国境の宿
隣国ドゥーラとの国境の森にある小さな宿で二人の男が宿屋の主を相手に談笑していた。彼らは旅の商人でアルカナには鉱石の買い付けに訪れたそうだ。
「いや、ホントにこの宿が再開してくれて助かったよ。」
「何せ、あんな事の後だ。今夜は野宿かと諦めていたんだが。」
「はい、前任のご夫妻には、私も少なからずお世話になっていましたので。ここは不慣れながら一肌脱ごうと思い立ちまして。」
囲炉裏を囲んで寛いだ様子の二人の男は口々に安堵の言葉をつむぎ、土間で夕飯の支度をする宿の主は穏やかに相槌を打つ。
程なく膳が提供され、これに二人が舌鼓を打ち、食後には主に勧められるまま、おいしい地酒を楽しんだ、酒のせいか更に会話がはずむ。
「どの料理も絶品だったが、あの鴨せいろはホントに美味かった。」
「いやぁ俺は、風呂吹き大根が美味かったなあ。」
「お兄さん、元は料理人か何かなのかね?」
「いえ私は、畑違いの仕事をしておりましたが、料理には一家言ある者が、家族におりまして。私が国境の宿を再開すると聞いたら、無駄に張切ってしまいまして。」
主は苦笑い気味に答える。
「ほう。ここへは、ご家族と一緒に?」
「いえ、とうぶんは私一人で切り盛りするつもりです。」
「ふーん。ところで、あんたの前職って?」
「はあ、最近まで王都で剣士をしておりました。」
無遠慮な矢継ぎ早の質問にも静かな笑みを浮かべて答える宿の主の言葉に、痩せた色黒の男は少し言葉を呑んで隣の髭面の男に眼で何やら指図をし今度は二人で質問しだす。
「そういえばお兄ちゃん、いい体してるもんなぁ。成程、アルカナ剣士か・・・。」
「世が世なら、ドワナ大陸最強と謳われた・・・あの、か・・・。」
「ははは。世が世なら。だよなぁ、魔法全盛の昨今、魔法が使えないアルカナ剣士なんぞ恐れるに足らず。ってね。」
「とは言え、だ。あんた、武器は何を使うんだい?帯剣しているようにも見えないが。」
「はい、剣を使うのですが。お恥ずかしながらまだ荷が全部届いていないのです。先程の家族がやれ味噌だの鰹節だのとやたらに食材優先で荷造りをしてくれたもので。」
人好きする笑顔で宿の主が台所の隅に置かれた瓶やら俵を指し示す。成程と男達も苦笑した。
「それは、少々心細いことだな。武器らしい物といえば、そこの大斧くらいか。」
色黒の男が奥の壁に飾ってある古びた大斧を指差し粘着く言葉を吐く。
「お気遣い有り難うございます。しかし、あれは実用にはかないません。」
宿の主の青年は斧の木製の柄のあたりを指し示して、経年による劣化が進んでいる事を説明した。
「まあ、あんな事があったとはいえ、こんな田舎です。武器が必要になる事もそうはないでしょう。」
無駄にさわやかな笑顔を浮かべて青年が答える。
「ほう。」
「では、お兄ちゃん。丸腰かい?」
「ええ、まあ。」
おおらかな青年の言葉に饒舌だった男達が急に押し黙り、いやな空気があたりを満たす。
ドゥーラからの商人の鉱石の買い付けならアルカナ南東の鉱山か王都の鉱石商に出向くものだ、その場合のルートとしてこちらの山越えルートを通るのは少し珍しい。また、この男達から漂う気配が商人というにはきな臭い。
しかし、そんな事を気にも留めず言われるままの彼等の素性を鵜呑みにし、青年は大切な自分の情報を聞かれるままに垂れ流してニコニコとしている。
魔法に耐性が無いと言うだけでなく純朴で猜疑心の少ないアルカナ人は組みし易い。色黒の男が半ば呆れたように一瞬宙を仰ぎ髭面の方に視線を向ける。髭面の男は邪悪な笑みを浮かべ、傍らのこん棒に手を伸ばす。
「アルカナの鉱石は良質で人気の商品だが、人間もまた然りなのを君はご存知かな?」
「はい?」
「ここの老夫婦は、どうしてあんな事になったのだろうね?」
色黒の男がゆっくりと立ち上がり青年を見据える。
あんな事、
半月前の惨事の事だ。
この宿の前の主である老夫婦がここよりやや下流の川岸でで発見された。出入りの食料品屋の話では二人とも数日前までは普段と変わりは無かったと。しかし、何か大きな力で引き裂かれて人としての原型を留めていないそれは、ひと目では誰の遺体か判別できない程に酷い有り様だったと。
「何を言って・・・うわっ。」
