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カール=ルートヴィヒの窓  作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)
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訳者のあとがき

「Karl-Ludwig's Window」とサキについて、あとがきのようなものをつらつらと書き連ねます。

 短編作家サキは、1870年に英領インド帝国アキャブに生まれ(註1)、イングランド南西部のデヴォンで育った。本名をヘクター・ヒュー・マンローという、このスコットランド系英国人は、はじめインド帝国警察に勤めていたが病気のために職を辞し、渡英して新聞記者となる。そして、ウェストミンスターガゼット紙などで記事を書き、1902年からはモーニングポスト紙の海外特派員としてバルカン半島やロシアなど東ヨーロッパを巡っていた。イングランドで過ごした幼少期の経験と特派員時代に見た東欧の姿は、サキの作品に大きな影響を与えているといっても過言ではないだろう。


 サキは生前に4冊の短編集(「Reginald」「Reginald in Russia」「The Chronicles of Clovis」「Beasts and Super-Beasts」)を出版し、死後には2冊の短編集(「The Toy of Peace」「The Square Egg」)が刊行された。そして、短編以外にも長編を3作品(「The Westminster Alice」「The Unbearable Bassington」「When William Came」)と5点の戯曲を残している。また興味深いことに、短編で名を成したこの男の処女作は「The Rise of the Russian Empire(ロシア帝国勃興史)」というタイトルの『歴史書』だそうだ。歴史家や新聞記者に特有の客観的な視点が、サキの容赦の無い冷笑的な作風を作り上げていったのだろう。


 さて、長編や短編を問わずにその作品数を数え上げてみると、サキはその生涯で少なくとも155もの作品を書き上げたことになる。同時代のO・ヘンリーが400近い短編を残したことを思うと、サキのそれは少ないように思えるが、20年に満たない執筆期間を鑑みれば決して寡作とは言えないだろう。

 日本では知名度が低く、「知る人ぞ知る作家」として扱われているサキであるが、翻訳されている作品は意外に多く、例えば、出版されたものだけ数えても130もの作品が翻訳されていることになる。つまり、8割近い作品が既に翻訳されているということになる。アマチュアの翻訳も計上すれば、その数ももっと増えることだろう。知名度こそ低いが、この翻訳数を見れば、日本でのサキの人気というのがうかがえるというものだ。ただ惜しむらくは、A・A・ミルンが言っているように、サキの愛好家はその作品を胸の内に秘めて自分だけのものにしたがるのである。そのために、知名度が下がってしまうのは何という皮肉だろうか。


 没後100年経った今でもサキの人気は衰えることは無く、日本では近年、風濤社や白水社、理論社などの出版社からの新訳発刊ラッシュが続いている。だが、その人気を支えるのはあくまでも「短編」である。これは英国でも日本でも、その他の海外諸国でも同じだと思う。つまり、世のサキ愛好家たちは長編や戯曲などには目もくれず、その短編のみを溺愛しているのである。実際、短編に比べれば他の作品はほとんど知られていない。「Goodreads」など海外の書評サイトを見ると、ごくまれに長編や戯曲が取り上げられることがあるが、あくまでも短編小説の引き合いに出されるだけで、「やはりサキは短編が一番だ」という結論で締めくくられる場合がほととんどだ。

 ただ、長編小説について言えば、好意的な評価が下されることもある。例えば、長編小説「The Unbearable Bassington」や政治諷刺連作集「The Westminster Alice」は、英国のガーディアン紙が選んだ『死ぬまでに読むべき1000冊』にランクインしているし、第一次大戦後のイギリスの未来を描いた仮想小説「When William Came」は侵略文学として一定の評価を受けているそうだ。


 その一方で、5点の戯曲について語られることはほとんどない。今回、私が翻訳した「Karl-Ludwig’s Window」はそんな知名度の低い戯曲の一つである。以前、公開した「The Death-Trap(死に至る罠)」や翻訳家・中村能三の「The Baker’s Dozen(十三人目)」と合わせると、これでサキの戯曲は5分の3が翻訳されたことになる。この「Karl-Ludwig’s Window」は「The Wolves of Cernogratz(セルノグラツ城の狼)」を彷彿とさせるような、古典的怪奇ゴシックホラーを内包する暗澹あんたんたる悲劇である。

 ただ、この作品は翻訳する上で不明な点が多かった。正直なところ、この「Karl-Ludwig’s Window」は、サキの死後刊行された短編集「The Square Egg」(年版)に収録されているということ以外、よく分かっていない。どのような形で世に出たか、いつ執筆されたのか、何をモデルに書かれたのか、などなど少し調べてみても不明な点ばかりである。上述の「The Death-Trap」は先人たちの研究成果のおかげで、1903年にセルビアで起きたクー・デ・ターをモデルにしていることが分かっているが、「Karl-Ludwig’s Window」についてはさっぱりお手上げである。

