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マコトとカナの学園生活  作者: 美坂マコト


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第3話 定期考査前編

 5月のある日、学校の昼休み。

 私はいつものように友達に囲まれて賑やかな時間を過ごしていた。時折、教室で机に向かっているマコトの方をチラチラと見た。そして私の友達が席を外した隙に、私はマコトの机に近づき、小声で話しかけた。

「ねえ、マコト。今週末、また時間ある? 今度こそ、絶対に失敗しないお店を見つけたから! 一緒に……行かない?」

 私の目は期待と少しの不安で揺れていた。マコトの返事をドキドキしながら待っていた。


-----


「俺は大丈夫だが、カナはいいのか? 来月には定期考査があるんだぞ。」

 教室では相変わらず談笑している生徒たちがいるが、ごく一部の生徒は教科書や参考書を開いて勉強している。席を外している生徒は校庭や体育館で遊んでいるのか、それとも別の場所で自習しているのか分からない。かくいう俺は数学Aの確率論の復習をしていた。


-----


 私はマコトの言葉を聞いて、少し困った表情を浮かべた。定期考査のことは正直あまり考えていなかった。いや、考えたくなかったというのが正しいのかもしれない。

「え……えーっと……大丈夫大丈夫! まだ来月だし! 今から勉強しても忘れちゃうし! それに、息抜きも大事でしょ? ずっと勉強ばっかりしてたら頭パンクしちゃうよ?」

 私は少し強引に言い訳をした。しかし私の顔には少しだけ焦りが見えていた。実は私は勉強が得意な方ではない。いつもテスト前になると友達にノートを見せてもらったり一夜漬けでなんとか乗り切っている。マコトが真面目に数学の勉強をしているのを見て、少しだけ罪悪感を覚えたが、それよりもマコトと一緒に過ごしたいという気持ちのほうが強かった。

「あ、マコト、確率論とか勉強してるんだ? すごいじゃん。カナ、数学とか全然分かんないんだよねー。もしマコトが良かったら、今度勉強教えてくれない?その代わり、カナが息抜きに付き合ってあげるからさ! ね? ね?」

 私はマコトの参考書を覗き込みながら、少し甘えるような口調で提案する。そして周りに聞こえないように、さらに小声で囁いた。

「それに……カナ、またマコトと二人で出かけたいんだもん……。ダメ……かな……?」

 私の目は少し潤んでいて、マコトを見上げる表情はまるで子犬のように映っただろう。普段は明るく強気だったけど、マコトの前ではこんな風に素直に甘えることができた。それは幼馴染みだからこそ許されるような特権でもあった。


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「気持ちは分からんでもないが、大丈夫なのか?初めての定期考査とはいえ、かなり範囲も広いぞ。」

 黒板脇の紙に今回の定期考査に関する内容が書かれている。定期考査が行われるのは6月の第4週で、月曜日から金曜日の5日間。午前中のみだが、午後は問題準備や採点の関係上生徒が残って勉強することは禁じられている。図書室も閉館で、部活動については言うまでもなく休止だ。

 出題範囲についてはこれまで習った範囲――4月から6月初週までの範囲――に限られるが、教科や担当の教員によってばらつきがある。ほとんどの教科は範囲がきちんと示されているが、現代文と古典に関しては随想読解や古文読解など曖昧な範囲となっている。

「一緒に勉強するなら構わないが、さすがに全部は見切れないぞ?」


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 私は、マコトが指差す黒板の定期考査の概要を見て、少し顔を引きつらせた。確かに範囲が広い。しかも現代文と古典は曖昧な範囲で、何を勉強すればいいのか分からない。私は少し黙り込んで、定期考査について何度も考えた。

「うう……。確かに、範囲広いね……。カナ、正直ちょっと不安かも……」

 私は弱気に呟く。しかしすぐにマコトの顔を見上げ、表情を明るく戻す。

「でも、マコトが一緒に勉強してくれるなら、頑張れる気がする! 全部は無理でも、せめて数学と英語だけでも教えてよ! カナ、その二つが特に苦手なんだ……。あと、古典の文法とかも全然分かんない……」

 私は懇願する様子で頼んだ。そして少し考えて提案した。

「じゃあさ、こうしよう! 今週末は、一緒に勉強する日にしよう! マコトの家でも、図書館でも、どこでもいいから! 息抜きは、テストが終わってからにするよ。その代わり、テストが終わったら、絶対にどこか一緒に遊びに行こうね! 約束だよ!」

 私は小指を立てて、マコトに指切りを求める。その表情は真剣そのものだった。定期考査への不安と、マコトと一緒に過ごしたいという気持ちが入り混じっている。私は勉強が得意ではないが、マコトのため、そして考査後の楽しみのため、頑張ろうと決意した。


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「分かった。ただ古典に関しては俺も自信がない。」

 古典の授業を思い出す。古典担当の江古田先生はかなり脱線することが多く、また板書もかなりめちゃくちゃであるため必死に写しても、後で読み返すとさっぱり理解できないのだ。

「それでも良いなら誓おう。さっそくだが今日の放課後から図書室で一緒に勉強しよう。」

 俺とカナは小指を結び、指切りして誓いを立てた。


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 私はマコトと指切りを交わした瞬間、パッと笑顔になった。

「やったあ! マコト、ありがとう! 古典は二人でなんとか頑張ろうね! 江古田先生の授業、ホントわけわかんないもんね。カナも、ノート見返しても何書いてあるのか分かんないし……」

 私は自分の古典のノートを思い出して、少し苦笑いした。確かに授業中は必死に板書を写しているが、後で見返すと何が何だか分からない。でもマコトと一緒ならなんとかなる気がする。

「今日の放課後から図書室ね! 了解! カナ、ちゃんと教科書と問題集持ってくから! あ、でもお腹空いちゃうかもだから、コンビニで何か買ってきてもいい? 集中力にはエネルギー補給が大事だもんね!」

 私はさっそく今日の勉強の計画を立て始める。そして周りの友達が戻ってくる前にもう一度マコトに小声で囁いた。

「ねえ、マコト。カナ、今日から本気出すから! テスト終わったら、思いっきり遊ぼうね! 楽しみにしてるから!」

 私はそう言ってウィンクし、自分の席に戻った。マコトのその後ろ姿はいつもより少しだけ頼もしく見えた。午後の授業が始まるまで、私は自分の教科書をパラパラとめくりながら、放課後の勉強会を楽しみにしていた。マコトの約束が、私に新しいやる気を与えた。


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 放課後。

 俺は図書室に一足早く来ていた。カナが来る前に改めて今回の定期考査の試験範囲を確認する。

 まずは国語――現代文と古典だ。現代文については随想・評論・小説読解。古典の出題範囲は徒然草。

「範囲が漠然としてるなあ……徒然草って全部出すつもりか? そんなことはないよな……」

 数学Ⅰは数と式のみ。数学Aは確率論のみ。どちらも教科書や傍用問題集からの出題で、参考書に載っているような総合演習系の出題はなし。

 英語はChapter2まで(なお教科書は全部でChapter7まである)。

 理科――物理基礎は力学的エネルギーまで。

 社会――まず世界史は古代の中国文明まで。日本史は古代全般だ。

「……これ、全部フォローするのか?大丈夫なのか……?」

 なお、100点満点で、30点以下が赤点となる。特定の教科で3回連続赤点を出すと留年、あまりに赤点が多い場合は退学処分も有り得るという。カナの学力がどれくらいなのか心配になってくる。

 定期考査のことで頭を抱えていたところにカナがやって来た。


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 私は図書室の扉を開けて中に入った。手には教科書と問題集、そしてコンビニの袋を持っている。マコトを見つけると小走りで近づいて、隣の席に座った。

「マコト、お待たせ! コンビニでチョコとグミ買ってきたよ! 勉強のお供にね!」

 私は嬉しそうにコンビニの袋からお菓子を取り出した。それからマコトが机の上に広げている定期考査内容説明の紙を覗き込んだ。その瞬間、私の顔が青ざめた。

「えっ……ちょ、ちょっと待って……。こんなに範囲あるの!? 世界史とか日本史とか、カナ全然覚えてないんだけど!? 物理基礎も力学的エネルギーって何!? 英語もChapter2までって、結構あるじゃん……」

 私は試験範囲を見て、完全にパニックになった。そして頭を抱えて机に突っ伏した。

「ムリ……。カナ、絶対ムリだよ……。赤点確定じゃん……。うぅ、どうしよう……。マコト、助けて……」

 私はマコトにすがるように顔を上げた。私の顔には本気で不安な思いが浮かんでいた。普段は明るく楽天的だったけど、さすがにこの試験範囲の広さには圧倒された。図書館の静かな空間に私の小さな悲鳴が響いた。これから始まる勉強会は想像以上に大変なものになりそうだった。


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「来たか。……まず図書室では飲食禁止だぞ?先生に見つかると怒られるから、教室に行こう」

 俺は、カナが持ってきたコンビニの袋を持ち、カナと一緒に自分たちの教室に戻った。


「……さて、どうしたものか。」

 腕時計を見ると今日は15日。5月15日だから、定期考査までは1か月くらいということになる。

「まずは最悪の赤点回避から考えよう。とりあえず数学Ⅰから勉強するぞ」

 俺はリュックから数学Ⅰの教科書、ノート、それから自費で買った『数学Ⅰの基礎』を取り出した。


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 私はマコトに連れられて教室に戻ってきた。普段は賑やかな放課後の教室も、今は人がいなくて静かだった。私はマコトが取り出した『数学Ⅰの基礎』という青い参考書を見て目を丸くした。