急に嫌なほうに話をふられ驚く青年に、髭面の方の男がいきなり棍棒を打ち込む、不意を突かれた青年が辛うじてそれを避けて釜戸の陰に転がるようにして身を隠す、崩れた体制を整え次の攻撃に備えようとしたところで、色黒の男がなにやら呪文を口にする。足元に嫌な気の流れを感じた青年が横っ飛びに逃げる。それまで青年が立っていた地面が何の前触れもなく唐突にうねりだす。
「我慢強く丈夫、しかも捕まえやすい、こんな扱いやすい労働力はない、ホントにいい商品だよアルカナ人は。ここは我々の仕事の拠点にちょうど良いのだよ。うまく邪魔者を掃除出来たと思っていたのだが、君のお節介で台無しだ。これは、君の命で購って貰おうかな。
おや、君は巧く避けるね。
先日の老人は魔法が我が身に発動するまで何も分からなかったようだったが。
若さかな?それとも剣士だからかな?まあ、感で避けられるのもそうは続くまい。」
青年の機敏な動きを眼で追いながら短い呪文を連発する色黒の男は余裕の表情だ。
立て続けに繰り出される魔法攻撃を狭い室内で巧みに避けながら、青年がぼそりとつぶやく、先程までの爽やかさも人の良さも感じられない憤りのにじむ声だ。
「まったく・・・。甘く見られたものだ。」
青年は左手の親指と人差し指の腹を軽く付けて円を作る、呼吸を整えて凛とした声で言葉を放つ。
『言霊』
左手がやんわり青く光る。
『強化』
青年は壁に飾られた大斧に強化の言霊を発動させる。左手と同じに大斧がやんわりした青色に光りだし、朽ちた柄が新品の様な気配を醸し刃も鈍い光を放ちはじめ明らかに攻撃力も上がったように見える。
左手の印はそのままで、すぐ近くに迫る棍棒を振り回す髭面の顔面に右の拳を叩き込み、続け様に腹に蹴りを入れる。最初の一撃で伸びていた髭面は蹴られるままに色黒の男の方になかなかの勢いで飛んでいき、かわそうとした色黒の男諸共に後方の壁に叩き付けられてしまった。
「力に溺れて技術を磨く事を怠るからそんな直線的な動きしか出来なくなるんだよ。」
青年は意識の混濁する髭面の男に諭すような口ぶりで敗因を語りながら、髭面と壁に挟まれ伸びてしまった色黒の男を素早く後手にして拘束し口にも手拭いを縛る。
「魔法にばかり頼って体を鍛えないからこういう事になるんだ。」
吐き捨てるように言うと大斧の方に眼をやる。青い光は左手の印がとけたと同時に消えたが、それの強化が解ける気配はなく今も力強い気配を漂わせている。
そうこうしてる内に意識がはっきりしはじめた髭面の男が青年の腰あたりに掴み掛かろうとするが、軽くかわされ、今度は側に転がるこん棒に手を伸ばす。まだ勝てる気でいるようだ。
「困った人だ。自分の力量も相手の力量も測れない程に腕力に溺れてしまっているとは。」
歪んだ笑いを口元にうかべる男の髭面を見据えながら、壁にかかる重たげな大斧をひょいと片手に持ち男の正面に立つ青年は清しく笑う。
「では、お付き合いしましょう。アルカナ剣士の力を、あなたがその身をもって理解出来るまで。」
青年が静かな闘気を纏う。
任務終了。
翌朝、王都から駆けつけた部下に、縛り上げられてぐうの音も出ない二人の男を渡して、青年は大きな伸びを一つしてから、かの老剣士に思いを馳せる。これで、この宿の主夫婦の魂もいくらかは浮かばれたのだろうか。国境の宿、善良な旅人への一晩のもてなしと、他国からの悪辣なならず者への防波堤とて、ここは長年にわたり退役した剣士が守ってきた。
愛用の大きな斧を軽々と扱い後裔の剣士に稽古をつける人の良さそうな笑顔が今でも目に浮かぶ。
半月前の惨事の当事者は、青年が城に上がった頃にはすでにその剣士としての絶頂期は過ぎていたが、ひよっこ剣士の指導役も進んで引き受ける面倒見のよい熟練の剣士だった。温厚で高潔な人柄から皆に慕われる彼は、青年にとっても憧れの大先輩剣士だった。温厚で高潔な彼の晩年はもっと・・・。
「こら、爽、なんちゅう顔をしている。部下の前だぞ。」
自分より一回り大きい男の声に爽は不意に現実に引きもどされた。
「ああ。そうだな、少しばかり撒様の事を考えていた、心配をかけて済まない凱。」
青年は呆けていた事を詫びて照れくさそうな笑顔を凱に向けた。