甘味と塩味とスリ
続いて俺たちが向かったのは、市場の果物売り場だった。
色とりどりの果実が山のように積まれ、甘い香りが一帯に満ちている。
「はわ~、見たことのない果物がいっぱいですぅ~!」
「ヘラクレスが好きそうなヤツあるかな~?」
カラフルな果物が並ぶ棚に、タマコとリリカがすっかり釘付けになる。
……かくいう俺も、漂う甘~い香りに今にも飛びつきそうだ。
だが、ここで売り物に突撃すれば――確実に害虫扱いである。
俺は必死に六本脚を踏ん張り、甘美な誘惑に耐えた。
そんな俺の角を、ひょいとリリカがつまみ上げる。
「ねえヘラクレス~、この中に食べたいのある?」
『そうだな……あのオレンジ色のが特に美味そうだ』
俺が脚をジタバタさせて示したのは、丸々とした橙色の果実。
見た目は完全に――マンゴーだ。
「マンゴー?」
梨香も目を丸くする。
その瞬間。
果物屋のおっちゃんが、ガシッと梨香の手を掴んだ。
「そこのお嬢ちゃん、お目が高いな!」
――こら待て。
気安く俺の娘に触るんじゃない。
俺は即座に梨香の手元へ飛び移り、角を突きつける。
「おわっ、なんだこのデカい虫はぁ!?」
「こらっ、いきなり飛び出したら危ないだろ! ……パパはここっ」
梨香にたしなめられ、俺は大人しく胸元へ戻された。
……後半、小声だったな。
やはり人前でパパ呼びは伏せたいらしい。
「そりゃあ初見じゃビックリするですよね……」
虫が苦手なタマコも苦笑いだ。
「済まない、うちの連れが迷惑をかけた」
梨香が丁寧に頭を下げると、おっちゃんは豪快に手を振った。
「いやいや! それに、よく見りゃすげーカッコいい虫じゃねえか!」
――分かるか。
あんた、分かるクチだな。
「ヘラクレスってば、マジちょーナルシスト~」
『悪いか!?』
ジト目のリリカに即反論してしまう。
その横で、梨香はなぜか胸を張っていた。
「やはり分かるか。パパ……じゃなかった、こいつは世界一かっこいいのだ」
「はいはい、うぬぼれ親子オツ~。それじゃおっちゃん、そのママンゴー? 一つちょーだい!」
「あいよっ! お嬢ちゃんたちにはおまけしとくぜ!」
気前のいいおっちゃんは、ママンゴーにパイナップルっぽい果物、それにパパイヤっぽい果物まで山盛り持たせてくれた。
「お~、果物いっぱいじゃん! おっちゃんサンキュ~!」
「礼を言う。いつかお返ししたい」
軽やかなリリカと、律儀な梨香。
対照的な二人に連れられ、俺たちは噴水広場へ移動した。
「ふい~っ、ここちょーサイコーじゃ~ん!」
「はいです! わたし、こんな場所も好きですぅ!」
「ははは、二人とも気に入ってよかったよかった」
終始ワクワクの止まらないリリカとタマコに、カルラは快活に笑って応えた。
「……こんなにはしゃいだのは久しぶりかもしれない」
「ですね、リカーシャさん」
梨香とピルクも満足そうに顔を合わせている。
そしてタマコが取り出したのは、さっき買ったヤマタイ醤油だ。
「ちょうどフランクフルトがあることですし、ヤマタイ醤油の出番ですぅ!」
「おお、待ってたぞタマコや!」
パチパチと軽く手を叩くカルラに、タマコは照れ隠すように笑みをこぼす。
「てへへっ、やっぱりちょっと照れるですぅ。――それはそうと、ヤマタイ醤油はお肉とお魚両方にとってもあうんです!」
そう言ってタマコがヤマタイ醤油の小瓶を傾けると、黒く香ばしい液体が熱々のフランクフルトにかかって、じゅわっと音を立てた。
「はい、リリカちゃん! まずは騙されたと思って食べてみてですぅ!」
「騙されるもなにも、今の時点でめっちゃおいしそうじゃん!」
ヤマタイ醤油のかかったフランクフルトにリリカがかじりつくと、エメラルドのようにきれいな瞳に星々が宿る。
「んんっ!? なにこれっ、ちょーおいしいんだけど!!」
「本当ですか?」
「マジマジ! ピルクもかけてみなよ、ヤマタイしょーゆ!」
半信半疑なピルクもヤマタイ醤油をかけて食べてみると、彼もまた目を見開いた。
「んむっ! こんなの食べたことありません! リカーシャさん!」
「もう食べている! ……やはりこれだなっ」
ピルクが勧めるまでもなく、梨香もヤマタイ醤油をかけたフランクフルトに舌鼓を打ってる。
「やはりヤマタイの味は格別だのう! ムサシも食うか?」
『食いたいのも山々だが、やはり虫には塩辛すぎてどうも受け付けない』
『同感だ、ムサシよ』
前世では好きな味だったのに、虫になった今ではこれが受け付けないのは悲しいものだ。
俺にはよく分かるぞ。
『……同情など必要ない』
……やはりこいつ、素直じゃない。
「――そんじゃあヘラクレスにはこれ~!」
『ナイスタイミングだ、リリカ』
リリカがナイフでカットしたママンゴーに、俺は夢中でしゃぶりつく。
『おお、甘い! ナナバとは違うがこれもまたいい!』
まるで南国の味を前面に押し出したような甘味に、俺の味覚もわしづかみにされてしまった。
『ズルいぞヘラクレス、オレにもよこせ!』
「はいは~い、ムサシの分もあるよ~」
ムサシもまたママンゴーに魅了されたのか、脇目も振らずしゃぶりつく。
「きゃははっ、二人ともめっちゃ食うじゃ~ん!」
「これもまた良きだな、リリカよ」
リリカとカルラがそんな俺たちを微笑ましそうに見つめていた。
小腹を満たし、そろそろ移動しようとした――その時だった。
人波の隙間から、黒ずくめの男が、ぬるりと現れた。
――ドン。
「ひゃっ!?」
リリカの身体がわずかによろめく。
だが男は謝りもせず、そのまま人混みに紛れようとした。
「何アイツ、感じわる~!」
リリカが不満げに服を払う。
そして――ぴたり、と動きが止まった。
「あれ……?」
次の瞬間、顔色が変わる。
「待って。……財布がない!!」
『なんだって!?』
同時に、黒ずくめが全力で駆け出した。
――スリだ。
『逃がすか! ノビ~ルホーン!』
俺は即座に角を伸ばし、男の黒装束を引っ掛ける。
「なっ!?」
派手に前のめりに転倒。
そこへ――
「よくやった、ヘラクレスよ!」
カルラが疾風のごとく踏み込み、男を地面にねじ伏せた。
見事な連携だ。
リリカの財布も無事回収。
……のはずだったが。
「……む?」
カルラの声色が変わる。
彼女の指先が、男の裏地をめくった。
そこに縫い付けられていたのは――見覚えのある紋様。
歪んだ十字。
そして、祈りの円環。
「これ……教会のシンボルじゃないですか!」
駆け寄ったピルクの声が裏返る。
場の空気が、すっと冷えた。
「まさか……教会が、こんな形で接近してくるとはな……」
カルラの目が細くなる。
――教会。
胸の奥に、嫌な予感が沈んでいった。




