19
アルフォンスはまだ目覚めない。
ベッドサイドに腰掛けて、じっと寝顔を見つめる。
夜勤者であるクリオに少し付き添いたいと告げると、『師長から聞いてるよ。カーテン閉めときますので、ごゆっくり~』とヘラヘラしながら手を振って部屋を出ていった。
治癒室の人達は優しい。皆心配してくれているのだろう。
アルフォンスと付き合っている事をよく思わない人達から、それとなく守ってくれていたことも知っている。
クリオに関しては『ランセル卿目当ての女の子が僕の方に流されてくれるかもしれないからね。ソフィアは良い仕事をしてくれたよ!』と言っていたが。
目元にかかる前髪をそっと上げる。
彼が目を覚ました時、自分を見てどう思うのか。何もかも間違いであって欲しい。
窓から外を見ると、月が随分高いところまで上がっている。
今夜は満月だろうか。
目を閉じるとアルフォンスの笑顔が浮かぶ。
もう一度名前を呼んで欲しい、抱きしめて欲しい。
北方で暮らしていた時には、こんなにも誰かを求めた事は無かったと思う。
(随分と我儘になってしまったな…)
だって知ってしまったから。
彼の隣で過ごす喜びを。
彼がくれる優しさを。
アルフォンスの頬に手を伸ばし、優しく撫でる。そして額に口付けた。
(こうして彼に触れるのも、最後になってしまうのかしら。いっそのこと沢山触っておこうかな)
そんな思いが過ぎって首を振る。
椅子に座り直し、またアルフォンスを眺める。
そろそろアパートに戻ろうか。離れがたくてズルズルと長居してしまった。
ソフィアが立ちあがろうとした時、アルフォンスの手が動いた。
「…ん…」
それを見て固まったソフィアの前で、ゆっくりと目を開ける。
「…ここ、は?」
落ち着け、落ち着け
「…ここは、治癒室、です」
落ち着け
「…そう、か」
落ち着け
「…俺の部隊は?無事、か?」
「怪我をされた方も、いましたが、もう治療は終わって、いま、す」
口の中がカラカラだ。上手く話せない。
「そうか…良かった」
今まで会話で分かってしまった。
「君は…」
あぁ、ソフィとは呼んでくれない。
「…私のこと、分かります、か?」
アルフォンスと視線が交わる。
心臓の鼓動が今までにないほどに速い。
じっとソフィアを見つめる、黒い瞳。
アルフォンスはしばらくそうしていた。
「君は…誰、だろう。分からない…ごめん」
わずかに眉を下げ、申し訳なさそうに少し笑う。
あぁ、やっぱり。
彼は忘れてしまった。
泣きたい、駄目だ、ここでは泣けない。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
「まだ夜、です。休んでください」
「…ありがとう」
そう言うとアルフォンスは、また眠りについた。
ソフィアは胸を押さえる。深呼吸を数回繰り返した。
(分かってた事じゃない、取り乱しては駄目)
心の中で言い聞かせる。
しばらくそうして、フラフラと立ち上がる。
部屋から出るとクリオがいた。
「一度家に戻る?ランセル卿がまだ目が覚めないなら、少し眠ってきたらいいよ。ソフィアも顔色が良くない」
「…目を覚ましました」
「え?」
「一度目を覚まして、少し会話をしてまた眠りました。遅くまですみません。家に帰ります」
「そっか。命に関わるような怪我じゃなかったから、目が覚めて良かったよ」
「…はい。失礼します」
頭を下げて治癒室を出る。手足がバラバラになったように上手く歩けない感じがする。
泣いては駄目だ。朝、目が腫れてしまう。
アルフォンスが次に目覚めた時、きっと魔力がなくなったことに気づくだろう。
そしてきっと絶望する。
だから私は決めたのだ。
それが私が生かされた意味だと。
分かっていたはずなのに。
痛い、痛い、胸が痛むとはこういうことか。
治癒師でも治せないその痛みは、終わりが見えずに苦しい。
あぁ、母もこんな気持ちだったのだろうか。
今なら分かる、記憶を対価として取られる前の母の言葉の意味が。
だから私も…『自分のことを忘れた恋人を見たら、心置きなく対価を払える』のだ。




