絵心人知らず2
仕事を切り上げて部屋に帰る。
事情自体は学園長に説明しているため問題も無い。
基本的に古書館の仕事は教師による監視が目的であるため代替は出来る。
監視……と云う言葉を使うと重く取られがちだが、要するに地蔵の様な役割だ。
ずぶ濡れの七糸を自室の浴室に放り込んで私はケイオスと茶をしばいた。
シャワーの音が止まる。
衣擦れの音がしてタオルで髪を拭きながら色っぽい七糸が姿を現わす。
シャツは私のを貸して、ショーツはケイオスのを貸してある。
雨に濡れた七糸の服はブルーハート財閥の使用人が責任持ってクリーニング。
「紅茶と緑茶とコーヒー……どれがいい? 後はココアとチョコレートもあるけど」
「緑茶で」
「アイマム」
そんなわけで緑茶を用意して渡す。
注釈として、
「使用人が」
と表現せねばならないけど。
私はコーヒーを飲んでいる。
ケイオスと七糸が緑茶。
とりあえずはダイニングで席について。
「落ち着いた?」
私が聞く。
眼鏡のブリッジを押し上げながら。
「ぅ……」
ホロホロと泣かれる。
時間はあるので急かしたりはしない。
「ま、話したくないならいいんだけどね」
私は平坦に言葉を紡ぐ。
「特に気にしてない」
そういう意思表明だ。
心配げな言葉をかけてやるほど善人ではない。
「気を遣われている」
と思わせる事による後ろめたさの発生を嫌った……とも云える。
しばし七糸は泣き続けた。
私はコーヒーを淡々と飲む。
ケイオスは緑茶を。
ピコンと電子音。
ケイオスからだ。
プライベートチャット。
「先生はその……」
「七糸ね。六菱七糸」
「七糸さんの事情に首を突っ込むんですか?」
「それは相手次第」
「むぅ」
不満そうだった。
私としてはそんなケイオスの嫉妬も愛らしいけど。
「…………」
流した涙をタオルで拭って、それから七糸は緑茶を一気飲み。
そして、
「須磨先生」
と私を呼んだ。
「なんでございましょ?」
「先生は……なんで司書教諭になったんですか?」
「暇潰し」
即答した。
「…………」
あっけらかんの妖精が室内を飛び回った。
おそらく見えない角度からのボディブローだったのだろう。
少し七糸の目が細められる。
「教師である事に誇りを持ってはいないのですか?」
「極論ではあるけどね」
仮にそうではなかったら今頃古書館は整理整頓されている。
「本が」
ではなく、
「乙女の暴走が」
だけど。
「やる気の無い須磨先生」
それが乙女の園を利用する青春暴走生徒の評価だ。
「先生は夢を持った事は無いのですか?」
「無い……とは言わないけど」
基本的に叶った類で、しかも今も継続中。
「夢追い人か?」
と問われると首を傾げざるを得ない。
そんな大層で煌びやかな代物では無かったりする。
「無欲なんですね」
「ある種のね」
コーヒーを飲む。
「それで? どうしてあんなところに?」
まさか『雨に唄えば』に触発されたわけでもなかろう。
「どうしていいか……どうすればいいのか……」
「…………」
「自分でも分からなくなりました」
主語が抜けているけど急かす事もない。
多分夢に関連してるんだろうけど。
「須磨先生は知っていますよね」
何を?
「私の……夢……」
「画家だっけ?」
「はい」
自分が美しいと思った物を絵画として出力する。
自分の世界を誰かに共感して欲しい。
世界がこんなにも美しい。
それを表現する手段として七糸は絵を選んだ。
「駄目って言われました」
儚い声でそう七糸は呟いた。