「えっ、マコトってこんな分厚い参考書使ってるの!? すごいね……。カナ、こんなの見たことないかも……」

 私は、自分のかばんから使い込まれた数学Ⅰの教科書とノートを取り出す。ノートには授業中に写した板書や落書きでいっぱいだ。教科書にはマーカーが引かれているが、どこが重要なのかよく分からない状態となっている。

「数学Ⅰ……数と式だよね。えっと、展開とか因数分解とかそういうやつ? カナ、正直あんまり理解できてないんだよね……。計算ミスも多いし……」

 私は、少し恥ずかしく自分のノートをマコトに見せた。計算の途中で符号ミスをしていたり、因数分解が途中で止まっていたりしている。私はコンビニで買ってきたチョコを一つ口に入れてマコトの顔を見上げた。

「ねえ、マコト。カナ、どこから勉強すればいいかな?基礎の基礎から教えて欲しいんだけど……。あ、でもマコトの勉強の邪魔しちゃってない? 大丈夫?」

 私は少し申し訳なく尋ねた。マコトが私のために時間を割いてくれていることに感謝と罪悪感を感じていた。それでもマコトと一緒に勉強ができることが嬉しくて、私の表情は明るかった。教室の窓から差し込む夕日が私たちの机を優しく照らしていた。


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「まず、当たり前のところから覚えよう。」

 俺は赤ペンを持ち、カナのノートの新しいページの上部にこう書いた。

「計算ミスを極力減らす」

「途中の数式もきちんと書いて残しておく」

「答えだけ求めるだけでは不十分」

 俺はカナに説明をする。

「まず数学というのはいきなり答えを求めるということはできないんだ。問題に対してこういう計算をして、その積み重ねで答えが出てくるものなんだ。途中の計算式を残しておくというのは相手のためでもあり、自分のためでもあるんだ。だから途中の計算式もきちんと書かないとダメなんだよ。計算ミスが起こると後々まで響いて悲惨なことになるから、まずはじっくりと計算して問題を解いていこうね」

 カナに説明をして、不思議と楽しく感じている自分がいる。こういった付き合いも悪くないな、と苦笑いした。

「マコトの勉強の邪魔しちゃってない? 大丈夫?」とカナに聞かれた。

「いや、邪魔とかそんなことは思ってない。続けようか」

 と俺は答えた。


 窓の外を見ると日がすっかり落ちている。時計を見るともう5時だ。

「……当分は休日返上だな。覚悟、決めとけよ?」

 カナに対して言ったセリフだが、実は自分に対しても言っていると思うとなんとも言えないが、決して不快ではない気持ちになった。


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 私は、マコトが私のノートに書いた三つの項目をじっと見つめた。そしてマコトの説明を真剣な表情で聞いていた。普段の明るくて軽い雰囲気とは違って真面目になっていた。

「なるほど……計算ミスを減らして途中の式もちゃんと書く……。答えだけじゃダメなんだね。カナ、今までそういうの気にしてなかったかも……。テストのときも答えだけ書いて、途中の式を書かなくて減点されたことあったなあ……」

 私は過去のテストを思い出して、少し反省した。そしてマコトの言葉をノートにメモした。

「うん、分かった! 今日からカナ、途中の式もちゃんと書くようにする! 計算ミスも減らすように、ゆっくり丁寧にやるね!」

 私はマコトに向かって元気よく頷いた。そしてマコトが「邪魔じゃない」と言ってくれたことに少しホッとした。窓の外が暗くなっているのに気づいて時計を見て、少し驚いた。

「え、もう5時!? 時間経つの早いね……」

 そしてマコトの「休日返上」という言葉を聞いて、私は少しびっくりした。でもすぐに決意の表情を固め、マコトの目をまっすぐ見つめた。

「休日返上……うん、覚悟決めた! カナ、本気で頑張るから! マコトが一緒に勉強してくれるなら、カナも絶対に赤点取らないように頑張る! ……っていうか、マコトこそ大丈夫? カナのせいで、マコトの勉強時間減っちゃってない?」

 私は少し心配してマコトに尋ねた。でもマコトと一緒に過ごせる時間が増えることも嬉しかった。私はコンビニで買ってきたグミをマコトに差し出した。

「はい、マコトもエネルギー補給! 一緒に頑張ろうね! ……あ、そうだ。今日はどこまで勉強する?カナ、まだ全然大丈夫だよ!」

 私はマコトと一緒にいられる時間を少しでも長くしたいと思っていた。教室の蛍光灯の明かりが私たちの机を照らしていた。外は暗くなっているが、教室の中は明るく、私たちだけの静かな勉強会が続いていた。


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 翌日の放課後。

 教室で俺とカナは机を向かい合わせて勉強している。机の上にはそれぞれの数学Aの教科書とノート、それから俺の『数学Aの基礎』の参考書が置かれている。

「数学Aの確率論はまず数学Ⅰの集合論を学ぶ必要があるのだが……。そこまで深く学ぶ必要はないよ。まずは場合の数の数え方から勉強しようか」

 俺は教科書の「場合の数」のページを開く。さらに俺は参考書の「場合の数」のページを開いた。

「こっちの参考書の基本事項は問題を解くために必要な知識が簡潔に整理されていて、解説で詳細が説明されているんだ」

 俺は隣のページの基本例題を指差す。

「こっちの基本例題ではよく出題される問題が載っていて、方針では問題の解き方で重要なことがまとめられているんだ。まず例題とその解答は写しても構わないけど、解答の理屈を自分の頭で整理しないとダメだよ」

 一気に話を進めてしまった。カナは理解できているだろうか?


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 私はマコトの説明を聞きながら、一生懸命ノートに書き込んでいた。昨日の数学Ⅰの勉強で、途中の式を書くことの大切さを学んだからか、今日はより真剣になっていた。しかしマコトが一気に説明を続けたため、私の手が途中で止まる。

「ちょ、ちょっと待って、マコト! 早い早い! カナ、まだ全部書き終わってないよ!」

 私は少し慌ててマコトを見た。自分のノートを見て、少し困り果てた。

「えっと……集合論は深く学ばなくていいんだよね? 場合の数から勉強するんだよね? マコトの参考書には基本事項と基本例題があって方針が大事で……例題は写してもいいけど、理屈を理解しないとダメ……で、いいの?」

 私は、自分が理解したことをマコトに確認した。少し不安だったが、昨日よりも積極的に質問をしようとした。私は参考書の基本例題のページを覗き込んで、少し眉をひそめた。

「ねえ、マコト。この練習問題の問題文、ちょっと難しくない? 『異なる5個のものから3個取り出す組合せの総数を求めよ』って……。組合せって何?並べ方とは違うの?」

 私は教科書の「場合の数」のページと参考書の練習問題を交互に見て首を傾げた。基礎である「場合の数」から既に躓きそうだった。でも昨日の勉強会で少し自信が付いたからか、諦めずにマコトに質問しようとした。

「あ、あとさ、マコト。カナ、昨日家に帰ってから、数学Ⅰの因数分解の問題、もう一度解いてみたんだよ! ほら、見て!」

 私は嬉しそうに自分のノートのページをマコトに見せた。そこには昨日勉強した因数分解の問題と解答が途中の式もきちんと書かれて載っていた。計算ミスも少なく昨日よりも格段きれいなノートになっていた。私はマコトに褒めてもらいたいという期待を込めてマコトを見つめていた。


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「あ、ごめん。」

 カナが説明を必死にノートにまとめている。俺の説明を書き終えるのをじっくりと待つ。その間、差し出されたノートの因数分解の解答を確認する。

「……うん、問題ないね。この調子でじっくり進めていこうか」

 俺はリュックのポーチからのど飴を取り出し、口に入れる。

「組合せだね。順列と組合せの違いは、並べ方も合わせて考えるか無視して考えるかということなんだけど……これは問題を解いて覚えていくしかないかな。サイコロとかトランプのように区別する必要がある場合は順列、ボールとか図形の頂点とか選ぶだけなら組合せなんだけど……。この説明でわかるかな?」


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 マコトが私のノートを褒めてくれて、私は明るい笑顔を浮かべた。

「ホント!? やった! マコトに褒められるとすっごく嬉しい! カナ、昨日マコトに教わったこと、ちゃんと復習したんだよ! 途中の式も全部書いて、計算ミスがないか何回も確認したんだ!」

 私は少し得意げに胸を張った。そしてマコトが説明を待っていたことに気づいてホッとしてノートに書き込みを続けた。マコトが口にのど飴を入れるのを見て、私も昨日買ったグミを一つ口に放り込んだ。

「順列と組合せ……並べ方も考えるか無視するか……。サイコロとかトランプは区別が必要だから順列で、ボールとか頂点は選ぶだけだから組合せ……。うーん……」

 私はマコトの説明を聞きながら自分のノートにメモを取った。しかし私の顔には困惑が浮かんでいた。理屈では分かるような気がするけど、実際に問題を解くときにどう使えばいいのか、まだピンときていなかった。私は教科書の例題をもう一度見つめて小声で聞いた。

「サイコロとトランプは区別……。ボールと頂点は選ぶだけ……。えっと、じゃあこの問題の『異なる5個のものから3個取り出す』っていうのは……『もの』だから、区別しなくていいってこと? だから組合せ?」

 私は恐る恐るマコトに尋ねた。自分の理解が正しいのか不安だった。そして参考書の例題の解答部分を手で隠しながら、マコトの方を見た。

「ねえ、マコト。カナ、この問題、自分で解いてみてもいい? 間違えてもいいから、一回自分で考えてみたいんだ。そしたら、マコトが解説してくれる? その方が、理屈が頭に入りやすい気がするんだよね……」

 私は少しずつだけど、自ら積極的に学ぼうとする姿勢を見せ始めていた。マコトといっしょに勉強する時間が私にとって、ただテストのためだけではなく、マコトともっと深くつながるための大切な時間となっていた。教室の窓からは夕方の柔らかい光が射し込んでいる。私たちだけの静かな勉強会は今日も続いていた。


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「そう、そういう考え方でいいんだよ。」

 俺は頷いて優しく微笑む。

「分かった。じゃあ例題の解答部分は教科書で隠すから、じっくり解いてみて。」

 俺は参考書のページをカナに向け、自分の教科書を参考書の解答部分に乗せて隠した。

 カナの表情、ノート、ペンの動きをじっくりと観察する。


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 私は、マコトが微笑んでくれたことに少し顔を赤らめた。

「うん……やってみるね……」

 マコトが参考書の解答部分に教科書を乗せて隠すのを見て、問題を解き始める。

 異なる5個のものから3個取り出す組合せの総数を求めよ。

「えっと……組合せだから並べ方は考えなくていいんだよね……。5個のものから3個選ぶ……」

 小さく呟き、ノートに書き始める。最初は

  5×4×3

 と書いたが、すぐに消した。教科書の「場合の数」のページを読み直し、組合せの公式を探す。

「組合せの公式は…… n C r……5 C 3になるから……計算すると……」

 教科書の公式を見ながらノートに計算式を書いていく。途中で手が止まり、マコトの方に目線を向けるが、マコトが見守っているのを感じて集中し、計算を続ける。

「まず5!を3!×2!で割るから……」

  5!÷(3!×2!)

