西の山1
そうだ、信様の道場に報告に行こう。件の宿からの帰り道、同僚の凱が唐突に爽に提案する。流石にその気になれず渋る爽に、かの老剣士と信も面識があるのだから報告の義務があるとか何とか理由をつけて王都への道を迂回させようとする、凱の粘りに半ば折れるかたちで二人は西の山に向かう事になった。
「本当にうちの師匠が報告を待っているのかねぇ。」
「当たり前だ、信様は義理人情に厚い方だ、今回の件もずいぶん心を痛めていらした。
顛末が気にならない訳が無い。それに、愛弟子の顔を見たくない師匠など居らん。
ところで、
今から急げば、朝飯はともかく昼飯には間に合うと思わないか?」
爽にもっともらしい事を言いながらも、凱の関心は既に他の事に移っている。暖かい宿の中にいた自分とは違い寒い山中で一晩中行動していた凱はろくな物を口にしていないのだろう、心にも身体にも養分は必要だ。
「周の作る食事は美味いからねぇ。では、西の山によって行くとしようか。」
同僚のあからさまな期待にクツクツと笑いながら、爽は調子を合わせることにした。
秋は美味しいものが多い。行動がいつもより食欲に左右されるのも仕方ない事かもしれない
と爽も思う。
「お師匠さま。
確認いたしますがお昼は大きい膳が60、小さい膳は42、夜は24でよろしいのですね。」
数日前から寝る間も惜しんで接待の準備をする周は静かに信に問いかける。
「ああ、済まないね。今朝になってまた人数が増えてしまった。
材料は何とかなるのかな?」
「予め多くこしらえてありますのでここまでなら。
しかし、もう打ち止めですよ。この先、一人でも増えようものなら・・・
お師匠様には小さい方の膳を召し上がっていただくことになりますよ。」
ふわりと笑う周の眼が怖い。
一年から二年に一度のペースで各道場持ち回りで行われる四山合同訓練会、それが信の道場で行われる。道場の威信を背負いそこに参加することは剣士の卵達の憧れだ。さらに、主催地になる道場では惜しくも練習会参加メンバーの選から外れた者達も各道場の精鋭達の技を間近で見られ、方々から多くの人が訪れるので地元に小金も落ちる。本来なら良い事ずくめの主催地なのだが信の表情は今ひとつ冴えない、今回は参加者が多い。とくに直前になって指導者側の参加者の数が妙に増えるのだ。理由もだいたいのあたりはつくのだが。
「おじゃまっ。良い方の膳8でよかったんだよな?」
麓の道場のエース揺が蒔絵も美しい膳と汁椀を持ってやってきた。
「ありがとう。上の広間に運んでもらってもいいかな・・・」
手元から眼も離さずに礼言い指示を出す。
「おう。突き当たりで良いんだな?」
こちらも勝手知ったる何とやらで土間をずんずんと進む。
「んっ、何で揺が?」
麓の道場のまさかの人選に周が眼を丸くする。もう直ぐ練習会がはじまる、麓の道場のエースがこんな使い走りをしていて良い物なのだろうか。
「はっ。こんな時に台所で姉さん被りのお前に言われたかぁないね。」
「・・・うん。やっぱり、私が運ぶよありがとう。
お互い本番も頑張ろうね。」
アドレナリン全開で息巻く揺から、繊細な漆器にキズでも付けられたら大変とばかりに
あっさり膳を奪うと、周はそれをさっさと奥に運んで行ってしまった。
日々増える参加者に、ついには自前の膳では数が足りず麓の道場からも膳を借り受けるまでとなり、その支度を整える周の負担を考えると信はどうにも気持ちの落とし処を見付けられずにいたのだが、等の周は宴の準備の次いでの様に練習会への参加を考えているようで信の表情は更に曇る。
「信様。あいつも代表ですよね?」
取り残された揺がむくれたふうに信の方を見る。
「ははは、確かその筈なのだがねえ。」
剣術の鍛錬には余念が無いのだ、しかし名を上げる事に頓着が無い。名付けたきり無しのつぶてのボンクラ王子に仕えさせるのも腑に落ちないが、こんな寒村の道場の飯炊き小僧で終らせるなどありえない。と信は複雑な思いでため息をついた。
西の山には信の特殊な結界がある為に他山の者は徒歩以外の入山が許されない。
各山の各道場から西の山の奥にある信の道場を目指して歩く沢山の剣士の卵達の中に小さな動揺が広がりつつあった。細い山道の木々の間から見え隠れする緋色と鉄色の衣装の二人連れ、どう考えてもこんな子供の催し事に顔を出す筈の無い雲の上の存在がそこに居る。
猛火将軍の爽様は西の山の出身だったか、信様は元業火将軍なのだから現業火将軍の凱様がここに居ても可笑しくはない・・のかな?
もしかしてスカウトとか・・・。
いや、極秘任務とか。
卵達はふつふつと湧き上がる不安やら希望やらの感情に翻弄されながら山道を歩く。
おい、どうなっている?西の山が人で溢れているぞ。と困惑する凱に、ああ、凱は名家の出だったね。これは各道場の精鋭のお披露目会みたいなものだよ。と爽はさらりと練習会のあらましを説明する。 剣術もその外も全て家庭内で一族より指導を受けるのが当たり前だった凱はもの珍しげにそれに耳を傾ける。
「成程、面白いシステムだ。理に適っている。適材適所に人を振り分ける先人の知恵だ。」
「はは。そんな大層なモノではないよ。」
「それよりも、凱。何か食べたいのなら急いだ方が良い。練習会が始まってしまったらとうぶん美味い物には有り付けないよ。」
二人は山道を足早に進んだ。