パート1 18
「こんばんは。あなたが···チーフ?」
「みんなからはそう呼ばれてる。お会いできて嬉しいわ、渡さん」
とても礼儀正しく、軽く頭を下げながら挨拶する女性。
彼女が''チーフ''で間違いないらしく、ゼロもデイも何も言わず零の後ろに立っていた。
「あの···お聞きしたいことがたくさんありまして、私が迷い込んだ···その」
「異世界?」
「異世界···そう呼ばれているんですか?」
無言で頷くチーフ。
すると零に少しずつ近づき目の前に立つ。
零よりも少し身長が低く、見上げる形になるが、それでも何も動じないほど芯が座っているように見えた。
「真実を知りたいんだってね。さぁ、どうぞ、掛けて」
チーフは手でソファーへ案内し、零に座るように促した。
言われた通りに零が座ると、テーブルを挟んでチーフが座る。
何ともいえないオーラが漂う。
零よりも華奢な体つきのはずなのに、仕草一つに隙がない。
零の背筋が少し伸びる。
「私が思うに···今のあなたの気持ちは、アリスに似ているのかも」
「···はい?」
「意図せずウサギの穴に転げ落ちたような、そんな不安に駆られてる」
心を見透かされたような気がして、零は生唾を飲む。
目線が自然と揺らぎ、チーフの背後に立っているゼロやデイと目が合うのだった。
「···言えてます。もう、何を信じたらいいのかわからない」
「わかる。あなたの目がそう語ってる。あなたは信じ始めてる、扉の前に立っている。だけど、あなたの中の正義が信じようとしない。こんなことはありえないって、そう思ってる」
淡々と話すチーフに同意するしかない零。
この人は一体何を知っているのか、何者なのか。
お互いがお互いを探り合うように、目を合わせ続けていた。
「あなたたち日本の警察が10年以上必死に追っているのに、謎は深まるばかり。人が突然消える。ありえない、こんなことはありえないと、あなたも薄々感じていたはず。これは普通じゃないって」
「確かに、これは普通の事件とは違うと···自分も感じていました。ですが···」
「説明できない?」
「···はい」
その返事がわかりきっていたかのように、チーフは頷く。
深くソファーに腰かけると、膝の上で手を組んで零に語りかける。
「あなたは知ってる、何が起きたのかは知ってる。自分の身に起こったことも含めて···だけど説明できない」
「あなたは、全て知っているんですか?あの···''異世界''について。あそこがどういうモノなのか。警察が追っている事件とどう関係があるのか」
零の言葉にチーフは、上半身を起こして前のめりになり、宣告するように告げるのだった。
「異世界は···牢獄よ」
「牢獄?あの''牢獄''?」
「そう。自分で自分を縛る。彼ら彼女らは、自らが自由になったと勘違いしてるけど、違う」
「''彼らと彼女ら''···ですか?どういうことですか?私にはまだよく···わからなくて」
次から次へと飛び出してくる単語。
チーフの言っていることがイマイチわからない零は、チーフと同じように前のめりになると、確信を尋ねた。
「それに···''真実''って?」
その言葉に、チーフはうっすら笑いを浮かべる。
「知りたいんだね?あなたは、本当に覚悟はできてる?」
その言葉に零は背筋を伸ばす。
チーフの目をハッキリと見て、頷く。
「真実は···常に隣にある、誰も気付かないだけ。ただ人の目から覆い隠されてきた世界なの」
するとチーフは短く目を閉じて、ソファーの傍らにあった小さなジェラルミンケースをゼロから受け取るのだった。
「異世界については、一言では説明できない」
ケースのロックを解除して、チーフは蓋をゆっくりと開く。
「自分の目で見るしかない」
その中に敷き詰められた黒いウレタンのシートの上に、それらは存在していた。
腕に巻く黒いバンド、それに付いている小さな黒い画面。
シンプルな構造が逆に異質に見えるスマートウォッチ。
その隣には、この部屋に入ってくるときの扉に使うであろう小さな鍵が置いてあったのだった。
それを零に見えるように、チーフはケースごとテーブルの上に置いて差し出した。
「これは最後のチャンスよ。今ならまだ引き返せる。この鍵を使って入ってきた扉から出れば、私たちのことも全て忘れていつもの生活に戻れる」
零は入ってきた扉を振り返った。
今出ていけば、何もかも元通りになる。
友人、同僚、上司、いつもの生活、自分の人生に戻ることができる。
「このウォッチを手に取れば、あの不思議の牢獄で、更のその深淵を覗き込める」
零の様子を伺うように、チーフはそのウォッチが入ったケースの蓋を持つ。
零がどんな決断をするのか、待っているようだった。
零の中で様々な感情が渦巻く。
これまでの人生が甦る、自分の中で自分が囁いてくるような気分だった。
自分の中の正義が語りかけてくる。
お前はどうするべきなのか、自分は一体何に忠誠を誓ったのか。
お前は何者なのか?お前のすべき事は?
