゾンビ牛が頻繁に目撃されることで知られ、ハンターや商人たちで賑わう街だ。廃墟街や近くの森から貴重なゾンビ牛が運び込まれるため、街には常に活気があった。
特に最近は、高額で取引されるゾンビ牛が目撃されたという噂で、街全体がさらに賑わっている。ダンバのレストランも例外ではなく、夜遅くまで職人やハンターたちが集まって酒を酌み交わしていた。
この街の自慢は、安定した電力供給だ。周囲の廃墟街から回収された古い電力システムを組み合わせ、複数のバックアップを備えている。そのため、夜でも街中の設備が稼働し、職人たちは暗くなってからも仕事を続けることができた。
「この街は電気が途切れねえから、客の来ない夜のほうが調子がいいんだ!」
そんな話を得意げに語る職人の笑顔を、ヴエロは思い出していた。
レストランからバイクで数分の場所に、ヴエロの住むアパートがある。
築年数の古い二階建てで、どの部屋もこぢんまりとした一人暮らし向けの間取りだが、ヴエロにはちょうど良い。ドアを開けて部屋に入ると、ほっとする空気が体を包み込んだ。
台所にダンバからもらった朝食をしまい、ソファに腰を下ろす。目の前のローテーブルには、お気に入りの瓶が置かれていた。
「(一杯だけ…。)」
瓶のふたを開け、グラスに琥珀色の液体を注ぐ。鼻に抜ける香りが、疲れた体をゆっくりと癒していく。
部屋には植物の鉢がいくつも並べられている。ゾンビハントの帰りに見つけた珍しい植物を育てるのが、ヴエロの密かな趣味だ。枯れてしまうものも多いが、たまに鮮やかな花を咲かせると、それだけで心が満たされる。
ただ、テーブルに置かれたメカメカしい装置だけは、部屋の雰囲気と異質だ。それはゾンビたんぱく質を感知し、反応する「ゾンビレーダー」だ。
「プラズマ波動…なんとかって名前だったけど、覚えてないや。」
ヴエロにとって、このレーダーはただの道具ではない。ゾンビハンターとしての活動を支えてくれる、たった一つの宝物だ。
「(明日は…ラムレッチーさんのところでバイクを引き取って…)」
ヴエロは明日の予定を思い浮かべながら、空になったグラスをコトリとテーブルに置いた。疲れ切った体が心地よくソファに沈み込んでいく。
薄暗い部屋の中で、眠りへと誘われる静かな時間が流れていった。
テンポを大改修