パート1 20
ゆっくりと目を開いていく。
見えてきたのはとても高い天井と、薄暗く室内を照らしている巨大な照明灯だった。
顔だけ動かしてゆっくりとまわりを見回す。
壁一面に備え付けられているいくつものモニター、室内にいくつかあるデスク。
横たわっているソファーを挟んでもう一つのソファー、その間にテーブル。
奥には、あの別世界に行ける大きな機械が佇んでいた。
「···本当に本当なのか。これが現実で、本当にそんな実験みたいなことが行われているのか···」
再び天井を眺めながらそう言うレイ。
ため息のように吐き出す心の内は、その広大な部屋の中に静かに響いた。
「だから私たちがいるの。後悔してるなら、知らないほうがよかった?」
レイは顔をソファーの背もたれのほうに少し向けると、その背もたれに腰かけて本を読んでいた人物が見えた。
薄暗いのと照明の逆光で表情は見えないが、右手につけていた白いウォッチで誰かはすぐにわかった。
部屋にはレイとゼロ以外誰もいなかった。
ゆっくりと体を起こし、両手で顔を覆うレイ。
両目を整えるようにゴシゴシとそのまま顔を擦ったあとゼロに言う。
「···いや、もうそういうワケにはいかないです。ずっと真実を追い求めてきたんです。それが事実なら、食い止めたい。どうでもいい命なんてないハズなんです、助けなければならない。それが警察官の使命なんです」
それを聞いたゼロは天井を向いて一息吐くと、開いた文庫本を片手に持ったまま背もたれに両手をつき、振り返ってレイを見下ろすのだった。
「あなたたちって、めんどくさいのね」
「···不本意ながら、普段からそう言われることが多くて」
レイが答えると、ゼロはフンッと鼻を鳴らしてソファーの背もたれから立ち上がる。
そのまま振り返ることなくヒールの音を響かせながらデスクまで行くと、手に持っていた文庫本をその上に放り投げて椅子に座る。
茶色い紙のブックカバーが特徴的な文庫本だった。
見てみるとデスクにはいくつか同じようなものが見える。
「あなた、お腹空いてるんじゃない?昨日から何も飲まず食わずで寝てるんだもの」
「そう···ですね。ちなみに今···」
「朝よ。もう日が昇ってるわ」
携帯を取り出すよりも早くゼロは言う。
レイが携帯の画面を見てみると、時刻は既に9時をまわってしまっていた。
丸々半日以上倒れていたことになる。
「すみません。色々と···ご迷惑をおかけして」
「アレを見せられていきなり受け入れろって言うんだから無理もないわ。当事者であるニホン人のあなたなら尚更」
今でも頭の中がごちゃごちゃのまま、整理が出来てないレイ。
どうゼロに返していいのかわからず俯いていると、ゼロが部屋の片隅にあった冷蔵庫の中から何かを取り出して、デスクの上にあるビニール袋と共にレイの元へ持ってくるのだった。
「独断と偏見で選んだから許して。とにかくまずは腹ごしらえから始めましょう。お腹が空くと悪い考えが浮かぶのはどの世界も同じ」
ゼロは目の前のテーブルにビニール袋とそれを置くと、向かいのソファーに座ってビニール袋の中から何かを取り出す。
「これは···」
「お礼ならデイに言って。あの子が買ってきたから」
テーブルの上に置かれたのは、どこにでも売ってる透明なビニールに入っている美味しそうなあんぱん。
それと紙パックに入っている牛乳、特選と書かれていて少し高いやつだった。
「警察官なら絶対好きだからって言ってた」
「まぁ···確かにそうですね。ありがとうございます。いただきます」
デイの気遣いが見えて、ほんの少しだけ心が安らいだレイの表情に、ほんの少しだけ笑顔が浮かぶ。
それを見たゼロは満足したのか、ビニール袋の中から自分のパンを取り出してソファーに深く腰かけるのだった。
ビニール袋を開けて、その生クリームがたっぷり挟まっている細長いパンを口元に運ぶ。
「あの、ゼロさん···は」
「···やめて」
今にもパンにかぶりつこうとしていたゼロは、そのレイの物言いに待ったをかけた。
