白い繭と代用品
「私は空から来ました。それは分かると思います。名前は、ランサナル・ヴァージンといいます」
質問会場は再びリビングに。ランサナルとゴウ姉ちゃんが机を挟んで向かい合い、ゴウ姉ちゃんの両サイドに忍とゼッちゃんのが立っている。
「それでランサちゃん。あなたのその怪我は誰かに襲われたのか?」
「私には競争相手がいます。私を探しています。私の『矛』目当て。私と契約しようとします。翼は『矛』と少しだけ同じようにできます。でも相手はもう誰かの『矛』を持っていました。翼じゃ互角ではありません。逃げました、私」
「エッジド、とは何だ」
「えっと、武器です。斬ったり、刺したりできます。ナイフ?カタナ?刃物、針……私とかと契約すると、手から出ます」
「なるほどな……ノブ。出せるか、それ」
なんという無茶振り。忍はゼッちゃんの期待を一身に浴びながら力を込めたり、形を想像したりするが出る気配はない。
「ランサナル、出しかたを教えて」
ランサナラルは首を振った。
「私は分かりません」
「これはアレだ!本人の気持ちに呼応して出るやつだ!」
「案外本当にそうかもしれないね」
忍は改めて自分の左腕を眺めるも、特に変化は無いように見える。
「……仕方がないか。ランサちゃん、ニダラプとやらになったということは、ノブは誰かと戦わなければならない、ということなんだよな?」
「はい。すみません……しのぶは、私の競争相手と戦います」
「その競争相手、というのは具体的にどんなやつなんだ?さっき少しだけ言っていたが……」
「ゼッちゃん分かるよ!ズバリ、同じ天界の人だね?」
「天界って……でもそれって空の上でランサナルを追い回していたんだから当然のような気がする」
ランサナルはこくこくと頷く。
「はい。競争相手は私達の『矛』を壊そうとします。『矛』と『矛』で戦うのです。折ったら勝ちです」
「ちょっと待て。その戦いには規則があるのか?」
ゴウ姉ちゃんの問いかけに、ランサナルは黙ってしまった。しきりに口を開きかけては、閉じる。その動作が適切な言葉を探しているように見えた晴天気家の三人は今までの行動とも重ねて、ランサナルに
(まるでホームステイに来た外国人だ……)
そろって同じ印象を持った。
「規則、法律……原則?あります。えっと……明るい時しか戦えません。あと、突然攻撃するのは一回だけ……お互いの名前を言わないといけません。『矛』を折ったら終わり、後から攻撃はだめです」
「ゲームのようなもの、というわけか」
「そうだろうね。貴族の決闘に近いかな」
「『奇襲攻撃』は一回まで……戦闘前の『自己紹介』……なんたるニンジャ!」
晴天気家の反応は三者三様。姉として弟妹の安全を気にかけるゴウ姉ちゃんに、取り敢えず相づち的に口を開くも大変なことになってきたと内心震える忍と、予想外の『忍抜』要素に興奮するゼッちゃん。
「はい。でも……」
ランサナルは呟くように、しかしはっきりと付け加える。半ば吐き捨てるように。忌々しげに。
「相手を殺すこと。これはありです」
当然であった。
刃物を持ち、相手を攻撃する。血が流れることは明白。
ならば、相手を殺してしまうことだって。
現に殺されかけていたのはランサナルだ。
目の前の女性がなぜここにいるのかを思い出し、晴天気家の面々は背筋を凍らせた。
「……ランサちゃん。ありがとう。じゃあ少なくとも今は相手も襲ってこないのだろう?」
「ええ、おそらく……」
「じゃあ」
ゴウ姉ちゃんがぽん、と手を叩く。
「今日はこれまで。もう夜も遅いし、ランサちゃんも休んだ方が良い。取り敢えず解散、明日のことは明日以降に考えることにしよう」
忍は再び部屋でランサナルと二人きりになった。「本当ならランサちゃんは私の部屋にいた方がノブも楽だろうけど、いざというときランサちゃんを守るのはノブの役目だ。そう約束したんだろ?」というわけである。
「ランサナル、寝心地は良い?」
「はい。とても快適です」