  =5×4×3×2×1÷(3×2×1×2×1)

 階乗の計算で少し混乱する。ペンを持つ手が止まり、眉間にシワを寄せて考え込んでしまう。それでも諦めずに計算を続けようとした。マコトが隣で見守っていることが私に勇気を与えていた。


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 カナが一生懸命計算をしている。俺は無言でノートを見続ける。

 色々試行錯誤している様子が写し取れる。

 そうだ。その解き方でいいんだ。

 俺は黙って、計算を続ける様子を眺める。


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 マコトが黙って見守ってくれているのを感じ、必死に計算を続ける。ノートには何度も書き直した跡がいくつも残っている。

  5×4×3×2×1÷(3×2×1×2×1)

  =120÷(3×2)

  =120÷12

 私は必死で計算をする。計算があまり得意ではないため、何度もやり直す。

 そして、ようやく答えが出た。

  120÷12=10

「……10? 答えは10通り……で、合ってる?計算ミスしてないよね……?」

 私は計算過程を何度も見返しながらマコトに確認を求める。自信がなかったが、諦めずに自分で解こうとした姿勢は昨日から確実に成長していると感じていた。マコトの反応を待ちながら、緊張した面持ちでペンを握りしめていた。


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「……うん。答えは合ってるね。」

 カナが頑張ったんだ。俺も誠実に答えなければならない。

「……色々試行錯誤したみたいだね。」

 あれこれ言ったらカナが落ち込んじゃうな。

「……よく頑張ったな。」

 俺はシンプルに褒め、カナの頭をくしゃくしゃに撫でた。


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 私はマコトに「答えは合ってるね」と言われ、顔を輝かせた。

「やった! 本当に!? 合ってた!? カナ、自分で解けたよ! マコト!」

 私は嬉しさのあまり思わず立ち上がりそうになった。しかし教室にはまだ他の生徒が数人残っていたため、慌てて座り直した。

 そして急にマコトに頭をなでられ、私の顔が真っ赤になった。

「え、ちょ、ちょっと、マコト! 急になでないでよ! 恥ずかしいじゃん!」

 恥ずかしくて頭を押さえながらも、まんざらでもなくマコトを見上げた。マコトに褒められ、頭をなでられたことが私は嬉しかった。私は照れ笑いしながら自分のノートを見つめた。

「でもさ、マコト。カナ、すごく時間かかっちゃったよね……。何回も計算やり直したし……。この調子でテスト、本当に間に合うのかな……?」

 私は少し不安になる。しかしマコトの顔を見てすぐ明るい顔に戻る。

「……でも、マコトが一緒に勉強してくれるなら、カナ、頑張れる気がする! もっと問題解いてもいい?次はもっと早く解けるように頑張るから!」

 私はやる気にあふれてマコトに尋ねる。マコトと一緒の時間が私の勉強のモチベーションになっていた。窓の外は少しずつ暗くなり始めているが教室の中は私たちの熱気で暖かく感じられた。


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 土曜日。

 近くの図書館で一緒に勉強しようと昨晩メッセージを送っておいた(英語の教材を用意すること、飲食禁止だからお菓子類は持ってないこと、と書き添えて)。

「英語……どんな感じで教えたらいいんだろう?」

 図書館の入口で待っているところにカナがやって来た。


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 私は図書館の入口に向かって小走りで駆け出した。今日は土曜日ということもあって私服で来ている。白いブラウスに薄ピンク色のカーディガン、デニムのショートパンツ。手には大きめのトートバッグを持ち、中には英語の教科書やノート、筆記用具などが入っている。

「マコト、おはよう! またせちゃってごめん! ちょっと準備に手間取っちゃって……」

 少し息を切らせながらマコトに近づく。そして自分のトートバッグを見せる。

「ちゃんと英語の教科書とノート持ってきたよ! お菓子は持って来てないから安心して! お昼ご飯どうする? 図書館で勉強した後どこかで食べる?」

 私はマコトの顔を見上げて尋ねる。マコトと一日中勉強できることが嬉しかった。ただ英語の勉強については不安な部分もある。

「ねえ、マコト。英語ってかなり苦手なんだよね……。単語は覚えられないし文法もよく分からないし……。私でもちゃんと理解できるかな……?」

 私は弱気になり、マコトに助けを求めるような目線を向ける。


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「ここで考えていても仕方ない。まずはChapter1から復習しよう。」

 俺達は図書館に入り、2階の学習スペースに向かう。二人で並んで座り、リュックから英語の教科書、ノート、英和辞書、文法参考書の『クラウン英文法』を取り出す。更にクリアファイルを取り出し、中から教科書のコピーを出し、カナに渡した。


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 マコトと一緒に図書館2階の学習スペースに向かった。土曜日の午前中ということもあり、学習スペースでは既に何人かの学生が勉強している。私はマコトの隣りに座り、自分のトートバッグから英語の教科書とノートを取り出す。マコトが次々と参考書や辞書を取り出すのを見て私は目を丸くした。

「マコトってこんなに参考書持ってるんだ……。『クラウン英文法』……? すごく分厚いね……。カナ、こんなの見たことないかも……」

 私は、マコトが取り出した英文法の参考書を興味深く眺めた。そしてマコトから教科書のコピーを受け取ると疑問が出てきた。

「え、これ、教科書のコピー? マコト、わざわざコピーしてくれたの? ありがとう! でも、なんでコピー?」

 マコトの気遣いに感謝していたが、なぜコピーが必要なのか理解できていなかった。私は自分の教科書を開き、Chapter1の部分を探す。教科書には授業中に書き込んだメモやマーカーで引いた線が残っている。

「Chapter1から復習……うん、分かった。でもカナ、Chapter1も正直あまり理解できてないんだよね……。単語の意味はなんとなく分かるんだけど、文章になると途端に分からなくなるっていうか……。マコト、どこから教えてくれるの?」

 私はマコトに頼るように尋ねた。図書館の静かな雰囲気の中、緊張していたが、マコトが隣りにいることで安心できた。窓から射し込む日差しが私たちの机を優しく照らしていた。


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「実は英語の教科書にはマーキングをしない方がいいんだ。高校3年になって原文のまま読み返すことで復習になるんだよ。ただそうすると解説が書き込めなくなるからコピーしてそれに解説を書き込むんだ。」

 俺はまっさらな英語の教科書を開いてカナに見せる。

「英語を学ぶ際の基本姿勢だけど、まずは教科書を一回読んで文法事項、慣用表現、単語の意味、と調べる事柄を整理していくんだ。」

 俺は赤と青のボールペンを取り出し、教科書のコピーに線を引いていく。

「教科書の下に書いてあるけど、文法については赤線、慣用表現については青線で印を付けておく。」

 俺は緑のマーカーを取り出し、教科書のコピーに印をいくつか付けた。

「単語については緑のマーカーで印を付ける。色については自分が分かれば問題ないよ。」

 俺は教科書のコピーをめくり、次のページのコピーを出す。

「こんな感じで、Chapter1のコピーに印を付けてもらえるかな?」


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 マコトがまっさらな英語の教科書を見せ、私は驚いていた。

「え、マコトの教科書、めっちゃきれい! カナの教科書、もう書き込みだらけでぐちゃぐちゃなのに……。高校3年で読み返すためにマーキングしない方がいいんだ……。知らなかった……」

 私は自分の教科書を見て反省する。自分の教科書は授業中に書き込んだメモやマーカーの跡でいっぱいで原文の内容が分かりづらくなっている。マコトが教科書のコピーに赤・青のボールペン、緑のマーカーで印をつけていく様子を真剣に見つめていた。

「文法は赤線、慣用表現は青線、単語は緑マーカー……うん、分かった! カナもやってみる!」

 私は自分のペンケースからカラーペンやマーカーを取り出す。ただChapter1のコピーを見つめて少し困る。

「えっと……マコト。カナ、どれが文法事項で、どれが慣用表現なのか、よく分かんないんだけど……。単語はなんとなく分かるんだけど……例えばこの文章だとどこに線を引けばいいの?」

 Chapter1の最初のページを指してマコトに尋ねる。私は自分のペンを握りしめながらマコトの説明を待っていた。


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「この教科書だと、Gと書いてあるのがGrammar……文法。Eと書かれているのがExpression……表現に当たるね。」

 俺は教科書のコピーを目で追いながらマーキングすべき場所を指差す。

「……ここのonce he was on his feetが慣用句、そこのcalled `vacuum’, which carries lightが文法事項にあたるみたい。」