これまでの事件の被害者の顔、あの世界のニーラムやチップの顔が浮かんでくるのだった。
チーフに言われても尚、零の答えは揺るがなかった。
零はゆっくりと、''それ''に手を伸ばしていく。
「いい?」
チーフの声に零の手がケースの直前で止まった。
「見せるのは真実だけよ」
そう言われる中で、零はウオッチを手に取るのだった。
自分の手の中で転がして、ウオッチを隅々まで観察する。
黒一色の無骨なデザイン。
異世界に入った時に付けていたのと同じものだった。
「ついてきて」
チーフが立ち上がって零にそう言う。
言われるがままに零もその後に続いて歩いていくのだった。
「ゼロ、お願い。アレを見せる。準備して」
「わかった」
ゼロはチーフに指示を受けると、モニターの横にあった大型の機械へと向かい、それに付いていた小さなモニターの前で操作を始めたのだった。
「···''アレ''?」
「この世界の真実と歴史。ワタリレイ、ウォッチをつけて」
零の後ろからトコトコとついてくるデイにそう言われ、零は腕にウォッチをつける。
少し本体が振動して、画面の中に文字が次々と浮かび上がっていくのだった。
「そのウォッチは私たちの必需品。これでつけている人の座標を特定する。安心安全に転送を完了させるためでもあるの。充電は必要ない、生体電気で動く」
「それは···革命的ですね。世の中に出たらそれこそ技術革命が起こるような」
「この世界の技術じゃないから、今はまだ無理ね。あと150年はかかるかしら」
世間話のようにそう言いながらスタスタと歩くチーフに、零は住んでいる世界がいかに違うかを感じ始めていた。
ウォッチを見ると、心電図のような緑の波形が動き続けている。
「これでウォッチとあなたが完全にリンクできた。後は···この機械であなたを登録する」
その機械の前に立ってみると無機質な灰色が目立ち、呆然と見上げることしかできない零だった。
丸い円状の台座、その目の前にある謎の扉。
ゼロが操作しているモニターには複数の金属板がついていて、一つのコンソールになっていた。
それらを支えている巨大な鉄のフレームと、備え付けられているキーボード。
「よかったわね、これでキチンと全体が確実に転送できる」
モニターを操作しながらゼロはそう言った。
「どういう意味ですか?」
「ワタリレイのタキオン粒子を整流する」
「···はい?」
デイがそう零に教えるが、零はまったく理解できずに首を傾げる。
見かねたゼロがモニターを操作しながら言う。
「次元を越えるときに上半分だけが転送されてもイヤでしょ?ウォッチで計測してあなたの頭の先から爪先まで''確実''に送り込むの」
それを聞いた瞬間、零の背筋が凍る。
今から行うことがいかに危険で現実離れしているのか。
「ワタリレイの心拍数が変化してる」
「無理もないわ、デイ」
チーフがデイにそう言う。
ゼロがモニターを操作するためにタップする指の音も次第に恐怖に感じてくる零だった。
「じゃあ、一緒に台座に乗ってもらえるかしら?」
「わかり···ました」
「ワタリレイ、緊張することはない。ほんの少しの辛抱」
勇気づけているのかどうなのか、デイの言葉に短く頷きながら、チーフにエスコートされて台座の上に乗る零。
金属むき出しの台座を踏む感覚。
まるで鉄骨の上に立っているかのような、無機質な感じが慣れなかった。
「ゼロ、お願い」
チーフがそう言うと、一旦手を止めていたゼロはモニターを操作する。
するとその瞬間、操作していたモニターのまわりに付いていた複数の金属板が音を立てて一斉に開くと、その中から更にモニターが現れるのだった。
また、そのモニターにはいくつもの文字が次から次へと羅列されていくが、中には全く見たこともないものも混ざっている。
「では、渡さん。これから先、あなたの想像を越えたことがいくつも起こると思う。時には惑わされることもね。でも忘れないで、自分を見失わないこと。あなたは彼らとは違う。だからここにいるの」
「彼らとは違う···?」
「そう、私たちはあなたを信じる。だからあなたも私たちを信じて。世界で唯一の仲間なのだから」
ゼロが複数のモニターを操作すると、零のウォッチが震え出したのだった。
そしてゼロがそのコンソールのキーボードを操作し始めると零のウォッチから心電図が消え、文字の入力欄のような縦線が表示された。
「これからよろしくね。''レイ''」
チーフがそう言った後に、零のウォッチにはカタカナで''レイ''と表示され、○か✕の印がその下に現れたのだった。
「レイ···」
「ダメだった?呼びやすいかと思ったんだけど」
「ワタリレイ、''レイ''はとても呼びやすいコードネームだと思う。私は賛成する。ゼロはどう?」
「私もそれでいいから早く決めて。もうとっとと動かさないと本部に報告することが増える」
零はウォッチを眺める。
そんな零をチーフは温かい目で見守っており、零と目が合ったデイは首を縦に振った。
ゼロは相変わらずモニターと向き合い、零の返事を待っている。
零は人差し指をゆっくりとウォッチに近づけていくと、○と書かれた印に振れるのだった。
次の瞬間、画面からは''レイ''の文字が四方に弾けるように消えて、再び心電図が表示される。
「ありがとうレイ。改めて、私は''チーフ''、遅くなったけど、''ゼロ''に···」
モニターのキーボードを操作しながら片手を上げるゼロ。
「その子が、''デイ''」
「よろしく、レイ。初めて男の人が仲間になった。私は物凄く嬉しい」
「デイはあなたが仲間になるかもしれないと心待ちにしていたの。一目見たときから気になってたみたい」
「ここには女しかいなかったから、仲間になってくれて嬉しい」
期待の眼差しでレイを見ているデイ。
年相応に喜んでいるだけなのかと思うと、ほんの少し心が温まるレイだった。
「じゃあゼロ、お願い」
「わかった」
途端に現実に引き戻されるレイ。
今度はモニターを操作し始めるゼロ。
するとチーフとレイの頭上にあった大きな円上の輪のようなものが激しい音を立てて、クルクルと回り始めたのだ。
するとその輪からカーテン状に光が下に伸び始め、チーフとレイを包み込むように囲う。
眩しすぎて目を開けていられないほどだった。
「少しだけ我慢して」
そんな中、チーフの声だけが聞こえてきたレイ。
その時だった、体が引き伸ばされるような感覚。
激しい目眩と頭痛にレイの表情が歪む。
その瞬間に機械に備え付けられている扉が開くと、チーフと零は光に包まれたまま扉の中に吸い込まれるように消えていくのだった。




