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2話「焦げ味のアリバイ」

 翌朝、私は市庁舎の簡易法廷に向かった。昨日の封印のあとで届いた呼び出し状どおり、予備審問に出るためだ。


 部屋は、木の机が三つ並ぶだけの小さな造りだった。窓から差し込む朝の光に照らされ、封印札の赤い糸がくっきり見えた。


 判事が出席者を確認する。被告の店主、検察官マルロー、私とヨナ、フェンネル博士、それから市庁の食品監察官。向かいの店の弟子は証人席に座っている。


「本件は“店内での摂食直後の体調悪化”として受理。争点は二つだな」

 判事は指を二本立てた。

「一つ、当日に“長い炙り”があったか。二つ、薬剤の移行経路だ」


 検察官マルローが先に口を開く。

「提供直前、表面を炙る作業があります。被告がそこで毒物を塗布した可能性は高い。前日仕込みは衛生上の観点からも問題がある」


 私は席を正した。

「前日焼成は規格で許可されていて、この店の手順書にも記載があります。私たちは“当日長時間の炙りはなかった”ことを、見える差と香りの比率の二つで示します。それと——」


 ヨナが立ち上がり、封印札の束から一枚を示した。

「監察官の封印下にある出前伝票に、時刻の書き換えが疑われるものがありました。昨日は雨でしたが、にじみの方向が屋外の滴とは逆です。原本の保全と、後日の鑑定を願います」


 食品監察官が頷く。

「伝票は市庁で保管中。原本の提出を維持します」


 検察官マルローが眉をひそめる。

「“見える差”“香りの比率”など、実演は再現性に乏しい。匂いなど主観に流れる」


 フェンネル博士が静かに口をはさむ。

「主観に頼りません。斜めの光で鏡面の割れ筋を見ます。再冷却で出る“にじみ”は写真で比較できます。香りは袋に溜めてバニリンとフルフラールの簡易指示紙で比べます。誰が見ても同じに読めるやり方です」


 判事は書記官に目配せし、封印番号を確認した。

「よし。公判は明日午前、KICで行う。封印の開封はその場、双方立ち会いで。検察・弁護、どちらも同条件で実演の機会を与える。証人は被害者側の弟子を引き続き召喚。被告は在宅、接触制限付き」


 検察官マルローが短く答える。

「異議なし」


 私も頷いた。

「了解しました。必要な材料は、規格票どおりにこちらで用意します」


 判事が木槌を軽く打つ。

「予備審問は以上。各自準備せよ」


 部屋を出ると、ヨナが小声で言った。

「香り袋、予備をもう一式持っていきますね」

「お願い。斜光用のライトも、角度が分かるように目盛りテープを貼っておこう」


 フェンネル博士が手帳を閉じる。

「バーナーのノズルキャップ裏の拭き取りも、開封直後にやらないと揮発が逃げる。段取りは最初に」


「順番は——鏡面、割り、香り、キャップ。最後に伝票だね」

 私は段取りを声に出して並べた。順番が決まれば、半分は終わったようなものだ。


 ――――


 翌朝。KIC——裁判所の法廷キッチンは、ガラス越しに客席が見える設えになっている。空調は一定、香りが残らないように換気が組まれている。器具の台には番号札、封印札の結び目はまだ固い。


