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第二話

 玄関の扉をそろりと開ける。

「ただいま…」

「棗! 今何時だと思ってるの!」

 キッチンの方からお母さんの怒鳴り声が聞こえる。今は6時30分ちょっと、怒られないわけがない。

「ご飯出来ているから手洗いうがいだけして席に着きなさい!」

 洗面所に寄ってからダイニングに向かうと、お父さんが新聞を読んでいた。

「…ただいま帰りました。」

「…」

 お父さんは私を一瞥して、再び視線を新聞に戻した。

 お母さんが洗い物を終え、家族全員席に着くと、手を合わせて食べ始める。

 長い沈黙。一日の中で一番苦しい時間が始まった。

「…この前の試験の結果、どうだったんだ。」

 黙って鞄から成績表を取り出して、お父さんに渡す。一通り目を通したのか、今度はそれを何も言わずにお母さんに回す。

「入った時より成績落ちてるじゃない! そんなんじゃ志望してる大学に受からないわよ? お父さんはあなたのために、わざわざ頭のいい私立高校の学費払ってくれてるんだから少しはそれに報いたいとは思わないの?」

「…思ってます。」

「だったら今日みたいに門限を破ったりして、お父さんとお母さんを心配させないでちょうだい。」

「ごめんなさい…」

「分かればいいのよ、分かれば。ところで今日はどうして遅くなったの? またオバケでも追いかけてたの?」

「…友達と…遊んでた。」

 途中まではその予定だったし嘘じゃないよね。

「友達? 棗、あなたやっとお友達が出来たの? やっぱり嘘をつくのをやめたおかげかしらね。」

 嘘じゃない。そんな言葉を飲み込み、黙々と出されたものを口に詰め込む。

「…ごちそうさまでした。」

 鞄を持って二階へ続く階段を登った。

 途中で今朝、家を出る時に消していったはずの明かりが、自室への入り口から漏れていることに気がついた。

 消したこと自体勘違いだったのかな…いや、それならお母さんが気付いて消しているはず、それに夕飯の時に小言の1つも飛んできていない。

 恐る恐るドアを開けると、見覚えのある人影が1つ。

「いやー、棗ちゃんのお母さんはおっかないのう。」

 部屋の中央のテーブルでぬらりひょんさんがお茶を啜っていた。

「な、なんでうちにいるんですか!?」

「そりゃあ簡単な話、ぬらりひょんという妖怪はヒトの家に勝手に上がることが出来る妖怪じゃからな。棗ちゃんの後をつけてドアを開けたときに滑り込んだのじゃよ。」

「だから大天狗さんが空き巣って…」

 つけられてたことを考えるとストーカーの方が正しい気がしてきた。

「ヒトがおるタイミングであがっとるし、空き巣じゃあないて。まあ、そんなことより随分と…なんというか…凄まじいお母さんじゃの。」

「どこから見てたんですか?」

「さてのう。どこじゃったか…」

 ぬらりひょんさんは口元を少し緩めて湯呑を回す。

「…私のせいなんです。」

「うん?」

 私の口は、ぽつりぽつりと語り始めた。

「まだこっちに来る前、都会の方で暮らしてたんですけど、小さい頃から妖怪が見えるって言いふらしていて、周りから気味悪がられて避けられていたんです。お母さんはそれで近所の人に笑われていたらしくて、口には出さなかったんですけど、ずっと私のこと嫌ってたんだと思います。」

 ぬらりひょんさんは何も言わずに聞いていた。

「中学に上がったころにはさすがにそういう話はしていなかったんですけど、昔のことをほじくり返してくる人が多くて…ついにお母さんが耐え切れなくなったんです。それで、見かねたお父さんがもっと静かな場所でやり直そうって言ってくれて、こっちに来たんです。」

「ここは暮らすのに困らない程度に静かじゃからなあ。療養も兼ねておるなら良い環境よな。」

 お父上は良い判断をしたものだと頷くぬらりひょんさん。学校が今通っている辺鄙な場所にある私立校しかない点を除けばスーパーやコンビニはそれなりに近くにあるし、電車一本で大きな街に行けるのも魅力だと思う。何を祀っているのかわからない神社や森の中にある魔女っぽい人がやっているレストランの様に変わったものもあるが、確かに良い町だと思う。お母さんの調子が元に戻ったのは町の雰囲気のおかげもある気がする。

「して、こっちに来てからはワシらのことは見て見ぬふりをして暮らしていたと。」

「というか、引っ越したのが中学3年の夏休みだったので受験勉強でそれどころじゃなかったんです。時期が時期なだけにクラスにもあまり馴染めなくて話す相手がいなかったですし。」

 優豆高校はそれなりに偏差値も高く、癖のある問題をよく出すので苦労したものだ。

「なるほどなあ…成績が落ちてる、というのは?」

「高校に入ってから友達が出来たのは良かったんですけど皆の好きなものとか流行とかについていけなくて、そっちの勉強ばっかりしてたらこんなことに…」

 痛いところを突かれてしまった。ぬらりひょんさんから目を逸らしてぼそぼそと誤魔化した。

「そうかそうか、棗ちゃんも大変じゃのう。」

 ぬらりひょんさんはなぜか楽しそうにニヤニヤと笑っている。昔アニメで見た不思議の国のアリスのチェシャ猫のようだ。

「若いもんの流行りはさっぱりじゃが、勉学の方は大天狗が得意じゃったはず。明日教えてもらったらどうじゃ? リュアちゃんも世界を長いこと巡っていただけあって色々詳しいぞい。もちろん子供等と遊んだ後にな。」

 私がリュアさんのお店に行くのが決まっているかのように屈託のない笑顔で聞いてくるぬらりひょんさん。まあ、元々行くつもりだったし教えてもらえるのはありがたい。私はおとなしく頷いた。

「それじゃあ、明日待っとるぞ。」

 立ち上がったぬらりひょんさんはふらりと窓の前に立つ。そういえば湯呑はどこにやったんだろう?

