パート1 09
扉を開けるような音で、零は体を震わせて飛び起きる。
起きても昨日と状況は変わっておらず、木造の納屋の中、その奥の物置で目を覚ます零。
辺りは朝なのか、日の光が窓から入り込んで、その物置の中を明るく照らしていた。
おかげで昨日の夜よりも室内の様子がわかり、壁などに鍬などの農機具のようなものが置かれていて、更に設置されている棚には鉈やノコギリといった工具まで収納されていた。
すぐに起き上がり、零はしゃがみこんで構えた。
とにかく今は、入ってきたモノの正体がわからない。
物音を立てずにゆっくりと扉に近づいていく零は、まずは耳をすまして観察してみることにした。
足音、納屋の中を歩く足音が聞こえてくる。
人のような感覚だった。
その足音から、床には干し草のようなもののが散乱しているのか、納屋の中を外と行ったり来たり、歩幅からまだ子どものような印象だった。
しばらくそれを繰り返すと、今度は金属のようなものと地面が擦れるような音が聞こえてくる。
それと同時に草を集める音も聞こえてきたので、納屋の掃除をしているようだった。
よかった、もしかしたら話を聞いてもらえるかもしれない。
ここがどこなのかだけでも聞こう。
そう思った零は、扉を開けようと取っ手に手を掛けたその瞬間だった。
木製の扉の木と木の間から一瞬見えた光景に、思わず手が止まる。
''それ''を確認しようとその隙間から覗き込んでみたが、その予想はやはり当たっていた。
そこにいたのは子どもくらいの人間だった。
褐色···両親のどちらかの血筋なのだろうか?
だが、その子どもには、零が日本で暮らしてきた人生の中ではおおよそ考えられないものが体に付いていたのだった。
頭には、オレンジ色のショートヘアの中にまるで猫のようにフワフワで、コスプレ道具ではなく頭の根元から血が通っているように、時たまゆらゆらと揺れているオレンジ色の大きな耳が生えていた。
腰の部分には、これまた作り物にしては出来すぎている綺麗なオレンジ色の尻尾がフラフラと左右に揺れて、時々家畜にぶつかっていた。
あまりにも、その造形はリアル過ぎるものだった。
耳にも尻尾にも血の気を感じる、完全に体の一部のように見えた。
その光景に零が絶句しながら見とれていると、子どもが作業の手を止めた。
すると突然、
グリンッ
と、顔だけが零のいる物置に向いたのだ。
その目は大きく見開いていて、零は状況も相まって恐怖を感じる。
一歩でも動いてしまえばバレてしまう。
逃げ場もない。
零はどう状況が動いてもいいように、構えながら息を殺した。
子どもが物置の扉までどんどんと近づいてくる。
心臓が跳ね上がりそうになるのを抑える零。
ついに子どもが物置の扉の前まで来た。
扉を開けられる···そう思ったが、子どもは扉の横にあったであろう、箒を取りに来ただけだったらしい。
ホッと胸を撫で下ろす零。
だが、その瞬間子どもは言った。
「あなた、クニの人?」
零に再び緊張が走る。
その言葉はどう捉えても、一人で呟くような一文ではなかった。
だが子どもは零のことを全く気にするそぶりを見せず、目線すら向けてくることなく淡々と作業を続けている。
敵意があるわけでは無さそうだった。
零は警戒しながらも、ゆっくりと扉を開く。
尚も黙々と作業を続ける子ども。
「···勝手に入ってしまって、申し訳ない」
「いいよ。逃げ場が無かったんでしょ?よく生きてたね」
箒で地面を掃きながら、その獣耳をピクピクと動かして零の話に返事をする子ども。
やはりその耳の内側には血管のような赤くて細い筋が見えることから、作り物には見えない。
この子は一体何者なのか?
