運命と因縁
天穹の上、白銀の雲海を越えた神々の座にて、三柱の神が相対していた。
「……勇者は己の使命を果たし、ついに教会の偽りを打ち砕いた」
戦と知恵の女神アテナルヴァの声は澄み、まるで広場で響いたリカーシャの演説を反響させるかのように響いた。
「ですが代償は小さくありません。血の香りは大地を濁し、人の嘆きは土に刻まれ続けています」
命の母神ガイヤの声は深く沈み、憂愁を帯びていた。
そのとき、黄金の光を纏う一柱が歩み出る。
光と予言を司る神――アポロである。
「憂うな。未来は既に動き始めた。北には滅びの光が台頭し、南には武を求めし刃が鍛えられる。勇者は必ずや、その双方に相対するだろう」
「滅びの光……そして、武を求めし刃……?」
アポロの言葉に、アテナルヴァとガイヤは互いに視線を交わす。
「そして勇者は選ぶことになる。誰を信じ、誰を斬るかを」
意味深な予言を告げたアポロの眼差しは、すでに地上を貫いていた。
「……やはり相変わらず難解ですね」
「全くだ。だが確かに、未来は揺らいでいる」
アポロの予言とともに、雲間に揺らめく幻影が地上の景色を映した。
それはヌイヌイタウンの広場。民衆のざわめきと、新たな秩序を求める声。
幻影はやがて現実そのものとなり、場面は地上へと移り変わる。
*
この日、俺たちは領主ディナス卿の屋敷に招かれていた。
王家の使者が来るというのだ。
「それにしても、立派なお屋敷ですぅ……!」
「いやぁ~、さすが領主様のお屋敷! マジで映える~!」
タマコとリリカは目を輝かせ、俺もリリカの胸元で角をぐいと上げて見上げる。
「ここに王家の使者が来るのだな?」
凛と声を発したのは梨香。
隣のピルクも真剣な面持ちをしている。
彼らの姿勢は俺たちより一段大人びて見えた。
「ああ。……先日の件、教会の崩壊に関係があるはずだ」
ディナス卿の言葉に、ピルクが深くうなずく。
その時、屋敷の高台から見下ろせる町並みの先で、白銀の旗を掲げた騎士団が入場してくるのが見えた。
ざわめく民衆、近づく蹄音。
やがて屋敷の門前に堂々とした一団が到着した。
先頭に立つのは一人の女――。
長身で引き締まった肢体、艶やかな黒髪を高く結い上げ、右目には眼帯。
紫を基調とした着物を改造したかのような異国風の武衣をまとい、背に長柄の薙刀を携える。
露わになった胸元と、鋭くも凛とした眼差しが同居していた。
「王家の命を預かりし、東方の武人カルラ。勇者殿にお目通り願いたい」
――なんだ、この圧……!
俺もつい、視線が谷間に吸い込まれてしまい。
「ちょっとヘラクレス~? 今どこ見てんの~?」
『い、いや! 違う! 観察だ観察! 戦士としての……!』
慌てて言い訳する俺に、リリカがニヤニヤ。
ピルクは咳払いし、リカーシャは呆れ顔を隠さない。
そんな中、タマコが目を潤ませて叫んだ。
「もしかして……カルラお姉ちゃんですかぁ!?」
「む……その声は……おお、タマコではないか!」
カルラは豪快に笑い、タマコを抱き上げた。
「会いたかったですぅ~!」
「わらわもだ! まさかこのオリンス王国で再会できるとは!」
思わぬ二人の組み合わせに、リリカもすっとんきょうな声をあげる。
「タマっち、その人知り合い!?」
「はいですぅ! この人はわたしと同郷の天狗族なんです!」
確かに、よく見ればカルラの背には黒い翼が。
俺が心の中で「天狗って赤い顔で鼻が長いんじゃ……」と考えた途端、
「それは大天狗様のことだ。わらわは女天狗ゆえ、顔はこうなのだ」
『え、今俺の心読んだ!?』
カルラはにやりと笑う。
リリカが驚いて手を叩く。
「わーお! カルラさんにもヘラクレスの声が聞こえるんだ!」
「カッカッカ! 面白い虫を連れておるのう。……ムサシ、出てこい!」
カルラの懐から現れたのは、漆黒の鎧をまとった甲虫。
太く湾曲した大あごはまるで鋼鉄の刃――その存在だけで空気が張り詰める。
『……カブトムシ、か』
低く響く声。複眼が俺を射抜いた瞬間、背中に戦慄が走った。
その輪郭、その気迫……間違いない。
――スマトラオオヒラタクワガタ。しかもアチェ産の突起を持つ最凶の個体だ!
角と大あご、視線が交差した瞬間、互いの存在を悟る。
人の心を持つ、同じ“転生者”だ。
『お前も……転生者、だというのか?』
『ならば貴様もか。……面白い!』
言葉は短い。だが、交わされた瞬間にはもう火花が散っていた。
静寂が爆ぜ、空気が焦げる。
――先に動いたのはムサシだった。
地を蹴り、低く跳ね、黒い閃光となって俺の前に降り立つ。
『かかってこい、ヘラクレスオオカブト!』
『俺にも名前があるんだ。ヘラクレス――覚えとけ、ムサシ!』
そんな彼に負けじと、俺もリリカの胸元から飛び下りた直後、角とあごがぶつかり合って金属音が弾けた。
「わ、わわっ、ヘラクレス~!?」
「止めるですぅっ! カルラお姉ちゃんもなんとかしてぇ~!」
タマコが悲鳴を上げて両手をバタつかせるが、カルラは全く動じない。
むしろ腕を組み、快活に笑った。
「カッカッカ! どうやらこの二人、並々ならぬ宿命があるようだな! 面白い、力を見せてみよ!!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 今ここで戦わせるのは危険です!」
ピルクが必死に制止するが、リリカは興味津々で目を輝かせる。
「ヤバ、虫界の頂上決戦じゃん!?」
梨香は剣に手をかけながらも、息をのんで見守った。
「……パパ、負けないで」
『ああ、もちろんだ!』
その言葉を受けて、俺は角を構え直す。
ムサシも大あごを広げ、互いの名を刻み込むように再び睨み合った。
――カブトとクワガタ、二つの“王”の激突が、今始まろうとしていた。




