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パチリ、とソフィアは目を覚ました。
部屋の中は薄暗い。
「なんか、夢を見てた気がする…」
どんな夢だったのかはさっぱり思い出せないが。
見慣れない天井をしばらく眺め、ここが団長の別邸であった事を思い出す。
「そっか。魔力回路の治癒をしたんだっけ」
呟いた自分の声を聞き、対価が声では無いと気づく。
両手を顔の上に持ってくる。手の平を握ったり開いたりしてみる。腕の機能は大丈夫そうだ。
ゆっくりと体を起こして、ベッドサイドに足を付く。立ち上がって裸足のまま少しだけ歩く。足の機能も大丈夫。
「部屋から出ても大丈夫かな?」
部屋の中をウロウロとしていた時、ドアが開いた。
「あら、目が覚めたんですね」
驚いて見ると、優しそうな中年の女性がいた。
「あ、あの私…」
「レオナール様から聞いておりますよ。私は使用人のマーヤ、エリーの母です」
カーテンを開けながらマーヤと名乗る女性は言った。
「エリーさんの…」
「お身体は大丈夫ですか?お腹も空いているでしょう?何かお持ちしますね」
そういうとマーヤは部屋から出て行った。
「そういえば、音も聞こえる」
対価は聴力ではなさそうだ。
「え?じゃあ私は何を取られたの?」
内臓だったら今は分からない。あとで誰かに診てもらわないと。
あとは…。
「記憶?」
それだって何を忘れたのかが分からない。
ウンウンとソフィアが考えていると、マーヤがワゴンを押して戻って来た。
「あ、いい匂い…」
グゥとお腹が鳴る。
恥ずかしい。
「ふふふ。二日近く眠ってらしたからお腹も空いていますでしょう?まずは温かいスープからどうぞ」
「ありがとうございます」
柔らかく煮込んだ野菜が沢山入ったスープは、熱を感じたまま胃に流れていく。とりあえず、胃は無事なようだ。
「ソフィア様が目を覚ました事、レオナール様には伝えておきました。もう少ししたらいらっしゃるそうですよ」
「あ、そうなんですね」
「元気そうなお顔を見たら、エリーも安心しますよ。ソフィア様がお眠りになった日も昨日も、様子を見に来ていたので」
あれこれと給仕してくれるマーヤは、エリーによく似た目で微笑んだ。
「エリーさんにもご心配をおかけしてしまって。団長にお屋敷までお借りしちゃって本当にすみません」
「いいんですよぉ。坊ちゃまから頼み事をされるなんてなかなかありませんから。それに娘も息子も家を出ていて、お若い方のお世話なんて久しぶりで楽しかったですよ」
「ぼ、坊ちゃま…?」
ソフィアは、坊ちゃまなんて言葉からは随分とかけ離れている団長を思い出す。
「えぇ。私は乳母でしたから。あの方が赤ちゃんの頃から知っていますもの、気を抜くとつい、ね」
にっこりと笑うマーヤは、ソフィアの緊張を和らげる為にわざと言ったのかもしれない。
「さ、温かいうちにどうぞ。デリング家の食事はとっても美味しいんですよ」
「ありがとうございます」
温かな気持ちでソフィアは食事を続けた。
食事を終えて勧められるままお茶を飲んでいると、レオナールとフェイが訪ねて来た。
「体はどうだ、ソフィア」
「あ、大丈夫です」
「対価は?」
「それが…今の所分からないんです」
レオナールの問いに、困ったようにソフィアは答えた。
「分からない?」
「はい。体の機能は問題無いようで。内臓だったら分からないので後で誰かに診ていただこうかと」
「じゃあ今私が診てみよう」
フェイはそう言うと、ソフィアの手に触れる。
しばらく魔力を流していた後、首を捻る。
「体内は問題なさそうだよ。だとしたら…記憶、かな」
フェイの言葉にソフィアも頷く。
何となくそんな気がしていた。
「ソフィア、団長も私も分かるんだよね?」
「はい。あ、エリーさんの事も覚えてます。副団長とかメルとか、騎士団の事も」
「君の家族は?」
「両親と弟が二人、あ、師匠と師匠の奥様も」
レオナールとフェイは顔を見合わせる。
「ソフィア…君が魔力回路を治療した人物は、誰だい?」
ソフィアの目を見ながら、フェイはゆっくりと聞いた。
「えっと………え?誰、だろう?」
「「ー!」」
レオナールとフェイは目を見開いた。
「アルフォンスの記憶を…取られたのか…」
「アルフォンス?」
初めて聞く名前だ。
ソフィアは不思議そうに名前を言った。
「…分かった、ソフィア。君の対価は記憶だ。ランセル卿の記憶を取られたんだ」
「ランセル卿?」
またしても知らない名前が出て来た。
「…団長、シモン殿に連絡を。対価についても」
ソフィアの様子を見て固まったままのレオナールに、フェイが声をかける。
「あ、あぁ分かった」
足早に部屋を出ていくレオナールを、ソフィアは不思議そうに見つめる。
フェイは悔しそうに唇を噛んだまま話さない。
「師長、私が取られた記憶って…」
「君の恋人…アルフォンス・ランセル卿の記憶だよ」
「恋人…」
(私は恋人の魔力回路を治療したの?母さんみたいに?)
突然そんな事を言われても、ソフィアにはさっぱり分からない。忘れたという実感も無い。
「とりあえず、体は無事だって事なんですね」
「まぁそうだが…」
「その人、アルフォンスさんは魔力を取り戻せましたか?」
「…あぁ。今までとは比べ物にならない程の魔力を手にしている。数少ない魔導騎士だから、魔力が戻ってすぐに魔獣討伐に行ったよ」
「それなら良かった。これで厄災も乗り越えられますね」
記憶を無くしたソフィアには、それが一番の懸念だった。
恋人の事は覚えていないのだから、悲しいという感情もいまいち湧いてこない。
魔力回路の治療をするまでの過程は覚えていても、その相手の事はどうしても思い出せないのだ。
「ん?デモンズハーピーに呪いを掛けられたなら、その恋人も私の事を忘れてるんですよね。じゃあ特に問題は無いような」
両親の時と同じだ。
自分は妊娠しているわけでは無いのだから、お互い忘れて終わりなんだろう。
「ソフィア、なぜそんな冷静なんだ…」
唸るようにフェイが言う。
まるでカイルのようだと思う。
「なぜと言われても…私には覚えがないので。悲しいとか、そういう感情がいまいち湧かないというか…」
案外自分は冷たい人間なのかもしれない。
自分の事なのに、なんとなく他人事のような。
「体は大丈夫なので、明日から出勤します。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いや、それはいいんだが…」
フェイは思う。
なぜこの状況で普通に出勤などと言っているのかと。
もっとこう、戸惑うとか、寂しいとか、そういう感情は?むしろこっちが戸惑っている。
「とりあえず、今日はもう帰りなさい。団長には伝えておくから。近いうちに話を聞く事があるかもしれないが、急に魔獣が増えて今騎士団はバタバタしているんだ。どちらにしてもランセル卿は緊急の討伐に行っているから、彼ともいつ会えるかは分からない」
「あ、はい。分かりました。それじゃあ失礼します」
ソフィアは礼を言って部屋を出た。
ちょうどマーヤに会ったので、彼女にもお礼を伝えてアパートに戻った。




