最終話
「ぬらちゃん…いいの?」
「ああ、ようやっと決心がついた。」
着物の襟に勢いよく手を突っ込むと、ずるりと鎖を手繰り寄せ、赤い宝石を引きずり出した。首から外して鎖を掴んで腕を突き出す。ピンと張った銀色の先で、重力に負けた宝石がブラブラと揺れている。
「全員に食えとは言わんよ。帰る者がおるならこれを託そう。どうか、受け取ってくれ。」
長い沈黙だった。みんな揃って体の所有権を奪われたかのように動かない。
「ほれ、遠慮は要らんよ。」
困ったぬらりひょんさんが拳を差し出す。それでも石のように固まった皆は動かない。子供達でさえ身じろぎ一つしなかった。
「まったく…」
ふっ、と呆れたようなため息を一つ吐くと、いつもの仏頂面を携えて、大天狗さんがゆっくり立ち上がって一歩前に出た。
「あなたという人は…いつもいつも大事な時に限って独りよがりなんですから。」
ペンダントを受け取ると、大ぶりの石と腐れ縁の友人の頭を交互に見つめ、ため息をまた一つ。
「ミス・リュアの声掛けの元、出会った時もそうでしたね。貴重な食べ物はみんなで分けろ、なんて偉そうなことをのたまいながら真っ先にぶっ倒れて…あの時は皆であなたの口に押し込んだんでしたっけ。」
昔の思い出を語る大天狗さんの声は、いつになく柔らかく、心なしか笑っているようにも見えた。周りで聞いていた他の妖怪達も、懐かしそうに目を細めている。
「皆、あの時から決めていたんですよ。何があろうとあなたについて行こうって。」
右手の宝石を包み込むように握ると、周りの妖怪たちと目を合わせる。彼らは何も言わずにただ頷いた。
「だからヨミ様、ここでお別れです。」
さようなら、と声にならない別れを告げた後、右手に強く力を込める。堅そうだった宝石は、ガラスのような軽い音を立ててあっけなく砕けてしまった。宙に放り出された破片は、空気に溶け込むようにさらさらと消え、鎖の部分も用済みとばかりに端から消えていった。
「…桃、切ってくるわね。」
「お願いします。」
リュアさんが厨房へ消えると、あっけにとられていた総大将がパクパクと口を動かし始めた。
「本当に、良かっ」
「わーい! ぼく、こっちの桃食べるの初めて!」「ぼくもぼくも! どんな味がするのかなあ?」
「我らも初めてだが、少なくとも血の味はしないんじゃないか?」
やっとの思いで声を出したであろう、ぬらりひょんさんの声をかき消すかのように、まだ見ぬグローリアの味に思いを馳せるみんな。向こうの桃って血の味とかするんだ…
「いいんですよこれで。半端者が道を決めただけです。」
暴れまわる子供達の頭を撫でながら、いつもの調子で言い切る大天狗さん。まだ何かを言おうとしてい他みたいだけど、口に出す前にリュアさんが大皿を抱えて戻ってきた。
「はーい、お待ちかねの桃よ。昨日のケーキも一応持ってきたけど、いかが?」
「やったー! おねーちゃんも食べれるよね?」「食べるよね?」
もちろん、と言いかけた時、私は慌てて携帯を取り出した。色々なことがありすぎて門限のことをすっかり忘れていた。カーテン越しの外は依然明るいが、夏は油断ならない。画面に映るデジタル時計を見ようとしたのだが、木曜日の17時2分を指したまま動かない。もしかして、ヘリヤに行ったときにおかしくなってしまったんだろうか。
「時間なら大丈夫じゃろう。」
いつもの調子に戻ったのか、ぬらりひょんさんは私の携帯をひょいと覗くと顎を撫でた。
「何せ、止まっておるからな。」
骨ばった指先で窓の方を指す。窓辺に立っていた大天狗さんが青いカーテンをたくし上げ空いた手で私を招く。近寄って覗いてみると、予想通り真っ青な空。に、雲が流れていなかった。森の木々も風に揺られる様子はない。地面には茶色いうさぎが躍動感あるポーズで浮いていた。
「おそらく証を壊した影響でしょう。この店以外が止まっているようですし、玄関から出れば元に戻ると思いますが…どうしますか?」
「まだ…みんなと居たい、です。」
ポカンと開いた口は、無意識のうちに、そう零していた。
そのあとは桃を中心にみんなが食べたがった料理に舌鼓を打った。お腹がいっぱいになったらやたらと誇張の激しいみんなの昔話に耳を傾け、ひと眠りしてからまた食べる。子供達と手遊びをしたり、お店の隅に置いてあった将棋盤を借りて、ルールを教わって指してみたり。