「アレは···一体何なんだ?あんな恐ろしい生き物日本じゃ見たことない」
「夜、外に出るなんてどうかしてる。アレは死体を探して動き回ってるだけだけど、他に恐い怪物はいくらでもいる。それと、''ニホン''っ何?」
そう言うと、その子どもはやっと零と顔を合わせて、目線を向けた。
両目の作りが人間と違う。
黒い瞳孔が縦に細長く、ハッキリした青白い眼球。
本当に猫のような目で零を見つめていた。
「日本っていうのは···俺の故郷だよ。それこそ、''国''だね。太平洋と···」
「''タイヘイヨー''って何?」
「それに···、というか君も日本語を話してるじゃないか」
「''ニホンゴ''って何?」
ふざけている様子は無く、純粋に聞き返してくる。
日本を知らないし、日本語も知らない。
では今話している言葉は何なのかと零は尋ねるが、''言葉''は''言葉''で今までそんな質問されたことが無いと返されたのだった。
何もかもがおかしかった。
まるでおとぎ話のような、違う世界に迷い込んだような感覚がする。
零は聞いてみた。
「ここって···地球なのか?」
「''チキュウ''ってなに?」
零の全身に悪寒が走る。
信じたくなかった、こんなことあり得ない。
夢にしては出来すぎてる。
悩む零に、子どもは話し掛ける。
「じゃあ、あなたはクニの人ではないのね」
「そう···だけど。君の言う···''クニ''って何なんだ?」
零が質問すると、その子はついてきてと零を納屋から外へと案内する。
とりあえず今はついていくしかなさそうだった。
その時に牛のような家畜と目があったが、大きな目が顔の真ん中に一つだけ付いているだけの見たこともない生き物だった。
零はすぐに目をそらすと、子どもの後ろをついていく。
やはりここは普通の場所ではないことを察した零だった。
「あれ、あれがクニ」
零がその子どもの指さす方向を見てみると、森を抜けた少し先、丘を下って行った先に何やらグルッと円状に城壁で囲まれた街のようなものが見えたのだった。
「あれは···街か何か?」
「違う、あれはクニ。王様がそう言ってる。といってもまだ正式には王様じゃないけど」
それ以上のことはわからない···と、子どもは言う。
それだけ言うと、引き返して納屋へと戻っていった。
また鍬で掃除を始める子ども。
ついていった零は、道具を片付けている中で尋ねる。
「ここはどこなんだ?その···何て言う国なんだ?」
「あなたの言う''国''っていうのはわからないけど、この場所には···名前は無い。村でも何でもないの。この家があるだけで何もない」
箒を元の場所に立て掛け、牛のような家畜の体に付いている汚れを軽く落とすと、子どもは納屋の隣にある家へと向かっていく。
「こんなところで立ち話もナンだし、よかったら付いてきて。クニの建物ほど立派じゃないけど」
途中で振り返り、立ち尽くす零に向かって手をこまねく子ども。
行く宛もないので零は言われるがままついていくことにするのだった。
「あなた、不思議な人ね。なにも知らなくて、まるでこの世界の人じゃないみたい。何だかほっとけなくて」
納屋と同じ木造の、平屋の一軒家。
その玄関の扉を開けると、子どもは零を見て中に入るように促してくるのだった。
「どうぞ。その様子じゃ朝ごはんもまだみたいだし」
「い···いいのかい?見ず知らずの人を家に上げるなんて」
「あなたは敵じゃなさそう。武器も持ってない、硝煙の匂いもしないし血の匂いもしない。匂いでわかるもの。放っておいたら逆に危なそう」
そう言われた零はなんだか全てを見透かされているような気がして、お言葉に甘えて中に入らせてもらうことにした。
「お、お邪魔します···」
中は比較的シンプルで、不要なものが何もない。
古きよき木造の匂いがして、台所、木のテーブル、長椅子。
窓際には植物が飾られていて、テレビなどの近代的なものが無い。
ここは本当にどこなのか、疑問が更に湧いてくる零だった。
「若い人間がここに来るのは久しぶり。どうぞ、そのテーブルの椅子に座って?」
「若いって···君、歳はいくつ?女の子···だよね?」
台所で作業を始めた子どもにそう言われて、零は思わず座りながら聞き返した。
「今年で、丁度50年生きた。もう女の''子''なんて歳じゃないわね。あなたは?」
「そうな···んですか。俺は25···なんです。なんだか···すみませんでした」
「いいのよ。そう、やっぱり若いのね。体は大きくても、人間って不思議」
驚いた。
コップで水を持ってきてくれたその子···その方の容姿はどう見ても子どもにしか見えなかった。
この世界では常識が何もかも違う。
再び台所に戻って料理をするその手慣れた姿は、確かに子どもの手付きには見えなかった。
「私たちは長寿だから、これでもまだ体が成熟してないの。人間って短命だから、難しいわよね。本で読んだことある」
「あの街には、俺のような人間がいるんですか?」
言葉の節々に人間を知っているようなそぶりを見せたので、零は聞いてみた。
うん、と振り返って一言返事を返してはくれたが、その表情は何だか浮かばずで、少し気落ちしているような感じだった。
