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1話「法廷キッチン、開廷」

 王妃の慈善茶会は、名誉とお金が動く祭りだ。

 表向きは孤児院や病院への寄付を集める催し。

 けれど裏の本音は、王都中の菓子屋が「御用達」の座を争う公開オーディションでもある。


 ここで評判を取れば一年食べていける。

 失敗すれば看板に泥。

 だから、皆が笑っていても、甘い匂いの奥は尖っている。


 私はリュシア。元・宮廷パティシエ、今は「菓子弁護人」を名乗っている。

 菓子弁護人、と言ってもやることは弁護士に近い。


 味や工程を“証拠”として扱い、濡れ衣を晴らしたり、逆に不正を暴いたりする仕事だ。

 裁判の場に簡易の厨房を持ち込んで再現実験をするので、王都では「法廷キッチンの女」なんて呼ばれている。

 今日は仕事ではなく招待客として来た……はずだった。


 会場は王宮の大広間。天窓からの光が銀食器に跳ね、弦の音が静かに流れる。

 壁際には寄付の受け付け台、中央には出品皿の長い列。

 王妃の席の前だけ、ひときわ広く空間が取られている。


 あそこが最初の審味しんみの席だ。

 目で見て香りを楽しみ、王妃が一口、側近が一口——その順で評価が決まる。

 ブラインド《銘柄隠し》はまだ正式採用されていない。

 見た目や“店名ブランド”が味に影響してしまう、私はそれがずっと気に食わない。


 今日の目玉はミルフィーユ。

 幾層ものパイ生地に軽いクリーム、粉糖を薄くまとわせ、仕上げに金箔を一枚。担当は御用達店の新人、ミナだ。

 私が現役の頃から見てきた子で、手がまっすぐで嘘をつかない。仕上げはいつも左から始める癖がある。

 金箔の箱も左に置く。些細に見えて、こういう“癖”は現場で大事だ。


 相棒のヨナが横に立つ。細い板と小さな端末を抱えている。

「今日は見るだけのはず、だよね?」

「そのつもり。……でも、もし何か起きたら記録は取る。レシピオンの準備だけおねがい」


 レシピオンは私たちの記録器だ。温度と湿度、皿がどの道を通ったかまで時刻つきで保存する。

 ログに電子署名が付くので、あとから「改ざんした」と言われにくい。


 銀のクロッシュが上がった。皿の上に温かい空気が流れ、粉糖がふわりと光る。私は癖で表面を眺める。粉糖の面がきれいか、結露はないか、金箔は均一か。

 ——右側に、粉糖の上で小さな輪がいくつか重なって見えた。霧の粒が落ちたときにできる“輪染み”だ。気のせいかもしれない。けれど、頭の端にピンを刺しておく。


 黒い外套の男が歩み寄り、私の通り名を低く呼んだ。

「ガトー弁護人」

 王都食品犯罪局の検察官、マルローだ。事件では何度もやり合っている。

 事件のときは何度か争って、何度か協力もした。今日はただの来賓同士、のはずだが——彼が来るときはだいたい良くない。


 フォークが薄く鳴った。次の瞬間、向こうの卓で椅子がきしむ。

 若い令嬢——アメリアが喉を押さえ、顔色を失っていた。「舌が……しびれる……」と小さく。侍女が水を差し出し、周囲が慌てる。

 しびれは、味覚を鈍らせる。ときに呼吸にも影響する。私はヨナに短く指示を出した。


「レシピオン起動。温湿度ロック。導線ログ、切らないで」

「了解。署名オン」


 マルロー検察官は一歩で距離を詰め、被害皿に目だけ落として言う。

「混入は仕込み段階。生地かクリームだ。御用達店の新人、ミナ・ルセットを拘束する」


 早い。けれど、こういう場は一拍の遅れが評判を殺す。彼の役目ならわかる。

 私は皿へ歩み寄り、粉糖の面をもう一度見た。やはり右に寄った輪染み。金箔の縁には、ごくわずかな付着ムラ。ミナは左から仕上げる。なら、右寄りの霧はおかしい。