流石に同じ布団で、というわけにもいかないので押し入れから予備の布団を引っ張り出し、忍の隣にランサナルの布団を敷いてある。
「じゃあ、おやすみなさい」
「はい。良い夜を」
忍は目を閉じる。散歩に出たのは今日の夕方のことなのに、ずいぶん昔の様だった。空から落ちてきた素敵な女性、ランサナル。忍は出会ってすぐに恋してしまった自分にいくらなんでも、とも思うがこのままいけば一緒に暮らせるかもと考えると素直に嬉しかった。
「今だって隣に寝ているわけだし……」
目を開け、浮かれた気分で横を見る忍。
しかしそこにあったのはランサナルの素敵な寝顔ではなく、布団の掛かった繭だった。右手を伸ばして触れると硬い感触が返ってきた。
まだ信用されていないらしいと察し、忍は落胆する。しかしなぜこんなにも警戒されているのか、忍には何となく分かっていた。わざとらしいほど紳士的に思えた規則と、ランサナルの怪我の現状から推測した結果である。
ランサナルは説明しなかったが、きっと戦闘の原則には『矛を持たない相手を攻撃しない』といったことが含まれている。それでランサナルは攻撃されると思ってもみなかった相手から不意打ち的に襲われたのだ。つまるところ何らかの『裏切り』があり、それがランサナルの心身ともに大きなダメージを与えているのだろう。他にもまだ、説明が意図的に省かれている規則があるはずだ。
憶測でしかないが、ランサナルが規則を『原則』と言い直したのにはきっとそういう意図がある。
「うまく守れるかな」
不安を胸に、忍は眠りに落ちる。春休みの夜は何事もなく更けていった。
「おはようございます」
「ん?もう起きていたのか」
翌朝。ゴウ姉ちゃんが一人でリビングに居る時に、起き出したランサナルがやってきた。時刻は六時半。忍とゼッちゃんは未だ熟睡中である。
固まった筋肉をんぐ~っと伸ばすランサナル。手足のみならず翼までしっかりぴんと伸ばしているのを見ると、ゴウ姉ちゃんにはやはりランサナルが普通の人間にしか思えなかった。ただ翼がついただけ、という感覚である。
「ああ、失礼でした。習慣?癖、なんです。怒りましたか?」
「いやいや、これくらいのことで私らは怒らないよ。むしろ可愛いなぁと思っていたくらいだ。にしたってランサちゃんは早起きだな。体の怪我は大丈夫か?ノブもゼツもまだ寝ているのに、しっかりと休憩をとらないと治るものも治らないぞ」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。私たち、傷は治りやすいです」
ランサナルはペコリと頭を下げる。その頭に天使の輪らしきものは見当たらない。ゴウ姉ちゃんの想像図していた天使との共通項は翼があることと全裸だったことくらいであった。
「こんな子に刃物で襲いかかる変態が居るとはねぇ……」
ゴウ姉ちゃんは思わず呟く。一体どんなやつかは分からないが、怒りがわき出て留まらない。ゴウ姉ちゃんは晴天気家の中で一番正義感が強いのだ。もちろん年相応の分別はあるので、今ここでランサナルに対し不機嫌を見せるようなことはしない。
「よし、じゃあランサちゃん。さすがに怪我のことを考えるとまだお風呂には入れないけど、洗面台で顔を洗ってきなよ。今日は私が朝ごはんの当番だから、顔を洗って着替えたらちょっと手伝ってもらおうかな」
「料理ですか。分かりました。ところでせんめんだい、とは何でしょう?」
「あっちゃ、分かんないか。ついてきて。使い方も教えるよ」
レバーを上げたら水が出る。下げたら止まる。
ランサナルには簡単な説明さえ受けたら何でもできる自信がある。現に今一通り顔を洗って清潔感を取り戻したし、人との会話も通じているようだ。それにようやく『盾』との契約もできた。
誤算があるとすれば予想以上に逃亡時に受けた傷が深かったことと、『針』を使わない人と契約することがあのような激痛を伴うとは知らなかったことだ。この世の終わりかと思うほど痛かった。