「たくさんいる。ほとんどが人間で構成されているクニだから。私たちみたいな獣人はいないと言ってもいいくらい」
「では···あの···、大変失礼なんですがご家族って···」
見回しても、彼女以外の姿が見えない。
「あなた、そんな物言いをするなんて礼儀正しい人間なのね。初めてよ、そんな丁寧な言い方されるの」
薄茶色のバスケットにパン入れて、お皿と一緒にテーブルへ持ってくると、少し微笑んだあとに壁際にあったラックに飾ってある写真を見つめる彼女。
「あの街で暮らしてると···思う。たぶんね」
その写真を見てみると、顔立ちが似ている小さな姉妹のような獣人二人が並んで笑っている姿と、その後ろで優しく微笑んでいる大人の獣人二人の姿があった。
この家とは違うが、木造の同じような平屋の前、仲睦まじく佇んでいる。
「ダメね、長くなっちゃうわ。こんな話···あなたには関係なさそうだもの」
「いくアテもないんで、どうぞ聞かせてください。何かお力になれるかもしれませんので」
職業病なのか、目の前の人物を放っておけず、ついつい事情聴取のような態度になってしまうのを何とか抑える零だった。
そんな物腰柔らかな態度に彼女も諭されたのか、静かに話し始める。
「元々私たち家族は···というより私たちの一族は、あのクニがあった場所に住んでいたの。全然···あんな外に大きな囲いのようなものはなくて、この家のような建物が立ち並ぶ、村のようなものだった」
バスケットから小さなロールパンのようなものを取り出すと、いくつかお皿に乗せて渡してくれた。
一言お礼を言い、零は自分の手元へと置くが、手をつけず彼女の話に耳を傾ける。
「農業が主で、たくさんいた家畜に囲まれて···その時はあのクニの人たちみたいに豊かではなかったけど、楽しかった。暮らしていくには不自由はなかったわ。大変ではあったけどね。みんな仲がよかったの、父と母と姉と、村のみんなね」
どうぞ、召し上がってと言われたので、零はそのパンと思わしきものを口に運んでみる。
見た目はロールパンそっくりだが、この状況も含め、食べてみるまでわからなかった。
「お口に合うかはわからないけど」
「いえ、あの···では、いただきます」
恐る恐る口に運ぶ零。
心配している彼女だったが、自分が普段口にしているパンと同じ食感、味、日本のものとクオリティが大差なかった。
まるでそのまま地球から持ってきたかのようだったのだ。
「美味しい?」
「はい。温かくて、もう凄く美味しいです。昨日から何も食べてなくて、凄いお腹空いてたんです。作るのお上手ですね」
「そう、よかったわ。それがね、一番最初に''彼ら''が教えてくれた技術だったの」
「彼ら···ですか?」
零の問いかけに彼女は無言で頷くと、彼女も一口、パンをかじる。
やはりその味には満足しているのか、零を見て一つ頷き、話を続ける。
「元々彼らは、農業が学びたいと私たちの元を尋ねてきた。でも、最初は受け入れられなかった。私たちのご先祖様たちは、人間から逃げるようにこの土地へやってきたから」
「それは···何故?」
「私たち獣人は人間たちにとって、家畜や奴隷と扱いが一緒だったから」
悲しそうに語る彼女に、零の食事の手が止まる。
「やっぱり受け入れられないんでしょうね。権力を持った人間は、動物のような見た目の私たちと自分達の立場が同等だなんていうのは。それがもうこの世界では···まるで常識のように広がっているの」
そのまま零はこの話は聞くべきだと思い、黙って耳を傾けるのだった。
「でも、彼らは友好の為に来たと言っていた。けれど村長···私の父は初めは反対して追い出そうとしていたの。でも、彼の''それ''を見てみんなの態度が変わった。みんなよ、あれはもう崇拝といってもいいのかもしれない」
「''あれ''···?」
「それはね、まさに···神の見業だった。それ以外に言いようがなかったわ」
すると彼女は、あれ、あれとこれ、と、台所、窓から見える納屋、そしてパンを指差してそう言う。
「見たこともない魔法だった。彼が願ったものが、次の瞬間にはその場に現れるの。あの納屋も、あの台所も、このパンでさえも。今ここにあるパンは、あれで温めたのよ」
彼女が指をさした先を見てみると、台所の片隅に、この場所にはとても不釣り合いな現代的なオーブンレンジが置いてあったのだ。
どう見ても違和感しか感じなかった。
「これは···どうしてあれがここに?」
「その彼が用意してくれたの。願えば本当にどんなものでも現れる。あの色々な食材を温められる機械に、捻ればすぐに冷たい水が出る蛇口、納屋、この家の灯りを灯す''デンキ''というのも、あのクニからエネルギーを引っ張ってあるって言ってたわ」
設備が現代的すぎる。
それにオーブントースターのデザイン、あれはどう見ても地球で見てきたものに非常に似ていることから、同じように地球からこの場所に来ている可能性が高い。
一筋の光明が見えた瞬間だった。
その人に会うことができれば何とかなるかもしれない。
「ご家族の他の···同族と言っていいのか···、皆さんもそのクニにいるんですか?」