しかめっ面に変わり、その鋭い目付きをレイに向ける。
「その言葉づかいやめて。ここじゃあなたしかそんな言い方してない。違和感バリバリ、やめて」
「ですが···やはり少し抵抗感といいますか···」
「ここじゃ年齢なんて何の意味もない。チーフがいい見本。あんな若くて綺麗な見た目なのにもう''何回目''かわからないから」
その言葉にレイは黙り込んでしまう。
自分よりも少し上に見える女性なのに、推定年齢がわからなくなった。
想像を越えたことがいくつも起こると言われたが、その片鱗を味わった瞬間だった。
「それにニホンじゃ、今の私たちのこれを''同じ釜の飯を食った仲''っていうんでしょ?''ぶれいこう''?ニホン語って難しいわ。何にせよ仲間になったんだから、私は気にしない」
レイにそう伝えたゼロは再びパンを口に運ぶ。
生クリームを少し唇に残しながら美味しそうに食べるゼロを見ていると、レイも途端に食欲が湧いてくるのだった。
「では···いただきます」
「どうぞ」
ビニール袋を開けてあんぱんを口にするレイ。
あんの甘さもちょうど良く、口触りのいいパン生地に食事が進んでいく。
途中に挟む牛乳も飲みやすく、おかげで良いインターバルのままあんぱんに再びありつくことができた。
「···んむ、やっぱりこのパンを考えたニホン人は天才的、それだけは評価できる。いい国に生まれたわねあなた」
食べ終えたゼロは唇についていたクリームを指ですくって舐めると、用意していた紙ナプキンで口を拭いていた。
まだ食べていたレイは頷いて答えると、一旦手を止めてゼロに聞くのだった。
「あの、あー···ゼロは、どの国の出身?というより、''どこ''から来た?」
その顔立ちから、まず第一印象としては日本人というイメージが湧かなかった。
外国人といってもその顔つきに既視感を感じない。
そんな容姿や雰囲気に、レイは''その可能性''を考えたのだった。
ゼロは持っていたパンのビニールを丸くまとめながらレイに言う。
「この世界ではないどこか」
丸めたビニールをテーブルのビニール袋へ入れると、ゼロはソファーに深く腰かける。
「私がここにいるのも、全部''あいつら''のせい」
「それは···転生者のことを言ってる?」
「そう」
短く返事をしたゼロ。
レイはそれ以上は踏み込んではいけないと思い、聞くのをやめた。
仲間と言っても心の内はまだ他人同然、取り調べでもない。
そんな中無理やり女性の心を抉るような真似はどうかと思ったのだった。
レイは食事を続けながら話題を変える。
「その···転生者っていうのは、どんな存在なんだ?世界の保護と運用ってチーフは言ってたけど、まだよくわからなくて」
「確かに、大体は合ってる。だけどそれが上手くいってるのは少数派」
「じゃあ、大多数の人たちは···それもチーフの言う通り再利用されていくのか」
「そう、転んでもタダでは起こさせない。新たな検体のリクルートに使わせてもらう」
ゼロのデスクにある文庫本が目に入ったレイ。
それにゼロが気付いていたのか、無言で頷いていた。
食べ終わったレイがビニールをまとめながら、ゼロに疑問を投げ掛ける。
「それなら、俺たちの目的って何なんだ?どうして俺や···君やデイみたいな役回りが必要なんだろう?」
そもそもの疑問だった。
異世界の運営や保護に転生者が当てられているなら、何故自分たちのような存在が必要なのか。
それを聞いたゼロは少し前かがみになってレイと向かい合うと、何かを思い出すように若干気だるげに答える。
「少数派の更に少数派の中に、自分の存在を履き違えてる奴らがいる」
「···というと?」
「良くも悪くもニホンのエンターテインメントのおかげで異世界について知れ渡り過ぎた。それで···その世界をゲームか何かと勘違いしてる奴らが増えたの。自分がその世界の主人公だって···思い込んでる奴らがいる」
その瞬間、レイの頭の中にあの世界の記憶が甦る。
