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ソフィアはここまで話して一度紅茶を口にした。
もう冷めてしまった紅茶は、乾いた喉を気持ちよく潤してくれる。
「…そんな事が、あったのか。私もそこまでは知らなかった」
フェイはゆっくりと言う。
「…何だか今と状況が似ているわね。ねえ、これがソフィアの過去と関係がある…の?」
遠慮がちにエリーが言った。
「はい、これを知っていただいた方が、私を取り巻く状況が分かっていただけるかと思いまして」
ゆっくりと深呼吸して、ソフィアは言う。
「ライオネル・バードナーとジュリアは、私の両親です」
「…え?」
「私の両親の話なんです、これ。この事があったせいで、色々と思うところがある人生になったというか」
「ソフィアは、北の英雄の娘だったのね…」
過去の北方騎士団での出来事も衝撃的だったが、まさかソフィアが英雄の娘だとは。
北の英雄は伯爵令息なのにソフィアは平民?従属爵位を継いでいない?ソフィアの魔力量は?
聞きたい事は山ほどあるが、一番気になることをエリーは口にした。
「あの…気になる事があるんだけど、いいかしら?」
エリーの質問に、ソフィアは静かに頷いた。
「お母様は、何を対価として取られたの?」
フェイが新しい紅茶を準備してくれる。ここから先は、師匠に聞いているのだろう。
「母は、対価として記憶を取られました」
「記憶?」
「はい。恋人であった父の記憶です」
「…!」
エリーは絶句している。
それはそうだろう、自分の事を忘れた恋人を見て、心置きなく対価を払えると言ったというジュリア、その彼女が取られたのものが他でも無いそのバードナー卿の記憶なのだから。
エリーは思う、もしかしたらそれは幸せな事なのかもしれない。
魔力回路が治れば、バードナー卿は子供を作る義務が課せられる。
本来ならその相手は自分だったのかもしれないのに、呪いのせいで自分の事を忘れてしまっている。
そして、自分だけが彼を愛する気持ちを持ったまま、他の誰かと愛し合う姿を見なければいけない。
その未来を考えたら、お互いに忘れてしまった事は良かったのかもしれない。
しかしそうでは無かった事を、ソフィアの話で知る事になる。
「母は、父の事を忘れました。騎士団としては安心したと思います。解呪しても父は母を忘れたままです。お互いに忘れてしまったなら大きな問題はないと。分からなくもないですが、それでもひどい話ですよね」
食べなさい、とフェイがチョコを出してくれる。
いつも師長室にはお菓子がある。甘いもの好きなフェイの好みのものばかりだ。
「お互いに忘れて別の道を行く。それで終わってしまえば良かったのかもしれません。でも実はこの時、母は私を妊娠していたんです」
「え?」
「魔力回路の治癒をした時には本人も気づかない程の週数で、それから二ヶ月ほどした時に妊娠に気づきました。母からしたら恋人がいた記憶がないんだから、妊娠なんて思い当たりませんよね。厄災で激務が続いていたから、月のものが遅れているだけだと思っていたようです」
もうエリーは言葉を発せない。運命はなんて残酷なのだろう。
「なぜ自分が妊娠しているのか、気づいた時にはさすがにパニックになったそうです。しかし記憶にも身にも覚えのない妊娠なんて、同僚にも聞けないですよね?悩んだ彼女は師匠のリリス様を頼りました。そしてリリス様から、魔力回路を治癒した人物が恋人だったと聞いたんです」
ソフィアが話している間に、フェイがどんどんお菓子を出している。
彼なりに気を使ってくれているのかもしれない。
「母は悩みました。たとえ恋人だったとして、今ではお互いに知らない、関わりのない人間です。流石に魔力回路の治癒後は会話する事もあったようですが、その後は厄災で忙しくなってほとんど関わらなかったそうなので。ですが母は産む事にしました。お腹の子は、対価として取られなかったから」
「!」
過去の記録では妊娠中の場合、胎児を取られる事がほとんどだった。エリーはその話を思い出す。
「本人が妊娠に気づいていなかったからなのかもしれません。それでもお腹の子は生き残った。そう気づいて、産む事にしたんです。父に知られると面倒な事になりそうだったので、とりあえず近いうちに騎士団をやめてどこかに逃げる事にしました。」
「…逃げる?」