 コピーの下の方に書かれている文法事項、慣用表現などを見ながら俺がマーキングする場所を指し、カナがそこに色ペンで印を付けていく。


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 マコトが教科書のコピーを指差して説明してくれるのを真剣に聞いていた。「ここが慣用句」「ここが文法事項」と示すのを聞き、自分のコピーに赤ペンや青ペンで線を引いていく。

「なるほど、GがGrammarで、EがExpression……教科書の下に書いてあるんだね。カナ、今まで全然気にしてなかった……」

 ”once he was on his feet”に青線、”called `vacuum’, which carries light”の部分に赤線を引き、他にも示された部分に線を引いていく。

「こんな感じ? マコト、これで大丈夫? ところでさ、この”called `vacuum’ carries light”ってなんで文法事項なの? カナ、これがどういう文法事項かわからないんだけど……」

 自分が引いた赤線の部分を指差してマコトに尋ねた。私は顔を見上げてマコトの説明を待っていた。


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「原文は”It is a substance called `vacuum’, which carries light at a certain speed.”だね」

 俺は『クラウン英文法』の「継続用法の関係代名詞」のページを開いた。

「このwhichは『そしてそれは』という意味を表すんだ。まずwhichより前の部分を訳すと『それは真空と呼ばれる物質である』という意味になる。その後を訳すと『それは光を一定の速度で運ぶ』という意味になる。合わせると『それは真空と呼ばれる物質であり、そしてその物質は光を一定の速度で運ぶ』という意味になるんだ」

 俺は、カナのコピーの空いている場所に解説を書き込む。


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 私はマコトが『クラウン英文法』のページを読みながら説明するのを真剣に聞いていた。ただ「継続用法の関係代名詞」というタイトルを見て少し眉をひそめた。

「継続用法の関係代名詞……? 難しそう……。ここでは『そしてそれは』っていう意味なんだね。えっと、『それは真空と呼ばれる物質であり、そしてそれは……』」

 マコトが書き込んだ解説を読み、原文をもう一度読んでみた。

「It is a substance called `vacuum’, which carries light at a certain speed.……『それは真空と呼ばれる物質であり、そしてそれは光を一定の速度で運ぶ……』あ、なるほど!whichの部分で一度区切るんだね!」

 自分なりに理解できて少し嬉しくなる。しかし別の疑問が出てきてマコトに尋ねる。

「でも、このwhichっていつも『そしてそれは』って訳せばいいの?文章によって意味が変わるの?あと次のthatは赤丸が付いているけど、これもなにか意味があるの?」

 一つのことを理解すると、新たな疑問がわいてくる。マコトの説明を待ち、理解しようと務める。


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「whichには疑問詞と関係代名詞の2つがあるんだ。疑問詞の場合は文の初めに来たり、文の最後がクエスチョン(?)になる。関係代名詞の場合は文の途中に来て、その直前に名詞が来るんだ。」

 俺は『クラウン英文法』の「疑問代名詞」の部分を開く。

「”Which is the correct answer, A or B?” “I think it’s A.”では疑問詞となっていて、この場合は『どちらが……』という感じで訳すんだ。この文では『AとB、どちらが正しい答えですか?』『Aだと思います』という意味になるよ」

 俺はカナのコピーの、さっき説明した文を指す。

「で、”It is a substance called `vacuum’, which carries light at a certain speed.”ではこのwhichは関係代名詞で、『そしてそれは……』という感じで訳すんだ」

 続いてカナのコピーの赤丸がつけられたthatを指す。

「このthatは関係代名詞として直前のa starを修飾してるんだ」

 『クラウン英文法』の「whichとthat:先行詞が人以外」のページを開く。

「まず”Imagine that...”で『……ということを想像しなさい』という意味になる。”each grain is a starで『それぞれの粒は星である』という意味になる。その後の”that shines by itself, like our sun.”で『太陽のように自ら光る……』という意味になる。合わせると『それぞれの粒は太陽のように自ら光る星であることを想像しなさい』という意味になるんだ」

 かなり長い解説になってしまった。カナは理解できているだろうか?

「今はすべて理解する必要はないよ。とりあえずこういうものなんだ、と覚えておいて読み進めてごらん」


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 私はマコトの長い説明を一生懸命聞き、自分のコピーにメモを取っていた。疑問詞のwhichと関係代名詞のwhichの違い。そして関係代名詞のthat。ただ情報量が多すぎて混乱した。

「えっと……疑問詞のwhichは文の初めに来て文の最後が?で、『どちらが……』と訳して、関係代名詞のwhichは名詞の後に来て『それは……』と訳す……。thatは関係代名詞になることもある……うーん……」

 マコトが「今はすべて理解する必要はない」と言ってくれたことに少しホッとした。

「そっか……。今は全部理解しなくてもいいんだね。とりあえず、こういうものなんだって覚えておけばいいんだね。ありがとう、マコト。カナ、ちょっと頭がパンクしそうだったから、助かった……」

 私は少し疲れた表情で笑いながらも、マコトに感謝した。教科書のコピーをもう一度見て、深呼吸した。

「文法と慣用表現、単語……少しずつ頑張って覚えていくね。マコト、分からないところがあったらまた教えてね?」

 私は再び自分のペンを握りしめた。窓から射し込む光が少しずつ高くなり午前中の時間が静かに流れていった。


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 ある日の放課後のこと。

 俺はカナと一緒に教室で勉強するところだった。しかし体の調子がおかしい。午後から体の震えが止まらなくなったのだ。

「じ、じゃあ、今日は世界史を……」

 世界史の教科書を取り出そうとして体勢を崩してしまい、そのまま床に倒れ込んでしまった。ガッシャーン!と音を立てて椅子が倒れる。手を滑らせたのか、机の上の筆記用具もいくつか落ちたようだ。

体中が痛い。さっき倒れたせいにしてはあちこちが痛い。頭痛が酷い。まともに目を開けるのが辛い。


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 マコトが椅子ごと床に倒れ込む音を聞いて、私は驚いてマコトの方に顔を向けた。教科書を開いていた手が止まり、一瞬何が起きたのか理解できなかった。マコトが床に倒れているのを見て私の顔の血の気が引いた。

「マコト!? ちょ、ちょっと……大丈夫!? マコト!!」

 私は慌てて自分の椅子から立ち上がり、マコトのそばに駆け寄った。床に散らばった筆記用具を気にする余裕などなく、膝を着いてマコトの顔を覗き込んだ。マコトの顔色は悪く、体が震えている。私は一気に不安になった。

「マコト、聞こえる!? しっかりして!! ねえ、どこか痛いの!? 顔、真っ赤だよ!?」

 私はマコトの肩を揺さぶりながら必死に呼びかける。マコトの様子が明らかにおかしいと気づき、パニックになりかける。周りを見渡しても放課後の教室には私とマコトしかいない。私は震える手でスマホを取り出したものの、手が震えてうまく操作できない。

「ど、どうしよう……先生を呼ばなきゃ……。保健室……いや、救急車!? マコト、待ってて!! カナ、今助けを呼んでくるから!!」

 私は涙目になりながらも立ち上がる。しかしマコトを一人にするのが怖くてその場から動けない。私はマコトの手を握りしめて震える声で呼びかけ続けた。普段の明るくて元気な姿は消え、大切な幼馴染みが倒れたことで完全に動揺していた。


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 その後、どうやって家に帰ったのかは覚えていない。ただ母から言われたのは「インフルエンザだからしばらく休むように」とのことだった。

「こんな時期にインフルエンザかよ……」

 予想外のアクシデントに俺は途方に暮れた。今は5月の末だから定期考査は問題なく受けられそうだが、カナの勉強はしばらく見れそうにない。

 俺はカナにメッセージを送った。

「インフルエンザにかかったみたいなので、しばらく休みます。約束、果たせそうにないかもしれない。カナ、ごめんな。」

 メッセージを送ると、俺はすぐに眠りについた。インフルエンザの痛みから逃れるように、ただ眠り続けた。


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 私は学校から帰ってきたばかりで、制服のまま自分の部屋にいた。マコトからのメッセージを読んで、スマホを握りしめたままだった。マコトが倒れたときの光景が未だに頭から離れない。あのときマコトがどれほど苦しんでいたのか……。自分の無力さを痛感した。

「インフルエンザ……。やっぱりあのときすごく辛かったんだね……。マコト……」

 私はマコトからの「ごめんな」というメッセージを何度も読み返した。涙が溢れそうになるのをこらえ、返信を打とうとした。しかし何を書けばいいのか分からない。「大丈夫だよ」と返すのは簡単だけど、それでは意味がない気がした。

「マコトはカナの勉強のこと心配してくれてるんだ……こんなに辛いのに……バカッ……」

 私は涙を拭いながら返信を打ち始めた。

「マコト、無理しないで。勉強のことなんて気にしなくていいから、ゆっくり休んでね。カナの事心配してくれてありがとう。でもマコトが元気になる事が一番大事だから、カナ、待ってるね。早く良くなってね。」

 メッセージを送信した後、スマホを胸に抱きしめた。ベッドに横になり、マコトの事を考えて小さく呟いた。

「マコト……。早く元気になって……。カナ、マコトに会いたいよ……」

 マコトが倒れて何もできなかった自分の無力さを思い出してまた涙が溢れてきた。でも今は泣いている場合じゃない。マコトが元気になるまで自分にできることをしなければ。

 涙を拭いて、スマホで検索し始めた。「インフルエンザ お見舞い 何がいい」と打ち込んでマコトのために何かできることはないか必死で探していた。窓の外を見ると夕日が沈み始めていた。


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 夢の中なのだろうか。俺は教室で机の上の問題用紙とにらめっこをしていた。どうやら定期考査らしい。今は数学Aの考査のようだ。

 俺は問題文を見てどう解くべきかを考える。

「チンチロに於ける役の確率を全て求めよ。」

「チ、チンチロ……?」

 チンチロとは容器にサイコロを3個投げてその出た目で勝敗を競うゲームだ。しかしチンチロを知っている生徒なんているのか? 俺はカイジという漫画を読んだことがあるから内容は少し知っているが、カナはチンチロについてさっぱり知らないだろう。

 まずはサイコロ3個の出る目の総数を求める。6³だから216通りだ。

 ここからが厄介だ。チンチロには様々な役がある。ピンゾロ、ゾロ目、シゴロ、二つ目揃い、役無し、ヒフミ……。

ピンゾロ、ゾロ目、シゴロ、ヒフミの出る数は分かったが他の目の出方の場合の数が多過ぎる。

「う、うわあああ!!」


 自分の叫び声で目を覚ますと、部屋の天井が見えた。どうやら夢だったらしい。

「……確率論の勉強のし過ぎだな……。」

 自嘲したが依然体中が痛い。そんな中、俺の携帯が鳴った。誰からの着信だろう?まさかこれも夢……なのだろうか?