 小鐘が一度、二度、三度。


 首席判事オルドが入る。

「静粛に。王都簡裁・KICにおける第○○号事件、公判を開く。書記局、封印の確認を」


 書記官が番号を読み上げ、各封印を示した。食品監察官がうなずく。

 私は深呼吸し、台の前に立つ。


「弁護側、準備は」

「整っています」


「検察側」

「問題ない」


 オルドが軽く顎を引いた。

「双方、同条件で。匂いが残る操作の前には合図を。——始めてくれ」


 私はヨナと視線を合わせ、最初のライトを手に取った。

「まずは鏡面を、斜めの光で見せます」


 ガラス越しに、観客のざわめきが少し遠のく。

 今日は言葉より、手順で語る番だ。


 私はライトの角度を確かめ、台の上に二つのラメキンを並べた。

「見本を二つ用意しました。Aが“当日にしっかり焼成したもの”。Bが“前日に焼いて冷やし、今日は表面だけを軽く炙ったもの”。配合は同じです」


 書記官がうなずき、封印の番号と材料票を読み上げる。


「まず、鏡面を斜めの光で見ます」

 私はライトを低く構え、Aの飴面を照らす。琥珀色の上に、細い割れ筋が放射状にのびている。

「当日にしっかり焼くと、鏡面は均一で、割れ筋は細くシャープです」


 Bにライトを移す。光がところどころでにじみ、斑に反射した。

「前日に焼いて冷やしたものは、再冷却で“再結晶のムラ”が出ます。光が滲んで見えるのと、微細な気泡の潰れ方がパッチ状に残る」


 フェンネル博士が補足する。

「写真でも比較できます。角度を固定して撮れば、誰が見ても同じに読める差です」


 検察官マルローが手を挙げる。

「それだけで、当日の作業時間は断定できない」

「続けます」私は答えた。


「スプーン割りテストに移ります。同じ力で割るため、フォーク荷重ガイドの要領で“一定の重り”を使います」

 小さな重りをスプーンの背に乗せ、Aの飴面を割った。

「音に注目してください」

 乾いた「パキン」。破片の角が立ち、薄い板が鋭く砕ける。


 同じ重さでBを割る。

 今度は「パリッ」。音が少し柔らかく、破片の縁がわずかに丸い。

「冷やしてから軽く炙った面は、下の層がわずかに戻っているため、角が立ちにくい。ここまでが“見える差”です」


「次に香りを比べます」

 私は香り袋を二つ掲げた。袋の口に指示紙が差してある。

「袋に溜めた香りで、甘い香りの骨格——バニラらしさの“バニリン”と、焦げ香の“フルフラール”を簡易に比較します」


 フェンネル博士が指示紙を示す。

「この色が強いほどフルフラールが優位。Aは焦げ骨格が強く、Bは相対的にバニリンが高い。つまりBは“長時間の炙りではない”側に寄る」


 私は被害品の封印を見やり、判事に一礼した。

「被害品の一部を開封して、同じ手順で比べる許可を」

「書記局、開封。双方立ち会いで」

 封印が解かれ、被害品の香り袋が用意される。指示紙の色は、見本のBに近い。


 検察官マルローが腕を組む。

「香りは主観だと何度も申し上げている」

 フェンネル博士は落ち着いた声で返した。

「主観に頼らないための指示紙です。目盛りは色差で読みます。写真でも記録します」


 私はうなずき、次の依頼を告げた。

「バーナーのノズルキャップ裏の拭き取りをお願いします。噴き出す前に必ず通る場所です。点火の瞬間に微細な霧が出て、ここについたものが飴面へ移ります」


 書記官の立ち会いで封印が解かれ、綿棒でキャップ裏を拭う。フェンネル博士が試薬を落とした。

 小さな反応色が出る。

「微量ですが、心拍に作用する成分が検出されました」


 私は続ける。

「比較のため、新品のバーナーを同じ手順で拭き取りましたが、そちらは反応なし。念のため、手袋も」

 衛兵が差し出した封筒から、弟子の手袋の内側を拭いた綿が出てくる。反応は同じだった。


 弟子が証人席で視線をそらした。

 検察官マルローが食い下がる。

「だが、当日に“しっかり炙った”可能性は残る」

「その点は、炎の状態が語ります」

 私は映写板に手を伸ばした。

「昨日、こちらの弟子がギルドの掲示板に上げた“仕上げ動画”です。封印された端末から、書記局が抽出しました」


 映像には、バーナーの青い炎芯が映っていた。私は一時停止する。

「青芯が澄みすぎている。長い炙りを繰り返すと、ノズルの縁に煤がつき、青は鈍くゆれる。被害のあった日の炎は、煤がほとんどない。香りの比率、鏡面のムラ、割れたときの音とも整合します」


