充足と虚無の境界線4
そしてお盆。
教師の数少ない連休が来た。
ついでにコミマの開催日。
ケイオスはわくわくしていた。
七糸もある程度慣れたのか。
とりあえず初期の抵抗感はぬぐい去っていた。
「こういう世界もある」
そんな感情。
そんな価値観。
サブカルの文化に触れて、
「なるほど」
と首肯する。
元よりデッサン力は秀逸だ。
であれば、
「適確に魅力を絵で再現」
はむしろ十八番だろう。
家出して我が家に住み着いてからというもの……私とケイオスのオタク文化レクチャーを受け続けて価値観に変異が発生したらしい。
色々とアニメッとした絵を描いてケイオスを喜ばせている。
ある種の才能ではあるが、その分だけ画家としての道のりが遠のいている気もする。
画家は『美しい物を描く』職業で、イラストレーターは『楽しい物を描く』職業と云える。
感性的には、
「どちらが上か?」
という議論は無いが、
「何か間違っている様な?」
との疑念も無いでは無い。
当人が良いなら口を挟む事でも無いのだけど。
「これなんかどうです?」
電子アトリエでサブカルのイラストを描いてケイオスに見せる七糸。
「わお」
と興奮するケイオス。
案外この二人は能動と受動に於いていいコンビなのかも知れない。
苦笑を誘う。
「可愛いです!」
絶賛。
「何でしたら年末のコミマはサークル参加しませんか? こちらでゴリ押ししますけど?」
そんなくだらないことに権力使わんでも。
そうは思うがケイオスの言葉に冗談の類は存在しない。
ケイオスが監修して七糸が絵を描くなら……なるほど良い同人誌が出来るかも知れない。
「えと……」
だいたい七糸の心境も同じらしい。
問題は、
「当初の夢と大幅にファウルラインがずれる」
という一点だろう。
画家が目的だ。
イラストレーターとしての名が売れてもソレは目的に直結しない。
七糸の困惑はそんなところ。
まぁいいんだけど。
私はクーラーの効いた部屋でホケーッと二人のやりとりを聞いていた。
今のところやる事は無い。
セカンドアースのお台場もアクセス時間が決まっているため、それ以前はどうしようもないのだ。
「須磨先生」
「はいはい」
何でがしょ?
「色々と道を踏み外している気がするのですけど……」
「でしょうね」
「絵画は同人では売れませんか?」
「まぁ無理ね」
そもそも方向性が違う。
バスケット選手に大リーグで活躍しろと言う様な物だ。
「感性で勝負する」
という点では等しいけど、距離としては結構な差がある。
先述したが絵画は、
「絵師の美しいと思う物」
を世界に出力する。
イラストレーターは、
「皆が喜ぶ絵」
を世界に出力する。
前提としては乖離しているが共通性も無いではない。
デッサンの必要性はどちらにもある。
尚絵画とて主義主張に流行がある。
逆にサブカルのイラストも水物ではあれど鉄板という物も存在する。
こう云うと、
「どちらが勝っているか?」
という疑問は水掛け論になれど、基本的に客層が違う。
「誰が何を求めるか」
別に絵の世界だけではなくマーケティングの問題だろう。
売れるのならどちらでも良いし、そう云う意味では七糸がどちらを選んでも卑屈になる理由も無い。
「先生はどっちが好きです?」
「私の意見はあまり参考にならないと思うのですけど……」
審美眼は備わっていない。
「本意として」
「どっちでもいい」
「適当じゃないですかぁ」
「そうでもないけどね」
サクッと言う。
「実際にハナカマキリの絵画も綺麗だったし、さっき描いたアニメ絵も愛らしかったし、技術については文句なしなんだから……後は自身の目指す方向性次第じゃないかしら?」
「私としては技術だけ先立ってて感性が足りないと思っているのですけど……」
「画家特有のコンプレックスね」
技術と感性の両立性は絵画に関わる人間の懊悩だ。
「自分だけの絵を描けるか否か?」
ある種のテーゼだ。
「いっそ両立するのも手ね」
無責任に私は言った。
けども芸能人でありながら画家を並行している人間もいる。
画家とイラストレーターを両立するのも一種の方向性なのではなかろうか?