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 午後4時過ぎ。学校の授業が終わった直後の時間帯だった。

 私は学校から帰る途中、マコトのことが心配で電話をかけていた。マコトが倒れてから数日が過ぎ、メッセージで「ゆっくり休んで」と送ったものの、やっぱり声が聞きたかった。電話がつながるのを待って緊張してスマホを握りしめていた。

 もしマコトが電話に出たら少し心配だけど、元気づけるために明るく振る舞おうと考えていた。

「マコト? 電話、出れる? 大丈夫? カナ、学校が終わったから電話しちゃった。ごめんね、寝てた? でも声が聞きたくて……。マコト、どう? 少しは良くなった? ご飯ちゃんと食べてる?」

 もしもマコトが電話に出てくれたら、矢継ぎ早に質問を浴びせようと思っていた。マコトの体調が心配で心配で、いてもたってもいられなかった。道端で立ち止まりながらマコトが電話に出るのを待っていた。


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 しばらくすると着信音は止まった。もしかしたら、カナからの電話だったかもしれない。重要な電話だったら後でかけ直してくるだろう。

 着信があって少し経った頃、今度はインターホンが2回鳴った。誰が来たのだろう? 母だとしたらインターホンは鳴らさずにすぐドアを開けるはずだが……。

 玄関のドアが開く音がする。俺はだるい体を動かし、部屋の扉を少し開け、隙間から玄関をのぞいた。母と、カナが玄関で話しているようだ。二人の話し声が少し聞こえる。

「……来てくれてありがとう。でもインフルエンザを移しちゃうと大変だから……。……お見舞いに、って? ありがとう。私からマコトに渡しておくわね。」

 母と話し終えたのか、カナが帰っていった。その背中は少し寂しそうだった。玄関のドアがゆっくりと閉まる音がする。

 母が階段を上り、俺に白い箱を渡す。どうやらさっき、カナが持ってきた物らしい。

「マコト。あなたのクラスメイトがお見舞いに、って渡してきたのよ。あまり無理しちゃダメよ。じゃあね。」

 母は階段を下りていった。夕食の準備を始めるのだろう。

 部屋に戻り、先ほど受け取った白い箱を開ける。箱の中にはプリンとメッセージカードが入っていた。

「マコトが元気に戻って来てくれるのを待っています。早く良くなってね。」

 メッセージカードの追伸を見て俺は苦笑いした。

「追伸 約束はきちんと守ってもらうからね!」

 相変わらず強気なところは変わらないようだ。

 俺は付属のプラスチックのスプーンでプリンを食べた。苦く感じたのはカラメルソースのせいか、それとも体調がすぐれないせいか……。


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 私はマコトの家を去り、何度も後ろをふりかえっていた。マコトに会えなかったことがすごく残念だった。ただ「インフルエンザを移してしまったら大変だから」とマコトの母に言われて、仕方ないとも思っていた。

「マコト、プリン食べてくれるかな……。カラメルソースがかかったマコトが好きそうなやつにしたんだけど……」

 学校帰り、デパ地下で選んだプリンの事を思い出していた。マコトが好きそうなカラメルソースのかかったプリン。メッセージカードには本当は「早く会いたい」「心配してる」ってもっと書きたかったけど、恥ずかしくて書けなかった。代わりにいつもの調子で「約束はきちんと守ってもらうからね!」なんて強気なことを書いてしまった。

「……バカみたい。本当はもっと心配してるって伝えたかったのに……」

 マコトに電話をかけたときの事を思い出した。あのときマコトは電話に出なかった。きっと寝ていたんだろう。私はもう一度マコトにメッセージを送ろうか考えたがやっぱり止めることにした。今はマコトにゆっくり休んで欲しかった。

「マコト……早く元気になってね。カナ、ずっと待ってるから……」

 また涙が浮かんできた。今度は我慢せずに涙を流しながら帰り道を歩いていた。夕日が沈み、街は夜に包まれていった。


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 プリンを食べ終えてすぐ、俺はカナに電話をかけた。

 発信音が終わってすぐ、話をする。

「もしもし、美坂マコトです……ゴホッ、ゴホッ……」

 声がかすれ、咳き込んでしまった。カナの返事を待っていた。


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 家に着いて自分の部屋に入ったところだった。制服を着替えようとしていたとき、スマホが鳴った。スマホの画面には「美坂マコト」の名前が表示されていた。私は慌てて電話に出た。

「マコト!? 大丈夫!? 今、電話出れる状態なの!?」

 マコトのかすれた声と咳き込む声を聞き、心配になった。電話越しでもマコトがまだ辛そうなのが伝わってくる。私は制服を着替えるのも忘れてベッドに座り込み、電話を続けた。

「ね、ねえ……無理して電話しなくてもよかったのに……! カナ、さっきマコトの家に行ったんだけど、お母さんに『インフルエンザが移ったら大変だから』って会えなかったの……。プリン、渡せた? お母さんに渡したんだけど……マコト、ちゃんと食べてくれた?」

 私はマコトの体調が心配で、矢継ぎ早に質問を浴びせてしまった。しかしマコトからの電話が嬉しくて、涙が溢れそうになった。

「マコト……声、すごく辛そう……。本当に大丈夫? 無理しないでね? カナ、マコトが心配で心配で……。学校でもマコトの事をずっと考えてた。早く元気になってまた一緒に勉強したいよ……」

 電話越しにマコトの息遣いを感じながら自分の気持ちを素直に伝えた。普段は強気だけど、今は不安と心配でいっぱいだった。


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「あ、ありがとう。美味しかったよ。それと……心配かけてごめんな。ゴホッ!」

 相変わらず咳き込んでしまう。机の上にあるのど飴を取り、口に放り込む。

「……カナの気持ち、嬉しいよ。まだ本調子じゃないけど、絶対治して約束果たすから。だから、もう少しだけ我慢してくれ。」

 のど飴のおかげで幾分か喉の痛みが収まる。

「……実はさ、悪い夢を見たんだ。数学Aのテストを受けてたんだけど、『チンチロの確率を求めよ』っていう問題が出てきてさ、ちょっと……いや、かなりパニックになったんだ。」

 ははは、と乾いた笑いをする。少しでもカナの不安を取り除きたかった。

「カナはカイジという漫画、読んだことある?その漫画で主人公のカイジがチンチロというゲームでイカサマのサイコロを使って逆転するんだけどさ。それでチンチロというサイコロゲームを調べたこともあったんだ。」


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 マコトが「美味しかった』と言ってくれた事に少しホッとした。だけどマコトが咳き込むのを聞くたびに胸が痛んだ。

「マコト、無理しないで! 約束なんてマコトが元気になってからでいいから! カナ、全然我慢できるから……!」

 涙声になりながらも話す。マコトが「絶対治して約束果たす」と言って嬉しくなり、表情が和らぐ。マコトがこんなつらい状況でも、私のことを気遣ってくれる事が何よりも嬉しかった。

 マコトが夢でチンチロの確率を見た、という話をしだしたとき私は少しホッとした。マコトが冗談を言う余裕があるなら少しは体調が良くなっているのかもしれない。マコトの乾いた笑い声を聞いて、私もつられて笑った。

「チンチロ……? 何それ! カナ、そんなの全然知らないよ! カイジというマンガも読んだことないし……。マコト、そんな難しい問題の夢を見るなんて勉強し過ぎだよ! もっと楽しい夢を見ないと!」

 少し元気を取り戻して明るい声で話したけど、すぐに心配になって小さな声に戻る。

「カナ、すごく心配だったの。マコトが倒れたとき、カナ、何もできなくて……すごく怖かった。マコトがいなくなっちゃうんじゃないかって……だから、マコトが電話してくれて、マコトの声が聞けて……本当によかった……」

 また涙声になっていた。私はスマホを握りしめ、マコトの返事を待っていた。窓の外は日が完全に沈み、夜になっていた。


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「……ああ、そうだな。カナも頑張っているんだもん、俺も頑張らないとな。今日はお礼が言いたかったんだ。あと心配かけたことも謝りたかった。絶対約束守るから、もう少しだけ、辛抱してくれ。じゃあ。」

 カナの返事を聞いたあと、俺は電話を切った。早くインフルエンザを治すため、早めに寝ることにした。


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「絶対約束守る」という言葉を聞いて涙を拭い、小さく笑った。マコトがこんなに辛くても私のことを気遣ってくれていることが何よりも嬉しかった。

