転換点6
飛んだ先は大きな屋敷。
豪邸と呼んでもまだ足りない。
規格外。
常識の埒外。
およそ豪邸と聞いてヤーさんの御屋敷を想起させたならその数十倍の規模だ。
セカンドアース内においても地価は発生するし利権としがらみもまた同じ。
ある程度現実より自由とはいえ勝手に飛んではいけない場所もある。
この屋敷はその一つだ。
「大きいですね……」
屋敷の門を前にして夏美はたじろいでいるらしかった。
アバターの赤い長髪が困惑に揺れる。
「じゃ、入ろっか」
そう言って僕は門をノックする。
一応ベルはあるけど僕の場合は必要ない。
コンコンと門を叩くと自動的に開いた。
そして夏美の手を握って中に入る。
視界に飛び込んできたのは季節に咲く花々。
それが一面に広がっている。
「すご……」
夏美が目を丸くした。
「綺麗だよねぇ」
「ですです」
と、
「ウィータ!」
花畑から女の子が飛び出してきた。
少女と幼女の間。
十四歳の思春期真っ盛りの女の子。
髪はブロンドのロングヘアー。
瞳はサファイアの様に貴重な蒼。
そしてスットントンの体を隠さない白いワンピースを着て、頭には花冠を冠している。
名をアリスと云う。
「やあアリス。いつもいつも君は可愛いね」
「ウィータも格好いいよ!」
「ありがと」
そして僕はアリスの頬にキスをした。
アリスも僕の頬にキスをする。
夏美が不審がった。
「ウィータって?」
「僕のここでのあだ名みたいなもの……かな?」
「ここはどこ?」
「国はイギリス。局地的に言えばとあるお金持ちの屋敷でアリスはそこの娘ってわけ」
正確にはもう少し事情が込み合っているのだけどプレッシャーを与えるのも何なので黙っておく。
「ウィータ! 遊んでくれる?」
「それはまた今度。公爵はいる?」
「お爺様ならログインしてくれてるよ!」
「ありがと」
クシャクシャとアリスの頭を撫でる。
「えへへぇ」
アリスは機嫌よく笑うのだった。
それから僕と夏美とアリスはプレジデントに乗って花畑に舗装された道を踏破する。
別に飛んでも良いんだけど形式美と云う奴だ。
屋敷に到着すると使用人(アバターだけど)が誘導してくれて僕らは中に入る。
「やぁウィータ。よく来てくれたね」
「すみません公爵。友誼を都合よく利用する愚かしさに目を瞑ってくだされば幸いです」
「ははは。ウィータらしいね。でもそこには認識の齟齬があるよ。むしろ恩を受けたのは私の方だ。ウィータは幾らでも私に重荷を背負わせてくれていいんだよ?」
「恐縮です」
一礼。
「そちらのお嬢さんがミス信濃か。よろしく」
「お招きくださり恐縮です。公爵」
一応プレジデントの中でエイブラハムのことは公爵と呼ぶように伝えてある。
「では歓迎しよう。ついてきたまえ」
そう言って公爵は僕らを誘導する。
無論アリスも一緒だ。
「なんで公爵と知り合いなの?」
「色々あってね」
それは僕の口から語るべきことではない。
通されたのは食堂。
無駄に広い空間とテーブルにて歓迎される。
公爵が上座に身を置き、その傍に僕と夏美とアリスが座る。
使用人が現れて僕らに(データ上の)スープを振る舞った。
「あの……」
とこれは夏美。
「まことに申し訳ありませんが食欲ないです……」
傷心中の乙女心においては喉の通りが悪くなるのは必然だ。
「まぁスープだけでも飲んでみんさい」
とこれは僕。
「…………」
スープなら飲むだけなのだから、とスプーンですくって一口。
「……っ!」
夏美は絶句した。
「おい……しい……!」
まぁ百ドルほどするスープを飲んで不味かったらそっちの方が詐欺だけど。
傷心による食欲減退なぞ吹き飛んでしまったかのように夏美は一心不乱にスープをすくった。