ランサナルは改めて、鏡で自分の顔を見る。
自分がここまでやってきたこと。
その意味を、もう一度心に叩き込む。
そのとき、鏡の自分の顔が歪み始めた。鏡は虹色に濁っていき、だんだんと浮かび上がってきたのはある男の姿。細い目、尖った耳と鼻。いつもにやついている、気持ちの悪い顔。
『実に面白い格好だなランサナル。恵んでもらったのか?』
『そういえばあなたは鏡呪術が得意だったわね。本当に気持ちの悪い特技だこと。覗きだなんて、ここの人たちでもよっぽどの変態しかしないのに』
『おやおや、いきなり手厳しいねぇ。君はきっとそこの下品な言葉にどっぷり浸かって、こっちの言葉を忘れている頃だと思っていたけれど、まだ話せるんだな。さすが、優秀なランサナル。その生意気な口に今すぐにでも詰め物をしたい気分だ』
男の語調には憎しみが込められている。それはランサナルにもじゅうぶん分かっていた。こっちに降りてきてまでしつこく追い回してくるこの男は非常に自尊心が高い。自分の契約した女の『矛』を使えないと判断するやいなやランサナルを、つまりはランサナルの『矛』の性質を求めて襲いかかってきたのだ。
『こうして会話できているんだから盾は見つかったんだろ?優秀なランサナルは望み通り、そっちの下等と契約したんだよな。ならば俺と手合わせ願おうじゃないか。規則に則って、決闘を申し込む』
『無防備だった私を散々追い回しておいて今更規則とは、冗談の質が最悪だわ。どれだけ心が腐っているのかしら。だから嫌なの、あなたに私の矛を貸すのは』
『人聞きの悪いことを言うなよ、ランサナル。せっかく清らかなる天使たる俺がお前のその下界で穢れたカラダを借りてやろうってのに』
『用が済んだならさっさと消えてくれる?』
『おお、怖い怖い。これだから耳の短いやつらは。逃げるんじゃないぞ。でないと優秀な矛が手に入らないからな、はっはっはっ!』
男が透けていくと同時に鏡は元に戻った。鏡に映った自分の耳は確かに長くはない。でもだから何だというのだ。一体それのどこが悪いのか。
『ちくしょう……』
涙がこぼれそうになったが、どうにか押し止めた。この悔しさは今洗い流してはならない。
ランサナルはもう一度顔を洗い、朝食を手伝うため洗面台をあとにした。
忍が目覚めてリビングに出てくると、そこには信じられない光景が広がっていた。
ゴウ姉ちゃんが朝食係の場合、メニューは決まってちょっと水分の足りないご飯、具の大きい(そして味の濃い)味噌汁、ただの卵焼きの三点セットなのだが、今朝に限っては晴天気家の台所事情に革命が起きたらしい。
私服を着たゴウ姉ちゃんと、おなじくゴウ姉ちゃんの私服の上からエプロンを着けたランサナルが食卓に並べていたのは、なんと焼き魚だった。
「ゴウ姉ちゃんが焼き魚を出すなんて珍しいね」
「珍しいっていうか、ゼッちゃんの人生で初めてかもしれない。姉ちゃんが魚を焼いても真っ黒にしかならなかったのに……」
ほとんど同時に起きてきたゼッちゃんもまた、ネタを挟むことも忘れて唖然となった。二人の記憶には、幼い頃に給食以外は全て姉の三点セットを食べていたトラウマしかないのだから、当然と言えば当然であろう。
「今朝はランサちゃんが手伝ってくれたんだ」
「お粗末さまです」
二人は吸い寄せられるように席に着き、箸を手に取り、白米を噛み締めた。続いて味噌汁にも手をつける。さらにほぼ忘れかけていた焼き魚の解体方法を追いつつ、恐る恐る口へと運んだ。
「白米に水分があるなんて」
「味噌汁が原液で飲めるなんて!」
「そして何より」
「他の人が焼いた魚!」
忍とゼッちゃんは顔を見合わせる。異口同音に口を開く。
「一体何の魔法?」
「神の御業だね!」
「それは全部ランサちゃんが作ったんだ。卵焼きは私が作った」
若干不機嫌なゴウ姉ちゃんが補足する。それと同時に忍とゼッちゃんは立ち上がり、ランサナルに深々と頭を下げた。
「すばらしい朝食をありがとうございます。いや本当に」