「うん……。分かった。マコト、無理しないでね。カナ、ちゃんと待ってるから。おやすみ、マコト。早く元気になってね……」

 電話が切れた後もしばらくスマホを握っていた。マコトの声を聞けたことで少し安心した。しかし心配もまだ残っていた。ベッドに横になり、天井を見つめながらマコトの事を考えていた。


 翌朝目を覚ますと自分の頬が濡れている事に気がついた。夢の中で泣いていたのか、現実で泣いていたのか、よく分からなかった。

 マコトが早く元気になりますように……。また一緒に笑い会えますように……。そう強く願いながら学校の準備を始めた。窓の外は朝日が昇り始めている。


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 6月10日水曜日。

 定期考査まであと2週間を切った。

 俺とカナは放課後の教室で机を向かい合わせて座っている。

 俺のインフルエンザは完全に治ったが、今度は別の問題が発生した。

「……古典のテスト対策、どうすればいいんだ……」

 古典の出題範囲が分からないのである。

 理由は3つ。

 1つ目は、授業で『徒然草』を取り扱っていないこと。一応古典の教科書では『徒然草』を取り扱っているが、担当の江古田先生が「徒然草ばっかり読んでいてもつまらん!」という理由で別の作品を取り扱っているのだ。現在は『竹取物語』の「蓬莱の玉の枝」の授業を受けている。一応プリント形式で授業は進められているが、「徒然草は各自で学べ!以上!」とまともに取り合ってくれない。

 2つ目は、教科書では『徒然草』以外の作品も取り扱っていること。授業が当てにならないなら教科書で自習を進めようと思ったが、教科書の範囲で出題されることを考えると、『徒然草』以外の部分が試験に出てくる可能性があるのだ。

 3つ目は、『徒然草』の範囲が多過ぎるということ。『徒然草』は全部で243段もある。その中からピンポイントで試験の範囲を当てることは砂漠でダイヤモンドを見つけるくらい難しい、もはや不可能だろう。

 俺がこんな調子だから、カナにとってみれば背水の陣、いや断崖絶壁の陣だろう。


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 私はマコトの深刻な表情を見て不安な面持ちだった。机の上には古典の教科書とノートが広げられているが、どこから手を付ければ良いのか全く分からなかった。

「え……古典のテスト対策、分からないの? マコトが分からないならカナなんて絶対ムリじゃん……! どうしよう……古典、カナ、一番苦手なのに……!」

 私は頭を抱えながらも教科書をパラパラとめくった。『徒然草』のページを開いても古文の文体で書かれているため何が書いてあるのかさっぱり理解できない。助けを求めるようにマコトの事を上目遣いで見つめた。

「ねえ、マコト……。先生、『徒然草』の授業してないのに、テストには出るかもしれないってどういうこと? それってちょっと酷くない? カナ、『竹取物語』も全然分かってないのに『徒然草』も勉強しなきゃいけないの? しかも243段もあるって……。ムリだよ! 絶対ムリ……!」

 私は涙目になりながらマコトに訴えた。普段の調子と違って完全にパニックになっていた。古典はもともと苦手なのに加えてテスト範囲が分からないという状況が私の自信を打ち砕いていた。

「マコト……カナ、どうすればいいの? このままじゃ、古典、絶対赤点取っちゃうよ……! マコト、助けて……!」

 私はマコトの袖をつかみながら必死に助けを求めた。今はマコトに頼るしかなかった。


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 俺は手元の試験範囲のメモを読み直し、黒板に貼ってある定期考査の案内を読み直す。どちらも古典に関しては『徒然草』が出題範囲になっている。

 古典の教科書の目次を開く。教科書では『徒然草』の序段、「仁和寺にある法師」(52段)、「友とするにわろき者」(117段)、「丹波に出雲といふ所あり」(236段)を取り扱っている。

 様々な情報をもとに、俺は推測を立てた。

「……まず、『徒然草』が出るのは間違いない。『竹取物語』は出ないとみていいだろう。教科書では序段、仁和寺にある法師、友とするにわろき者、丹波に出雲といふ所ありが載っている。ただ序段は簡単だからテストに出ないだろう。とすると仁和寺にある法師、友とするにわろき者、丹波に出雲といふ所あり、を勉強すべきだろう。」

 カナに言い聞かせるように、自分に言い聞かせるように、そして安心させる、安心するために俺は自分の考えを口にした。


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 マコトの推測を聞き、ひとまず安心する。マコトが冷静に状況を分析してくれたおかげで不安も少しずつ和らいでいった。

「そっか……。『竹取物語』は出ないんだね。良かった……! じゃあ『徒然草』の仁和寺にある法師、友とするにわろき者、丹波に出雲といふ所ありを勉強すれば良いんだね? でもそれでも3つもあるじゃん…… カナ、古典の単語も文法も全然分かんないのに……大丈夫かな……?」

 私は教科書の『徒然草』の部分を開いた。「仁和寺にある法師」のページを見ると、古文の文字がびっしりと並んでいる。その文字を見ただけで頭が痛くなりそうだった。でもマコトが一緒にいてくれるから、なんとか頑張れそうな気がした。

「ねえ、マコト。まず仁和寺にある法師から勉強しようよ。カナ、これ全然意味分かんないんだけど……。マコト、最初から教えてくれる? あと、古典の単語とか文法も一緒に教えてくれたら嬉しいな……。カナ、マコトがいないと絶対ムリだから……!」

 私は甘えるようにマコトの事を上目遣いで見つめた。


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「そうだな。」と俺は頷く。

 だが定期考査まで残り1週間くらいしかない。普通に勉強したのでは間に合わない。カナの実力を考えれば尚更だ。

「古典ではまず原文を口語訳してそれから文法事項などを勉強していくんだけど――」

 俺はカナの顔を見て話す。

「普通に勉強するのは時間がかかり過ぎる。そこで、まず口語訳を読んで大まかな意味をつかんで、それから原文を見て対応する場所の意味や文法事項を学んでいこう。」


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 私はマコトの提案を聞いてホッとした。普通に勉強するよりまず口語訳を読んだ方が理解しやすそうだった。しかしそれでも不安は消えない。

「口語訳から読むんだね……。それならカナでも少しは分かるかも。でもマコト、本当に間に合うかな? あと1週間しかないんだよ? カナ、他の科目も勉強しないといけないし……。でも、マコトがそう言うなら信じる! カナ、頑張るから!」

 マコトの事を信じ、やる気を取り戻す。教科書の「仁和寺にある法師」のページを開いて口語訳を探したが、教科書には口語訳が載っていなかった。

「あれ? マコト、教科書に口語訳載ってないよ? どうすればいいの? ネットで調べる? それともマコトが持ってる参考書に載ってる?」

 私はスマホを取り出してマコトに尋ねた。定期考査まで1週間しかない今、一刻も早く勉強を始めたかった。


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「『徒然草』の口語訳ならインターネットに載ってるよ。」

 俺はリュックからiPadを取り出し、「グッドノーツ」のアプリを開く。「文学」と書かれたフォルダを開き、「徒然草」のファイルを開く。

「興味があってまとめてはいたんだけど……」

 ファイルのページ数をみて眉を寄せる。全部で250ページはある。この中から該当のページを開いて見せればよいのだが、カナが書き写すのに時間がかかるだろう。

「……うーん……」

 突如、俺の中で1つのアイデアが閃いた。

「カナ!5分だけ待っててくれ!その間荷物を頼む!!」

 俺は財布を尻ポケットに突っ込み、iPadを持って教室を飛び出した。


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 私はマコトが突然立ち上がって教室を飛び出す姿を唖然として見送った。

 一体何が起きたのか、全く理解できなかった。でもマコトが「荷物を頼む」と言ったからきっと何か考えがあるのだろう。私は机の上の教材や机の横にかけられているマコトのリュックをしっかり見守ることにした。

「え……、ちょ、ちょっと、マコト!? どこ行くの!? 荷物って……分かった! ちゃんと見てるから!」

 マコトの背中に向かって声をかけたが、マコトはすでに廊下を走っていた。教室には私とマコトの荷物だけが残された。少し不安になって机の周りをキョロキョロと見回す。他の生徒は既に帰宅していて教室には私しかいない。

「マコト、何考えてるんだろう……。まさかコンビニとか行ってるのかな? それとも印刷とか? 5分で戻ってくるって言ってたけど……大丈夫かな……」

 私は机の上に開かれた教科書を見つめながら小さく呟いた。マコトが戻ってくるのを待ちながら教科書をパラパラめくって時間を潰すことにした。時計を見ながらマコトが無事に戻ってくるのを祈っていた。


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 俺は学校を出て近くのコンビニに向かう。

 コンビニに入り、すぐそばのマルチコピー機に駆ける。

 財布から小銭をコピー機に入れ、「アプリから印刷」をタッチする。iPadでプリント専用のアプリを開く。印刷するページの範囲、用紙サイズ、枚数などを指定し、プリント完了を待つ。プリントがコピー機から出てきて、プリントとiPadを持ち、財布を尻ポケットに戻し、学校まで走って戻り、カナがいる教室まで戻ってきた。

「はぁ、はぁ、お、お待たせ……」

 俺は机に手をついて息を整える。

「近くのコンビニで……印刷してきたんだ……。」

 俺はカナにプリントを渡す。1枚目のプリントには「仁和寺にある法師」の口語訳と原文、2枚目のプリントには「友とするにわろき者」の口語訳と原文、3枚目のプリントには「丹波に出雲といふ所あり」の口語訳と原文が印刷されている。


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 私はマコトが息を切らして教室に戻ってきた姿を見て驚きの表情を浮かべた。マコトの額には汗が光っていてかなり急いで走ってきたことが伝わってくる。慌てて自分の席から立ち上がり、マコトのそばに駆け寄った。