ニーラムや案内所で会ったハンターの女が言っていた魔法や魔力、そしてあの大きな武器、強固な防具。
日本では普段見慣れない西洋風の造りの建物や道、あのクニの造りそのもの。
あの時ふとレイの頭によぎったファンタジーのような、ゲームや漫画でしか聞いたことのないワードといったものをそういう方向性で捉えてしまう日本人がいても不思議ではないと思ってしまう。
「だとしても、その世界の人たちや街を好き勝手してもいい理由にはならないはずだ。ゲームや漫画の登場人物じゃない、そんなことをする人がいるならそいつは···犯罪者と一緒だ」
あるいはサイコパスか。
その異世界に行った瞬間から殺戮を繰り返すようになるなら、元々そういう素質のある危険人物の可能性が非常に高い。
レイの頭の中に事例がいくつも浮かび、悩ませていく。
考え込むレイを見て、ゼロは言う。
「いいセン突くじゃない、警察官さん。管理人の仕事が少しはわかった?」
「管理人···君たちはそう呼ばれているのか?」
「あなたもその一人よ。一歩ずつ近づいてる。そういう転生者は思っているよりも厄介な方向に覚醒していく。力を持つとね、人は変わるの。男も女も、どいつもこいつも」
ソファーから立ち上がって、ゴミが入ったビニール袋を持つゼロ。
レイもそれを見て立ち上がると、ゼロはレイに向けてビニール袋の口を広げて見せていた。
「ゴミはゴミ箱に分別する必要がある。人間も同じ、分別がつかない人間はゴミと一緒よ」
そう言いながらビニール袋を広げ、持っているゴミを入れるように無言で促すゼロ。
どのような思いを抱いているのかレイにはハッキリとはわからないが、その強い視線には信念を感じていた。
レイは軽く頭を下げて、持っていたパンのビニールをそのビニール袋に入れさせてもらったのだった。
そうするとゼロはビニール袋の口をキュッと結ぶと、テーブルの側にあったゴミ箱へと投げ捨てる。
「転生者について知りたい?」
「知らなきゃならない。教えてくれ」
異世界にいるニーラムたちの姿が頭から離れないレイ。
返事はほぼ即答だった。
それを聞いたゼロはレイをこの部屋に唯一ある出入り口の扉の前に連れていくのだった。
「聞いててうんざりするし退屈するかも。それでも飲みながら聞いてて」
「あ、ああ···すいませんっ」
レイは慌ててテーブルに忘れていた牛乳を手に取り扉へと戻る。
その間にゼロはつけているウォッチの画面を操作していた。
少し覗き見ながらレイは尋ねる。
「そのウォッチには、カギの役割があるのか?」
「そう。行き先を設定すればこのウォッチがカギになる。この機能だけじゃ異世界にはいけないけど、場所を設定した後にドアノブを握るだけでそこに繋がる。といってもどこでもってわけじゃなくて設定された場所にしか行けないんだけど」
「俺は初めてあの異世界に行ったときはそのウォッチの画面に触れただけで飛んだんだけど、あれは何だったんだ?」
「あー···」
その言葉を聞いたゼロは目を細めてうんざりしたような声を出すと、一旦虚空を眺めて再びウォッチへと視線を戻すのだった。
「もうやり方めちゃくちゃね。異世界を見せるったってもっとやり方があったんだけど、あれに関しては本当に危なかった。変わりに謝っておくわ、ごめんなさいね」
「もしかして···コールって人が関係してる?」
レイのその言葉にゼロは目を閉じて鼻で深くため息をつくのだった。
相当その人物に対してフラストレーションが溜まっているようだ。
「あいつが全部悪いのよ。おかげでまたあの世界の城の奴らに目をつけられるようになっちゃったし、それに関しても色々説明するわ。さっ、入って」
そう言ってゼロは扉を開けた。
スタスタと中に入っていくゼロに対してレイはゆっくりと中を覗き込むように入っていく。
「デイ?デイー?どこー?」
そこは、そんなゼロの声が反響して聞こえるほどの広い空間。
レイの背丈の何倍も高さのある本棚に本がびっしりと並べられた棚がいくつもある書庫と言っても差し支えない広大な空間だった。