「これこそ御馳走『様』の敬称に見合う朝食!天が遣わした食卓の女神に感謝と敬服を誓います!」
「あ、えっと。どういたしまして、ですか?」
二人のお辞儀姿の発する気迫に押されてたじたじなランサナル。それでも忍とゼッちゃんは、ゴウ姉ちゃんが「さっさと座れ。朝食が冷めるぞ!」と号令をかけるまで頭を下げ続けた。
「しのぶ。今日の朝、決闘の申し込みがありました」
皆が(美味しそうに)朝食を食べ終わった頃を見計らってランサナルが発言した。場を引っ掻き回す話題を切り出すタイミングに配慮することくらいできる。
「決闘?『決闘』!?」
「違う。ゼッちゃん、騒ぐな」
「てことは、もしかして今すぐにでも支度をして出なきゃならないのかな」
意外にもあまり動揺していないように見える忍に、ランサナルは一抹の頼もしさを覚えた。たまたま『盾』になってもらったとはいえ、昨日から今日にかけてもそんなに動揺の見えなかった忍は選んで正解な気がしてきた。もっとも、ご存じの通り忍は感情が表に出ないだけ。実戦など初めてで、まさか昨日の今日でこんなことになるとは考えていなかった。というより、考えるのを避けていた。ビビりである。
「いえ、相手が指定した条件はですね……」
ランサナルは翼から羽を一枚引き抜いた。よく見れば青白く光っている。これ、相手からの果たし状?というやつです。必ずしもこの形じゃなくても良いはずです。相手の趣味です。とランサナルは前置いたうえで、その内容を読み上げた。
「太陽が西への滑落を始めし時よりしばし、我、待つべくところにて待つ。背を見せるは卑怯なり。果たされなば汝らの魂、地獄の業火にて焼かるべし」
「わけわからん。時間も場所も曖昧じゃないか」
「なぜエセ古文体?」
「イタい!完全に何か患っているタイプの人だよこんなの書くの!」
晴天気家からの容赦ないダメ出しが炸裂する。
確かにやつは時代を少し間違えている風ではあるけれど、まさかここでも通用するなんてね。滑稽だ。
ランサナルは内心少しだけ嬉しかった。
「えっとですね、冒頭部分は太陽が西に傾き始めてからだと思います。午後という意味です。場所はこの果たし状で私が分かります。あとは、逃げるな、ですね」
だが意味が通じないことにはどうしようもないので、晴天気の三人に解釈を促す。
「なるほど」
とゴウ姉ちゃん。ただ納得という風である。
「午後って具体的にはいつなんだろう」
と忍。未だ疑問が残るという風である。
「二時くらいじゃない?」
とゼッちゃん。割りとどうでも良いという風である。
「ぜつ、さん」
「ゼッちゃんでいいよ」
「ぜっちゃんはあまり興味がなさそうですね」
さっきまでノリノリだったのに。対してゼッちゃんは肩をすくめて言う。
「いや、ネタとしてはありかもしれないけどさ、今からこの人と兄ちゃん闘うんでしょ?だったらもう少し分かりやすく書いてくれないと。これじゃまるでふざけているみたいじゃん。ちょっとカッコつけたいからって、時と場合は選ぶべき」
ランサナルが認知していたゼッちゃん像からすればその発言は意外であったが、ゴウ姉ちゃんと忍はゼッちゃんが時おり真面目さを見せることは知っていた。実際、怪我をしていたランサナルを治療したのは主にゼッちゃんである。
「ま、時と場合さえよければいくらでもカッコつけるけどな。ゼツは」
「そして時と場合さえ許せばどこでもふざけるからね。ゼッちゃんは」
「あーもう!姉ちゃんと兄ちゃんのせいでせっかくシリアスに決めたのに台無しじゃん!」
食卓に身を寄せ、晴天気家は笑い合う。ランサナルには少し不思議だった。何だろう、この安心感は。この人たちは正体不明の誰かを守るために、よく分からない相手と、握ったこともない武器で闘うことにまるで躊躇がない。闘うことを避けようとせず、むしろ積極的に迎え撃とうとしている。
これが人にはよくあることなのかどうかは分からないが、ランサナルは少なくとも今、頑張ってここまで来た甲斐はありそうだと、そう思った。