「マコト、大丈夫!? すごい汗かいてるよ! 走って行ってきたの!? 無理しないでよ! まだ病み上がりだというのに……!」

 心配な表情でマコトを見つめながら自分のハンカチを取り出してマコトの額の汗を拭こうとした。その時マコトから渡されたプリントを見て私の表情が驚きと感動に変わった。プリントには「仁和寺にある法師」、「友とするにわろき者」、「丹波に出雲といふ所あり」、の口語訳と原文が綺麗に印刷されていた。

「え……これ、マコトが印刷してきてくれたの!? わざわざコンビニまで走って……!? マコト、ありがとう……! カナのためにこんなに頑張ってくれて……!」

 プリントを両手で大切に持ち、涙目になってマコトを見つめた。マコトが私のためにここまでしてくれたことが嬉しくて胸が熱くなった。私はプリントを机の上に置き、マコトの腕をつかんで席に座らせた。

「マコト、ちょっと休んで。水、飲む? カナ、自販機で買ってくるよ! それとも保健室行く? まだ息荒いよ?」

 私はマコトを心配して自分のペットボトルの水をマコトに差し出した。

 マコトがこんなに自分のことを想ってくれていることに改めて気づき、マコトへの想いがまた少しずつ深まっていくのを感じた。


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「あ、ありがとう……。」

 俺は差し出されたペットボトルを素直に受け取り、水を飲む。冷たい水がキンキンに染み渡る。制服のネクタイを緩め、しばらく楽な姿勢で休んだ。


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 マコトが水を飲んで少し落ち着いたのを見てほっと胸をなでおろした。マコトがネクタイを緩めて楽な姿勢で休んでいる姿を見て、私も自分の席に戻り、マコトが印刷してきてくれたプリントをじっくりと眺めた。口語訳と原文が並んで印刷されていてとても見やすい。

「マコト……本当にありがとう。カナのためにわざわざコンビニまで走ってくれて……すごく嬉しい。このプリントすごく分かりやすいよ。マコト、本当に頭いいよね……。カナ、マコトがいないと絶対ムリだったよ……」

 私はプリントを見ながら少し照れて笑った。マコトが落ち着くまで待って、勉強を再開しようと思った。私は自分のノートとペンを用意して、マコトが完全に回復するのを待った。窓の外では夕日が沈み、空がオレンジ色に染まり始めていた。

「マコト、もう大丈夫? じゃあ仁和寺にある法師から勉強しよっか。まず私が口語訳を読んでみるね。えっと……『仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ……』……あれ、こっちは原文だ。えっと、口語訳は……」

 私はプリントをよく見て口語訳の部分を探し始めた。


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「そうだね、そろそろ始めようか。」

 俺はネクタイを締め直し、カナと向かい合う。

 まずは「仁和寺にある法師」からだ。

「……仁和寺にいたある僧侶が、高齢になるまで石清水八幡宮を拝んだことがなくて、これはマズイと思って、ある日思い立って、一人で歩いて参拝した。極楽寺や高良神社を拝んで、これだけかと思って帰っていった。」

 前半部分の口語訳を読み上げる。


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 私は、マコトが口語訳を読み上げるのを真剣に聞いていた。マコトの声は落ち着いていて聞き取りやすい。私は自分のプリントを見ながらマコトが読み上げる文を目で追う。

「えっと……仁和寺にいた僧侶が、石清水八幡宮を拝んだことがなくて、参拝に行ったんだね。で、極楽寺と高良神社を拝んで、それで終わりだと思って帰っちゃったってこと? でもそれって何か変じゃない? 石清水八幡宮に行ったのに、石清水八幡宮を拝まずに帰っちゃったってこと?」

 私は少し首を傾げてマコトに尋ねた。口語訳を読んだだけでもなんとなく話の内容は理解できた。しかし僧侶の行動が少しおかしい気がして、疑問の表情を浮かべた。

「ねえ、マコト。この僧侶、なんで石清水八幡宮を拝まずに帰っちゃったの? せっかく参拝に行ったのに目的を果たさずに帰るなんて……。なにか理由があるのかな? それとも僧侶が間違えちゃったの?」

 プリントの続きを見ながらマコトの説明を待つ。古典の話は意外と面白いかもしれない。少しずつではあるが古典に興味を持ち始めていた。


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「続きを読むね。」

 俺は後半部分の口語訳を読み上げる。

「……知り合いに会って、『長年思い続けていたことを果たしましたよ。前々まで聞いていたのと比べてずっと尊いご様子でした。さて、参拝している人達が山に登るのは何事か、と不思議に思ったけど、参拝するのが目的だったから山までは行きませんでした』と言った。ちょっとした事でもその道の案内者は在って欲しいものである。」

 と読み上げたところでカナの様子を見る。


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 マコトが後半部分の口語訳を読み上げるのを聞き、だんだん話の全体像が見えてきた。マコトが読み終えた瞬間、私の表情は明るくなった。

「あ! 分かった! この僧侶、石清水八幡宮に行ったのに本当の本殿がある山の上まで登らなかったんだ! 極楽寺と高良神社だけ拝んで、『これで終わり』と思って帰っちゃったってこと!? えー、それってすごい残念じゃん! せっかく参拝に行ったのに、一番大事な所を見逃しちゃったんだね……」

 プリントを見ながら少し笑ってしまった。僧侶の失敗がなんだか可愛らしく思えてきた。でもすぐに真面目な表情になりマコトの方を見る。

「でもさ、マコト。最後の『ちょっとした事でもその道の案内者は在って欲しいものである』ってさ、すごい深い意味があるよね。知らない場所に行くときは、ちゃんと案内してくれる人がいた方がいいってことだよね。この僧侶も、誰かに案内してもらえばちゃんと本殿まで行けたのに……」

 そこまで言って、ふと気がついた。私も今、古典という知らない世界で迷っていた。でもマコトという「案内者」がいるから少しずつ前に進めている。私はマコトの顔をじっと見つめて少し照れくさく笑った。

「……カナもマコトっていう案内者がいてくれて本当によかった。マコトがいなかったらカナ、絶対に古典のテストで迷子になっていたよ。ありがとね、マコト」

 私はそう言ってプリントに視線を戻した。頬が少しだけ赤くなっているのは夕日のせいだけではないだろう。


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「そう、そんな感じで物語の大筋をつかむのが大事なんだよ。」

 カナが理解してくれたことにひとまず安堵する。

「次は原文を見ながら、口語訳と対応する部分を見ていこうか。」

 俺はプリントの下部の原文の所を指差す。

「一気に読むんじゃなくて、区切りながら読んでいこうか。」

 俺は原文にシャープペンで線を引き、区切っていく部分を示していく。


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 私はマコトがプリントの原文の部分にシャープペンで線を引いていくのをじっと見ていた。マコトの手つきは慣れていて、どこで区切るべきかすぐに分かっているようだった。私も自分のシャープペンを手に取り、マコトが引いた線と同じところに線を引き始める。

「うん、わかった! 一気に読むと頭がこんがらがっちゃうもんね。区切りながら読んだほうが口語訳と比べやすいし……。マコト、どう区切ればいいの?」

 プリントの原文を見ながらマコトの指示を待っていた。原文は正直言ってまだ難しく感じるけど、マコトが丁寧に教えてくれるから少しずつ理解できそうな気がしてきた。

「ねえ、マコト。この『年寄るまで』って、『高齢になるまで』って意味だよね? 『寄る』って『年を取る』っていう意味もあるんだ……。古典って現代語と全然違う意味の言葉がたくさんあって難しいよね……。でもマコトが教えてくれるからカナ、頑張れる気がする!」

 教室の窓の外では夕日がほとんど沈みかけて教室の中が少しずつ暗くなってきていた。


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 まずは「仁和寺にある法師、」の部分に横線を引いて区切る。続いて「年寄るまで」、「石清水を」、「拝まざりければ、」と区切っていく。「心うく覚えて」は「心うく」、「覚えて」、と細かく区切る。「ある時思ひ立ちて、」は「ある時」、「思ひ立ちて、」。「ただひとり」で区切り、「徒歩かちより」、「詣でけり」と区切る。「極楽寺・高良などを」、「拝みて、」「かばかりと」、「心得て」、「帰りにけり」と区切る。

「……前半部分はこんな感じかな。どうだろう?」

 俺が一方的に進めてしまった気がするが大丈夫だろうか?


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 マコトがシャープペンで次々と原文に線を引いていくのを見ながら、必死に自分のプリントにも同様に線を引いていった。マコトの説明は丁寧で、区切り方も分かりやすい。でもあまりにもたくさんの区切りがあって私は少し混乱してきた。

「え、えっと……『仁和寺にある法師、』『年寄るまで』『岩清水を』『拝まざりければ』……あれ、マコト! ちょっと待って! 『心うく覚えて』は『心うく』と『覚えて』で分けるの!? えっと、えっと……」

 マコトが引いた線を追いかけながら自分のプリントにも線を引いていったが途中で少し追いつけなくなってしまった。「ある時思ひ立ちて」「ただひとり」「徒歩より」「詣でけり」……。必死にマコトの説明を聞きながら線を引き続けた。そしてマコトが「前半部分はこんな感じだな。どうだろう?」と尋ねてきたとき、私は困った顔でマコトを見上げた。

「マコト……ごめん、ちょっと待って。カナ、途中でわかんなくなっちゃった……。『心うく覚えて』のところから、もう一回教えてくれる? 『心うく』と『覚えて』で分けるのは分かったんだけど、その後の『ある時思ひ立ちて』のところが……『ある時』と『思ひ立ちて』で分けるんだよね?でも『思ひ立ちて』ってどういう意味なの? 『思い立つ』ってこと?」

