44
アルフォンスが目を覚ました時、空は既にオレンジ色になっていた。
先程感じた怠さも全く無い。
体を起こして、自分の手の平を見る。
「魔力が戻ってる…」
眠る前より、はっきりと魔力を感じる。
試しに小さな火を出してみる。
「うわっ!」
手の平に収まる程の火を出すつもりだったのに、天井に届く程の炎が現れた。
「危なっ!」
危うく団長の実家の別邸で火事を起こすところだった。
慌てて天井を見ると、少し黒くなっている。
屋内で試すのはやめておいた方が良さそうだ。
「すごいな…火を出すつもりでやったのに」
キャンドル程度の火を試しただけだったが、上手くコントロールしなければ。
「いつもの感じでやったら、倍以上の力が出るのか…」
明日団長に報告して、とりあえず天井の焦げは伝えておこう。
ソフィアの顔を見たいと思ったが、人様の家で勝手に動き回る事は出来ない。ベッドサイドの呼び鈴を鳴らして人を呼ぶ。
「ランセル様、お目覚めになられましたか?」
部屋に来たのは両親よりも少し年上の女性だった。笑った顔と真っ直ぐな黒髪は誰かに似ている気がする。
「あ、はい。体は大丈夫そうなので家に帰ろうと思うんですが、彼女…ソフィアの顔を見てからにしようと思って」
「えぇ、聞いておりますよ。よく眠っていらっしゃいます」
どうぞ、と冷えた水の入ったコップを渡された。
「ありがとうございます」
思ったより喉が渇いていたようだ。
喉を通る水が心地良かった。
「先程娘も心配して来ておりました。寝顔を見て安心したようで」
「娘?」
「えぇ、騎士団の治癒師のエリーです。私は母親のマーヤと申します」
「エリーさんの…」
見覚えがあったのは、エリーの母親だったからか。
確か団長の乳母だった筈だ。
「レオナール様からこちらに来るように頼まれて、お世話に参りました」
「そうでしたか」
「えぇ。坊ちゃまから頼まれごとなんて何かと思いましたが、可愛らしい娘さんのお世話が出来て嬉しいですよ」
「坊ちゃま…」
あの厳しい姿からは想像出来ない呼び名だ。
「あら、つい。生まれた時から見てますから、いくつなっても気を抜くとこの呼び名になっちゃうんですよ」
カラカラと笑うマーヤは楽しそうだ。
「私は下に居ますので、帰る時には声を掛けて下さい」
「ありがとうございます。すぐに帰りますので」
ソフィアの部屋に案内すると、マーヤは頭を下げて降りて行った。
ドアの前に立ち、アルフォンスは考える。
ノックはするべきか?
いや、彼女は寝ているのだからそのまま入ろう。
部屋に入ると、カーテンが閉められていて薄暗い。
テーブルの上の蝋燭に火をつける。
途端に暖かな灯りが部屋に満ちた。
ソフィアは静かに眠っていた。
少し青白い顔色なのは、魔力を使いすぎたからだろうか。
「ソフィ…」
ベッドサイドに膝をつき、そっと名前を呼んでみる。勿論返事はない。
「ありがとう。魔力が戻ったよ。ソフィのおかげだ」
少し迷って、そっとソフィアの頬に触れる。
思ったよりも冷たくて、ドキリとした。
「君が目を覚ましたら、もう一度ちゃんと話したい。このまま居なくなるなんて、絶対にダメだよ」
アルフォンスは左胸のポケットを探るとベルベットの小袋を取り出した。
中から出て来たのはチェーンに通した指輪だった。
「呪いをかけられる前の俺が何を考えていたのかは分からないけど、これは以前の俺が君に渡そうと大切にしまってあったんだ。だから、俺が知らない俺を愛してくれているソフィに持っていて欲しい。お守り代わりってとこかな」
そう言ってアルフォンスはソフィアの首にネックレスを通した。
蝋燭の灯りで少し見にくいが、何とか金具を留めていく。
流石に指輪のまま渡す事は出来ない。
今の自分に貰っても困惑するだろう。
それでも、今の自分が持っているよりはいい気がする。
アルフォンスだって、ソフィアを愛している訳ではない。
ないのだが、ソフィアを思い浮かべると、心がギュッと握られるような、何ともいえない感情が湧き上がる。
治療をしようと頑として譲らないソフィアに、勢いと責任感から「一緒にいる」と告げた。
あの時は頭に血が上って冷静では無かったと思う。
売り言葉に買い言葉、まさにそんな感じ。
落ち着いて考えると、おかしいのだ。ソフィアだって、自分の事を愛していないと言い切る相手にそんな事を言われても困るだろう。
彼女が愛している自分を、アルフォンスは知らないのだから。
ソフィアの泣き顔を見た時、思わず抱きしめてしまった事は反省している。なぜあんな事をしたのか、アルフォンス自身もよく分からない。
お互いを愛称で呼び合い、それでもお互いが向いているベクトルが違う。何とも宙ぶらりんな関係、それが今の二人なのだから。
魔力を取り戻した今、自分はどうしたいのか。
いくら考えても答えは出ない。
「それでも、ソフィの側に居るって約束は守りたいって思ってるよ。君は嫌がるかもしれないけど、それが治療の条件なんだから」
何だか愛の告白みたいじゃないか。
アルフォンスは苦笑する。
ソフィアも頑固だが、自分も大概頑固だ。
愛情を持っていないと思っている相手と、ずっと一緒にいようとしている。
恋人同士であったという事実に引っ張られているだけだ。それでも、こんな自分の為に対価を払う覚悟を決めた彼女には、ちゃんと誠実でありたいと思う気持ちもある。
「ほんと、何なんだろうな俺達って」
たとえ記憶を無くてしても、その相手に一緒にいようと言われて嬉しくないのか。
アルフォンスの事が好きなのに、愛されていないと分かって心置きなく治療出来ると笑う。
愛称で呼ばれて喜んで、それなのに離れていこうとする。
「君のお父君は、どんな風に思ったんだろうか」
謎過ぎる。
こんな状況、戸惑うだけだ。
そこまで考えてアルフォンスは思い出す。
「あぁ、そうか。お母君のお腹にはソフィがいたんだったな」
身籠っていたにも関わらず、面倒になりそうだからと何も告げずに逃げたんだったか。
ソフィアの話を思い出して、思わず笑いが込み上げる。
「ほんと、母娘でそっくりじゃないか」
相手の幸せのために、周りが驚くほど思い切り良く居なくなろうとする。
「そんな事されたら、追いかけたくなるだろう…」
それでも、今は厄災に備える事を一番に考えるべきだ。
それが自分に課せられた役割なのだから。