お店のメニューを一通り試すとみんな満足したようで、全員そろって熱々の緑茶で一息ついていた。大天狗さんとぬらりひょんさんだけは相当な猫舌らしく、リュアさんと私の湯呑が半分空いても口をつけなかった。
「いやぁ、食った食った。」
「ふふ、皆の食べっぷりがよかったから、お姉さんもつい張り切っちゃったわ。もうお店も空っぽよ。」
「棗さんの料理の腕もだいぶ上がりましたよね。」
食べてるだけなのは何だか申し訳ないからと、途中からリュアさんの手伝いを申し出ていた。最初は皿洗い程度のつもりだったのだが、リュアさんに勧められて調理の手伝いもするようになった。リュアさんの教え方が分かりやすくて、野菜の皮むきの必要性すら知らなかった私でも、最終的に1人でハンバーグと数種類の料理が作れるレベルになっていた。
「棗ちゃんの覚えが早くて助かったわ。後半なんて私がもう一人いるのかと思っちゃったもの。」
「あ、ありがとうございます…」
「もういっそ、うちで働いてくれないかしら?」
「っ!?」
湯呑を傾けたままむせてしまった。お茶を口に含む前でよかったと、大天狗さんに背中をさすってもらいながら思った。
「なんてね? って言う機会、逃しちゃったじゃない。」
クスクスと笑うリュアさんの横で、何やら真剣に悩みだすぬらりひょんさん。枯草色の着物の上に、今は紺色の羽織を着ている。そういえばリュアさんたちって出会ってからほとんど服装が変わっていないような…
「…案外良いかもしれんぞ?」
「え?」
ようやく呼吸が整った私を見ると、悪戯な笑みを浮かべた。
「ワシが言うことではないかもしれんが…棗ちゃん、ロジーナで働いたらどうじゃ?」
「…なるほど、アルバイトならここに通う理由になりますもんね。」
確かに、毎回放課後に急ぎ足でお店に来て、門限ぎりぎりまで過ごしていたら両親や友達に怪しまれてしまう。これからもなるべく毎日みんなに会いたいし、この問題は早めに対処したいところだ。仕事をしに来ているのならば文句を言う人は多分いないと思う。ただ…
「お母さんが許してくれるかな…? それに、リュアさんの迷惑になったら…」
「まったく、棗ちゃんは心配性なんだから。お姉さんはむしろ大歓迎よ?」
「ご両親ならきっと許してくださるじゃろう。」
何せ、ワシらがついておるからの。そう言って今度は悪い顔になった。
「まあ、こういうのはバレなきゃいいんですよ。」
「身も心もこっちに染まったワシらじゃからな、違和感を感じることはあるまい。」
一体何をするつもりなんだろう。
「あんまり…やりすぎないでくださいね?」
どれだけ苦手でも唯一の両親なのだ。バイト一つのせいでおかしくなった、なんてことになったら恐ろしい。二人は当たり前、と言わんばかりに頷いた。
「何年、何百年ヒトに悪戯してきたと思っとるんじゃ。その辺の加減は忘れ取らんよ。」
「私はしていませんがね。」
「むぅ…ちょいと姿を現すだけで有名になったからって天狗になりおって…」
「そりゃあ、天狗ですから。」
「きぃーーー!!!」
心なしか、大天狗さんの鼻が伸びてるような…?
何にせよ声を出して笑う大天狗さんを初めて見た気がする。景気のいい「カッカッカ。」という笑い声に、思わず私も笑ってしまった。
「棗ちゃんまで…まあ良い、善は急げじゃ。さっさとアルバイトの許可を得に行こうか。」
壁際で寝ていた一反木綿さん他、何人かの妖怪に声をかける。
「では、棗さんは先に帰っていてください。後は我々が。」
こくりと頷いて鞄を肩にかけた。
「一応、履歴書とか書いた方がいいですか?」
「どちらでもいいけど…それっぽくしておかないと怪しまれちゃうものね。」
なら途中で文房具屋さんに寄らないと。帰り道の途中だし、今日は門限に間に合うだろう。
「それじゃあ…また明日!」
ドアを開けると、久々に夏風とセミの声がお店になだれ込んでくる。世界は何事もなかったかのように動き出した。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
何かと拙い文章ではあったと思いますが、彼女らの魅力が少しでも伝われば幸いです。