 唯一の手掛かりと言えば、短編集「The Toy of Peace」でRothey Reynoldsが記した序文だけだ。その序文では「(べドフォード校を卒業した後、父とともにヨーロッパを巡った)旅の中で、マンローが抱いた感銘は、後にその作品で姿を現すことになる。本書の中にも二編『The Interlopers』と『The Wolves of Cernogratz』という作品が収録されているが、これはヨーロッパの中心部で見た幻想的な城塞の記憶をもとに書かれたものだろう。今後、出版される予定の短い戯曲『Karl Ludwig’s Window』もプラハ近郊の城を訪れたときに得た着想がもとになっている。」と書かれている。つまり、チェコのプラハ城にこの戯曲を解く鍵があるらしい。


 地理や世界史には疎いため、とりあえずGoogleの検索窓に「チェコ プラハ 城 窓」と打ち込んでみる。すると「プラハ窓外投擲事件」という何とも物々しい単語が浮上するではないか。この事件について、少しばかり調べてみると、どうやらフス戦争の契機となった1419年の「第一次窓外投擲事件」と三十年戦争の発端となった1618年「第二次窓外投擲事件」があるらしい。後者の「第二次窓外投擲事件」について簡単に書くと、当時のボヘミア(現在のチェコ)の国王は熱心なカトリックであったハプスブルク家のフェルディナントで、プロテスタントに対し強硬的な姿勢を執っていた。これに反発したプロテスタントたちはプラハ城を襲撃し、国王顧問官であったヴィルヘルム・スラヴァタ・フォン・クルム(Wilhelm Slawata von Chlum und Koschumberk)とヤロスラフ・ボルジタ・フォン・マルティニク(Jaroslav Borsita von Martinic)、書記官フィリプ・ファブリシウス(Filip Fabricius)を三階の窓から投げ落とした。このボヘミアのプロテスタントによるカトリックへの反抗がきっかけとなり、最後で最大の宗教戦争と仇名される三十年戦争が始まるわけである。

 17世紀初頭、プラハ城の窓から投げ捨てられる貴族たち。「Karl-Ludwig’s Window」でも、16世紀頃、カール=ルートヴィヒが暴徒の手によってヤクトシュタイン城の窓から投げ落とされている。また、サキの生前、チェコはハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国の領邦であった。「Karl-Ludwig’s Window」に出てくる大公(Archduke)というのは、ハプスブルク家の男子に与えられる称号(オーストリア大公)であるそうだ。こういったことを踏まえると、この「第二次プラハ窓外投擲事件」が「Karl-Ludwig’s Window」のモデルの一端であり、この戯曲がオーストリア=ハンガリー帝国を舞台にしている可能性が高いのではないだろうか。

 また、興味深いことに「第二次プラハ窓外投擲事件」で、官僚たちは、プラハ城の旧王宮にあるヴラディスラフ大広間に隣接する「ルートヴィヒ翼棟」の窓から投げられたそうである。


 さて、物語の舞台がオーストリア帝国らしいことは分かった。それでは次に、登場人物たちについて解析してみることにする。まず、目をつけるのは登場人物たちの名前である。名前を見れば大体の国籍が分かるので、物語を読み解く鍵になるはずだ。

 たとえば、Gräfin(伯爵夫人)はドイツ語圏の爵位であるし、伯爵夫人の姪のViktoriaヴィクトリアはドイツ風のスペリングだ。KurtクルトRabelラベル男爵もドイツ語圏でよく見られる名前である。ここまでは、舞台がドイツ語圏のオーストリア帝国という推測には矛盾しない。だがしかし、一方でPhilipフィリップはドイツ語ではなく、英語のスペリングだ(ドイツ語の場合はPhilippフィーリップが相当する)。つまり、フィリップとイサドラの兄妹はドイツ語圏の人間ではなく、英国や米国など英語圏の出身であることがうかがえる。となると、イサドラとクルトの婚約は英国からヨーロッパへの輿入れとなるのだろうか。ヨーロッパの祖母となった英国のヴィクトリア女王などが思い浮かぶが、どうも今一つ歯車が合わない。


 それでは英国ではなく米国か、と思い、再びGoogle検索にて「アメリカ ヨーロッパ 貴族 嫁入り」と打ち込んでみる。すると「グラディス・ヴァンダーヴィルト・セチェーニ」なる人物が浮上してきた。彼女はアメリカの鉄道王の娘で、ハンガリー貴族のセーチェーニ・ラースロー伯爵のもとに嫁いだそうだ。他にも米国の銀行家の娘であるジェニー・ジェロームが英国貴族のランドルフ・チャーチル卿のもとに嫁いでいる。この時代のことについて少し掘り下げて書き連ねてみよう。