そして六時間後。
「じゃあランサちゃん、案内してちょうだい」
「ねえ、今三時だけど大丈夫かな」
「あれだけ適当な果たし状だし、いいんじゃないの?『因果応報、古事記にもそう書いてある』」
「了解です」
少々お待ちを。と言うとランサナルは果たし状となった羽を手から離す。羽は重力に従って晴天気家の床に落ちた。
「下がっててください」
「ん?家の中から行けるのか」
「魔法でも使うの?」
「ゼッちゃん当てるよ!空間を繋げるんだ。つまり、ワープでしょ!」
本当に元気だなあ、この人たち。
ランサナルは思わず笑いそうになる。忍はランサナルの真後ろに居たので、その表情の変化には気がつかない。ランサナルは落ちた羽の向きを確認すると、意識を集中させて一息に唱えた。
『世の理を歪めます。神よ、しばしのご容赦を。勇気有る者にどうか寸刻、道をお譲りくださいな』
晴天気家の三人には理解のできない天界の言葉。
呪術というよりは占術。
瞬間、目の前の空間が縦二メートル、幅一メートル程の楕円に裂けた。楕円の内は黒。奥にはなにも見えない。
「ぜっちゃん、正解です」
「すげぇ!てことはこれ本当にワープホール?」
「はい。向かった方向ならどこででも繋がります。相手の指定した場所。そこに繋げました。一歩踏み出すだけ、安全です。私はこれを使って逃げてきました」
「ランサナル。なにも見えないようだけど……」
「明かりまでは要求しませんでしたから」
恐る恐る、手を突っ込んでみた忍。感覚に変化はない。少し風を感じるが、確かに現実的な感覚のままだ。この向こうには、これから自分が闘う相手がいる。不思議と気分が高揚してきた。それが恐怖を錯覚したものなのか、戦闘行為への興奮なのかは忍自身にも分からなかった。
「僕以外も皆行くの?」
「人数制限はありませんでした」
「もちろんだとも」
「ワープしてみたいし」
全員一致で可決。
「よし、行くよ」
忍のすこし締まらない掛け声と共に、一行はワープホールを通過した。
『おやおや、やっと来たよ。無礼者どもめ、これだから下界は』
ワープホールを抜けると、何のことはない、昨日忍がランサナルと出会った川に沿った原っぱであった。目鼻の尖った男が立っている。
その側に従えているのは白い服を着た、ランサナルと同じように翼のある女性。
男は忍たちを確認してすぐさま悪態をついたが、ランサナルを除きそれを理解することはできない。もっとも男はそうと知っていてわざとそうしたのだが。
『あんなゴミみたいな文章で正確な時間なんか分かるわけないでしょ。こうして来ただけでも感謝してほしいくらい。あなたの無教養な謎のカッコつを私が解釈してあげたの、誉めてもらって構わないわよ。ふっ、それに散々バカにしているこの下界の人たちにもダメ出しをくらっていたわ。あなたは全界一致のアホということかしら?』
『ちっ!相変わらずムカつく女だ。短耳の劣等のくせに』
『そりゃあどうもありがとう。気高い長耳さん』
ランサナルと男がしばし応酬する。もちろん忍たちには理解ができないが、なんとなく、悪口を言い合っている気がした。
「あの男が相手なの?ランサナル」
「そうです。あいつが私を追い回しているのです」
「おいランサちゃん、あの隣の子は?あまり元気が無いように見えるが……」
「分かりません。きっと彼女はあいつと契約しています。本人が望んでいるかは不明です」
「むせ返るほどのキザ臭がするね」
「ぜっちゃん、正解です」
それぞれにそんな会話を交わした晴天気家だが、この会話自体は男にも理解できているらしく、今度は男から忍たちへ話しかけてきた。
「おい下等ども、下らない会話をするんじゃない。いつまで待たせるつもりだ。こちらはとうの昔から貴様らを征伐する用意があるにも関わらず待ってやり、果たし状まで書いてやったというのに腰抜けが。まあ逃げずに来たことだけは誉めてやろう」
「なんかいきなり喧嘩腰だぞあいつ」