「母は何と言うか…辺境気質なんですよね。しばらく悩んで、考えても無理ならスッパリ切ってしまうと言うか。それに父はその頃北の英雄と言われ始めていました。北方なんて貴族からしたら嫁ぎたくない場所なのに、その活躍から釣書が殺到したそうで。それを聞いた母は、お腹の子が揉め事に巻き込まれる事を危惧して、こっそり辞めるつもりだったんです。幸い、常にローブを着ていたので周囲に妊娠はバレませんでした。ただ、厄介な事に子供の伯父になる人物にバレました」
ソフィアの口調がだんだんといつも通りに戻ってきた。その様子にエリーは安心する。
「シモンか?」
フェイが言う。
「はい。その時に母が騎士団をやめようとしていることも知ったんです。今までの経緯から、シモン、師匠は母に協力する事にしました。弟も妹弟子もどちらも大切だからと。とりあえずリリス様の所へ行くよう話し、産後も助けてくれたそうです」
「周囲の人に愛されていたのね」
エリーがそう言うとソフィアは嬉しそうに笑う。
その笑顔は年齢よりも幼く見える。
「師匠の妻と母は友人だったんですよ。リリス様と師匠夫妻がいろいろと手助けしてくれて、無事に私は産まれました。ふふ、こう考えると北方って割と人間関係が狭いですね」
「バードナー卿は子供の事は知らないままだったのか?」
「最初は。ですが、父は母が騎士団を辞めたことにすぐ気がついたそうなんです」
「え?そうなの?彼女の事、忘れてしまったのよね?」
驚いたようにエリーが言う。
話の途中でずっと気になっていた。父親であるはずのライオネルがほとんど出てこない事に。
「それが…デモンズハーピーに魔力を奪われて気を失った後、目が覚めた時に母を見て一目惚れしたと…」
「「は?」」
さすがにフェイとエリーがハモった。
分かる、その気持ち。この話を聞いた時、自分も同じ反応をしたから。
「流石に厄災の事もあって、積極的に母と関わる事はなかったそうですが、回復してからもずっと母を見ていたようで。ただ時期が悪くて、母が騎士団をやめた時、父は厄災の後処理で王都に行っていて。多分母は分かっていてその時期に騎士団を辞めたと思うんですけどね。で、北方に帰ってきたら母がいない、周囲に聞いても分からない。記憶が無いから彼女の実家も知らない。困った父は、兄である師匠を脅しました」
「「は?」」
いや、分かる。
私も同じ反応しか出来なかった。
「師匠と母が同門であった事は聞いていたようで。藁にも縋る思いだったと本人は言っていましたが、伯爵家に乗り込んで暴れ回ったそうなのでそんな殊勝な考えではないと思います」
わりと脳筋な父を思い出す。
「膨大な魔力を手にしたバードナー卿には、さすがのシモンも屈したか」
シリアスな話だったはずなのに、フェイはお腹を抱えて笑っている。
「暴れ回ったその足で公爵家に乗り込んで、リリス様に会いに行きました。流石に公爵家では暴れなかったようですが…」
当時の公爵様は騎士団長だった。ソフィアからしたら色々と思う所はあるが、それでも上司の家を壊してはいけないと思う。
「追い返されても追い返されても毎日通ったようです。実家からは見合いを迫られていたようですが、その度に魔法で釣書を燃やしていたと。伯爵家の庭で盛大に焼いてやったと言ってましたね」
本当に、庭師の人には申し訳ないと思ってしまう。
「ねぇ待って。重い話なのに、笑っちゃうじゃない」
アハハとエリーが声を上げる。
良いんです、笑ってやってください。
「シモンもバードナー卿の気持ちを知っていたんだろう?だったら君の母君が辞める前に事情を話しておけば良かったんじゃないか?」
フェイの意見は尤もだ。
「父が英雄と呼ばれるようになって、彼の母親、私の祖母は王都の貴族と息子を結婚させようとしたんですよ。祖母は王都から嫁いできた人で、何というか貴族然とした人物でした。記憶を失う前、両親はそろそろ結婚をと考えていたようで、その頃から平民である母はよく思われていませんでした。それでも母は北の公爵夫人の弟子で長男とは同門。表立って嫌がらせをされる事は無かったようですが。そんな祖母なので、息子の恋人が妊娠している事を知れば、彼女だけでなくお腹の子も危ない。師匠はそう考えて父に伝えなかったんじゃないかと」
まぁ結局はバレましたけどね、そう言うとソフィアはマカロンを手に取る。
「長くなっちゃいましたが、それが私の両親の馴れ初めです。父の粘り勝ちで二人は結ばれました。ただ、私は父が魔力回路の治癒を受ける前に出来た子供なので、期待されるような魔力はありません。父の実家は代々高魔力保持者が生まれやすい家系ではありますが、私はそこまでではありませんでした。祖母には私の存在が知られましたが、祖母は私をバードナー伯爵家の人間とは認めませんでした」
「そんな…」
明るかった話から一転、急に重苦しい空気が戻ってきた。