「待ってください、検察官」私ははっきり言った。「もし混入があるなら、生地やクリームじゃない。仕上げです。金箔を留める糖水の噴霧で、後から」


 彼は眉を上げる。

「見せられるのか」


「見せます。会場責任者、仮設法廷キッチンの設営をお願いします。王宮法務室にも連絡を。判事と書記官の臨席を要請してください」


 会場責任者がうなずき、伝令が走る。王妃臨席の催しは公務扱いだ。

 紛争や事故の際は王宮法務室の当番が臨席する——それがこの宮の決まり。


 ◇

 数分後、隣室の扉が開き、王宮法務室の首席判事オルドが小鐘と書記官を連れて入ってきた。


 仮設の法廷キッチンも整った。器具には番号札、封印を解く様子もすべて録画に残す。

 記録はヨナの端末で管理していて、あとから書き換えられないよう電子署名が付く仕組みだ。


 小鐘が一度、二度、三度。

「静粛に。これより王妃臨席の慈善茶会における味覚障害事案、公開の再現審理を開く。場所は仮設法廷キッチン。記録は署名付きで保存する。検察は主張を簡潔に。弁護は手順を示せ」


 マルロー検察官が短く言った。

「混入は仕込み段階。生地かクリームだ」


 私はうなずき、台の上に小さな金具の枠を置いた。

「同じ力で刺すために『フォーク荷重ガイド』を使います。フォークの背に重りを載せ、毎回おなじ角度と荷重にそろえる治具です」


 器具の封印が解かれ、番号札がつく。ヨナが端末を掲げる。

「ログ、署名済み。時系列で誰が触れたか残ってます」


 私はミナに視線で合図し、二つの皿を用意させた。ひとつは正常。もうひとつは、層をいったん外してから“再組立”したもの。違いはそこだけ。


「大丈夫。いつも通りでいい。仕上げは左から。手が覚えてる順で」

「……はい」


 ミナは深呼吸をひとつして、左側から取りかかった。

 パレットナイフでクリームの面を軽くならす。力は入れない。層の端だけ、指の腹で押さえて沈みを均す。

 上のパイ生地をそっと置くと、空気が一枚だけ抜ける小さな音がした。

 私は手元を見ながら声に出す。「高さ、同じ。縁の出を二ミリ」

 ヨナが端で復唱し、レシピオンの時刻を読む。「二枚目、載せ終わり。時刻——」


 ミナは左の小皿から金箔をピンセットで拾う。息を止め、左から斜めに滑らせて置く。

 金箔がパイの凹凸を拾って、光の筋が一本走る。良い位置だ。

 糖水の霧吹きは、両方に一度ずつ。距離を同じにするため、私は目盛り付きの棒を皿の脇に置いた。

「ここで一回。角度は四十五。——噴く」

 ミナがうなずき、左側から同じ軌道で霧を当てる。霧は細い弧を描いて落ち、金箔の縁がわずかにしなった。


 再組立の方も、手順はまったく同じにする。

 層を戻したせいで微妙に歪みやすいが、ミナは指の腹で呼吸を合わせ、崩しもしないし、余計な力も入れない。

 仕上げに粉糖をふるいで落とす。ふるいの高さは手の甲一つぶん。左右に三往復。

 二枚の皿が並ぶ。見た目は双子のように揃っている。

 違っているのは、中の“経歴”だけだ。ここから先は、フォークが語る。


 判事の合図で、まず正常品にガイドを使ってフォークを入れる。薄い音。層がゆっくり沈み、クリームが縁に細い線でにじむ。次に再組立品へ。同じ角度、同じ荷重。今度は音が少し鈍く、力がわずかに斜めへ逃げ、にじみの線が太い。


「層を分解して組み直すと、中に“圧縮痕”が残って横滑りが起きます。仕込みで均一に混ぜたのなら、ここまでのズレは出にくい」


 王立研究室の味覚鑑定人、フェンネル博士が前へ出た。断面拡大図を掲げ、指先で境目をなぞる。

「こちらが正常、境目がそろっています。こちらが再組立、境目に微細な押し跡=圧縮痕が点々とあります。ここで力が横へ逃げるので、音が鈍り、にじみ線も太く短くなるわけです」


