王都の大市場
小舟から降りた先で目の前に広がっていたのは、これまでとは次元の違う賑わいを見せる大市場だった。
呼び込みの声。
鉄鍋のはぜる音。
焼き菓子の甘い匂いと、香辛料の刺激的な香り。
人、人、人――。
波のようにうねる人波に、思わず俺も角をわずかに上げる。
「わ~、ちょー賑わってるんだけど~!」
「すごい人の数ですぅ!」
見たこともない規模の人混みに、リリカとタマコは完全に浮き足立っていた。
あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ。
二人の視線が忙しなく跳ね回る。
……まあ、気持ちは分かる。
現代文明育ちの俺ですら、この熱気は初体験だ。
「カカカッ、すごいだろう。王都の大市場で揃わぬものはないぞ!」
胸を張るカルラに、
「それはすごいですね。さすが王都です」
ピルクが感心したように顎を撫でた。
その横で、ムサシは大あごをわずかに下げている。
『この人混みはやはり好かん』
『そう言うなよ、ムサシ。ここはひとつ皆と楽しもうじゃないか』
『……浮かれた奴め』
全く、相変わらず素直じゃない。
思わず俺は小さく息をついた。
――その時だった。
「あーっ、あれおいしそう!!」
案の定、リリカが弾かれたように駆け出した。
「ちょっと、リリカちゃ~ん! 待ってくださいですぅ~!」
タマコが慌てて追いかける。
……うん、予想通りの展開だ。
リリカの胸元にしがみついている俺は、そのまま一足先に目的地へ到着した。
そこは、パステル調の布で飾られたファンシーなスイーツ屋台。
若い店員が、鉄板の上で薄い生地をくるりと焼き上げている。
『あれは……クレープか!』
「え、なになに? ヘラクレス知ってんの?」 『ああ。梨香の好物だったんだ』
「むう、またリカねぇ……」
――あれ?
リリカが、ほんのり頬を膨らませた。
『……俺、何かまずいこと言ったか?』
「なんでもないし! ――おねえさーん! フルデラクレープ二つ!」
「かしこまりました~!」
……絶対なんでもなくない。
手際よく焼かれた生地に、色とりどりの果物と生クリーム。
くるり、と巻かれて差し出されたそれは、見た目からして完成度が高い。
そこへ、息を切らしたタマコたちも追いついてきた。
「はあ、はあ……やっと追いついたですぅ~」 「急に走るな、はぐれるだろ!」
梨香の小言を、リリカは軽く受け流す。
「リカねぇ、めんごめんご。それより、好物なんでしょ?」
そう言って、クレープを差し出した。
「これは……!」
梨香の目が、わずかに見開かれる。
『やっぱり今も好きなんだな、クレープ』
「うん……でも、この世界にもあるんだ」
どこか感慨深げな声。
前世と今世が、ほんの一瞬だけ重なったようだった。
「ん~! 甘くてめっちゃおいし~!!」
先に頬張ったリリカが、褐色の頬を緩ませてうっとりする。
……分かりやすい奴だ。
「クレープ、美味しい……!」
梨香も珍しく無言で食べ進めている。
その様子に、俺の胸も自然と温かくなった。
――と。
「はい、ヘラクレスもっ」
『……え?』
差し出されたのは、リリカの食べかけ。
……いや、これ。間接キス――
「ヘラクレスってば、そんなこと考えてんの~? ヤダ~!」
『なっ!? バカなこと言うな! 俺だってこのくらい!』
ニヤニヤと笑うリリカのクレープに、俺がムキになってかぶりついた瞬間、濃厚なクリームと果実の甘みが一気に広がった。
『う、うまい……!』
「きゃははっ、ヘラクレスが一番夢中じゃん!」
くっ……否定できん。
俺が甘味に夢中になっているそばで、仲間たちもクレープを買って仲良く食べている。
斜に構えてツナクレープをかじるピルクにも、リリカが口を開けて迫った。
「ピルクのもおいしそうじゃん! 一口ちょうだい!」
「ダメです」
「ええ~、いいじゃん一口くら~い!」
「ダメったらダメなんです!」
『あんまり人のものをせがんだら駄目だぞ、リリカ』
「ぷぅ~」
俺がリリカをたしなめたら、こっちにはタマコと梨香が詰め寄ってくる。
「ヘラクレスさん、わたしのもどうぞですぅ」
「あ、ズルいぞタマコっ。――パパ、わたしのも食べる?」
彼女たちからも食べかけのクレープを差し出されて、俺は戸惑いつつもすぐにしゃぶりついた。
俺の背中も今頃満腹の黒に染まっていることだろう。
「ハハハっ、乙女の騎士も甘いものには目がないようだな」
『からかわないでくれよ、カルラ』
『…………』
「心配せんでもそなたの分もあるぞ、ムサシ」
『……すまない、主殿』
カルラとムサシも仲良くクレープを分けあっていて、なんか微笑ましい。
ひとしきり甘味を堪能したその時――ふと、タマコの耳がピクンと跳ねた。
「あ、あれは~っ!」
また一人、獲物を見つけた狐がいた。
「今度はタマコか……全く、仕方ない」
梨香が呆れたように肩をすくめたところで、俺たちは再び人波をかき分けて進む。
辿り着いたのは、周囲の華やかな屋台とは明らかに雰囲気の違う一角だった。
落ち着いた木看板。
素朴な壺。
そして――
どこか懐かしい、発酵の香り。
「……懐かしい香り」
『梨香も感じるか』
間違いない。
味噌、醤油――日本系調味料だ。
まさかこの異世界にもあるなんて。
「はわ~! これヤマタイの醤油ですぅ! こっちにはお味噌も!」
タマコが目をキラキラと輝かせるのは、そんな日本風の調味料の数々。
そうだ、タマコは日本に類似しているという東方の島国ヤマタイ出身だった。
「ほうほう、これは懐かしいのう。まさか王都にこのようなものがあったとは」
同じくヤマタイ出身のカルラも、目の前の調味料に興味があるようで。
そんなタマコとカルラに声をかけたのは、白い狐のお面を着けた店主。
「お、狐のお嬢ちゃんに翼のおねえさん! この良さが分かるとは!」
「はいですぅ! わたし、ヤマタイ出身なんです! ……もしかして、おじさんもですかぁ?」
「その通り! ワイはこの王都でヤマタイ調味料の良さを伝えるために、商売やってんだ!」
「――ヤマタイの調味料、か。懐かしいと思ったらそういうことか」
ヤマタイ醤油を手に取る梨香に、タマコが首をかしげる。
「リカーシャさんもヤマタイ出身だったですぅ?」
「厳密には違うが、似たような文化の出身であるといったところか」
「なんか不思議ですぅ」
ヤマタイ醤油の小瓶を軽く振って吟味する梨香に、タマコもキョトンとしていた。
「よし、醤油と味噌をもらおうか」
「毎度あり~! ……自慢の調味料なんだけど、ヤマタイ出身の人しか買ってくれないんだよな~」
「確かにちょっと匂いキツいもんね~」
店主のぼやきに、リリカが一言。
そうか、これが異世界の一般的な感想なのだな。
そうして俺たちは、不思議なヤマタイ調味料の店を後にする。
――だが。
市場の雑踏の向こう。
ほんの一瞬だけ。
こちらを見ていた黒い影に、この時の俺たちは、まだ気づいていなかった。