「今から僕と決闘するからじゃないかな」
「ねえ、そこのお相手さん!」
男と会話をする気がないゴウ姉ちゃんと忍とは対照的に、ゼッちゃんが男を呼んだ。
「なんだ、貴様」
「貴様、って敬語だということ、知っていますか?なぜ下等と見なす私たちに敬語使っているんですか?」
『何っ?』
「まあ嘘ですけど」
『おい下等、名を名乗れ!俺を侮辱したからには死をもって償ってもらうぞ!』
「ゴメン何言ってるのか全然分かんない!」
あーすっきりした、と満足げなゼッちゃん。ランサナルも楽しそうだ。忍としては自分がこれから闘う相手なのであまり怒らせないで欲しいのだが、それを口に出そうとは思わなかった。
忍が見ているのは、男の隣にいる女性。ゴウ姉ちゃんが指摘したとおり元気が無い。確かにそうなのだが、忍にはまた、その女性が怯えているようにも見えた。
大体想像はつく。
あの男はすでに『矛』を持っているようだ。それはあの女性と契約しているからだろう。だが男はランサナルの『矛』を求めているという。ならばその理由は自ずと分かる。ランサナルは怪我をしていた。そして何かに怯える女性。
怒っているのは、忍も同じだった。
「下等よ。お前らのうちのどれが『盾』だ?時間が惜しいのでな、さっさと『矛』を出せ。決闘を始めようではないか」
男が右手に左手を添えると、男の手の甲に植物のツタのような模様が浮かび上がる。同時に隣に立つ女性の首筋へも、背中からツタ模様が這い上がった。次の瞬間、男の手のひらから一本の長い刃物が出てきた。真っ白の刀身が反り返った日本刀のような刃物だ。男は刀を出しきり、構えた。
「おいノブ」
「分かっているよ」
忍は一歩前に踏み出した。
「僕だよ。僕がランサナルの『盾』だ」
「ほう。ならさっさと『矛』を出せ。どうした、今更怖じ気づいたのか?」
「決してそんなことはないよ。始めようか」
いざ格好よく覚悟を決めて一歩踏み出したところで忍は重大なことに気がついた。
『矛』って、どうやって出すんだろう?
「……いや、あの、すみません。『矛』ってどうやって出すんですか?」
しばしの沈黙。流れで適当に誤魔化してしまったが、なるほど、確かに忍は『矛』の出し方を知らない。ゴウ姉ちゃんとゼッちゃんが頭を抱えた。なんだこの情けない弟(あるいは兄)は、と。よりにもよって決闘相手に聞きやがった。相手に爆笑されるに違いない、と。
実際のところ男は爆笑こそしなかったが、失笑した。
『おいおいどうなっているんだランサナルよ。情けなくて涙が流れる。これでは全く勝負にもなら
なさそうだな』
『し、知らなかったんだもの、仕方がないでしょうが!あなたが悪いのよ。まだ準備の終わっていない私に襲いかかるなんて!だっ、大体そうよ!規則では決闘を申し込んだ相手以外には攻撃したらいけないでしょ!?恥を知りなさい恥を!』
『君が全くもって未熟者だということはよく分かった。しかし、まあそうだな。確かにこのままでは勝負にならない。そんな決闘に勝ったところで誇るものが無い。むしろ恥だな』
男はため息をつくと、刀を一度手の中に引っ込めた。
「下等、よく見ておくんだな」
そして忍によく見えるように、手に力を込めて、もう一度刀を出した。
対して忍はその一連の流れを見て、よく分からないなりに適当に腕に力を込めてみる。なかなかうまくいかない。
実は正確な出し方などというものは存在せず、男も何度か練習したということを伝えるには男のプライドは高すぎた。
「兄ちゃん兄ちゃん!気持ち!気持ちじゃないかな!」
ゼッちゃんが痺れを切らして提案した。なるほど、気持ちか。忍はいろいろ考えた結果、契約した時のことを思い出してみた。
狭い繭の中でランサナルと密着して、沈んだ指全体が熱くなったとき、腕に熱が昇ってきたあの感覚。
光るツタ模様。
ランサナルを一番近くに感じていた感覚。
あのとき自分に分け与えられたものは『矛』。
そして自分は、ランサナルの『盾』!