「棗?」

 がらりと窓が開くのと同時に背後のドアが開いた。慌てて振り返るといつものオレンジ色のエプロンを外したお母さんが立っていた。

「お風呂入っていいわよって言いに来たんだけど…誰かと電話でもしてたの?」

「えっと、うん、そんなところ。」

 しどろもどろに答えたせいでお母さんは首を傾げている。ふっ、とその視線が私の背後に向かう。

「窓開けるのはいいけど、ちゃんと網戸は閉めてね。虫とか入ってきちゃうから。」

 ぬらりひょんさんのことを思い出して窓の方を振り返る。枯れ草色の着物を纏ったおじいさんはいつの間にかいなくなっていた。空色のカーテンが絡みつく熱風に煽られて揺れている。

 お母さんの早めに風呂に入るように、との忠告を聞き流しつつ、ぬらりひょんさんは一体何がしたかったんだろうと首を傾げた。




 翌日の放課後、私はクラスの友達に先に帰ると伝えて郊外の森に駆け足で向かった。今日は屋外のテラス席には人も妖怪もいなくてやけに静かだ。窓越しに店内を覗くと、向かい合うぬらりひょんさんと大天狗さんを中心にぐるりと輪っかになっていて、大きな妖怪から子供の妖までやけに神妙な顔をしている。

「…もサキュバスも準備を終えて動き出していますよ。主かヒトか、いい加減結論を出さないと。」

「そんなこと分かっておる…しかし、のう…」

 ドアノブに手をかけると中心の二人のそんな声が聞こえた。妙に歯切れの悪いぬらりひょんさんの言葉に金属の、鎖のチャリチャリという音が絡む。

 真剣な空気を壊していいのか悩んだ末、暫く様子を見ようとドアの前で姿勢を正す。鞄の重さに肩が悲鳴をあげたのでそっと下ろし、地面に置くのは抵抗があったので持ち手を体の前でしっかりと握った。

「いっそ棗さんに」

「それはならん。」

 食い気味に制止の言葉がぴしゃりと飛ぶ。

 私? また何かしてしまったのだろうか。

「あの子にもこちら側の暮らしがある。それに…向こうの奴らからの目もあるじゃろ。」

「…勝利した後、ここの所有権を頂けば」

「天狗。」

 凄みの増した冷たい声にどきりとした。私宛の言葉じゃないと分かっていても体中が恐怖で支配された感じがする。竦んでしまって立つのがやっとだった。

「お主が少しでも我らの地位を上げたいのは分かっておる。しかしな、主は証を渡してただ『選べ』と申した。ヘリヤから逃げてもうずっと向こうに戻らない腰抜けのワシらに対して。」

「…」

「ヨミ様はこんな腰抜けにチャンスを与えて下さった。だからそれに報いるべきだ。大方そう言いたいのじゃろう?確かにそういった解釈も出来るじゃろう。じゃが相手は我らがヘリヤの神。あのお方はただただワシらの総意を望んでおられる。結果がどうなろうともな。ワシらにとってこの世界の何が大切なのか見極めるべきじゃろう。気を急いてはならん…ん?」

 話を遮ったのは、どさりと落ちた私の鞄。いつの間にか腕から力が抜けてしまったらしい。恥ずかしいやら申し訳ないやらの気持ちでいっぱいになりながらドアベルを一つ鳴らして中に入る。

「おねーちゃん!」「ほんとにきてくれたんだ!」

「あの…」

 重い話し合いが終わったと単純に喜ぶ妖の子供達。大きな妖怪はみんな揃って気まずそうにしていた。

「いいんじゃよ、棗ちゃんは何も悪くない。ただその…ちぃっとばかり間が悪かったの。」

 何かを後悔するかのように自嘲気味に笑うぬらりひょんさん。その手には赤い宝石のついたペンダントが握られていた。鎖の音はそれらしい。

 クラスの子にはついていくのが精一杯、母にも妖怪たちにも邪魔者扱いされてしまった。どこに行っても肩身の狭い思いをするんだなぁと、漠然と思った。

「…あれ? そういえばリュアさんは?」

 何かおかしいと思ったら今日は人間もいなければ店主も見ていない。話題を変えるついでに口に出した。

「あ…ああ、ミス・リュアなら買い出しです。そもそも毎週木曜日は定休日なんですよ。」

「それじゃあ私、本当に邪魔だったんじゃ…」

「いや、リュアちゃんは遊びにきて欲しかっただけじゃろうて。」

 ぬらりひょんさんの慰めが私の心に空虚に響く。私が店に入ってから何度目かの沈黙が訪れた。

 ふわりと窓から夏風が入ってきた。近くのテーブルに置いてあった1枚の紙切れが床に落ちる。

「なんだろう…メモ?」

 2つに折りたたまれた小さな紙を広げると食材の名前がびっしりと書かれていた。

「リュアちゃんの買い物メモ、かの…? 忘れるなんて珍しい。」

 これだけの量を買い忘れたら大変なんじゃないだろうか。

「私、届けに行ってきます! 町のスーパーを当たればきっと見つかりますよね。」

 どのお店もここからそう遠くない所にあったはず。鞄を引っ掴んで店を出た。

「いや、棗ちゃん…」

 ぬらりひょんさんが何か言った気がしたがドアの閉まる音にかき消されてしまった。というより、今はあまりあの場所に長居したくなくて、聞こえなかったことにした。

 遊ぶ約束をしていた子供達には悪いことをしてしまったと少し後悔したが、私は振り返ることなく駆け出した。

続かないと思っていたでしょう?

私もです。

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