 私は判事を見た。

「まとめます」

 台の上の札を指でそろえる。


「一つ、鏡面の亀裂マップと再結晶のムラは、前日に焼いて冷やし、当日は軽く炙った面の特徴です。

 二つ、香り袋の比率は“長時間の当日炙り”ではない側に一致しました。

 三つ、ノズルキャップ裏から薬剤。新品の対照は反応なし。弟子の手袋の内側から同成分。

 四つ、当日の炎は澄み、煤が少ない。長い炙りの痕跡がありません」


 検察官マルローは短く息を吐いた。

「弁護側の実演は見た。検察側からは、厨房の衛生運用について意見書を出す」

「受けます」私はうなずいた。「ただし衛生と犯行機会は別の論点です」


 傍聴席がさざめき、すぐに静まる。

 オルド判事が書記官に目配せをした。

「双方の実演と鑑定は了とする。次に、伝票の件を確認する」


 私はヨナから原本の控えを受け取り、台に置いた。

 ここからは、紙の上の嘘を剥がす番だ。


 私は台に伝票の束を置き、原本の一枚を書記官に示した。

「昨日は雨でした。通りから店内に入るとき、滴は“下へ”流れるはずです。ところがこの伝票は、インクが上向きに流れている。屋内で後から時間を書き足せば、こうなります」


 食品監察官がうなずく。

「紙縁の水跡も出ていない。屋外で書いたなら縁がふやけるが、これは乾いた紙に湿ったペン先を置いた跡だ」


 検察官マルローが身を乗り出した。

「誰が書き換えたと」

 私は視線を証人席へ送る。

「この伝票は弟子の当番帳から切り取られた紙と一致します。剥がし跡も同じ位置にある。被害者が店に来た時間を、師匠の不在に合わせて偽装した。そう読むのが自然です」


 弟子は口を閉ざしたままだったが、指先が落ち着かない。

 オルド判事が書記官に目配せをし、封印物の番号を読み上げさせる。

「鏡面の観察、割った音、香りの比率、バーナーの拭き取り、そして伝票。弁護側の提示した各証拠は互いに矛盾しない」


 検察官マルローが短く息を吐く。

「衛生運用の是非は別途の監査に付します。犯行時刻の立証は撤回する」


 判事はこくりとうなずき、木槌を一度だけ鳴らした。

「被疑者たる老舗店主は無罪。被害者側の弟子、あなたを拘束する。薬剤の入手経路と関与者について、引き続き調べる」


 傍聴席がざわめき、すぐに静まった。

 オルド判事は続ける。

「本件でも見た目や名札が判断を揺らしかけた。先入観を切るための目隠し審理と、同条件の実演は有効である。法廷キッチンの運用は、対象を広げる“試行”として継続する。書記局と市庁は監督手順を整備せよ」


「承知しました」食品監察官が答える。

 私は深呼吸し、スプーンとライトを片づけた。ヨナが手早く記録の保存を確認する。フェンネル博士は試薬の小瓶をしまいながら、私に小さく親指を立てた。


 退廷の合図があって、私たちはガラスの外へ出た。廊下は石の匂いがして、静かだった。

 マルローが向こうから歩いてくる。

「実演の見せ方は、今日の形なら許容できる。手順が読みやすい」

「そっちの条文の助けが大きいよ。衛生の意見書は、こちらも受けて手順書に反映する」

「それがいい。…それと、弟子の件だが」


 マルローが言いかけたところへ、衛兵が近づいて耳打ちした。

 検察官マルローは短くうなずき、こちらを見た。

「取り調べの最初で、弟子が“裏講師”の名を出した。通称はグレイ・ムースだ」


 ヨナが目を上げる。

「裏講師?」


 フェンネル博士が苦い顔をした。

「灰色のパティシエ、ってやつだね。技術を教えるふりをして、抜け道を教える人種がいる。灰色のムース、口どけはいいが、腹に残る」


 私は手帳を開き、名前を一番上に書いた。

「グレイ・ムース。まずは素性と足取りだね」


 ヨナがうなずく。

「ギルドの講習記録と、掲示板の書き込みを洗います」


 階段から昼の光が差し、KICのガラスが白く光る。

 私は道具箱を持ち直し、手帳を開いた。

 最初の行に書く——グレイ・ムース。

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