ランサナルを守らねばならない。
そのための『矛』!
次の瞬間、輝くツタ模様が忍の左腕を這い上がった。ランサナルの背中からも同様のツタ模様が首まで伸びる。そして忍の左中指から『矛』が出現した。男の『矛』が刀なら、忍のそれは西洋剣。真っ白な刀身は真っ直ぐで中指を根元から包み込むように直接伸びている。指が一本まるごと刃になったと言っていい。
「おお!それがエッジドか」
「すげぇ、本当に出た……気持ち、気持ちがトリガーか!ゼッちゃんも欲しい!」
『あれが私の貸した矛……』
その異様な光景は晴天気家やランサナルだけではなく周囲の無関係な一般人の視線も少なくない数引き付けた。
だがその中で男は、敵が『矛』を出現させたというのに、一人ニヤついていた。
『ランサナルよ。君は下界というだけでも穢れているというのに、さらに左手で契約させたのか?なんともまあ、非常識なことだ。きちんと教養のある女なら左手など触れもさせないはずだかな』
『未だにそんなことを気にしているのはあなただけだと何度言ったら分かるのかしら?右手だの左手だのはどうだって良いの。それはもちろん、契約に使ったのが針だったのか、指だったのかなんてことにも言える。いつまでも旧態依然の差別意識に支配された臆病者はあなた。教養でもなんでもない、分からないものを遠ざけるためだけの言い訳でしかないわ、そんなの』
『どうだかね』
男がやれやれと肩をすくめる。
そんなやり取りの横で、内容が分からない忍は自分の左手に気を取られたままだった。いや、分かっていたとしても気を取られたままだったであろう。『矛』は確かに出現した。したのだが忍の左手には違和感が残っていた。それは中指が『矛』に置き換わっているからなのだろうか。違う。
何かまだ、しっくりこない。
「ランサナル。どうして彼は『矛』を道具のように持っていて、僕のは指と一体化しているんだい?」
「彼を含み、男の天使は手のひらから『針』と呼ばれる一本の長い突起が出せます。普通契約にはそれを使いますが……」
「下等よ、よく聞け!お前らにはその『針』が無いから、天使との契約に指を使っただろう?我のような天界の者は契約後、『針』が『矛』に置き換わる。それが指で起こっただけだ。何をうろたえることがある、さっさとしろ!」
男が途中で割り込んできた。早く決着をつけランサナルの『矛』が欲しいために焦っているようだ。男の割り込みをランサナルはあまり快く思わなかったが、おかげで忍は自らの感じていた違和感の正体が分かった。
忍は再び手に意識を集中させる。先程と同じイメージ。
そして
「ーーーふっ!」
忍が軽く息を吐くと同時に、さらに『矛』が出現した。
追加で四本。
左手の指全てが『矛』となった。
全ての『矛』は根元で一体化し、もはや手の甲まで『矛』の刀身に包まれている。
『なっ……』
男はうめいた。左手で契約したこと自体が非常識。それなのに加えて複数の『矛』を出現させているということは……
「おお、増えた」
ゴウ姉ちゃんは特に驚きはしなかった。むしろ、さっきのままでは何か物足りないとは思っていたのだ。これくらい派手に数がある方が強そうだ。
「複数出せるの!?もしかして兄ちゃん選ばれし者だったりするの?」
ゼッちゃんは興奮した。相手の男の『矛』に比べ、忍の『矛』が明らかに特別製だ。指が一本だけ西洋剣に変わったときは、相手と闘ったら指が折れそう、とさえ思っていたがこれなら兄ちゃんはまず負けないだろう。
『あー、なるほどね。どおりで痛かったわけだ』
ランサナルは納得した。調べたところによれば契約はすこしムズ痒いくらいで、上手にできればむしろ心地よい物でさえある(本来は信頼のおける者とする行為のため、気分が高揚するのも一因)はずだったのにあの激痛。
何のことはない。