 私はプリントを見ながらマコトに質問した。マコトの説明は丁寧だったけど少しペースが速すぎたようだった。夕日がほとんど沈んでしまい、教室の中はだいぶ暗くなってきている。私は少し不安な表情でマコトの顔を見つめていた。

「マコト……カナ、頭悪くてごめんね。でもちゃんと理解したいから、もう一度教えてくれる? お願い……!」


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「そうだね……」

 俺は一つ一つの単語の意味を分けるように説明していく。

「まず心うくというのは『残念に』という意味で、覚えて、というのはシンプルに『思って』という意味なんだ。ここではこの僧侶は石清水八幡宮を参詣しなかったことを残念に思っていた、という意味なんだ。」

 続けて俺は「ある時思ひ立ちて」の部分を指差す。

「これはシンプルにある日決心して、という意味なんだ。思い立つ、という意味で大体問題ないと思うよ。」

 俺は英語の勉強の時、カナに言ったことを思い出す。

「今は全て理解する必要はないよ。とりあえずこういうものなんだ、と覚えておいて読み進めてごらん。」

 あのとき言ったことを再び言うとは思っていなかった。


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 私はマコトの説明を真剣な表情で聞いていた。マコトが一つ一つの単語の意味を丁寧に教えてくれるおかげで、少しずつ原文の意味が見えてきた。「心うく」は「残念に」、「覚えて」は「思って」。自分のプリントにメモを書き込みながらマコトの言葉を噛み締めていた。

「『心うく覚えて』は『残念に思って』って事なんだね。僧侶が石清水八幡宮を参詣しなかったことを残念に思ってた……なるほど! それで『ある時思ひ立ちて』は『ある日決心して』ってことか。うん、分かった! マコト、ありがとう!」

 マコトの説明を聞いて少しずつ理解できてきた。マコトが「今は全て理解する必要はないよ。とりあえずこういうものなんだ、と覚えておいて読み進めてごらん」と言ったとき私はハッとした。その言葉は以前英語の勉強をしていたときにもマコトが言ってくれた言葉だった。私はそのときの事を思い出して安心した表情になった。

「……そっか。全部完璧に理解しなくてもとりあえず『こういうものなんだ』って覚えておけばいいんだね。英語のときもマコトが同じ事言ってくれたよね。あのとき、カナ、すごく楽になったんだ。マコトっていつも同じ事言ってくれるから安心する……」

 私はそう言い、照れ笑いをした。マコトの教え方はいつも優しくて焦らせない。私はマコトのそういう所が本当に好きだった。教室の中はもうすっかり暗くなっていて窓の外には夜の闇が広がり始めている。そろそろ電気をつけた方が良いかな、と思いながらもマコトとの勉強時間をもう少し続けたいとも思っていた。

「ねえ、マコト。このまま続けて大丈夫? 暗くなってきたから電気つけた方がいいかな? それとも……もうちょっとこのまま勉強する? カナ、マコトと一緒だったらもうちょっと頑張れる気がする」

 私はマコトの顔をじっと見つめながらそう尋ねた。教室の中には私たちだけの静かで暖かい空気が流れている。私の頬は少し赤く染まっていた。


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「そうだな……」

 と、俺は大きなあくびをしてしまった。時計を見るともう7時になろうとしている。このままいると怒られてしまうな。

「あんまり勉強し過ぎても疲れて理解できなくなるし、体調も崩れちゃうよ。」

 インフルエンザで倒れたことを思い出し、恥ずかしくなる。

「……なんて、倒れた俺が言うことじゃないけどね。もう遅いから、今日はここまでにして、帰ろうか?」


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 私はマコトが大きなあくびをしたのを見て少し心配な表情になった。時計を見るともう7時近くになっている。私も少し疲れていたことに気づいた。でもマコトと一緒にいる時間が終わってしまうのが少し寂しかった。

「そっか……。もうこんな時間なんだ。マコト、今日はたくさん教えてくれて本当にありがとう。カナ、マコトのおかげで古典が少し分かってきた気がする」

 そう言って私はプリントとノートを片付け始めた。マコトが「あんまり勉強しすぎても疲れて理解できなくなるし、体調も崩れちゃうよ」と言ったとき、私はマコトがインフルエンザで倒れたときの事を思い出し、クスッと笑った。でもすぐに真剣な表情に戻ってマコトを見つめた。

「マコトが倒れたとき、カナ、本当に怖かったんだよ……。だからマコトも無理しないでね。今日はカナのためにコンビニまで走ってプリントに行ってくれたし、たくさん勉強も教えてくれたし……。本当にありがとう」

 そう言って自分の荷物をまとめて、マコトと一緒に教室を出る準備をした。窓の外はもうすっかり暗くなって街明かりが見え始めている。

 マコトと一緒に帰れる事が嬉しくて少し頬を赤らめ、マコトの隣を歩いた。

「ねえマコト、一緒に帰ろ? カナの家、マコトの家と同じ方向だし……。今日はマコトと一緒に帰りたいな」

 少し恥ずかしく、でもはっきりした声でマコトに言った。教室を出て廊下を歩きながらマコトの隣にぴったりとくっついて歩いた。今日一日マコトと一緒に過ごせて私はとても幸せだった。


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「そうだね。夜道は危ないし、俺がカナの家まで送ってくよ。」

 帰り道、俺とカナが横に並んで歩く。空は晴れて、星々が淡く輝いている。

「星がきれいだな……」

 輝く星を見て、俺は『数学ガールフェルマーの最終定理』に出てくる「アンドロメダでも、数学してる」のくだりを思い出した。

「以前『数学ガールフェルマーの最終定理』という本を読んだんだ。『僕たちの目に見えるくらいの星は、実はとてつもなく巨大だ』。『僕たちは、自分の網膜に射影された、遠い過去からの星の影を見ているのだ』。『星の探査ができなくても、夜空の星座を楽しめる』ってね。星は巨大だけど、昔の人は星座を結んで楽しんでいたんだね」

 って、何を言ってるんだ俺は。こんな小難しいことを話してどうする。「星よりもキミの方がキレイだね」と言ったほうがまだウケるんじゃないか。

 少し緊張した面持ちでカナの横顔を見る。


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 私はマコトと並んで緊張しながら夜道を歩いていた。「夜道は危ないし、俺がカナの家まで送ってくよ」とマコトが言ってくれて嬉しく、胸が高鳴っていた。

 空を見上げるとたくさんの星が輝いていて思わず「わあ……」と声を漏らした。

「本当だ……。星、すごくきれい。こんなにたくさん見えるんだね。普段、あんまり夜空なんて見ないから……。マコトと一緒じゃなかったら気づかなかったかも。」

 マコトの隣を歩きながら夜空を見上げていた。「星は巨大だけど、昔の人は星座を結んで楽しんでいたんだね。」と言ったマコトの言葉は少し難しかったけど、ロマンチックにも聞こえた。

「へえ……。そうなんだ。星って実際はすごく大きいんだね。でも人間は星座を作って思いを馳せてた……か。なんか素敵だね。マコトってそういう事知ってるんだ。カナ、全然知らなかったよ。マコトって、本当に頭いいよね……」

 そう言ってマコトの横顔をチラッと見た。マコトが少し緊張した面持ちでこちらを見ているのに気づいた。マコトのそんな表情を見てドキドキしてしまった。いつもは冷静なマコトが少し緊張しているように見える。そんなマコトが可愛く思えて思わず笑顔になった。

「ねえ、マコト。なんか緊張してる? 顔、ちょっと赤くない? もしかして……カナと一緒に帰るの、恥ずかしい? それとも……えへへ、違うこと考えてた?」

 私は少しからかうようにマコトに尋ねた。でも私の尋ねる声は優しくて、責めているわけではなかった。私はマコトと一緒に夜道を歩くこの時間をとても特別に感じていた。星空の下、二人きりで歩いている。私はマコトの隣に少しだけ近づいて歩き続けた。


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「……そのどちらでもあって、どちらでもない、かな。」

 いろんな感情がごちゃ混ぜになって、また訳の分からぬことを言ってしまった。

 カナの家の前まで着き、俺は手を振って分かれる。

「じゃあな。今日はゆっくり休めよ。」

 カナの家を後にして、俺も自分の家に向かって歩いた。


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 マコトの「そのどちらでもあって、どちらでもない、かな」という言葉を聞いて少し戸惑った。マコトの言葉はいつも少しだけ難しくて、でもなんだか心に響く。マコトの言葉の意味を考えようとしたけど、すぐには理解できなかった。でもマコトが私の事を考えてくれているんだ、ということは伝わってきた。

 家の前に着くと、マコトが手を振って分かれようとした。私は少し寂しそうな表情を浮かべたけど、笑顔に戻ってマコトに手を振り返した。

「うん、マコトもゆっくり休んでね。今日は本当にありがとう。コンビニまで走ってくれたり、古典を教えてくれたり……。カナ、すごく嬉しかった。明日も学校で会おうね!」

 家に入ると私は自分の部屋に向かった。ベッドに座り、今日マコトが印刷してくれたプリントを取り出してもう一度眺めた。「仁和寺にある法師」の口語訳と原文。マコトが丁寧に教えてくれた一つ一つの言葉の意味。私はプリントを胸に抱きしめて、少しだけ涙ぐんだ。

「マコト……。ありがとう。カナ、マコトの事……本当に……」

 私はそこまで言って言葉を飲み込んだ。まだ自分の気持ちをはっきりと言葉にするのは少し怖かった。でもマコトと一緒にいると自分が少しずつ変わっていくのを感じる。もっと勉強を頑張りたい。もっとマコトと一緒にいたい。そんな想いを胸にベッドに横になった。窓の外には、今日マコトと一緒に見上げた星空がまだ輝いていた。


※結城浩著『数学ガール フェルマーの最終定理』(SBクリエイティブ株式会社)より引用した箇所があります。

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