「うむ。美味しいならばよかったよ」
憑りつかれた様にスープを飲む夏美に公爵も満足げだ。
それからも次々と料理が運ばれてくる。
フォアグラのステーキやサーモンとキャビアのカルパッチョやトリュフ添えのパスタなどなど。
一般市民が体験することも難しい料理ばかりだ。
心的外傷による食欲不振を柵越えホームラン。
出てくる料理出てくる料理……夏美は食べて食べて食べ尽くした。
最後に紅茶を飲んで、
「ふわぁ」
と夢心地。
「どうだったかな?」
「夢のようです」
「畏れ入るね」
カラカラと笑う公爵だった。
僕はグイと紅茶を飲み干すと、
「公爵。屋敷内を歩き回っても?」
「構わないよ」
「恐縮です。じゃあ夏美……行こう」
「どこに?」
「屋敷の散策」
そして僕は躊躇う夏美の手を取って屋敷内を歩き回る。
とは言っても内部ではなく外縁を、だ。
「尊ぶべき言葉も見つかりません……」
それが屋敷を歩き回った夏美の感想だった。
古今東西の豪邸の庭を区画ごとに分けて再現しているのだ。
今いるのは完璧な左右対称に造られた花の庭を一望できる縁側。
僕と夏美はそんな縁側に腰を下ろして手入れの行き届いた庭を見て感動に浸るのだった。
どれだけそうしていたろう。
「春雉」
屋敷の縁側に座り込んでいる僕に隣で座り込んでいる夏美が名を呼んだ。
「何でっしゃろ?」
なるたけ道化を演じる僕。
「ありがとね」
「恨まれる筋合いだけどなぁ」
鼻頭を掻く。
「たしかに墨洲くんの本音は辛かったけど……でも知らずにいて良かったとはとても思えない」
それには同意。
「私は貧乳だから墨洲くんには見初められなかった……」
「おっぱい星人だからなぁ彼……」
「だからありがとね」
何が?
「墨洲くんの本音を教えてくれて」
「僕を恨んでないの?」
「むしろ感謝してる。先にも言ったけどありがとう。美味しい御飯と素晴らしい景色を見せてくれてありがとう。本当は公爵に口利きするのだって後ろめたいんでしょ?」
やはは。
そこまでバレてるか。
「まぁアフターフォローくらいはするさ。でも夏美?」
「なぁに?」
「我慢しなくていいんだよ?」
「我慢なんて……っ」
「だいたい見ればわかっちゃうんだよね。夏美はまだ総一郎が好きで好きでしょうがない」
「だって……それは……っ」
ポロリと……データ上の涙を流す夏美。
「うう……うええ……うええええ……!」
ギュッと僕のジャケットを掴んで泣き出す夏美。
「私……墨洲くんが優しいって思ってた! 優しくされたことが嬉しかった!」
「うん」
「きっと墨洲くんは優しい人だと思ってた!」
「うん」
「でも本当は違った! 墨洲くんの優しさは欺瞞だった! 私じゃなくて信濃夏美の偶像に唾を付けたいだけだった!」
「うん」
「悔しいよ! 悲しいよ! 辛いよ!」
「うん」
「私はどうすれば……っ」
「そういう時はね。美味しいご飯を食べて、荘厳な風景を見て、誰かに八つ当たりすればいいんだよ」
「春雉の馬鹿!」
「うん」
「私に残酷な真実を突きつけるなんて!」
「言い訳の余地も無いね」
「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」
「甘んじて受けよう」
「馬鹿ぁ……」
「ごめんね」
僕のジャケットで涙を拭う夏美の頭を撫でる。
「ごめん。謝って許されるとは思ってないけど……」
「春雉なんて……大嫌い……」
「うん」
「私……これからどうすれば……!」
それに対しての回答を僕は持っていない。
「春雉の馬鹿……っ」
そして夏美は僕のジャケットをハンカチ代わりにめそめそと泣きつづけるのだった。
「まったくもって……」
業が深いなぁ。