「そうね···みんなも多分クニにいると思う。手紙も何も届かないから。''便りが無いのは良い便り''っていうのかしら。あそこには便利なものがたくさんあるだろうから」
「では···あなたはなぜここに?」
「そうねぇ···」
単純な疑問だった。
そんな神様みたいな真似ができる人物がいるのなら、そのクニという場所にいればもっと便利で優雅な生活ができるのに、何故この場所にいるのか。
零は尋ねてみたが、彼女の表情は暗いまま黙り込んでしまった。
マズいことを聞いてしまったと後悔する零だったが、少しするとゆっくり語り始めた。
「人間たちは、最初はその神の見業で、私たちに色々な道具を出して助けてくれた。私たちはとても感謝したの。でも···次第に彼らの態度というか···行動が変わっていった。私たちの村に居場所を求め始めたの」
「つまり、居着いたってことですか?」
「そう。そこからは本当にあっという間だった。彼の見業で、次から次へと見たこともない建物が建っていったの。見上げるほど高い建物。木じゃないの、何だか固くて丈夫な石のような素材で、ちょっとぶつかっただけじゃビクともしない」
窓からクニを眺める彼女の目は寂しげで、何を思うのか。
「しかしそれでは、元々の村の土地が無くなっていってしまうのでは?畑との兼ね合いで周りにそういう建物が増えすぎると良くなさそうですが」
「そうなの、彼らはドンドン人間を村へと入れ始めた。建物も増えて、これでは仕事が出来なくなると反対する村人たちもいたけど、蛇口やデンキを取り上げられるともう生活出来ない領域にまでなってしまって···、逆らう人は少なくなっていった」
そう言うと、パンを一口かじる彼女。
零は思わず考え込む。
その人間たちが与えたのは、物ではなく技術やインフラ。
生活になくてはならない便利なもの、それを与えることで依存させ、なくては困ると思わせる。
そうすることで、獣人の一族から歩み寄ってくることを狙うのが目的。
なんともやり方がこなれているように感じた。
「そこからはもう、彼らの独壇場だった。ありとあらゆるものが変わっていった。変わってはいけないものも···。私たちが築いてきた伝統、信仰していた神様、本当···あらゆるものよ。だから、父は私を逃がしたの」
「お父様が?」
「周りは変わったけど、父は···私の家族は変わらなかった。村を守らなきゃいけない、取り戻さなきゃいけない。だから、療養っていう目的で、私を逃がしたの。この別荘に」
「あなただけが?」
「そう。父と母と···姉はクニに残って時期村長候補としての始めての仕事になると、意気込んでいたわ。たとえ身を切られたとしてもやり遂げるんだって。だから、何かあったときの為にって、私だけ」
「何かあったとき···」
その推測を口にしようとした零だったが、寸前で言葉を止める。
だがそれが一番わかっているのが彼女であることも、零は感じていた。
少しでも一族の血を絶やさないよう未来へ繋げようとする、生き残ろうとする。
それはこういう世界ならば尚更なのではないかと、この現状が痛々しかった。
「でも、私は信じてる。きっと帰ってくるって信じてる。人間の中にも心はある、だからきっと姉ならやり遂げてくれる。種族が違っても、心は通じ合えると信じてる。きっと村を取り戻して···それよりいい結果になるって信じてるの」
その言葉は心からのものなのか、その表情からは決意の表れがうかがえるのだった。
「ごめんなさいね、身の上話ばっかりで」
「ああ、いえいえ。上手くいくように俺も祈っています」
そう言うと彼女は、零に向かって少し微笑むのだった。
表情が少し和らぎ、声のトーンも元に戻って零に聞く。
「それで、あなたはどうするの?クニに行ってみるの?」
「そう···ですね。もしかしたら、自分の街に帰る方法が見つかるかもしれないので、そうしてみます。話を聞いていたら、なんだか自分の街にいる人間に近いものを感じました」
「そうなの?やっぱり人間ってよくわからないわ。それなら案内所?っていうところによく人が集まると聞いたけれど···」
とりあえず食べましょうかと彼女に言われて、零は彼女に続き食事を進める。
零からしてみれば、彼女たちのことのほうがまだまだわからないことだらけで不安だった。
さっきも、見たことがない''魔法''と言っていたが、この世界には魔法が存在するのかと頭によぎる。
「そういえば、あなた名前は?聞いてなかった」
「あ、すみません申し遅れました。渡零といいます。改めて、今日はありがとうございます。助かりました」
「ワタリ···レイさんね。あなた···本当に礼儀正しくて不思議な人ね。その黒一色の格好も初めてみたわ。その腕に付けてる針のない時計も、ここに来た人間でも付けてるの見たことない」
「ああ、えー···と、あはは···」
どう説明したらいいのか自分でもわからないので、零は困って愛想笑いで返した。
そんな零の格好を見て、顔を少し傾けて不思議そうに見つめてくる彼女に、零も尋ねる。
「ではその···あなたのお名前は?」
「あ、そうよね。これは失礼しました」
彼女は微笑みながらそう言うと、一呼吸置いて答えた。
「ニーラムよ。よろしくね、レイさん。さ、いただきましょう」