 1865年、南北戦争の終結はアメリカにおける奴隷制度の終焉をもたらし、それは同時に工業国としての「アメリカ」の始まりを意味していた。工業化してくアメリカでは原料である鉄鋼や石油を求め、大陸各地に足を伸ばす鉄道は原料を運び、製品を運んだ。マーク・トウェインが「金ぴか時代」と呼んだ、アメリカ資本主義の発展期が訪れ、この時代に石油王や鉄道王など多くの富豪が生まれた。莫大な金を手にしたアメリカの富豪たちが次に求めたのは、歴史的な権威である。アメリカの富豪たちは自分の娘たちをヨーロッパの貴族に輿入れさせ、王侯貴族との繋がりを持とうとしたわけである。一方で、経済的に困窮していたヨーロッパの没落貴族たちは彼女たちの持参金を目当てに婚姻を結ぼうとした。19世紀から20世紀にかけて、そんな大西洋を越える政略結婚が行われていたという。前述のグラディス・ヴァンダーヴィルトやジェニー・ジェロームも、アメリカから渡ってきた花嫁たちの一人なのだ。


 さて、このことを踏まえて、今一度「Karl-Ludwig’s Window」を読み直すと、イサドラ兄妹が米国人であると仮定すれば、実家が金持ちである点やクルトとの婚約などはすっきりとする。また、偉い地位にいるイサドラの伯母なども有力貴族に嫁いだ富豪の娘なのだろう。つまり、米国の富豪の娘であるイサドラ嬢は海を越えて、由緒あるオーストリア貴族のクルト・フォン・ヤクトシュタインに嫁ごうとしているわけである。ただ、古い家系とは言っても、花嫁の実家の資産にこだわる伯爵夫人の言動をみるに、フォン・ヤクトシュタイン家も没落の兆しが見えているようだ。また、ラベル男爵のような成金が爵位を得て、旧家の貴族と肩を並べて話しているあたり、当時のヨーロッパの貴族たちの地盤が今にも崩れそうな状況にあったことは想像に難くない。


 ここで「Karl-Ludwig’s Window」の舞台や時代背景というものが、解き明かされたように思える。だが、まだ一点、わからないことがある。それはクルトが最期の言葉を伝えたかった「あの人」が誰か、ということだ。話しの流れでは、イサドラの伯母の周囲にいる人間のようだが……いや、どういった身分の人間なのか、全く見当もつかない。お手上げだ。サキのことだから、「The Death-Trap」と同じようにこの「Karl-Ludwig’s Window」も何らかの実在の事件をモチーフにしているんだろうと邪推していたが、全く以て分からない。「あの人」の正体とやらが分かれば全て氷解するのだろうが、駄目だ、お手上げである。なので、非常に悩ましいが、物語の追跡はここで一端、筆を置くことする。(オーストリア大公ルドルフと愛人マリー・フォン・ヴェッツェラが謎の死を遂げた1889年のマイヤーリンク事件なども着想の一つにあったんじゃないかと邪推しているが、確たる証拠はないし、論理的な推測も出来ない。)


 さて、ここまでの推測を元に作成した登場人物の相関図は次の通りである。


挿絵(By みてみん)



 いや、しかし、この戯曲をはじめに読んだときは、当時の英王室を揶揄したものだと、私は思っていた。つまり、ヤクトシュタイン伯爵夫人はヴィクトリア女王で、彼女の相談役である成金貴族のラベル男爵はディズレーリだ。そして一族を破滅に追いやるクルト・フォン・ヤクトシュタインは、ヴィクトリア女王の頭を悩ませていた皇太子エドワードをモデルにしているように見える。「バーティ」と呼ばれた皇太子エドワードの放埓さは老ヴィクトリア女王の悩みの種であり、彼のスキャンダラスな行動は国内外に広く知れ渡っていた。女癖もよろしくなく、一人の女性が原因となり、ランドルフ・チャーチル卿に決闘を申し込んだこともある。

 サキは英国のこの放蕩な皇太子の姿を、遠くヨーロッパの片田舎の物語として書き上げたのではないだろうか。もちろん、これは何の証拠もない個人的な見解にすぎないのだが……。




 さて、最後になるが、前述のRothey Reynoldsの序文にこんな一節がある。


 “サキが愛していたのは、人生の束の間の美しさなのだ。かつて、彼は言っていた。『僕が大事にしているものはたった一つだけなんだ、それは若さというものだよ』と。”


「Karl-Ludwig’s Window」や「The Death-Trap」で、生を渇望し思い悩む若者たちの姿に、サキは人生の一瞬の美しさを見出そうとしたのではないだろうか。そう素人考えながらに思うのであった。




 2017年3月20日 着地した鶏。


註1:現在のミャンマー連邦共和国ラカイン州シットウェ

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