普通『針』で行うことを『針』より太い指で、しかも五本、あまつさえ手の甲まで突っ込まれていたのなら当然のこと。我ながら、初めてなのに随分と凄まじいことをしたものだ。
『すごい、五本も……』
さて、男はあっけにとられて思わず声を漏らした契約相手の言葉も耳に入っていない。非常識すぎる。なぜランサナルがわざわざ下界に降りて、下等の指を受け入れただけでなく、特に嫌そうな顔もせずに居られるのかが理解できない。相手の下等どもも不気味であった。周囲にでき始めている人だかりの烏合どもと比べ、明らかに異質。戦闘に臆することなく、自分への怒りこそ向けられているがそれ以外の感情が大して見当たらない。
俺が見たことのあるどの生物とも違う。
男の不安は増すばかりだが、さらなる非常識が忍の口から発せられる。
それは男だけでなく、その契約者、ランサナルまでも驚愕させた。
すなわち、事実であるならば、そのときの忍、ひいてはその姉も、妹も異常であった。
「……よし、『矛』のことはもうあらかた分かったよ。あとは何回か実戦で分析のし直しが必要かな」
「やはり地上のものじゃないなそれ。こっちから見ただけじゃ、性質がわりと柔軟に変化することしか分からん。構造が全く理解できない。」
「しかも服だけ破壊可能というオマケつき、素晴らしい!でも、明らかにゼッちゃんたちの記憶には無いね。ゼッちゃんと姉ちゃんはここで見てるから、なるべく色々試してみてよ」
何気なく交わされた会話はすぐさま周囲に伝わり、理解された。
『矛の事が分かった……だとっ!?ありえない!ハッタリも大概にしろ下等!これ以上無礼を働くなら手加減はできんぞ!』
男が怒鳴る。天界の言葉。相手に理解してほしくて発した言葉ではない。予想外の事態に心の平静を保とうとしているだけ。
だが
「えっと『僕は嘘をついていません。闘いましょう。僕らにはそれが必要です……』通じたかな?」
「ばっちりじゃない?」
「どうだった、ランサちゃん」
『えっ!?えっと……ちょっと違和感はあるけど、大丈夫。通じているわ』
ランサナルも動揺を隠せない。確かにさっきまで天界の言葉は通じていなかった。それがいきなり通じるようになったどころか、話せるようになったというのはランサナルの常識ではあり得なかった。
「あー、駄目だ。私はもう少し時間かかるな」
「まあ設計コンセプトがコンセプトだから、言語能力で兄ちゃんと勝負しようとするのが間違っているんだよ 」
「通じているんだね、よかった」
それなのに、晴天気家の三人はまるで当然のことのように振る舞う。
というか、何だって?
ランサナルは耳を疑った。それは男も同じだった。
設計コンセプト?
「よし、じゃあ今度こそ始めるよ。確かお互い始めるときに名乗り合うんだよね?」
「おい下等!お前は普通の人間ではないのか!?」
「何言っているのさ。普通の高校生だよ。それより早く名乗ってよ」
こういうのは申し込んだ方からなんでしょ?と首をかしげる忍。その通り。申し込んだのは男の方で、忍は申し込まれた側。昨日今日で訳もわからず決闘することになっているのは忍のはず。
だが、何なのだ。この戦闘への積極性は。
「お前のような下等に名乗る名など無い!」
これではまるで、戦闘を最初から楽しみにしていたかのようだ。
「あれ、それで良いんだっけ?まあいいか。了解。僕はきちんと名乗らせてもらうよ」
原則は原則。相手が守らなくたって、こちらも守らなくてよいという訳でもない。
互いに名乗れば戦闘開始。
原則通り闘う覚悟を決めなおし、忍は名を告げる。
「藍木流家【次男:能天気】設計開発。試作型対【未知の侵略者】制圧機動兵器【征天鬼】其の改良二号機【忍鉄丸】!平穏を乱す外敵には、僕の鉄拳をお見舞いするよ!」
それは普通の高校生じゃない。
と、周囲の誰もがそう思った。