 私は次の確認に移る。

「二つ目。噴霧の“向き”は皿の上に残ります」


 粉糖を振った皿を三枚並べ、同じ糖水を霧吹きで右・左・上から噴く。粉糖の面に細い輪がいくつも現れた。右から当てた皿は右外周が粗く点が密、左からはその逆。真上は輪の密度が比較的そろう。金箔の縁も、霧を受けた側はわずかに“のび”て光が乱れる。


 フェンネル博士がルーペ写真を並べる。

「霧の粒は同じ大きさばかりではありません。距離と角度で粒径が変わります。濃い側が、噴いた方向です」


 ヨナが、その横に被害皿の拡大を貼った。右側に濃い輪。金箔の縁も右だけわずかにのびている。


「被害皿は右からの霧。けれどミナは左から仕上げる。道具も左側に寄せている。自然な手順と結果が噛み合っていません。提供直前に、右側から皿へ触れた人物がいるはずです」


 マルロー検察官の視線が侍女へ向く。私は先に声を掛けた。

「提供直前に皿へ触れたのは誰ですか」


 侍女が一歩引く。「粉糖がこぼれていたので、拭いただけです」

「その手袋、内側も見せてください」


 王妃の目配せで警邏が侍女の右手袋を外す。内側の繊維に、きらりと金色が絡んでいた。

 フェンネル博士が試薬を垂らす。色がわずかに変わる。

「金箔の微片と、糖水の痕跡。右手側の反応が強いですね」


「要点は三つだけ」

「一つ、分解→再組立の崩れ方は“仕込み混入”では説明しづらい」

「二つ、粉糖の輪と金箔のムラが“右からの噴霧”を指す」

「三つ、ミナは左仕上げで、侍女の右手袋から金箔と糖水痕。——混入は仕上げ、提供直前です」


 マルロー検察官が問い詰める。

「では何を混ぜた」

「味覚を鈍らせる微量の薬剤でしょう。ただ、いま重要なのは“いつ入ったか”です。仕上げなら、ミナはその輪の外にいます」


 侍女の肩が落ち、視線が床へ。

「……伯爵家からの命でした。茶会で“発作”を起こさせれば、今の縁談は白紙になります。代わりに『療養を引き受ける』名目で伯爵家の縁談を通しやすくなる、と。糖水の霧吹きに微量の麻痺剤を混ぜ、提供の直前に右から噴きました」


 ざわめき。王妃の指がわずかに上がると、音がすっと引いた。


 首席判事オルドが小鐘を二度鳴らす。

「供述、記録。被疑者ミナ・ルセットは無罪。侍女は拘束し、背後関係を調査する」


 判事は一呼吸置き、今回の事案と手続の関係をはっきりさせた。

「この会場は銘柄や見た目で評価が揺れやすく、犯行は提供直前の噴霧だった。先入観を切らねば同じ混乱が再発する。ゆえに今後この種の審味は『盲味統制審査』を試行する。外観を隠し、提供温度と香りをそろえ、洗口と待機時間を義務づける手順だ。詳細は布告する」


 私は肩の力を抜き、ミナのところへ行った。

「いつもの手順を崩さなかったね。助かったよ」

 ミナは涙をこぼしながら頭を下げる。「ありがとうございました」


 退場の列で一度だけ足を止めた。書記官の手にある供述書の控え。

 欄外に小さく走り書きがある——「手配:ギルド倉庫B-3」。

 甘さに混じって、インクの生乾きの匂いがした。


 マルロー検察官が私に並び、低く言う。

「仕上げ……認めよう。次は“香り”そのものも法で押さえに行く」

 私は歩調を合わせて答えた。

「歓迎するよ。こっちは“条件を揃えるやり方”をまとめてる」


 王妃が近づき、静かに告げる。

「公正を守ってくれた。礼を言う、菓子弁護人。——これからも力を貸してくれるか」

「もちろんでございます、陛下」


 高窓の光に粉糖がひと粒、ふわりと浮いた。

 甘さは逃げない。条件をそろえれば、必ず姿を見せる。


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