勝ち取った平穏と、次なる未来
あの後、救済の証はすべて回収され、今は領主ディナス卿の管轄で厳重に封印されている。
もう二度と、あの忌まわしい魔道具に人々が縛られることはないだろう。
そうして訪れたのは、久しぶりの穏やかな日常だった。
小さな姿のまま過ごす俺は、宿の外で剣を振るう梨香の姿をじっと眺めている。
「はっ……てやっ!」
彼女の剣筋には迷いがなく、鋭さの中に落ち着きすらあった。
『様になってるな、梨香』
「……パパ、見てたんだね」
俺が声をかけると、梨香は剣を置き、歩み寄って俺を抱き上げる。
角をつまみ胸元に乗せる仕草には、もう慣れているはずなのに……実の娘にされると、まだ少し気恥ずかしい。
『平和だな、梨香』
「うん。でも――私たちの戦いは、まだ終わっていないと思う」
そう呟いた梨香の視線は、遠く北の空へ。
『……ホーリーシティーか』
「大神官ニコラスはまだ健在。きっとまた刺客を差し向けてくるはずだよ」
その決意の横顔に、俺は胸の奥で「だから鍛錬を欠かさないのか」と納得する。
だが次の瞬間、彼女は柔らかな笑みを浮かべた。
「でも、私は負けない。だって……パパがそばにいてくれるから」
そう言って、彼女は俺の角にそっと唇を触れさせる。
『――――!?』
「パパ、大好き」
頬をほんのり赤らめた表情と、その真っ直ぐな言葉に、俺の胸は強く跳ねた。
『お、落ち着け俺……実の娘に言われただけだ……普通のことだ……』
必死に自分に言い聞かせていた、その時だった。
「――あーっ、リカねぇがちゅーした~!」
「なっ、リリカ!?」
市場帰りのリリカが声を張り上げる。隣でタマコは「はわわっ」と控えめに目を泳がせている。
「リカねぇもお熱いね~、ヒューヒュー!」
「ちょっ、勘違いするな! これは父親への親愛だ! ――そうでしょ、パパ!?」
『あ、ああ……まあ、そうだな』
「ほうほう、ヘラクレスもまんざらじゃないと。二人ともお似合いだし!」
『「そんな関係ではなーい!!」』
リリカのケラケラ笑いに、俺と梨香の声が揃った。
「――そうそう、リカねぇにもお土産~!」
それからリリカがポーチから取り出したのは、俺の姿を精密に象った金のブローチ。
「それは……」
「ヘラクレスのブローチだよ~!」
「アズモンさんのお店で売ってたですぅ~」
そう言うタマコの耳元にも、よくできたヘラクレスオオカブトの飾りがついたイヤリングが。
『アズモンさんって、ホーリーシティーへ行くまでの護衛をしていた、あのアクセサリー商か?』
「そっ! またこの町にまた来てたから、挨拶してきちゃったし!」
……そういえばあのオネエ商人、前に俺をスケッチしてたけど、まさか本当にアクセサリーにしてしまうなんて。
『ま、ヘラクレスオオカブトはアクセサリーとしても映えるよなっ。アズモンさんもさすが見る目がある』
「あははっ、ヘラクレスってばちょーナルシストじゃん!」
『……そ、そうか?』
腹を抱えて笑うリリカに、俺は戸惑ってしまう。
「ヘラクレスさんのアクセサリー、どれも素晴らしいできですっごく売れてたですよぉ!」
「リリカたちも買い揃えるのマジ大変だった!」
『そうかそうか。やっぱヘラクレスオオカブトの魅力は万国共通だよな』
自分の大好きな虫が、こうしてみんなにも好まれるというのは気分がいいものだ。
「ピルクとソフィーラさんの分もあるから、後で渡すね~」
「ああ。ピルクも喜ぶと思うぞ」
軽い敬礼のような仕草をとるリリカに、梨香もふっと笑う。
ふと俺はリリカの言葉に違和感を覚えた。
『そういえばリリカ、自分の分は買わなかったのか?』
「んー。リリカはいいかな~。だって……」
そう言ってリリカは、梨香の胸元から俺をつまみ上げて、自分の胸元に置く。
「リリカには本物のヘラクレスがいるしっ!」
「ははは、それもそうだ」
『そういうものなのか……?』
笑い合う一同に、俺は一抹の疑問を感じつつもあえてつっこまないでおいた。
みんなで宿の部屋に戻ると、ピルクがちょうど初代勇者アリューシャの日記を熟読しているところだった。
「ピルク、お土産買ってきたよ~!」
「お土産って……、別にどこか旅行に行ってたわけじゃないですよね?」
怪訝な顔をするピルクの肩に、リリカは馴れ馴れしく腕を回す。
「まあまあ! ピルクにはこれがいいかな~って」
そう言ってリリカがピルクに渡したのは、金のブレスレット――もちろんこれにもヘラクレスオオカブトの紋様が刻まれていた。
「これって……ヘラクレスさんですよね?」
「そ! 顔馴染みのアクセサリー屋さんで売ってたやつ!」
「ふーん。……リリカさんもなかなかセンスがいいですね」
「むーっ、ピルクってばリリカのセンスをどんなだと思ってたわけ~?」
リリカが不満げに頬を膨らませつつも、ピルクは土産のブレスレットを腕にはめて気に入ったようである。
「それじゃあ、今度はみんなでソフィーラさんのお見舞いへレッツらゴー!」
「はわわっ、もういい加減離してくださいよ~!」
ピルクを強引に引き連れて、リリカたちはソフィーラさんの療養している町の診察所に足を運ぶことにしたようだ。
もちろん俺もリリカの胸元に乗って同行する。
診察所に行くと、ベッドで穏やかに横になっているソフィーラさんの姿があった。
「ソフィーラさん、おひさ~!」
「あら、みんな久しぶりじゃない。あの演説の時以来かしら」
リリカたちに気付くなり、ソフィーラさんは身体を起こして気さくに手を振る。
「ソフィーラ、身体の具合はどうだ?」
「ええ、もう大分よくなってるわ」
「……そうか、ならいいんだ」
ソフィーラにそう言ったかと思えば、梨香は一瞬目を背けた。
自分のせいでソフィーラさんが傷ついたと、まじめな愛娘は責任を感じているのだろう。
『多分気に病む必要はないと思うぞ、梨香。ソフィーラさんも回復してきてる、それでいいじゃないか』
「でもパパ、私が巻き込んだせいでソフィーラは……」
俺のフォローにも浮かない顔の梨香に、ソフィーラさんが物申した。
「あーもう! 私は全然気にしてないわよ! あなたたちを助けたのも、私自身の意思だったんだもの。リカーシャちゃんが気にすることなんかじゃないわ」
「しかし……」
「だからこのことはもうおしまいっ。考えるなら未来のことにしなさい」
そう伝えたソフィーラさんの顔は、とても真剣なもので。
「……分かった。私も過去を悔やむのをやめる。そして未来の方に向くことにしよう」
「その意気よ、リカーシャちゃん」
荷が下りた梨香に、ソフィーラさんが手を重ねる。
――こうして俺たちは束の間の平穏を得た。
だが、心のどこかで理解している。
これは嵐の前の静けさにすぎない。
救済の証が封印されたとはいえ、ホーリーシティーにはまだ大聖堂があり、大神官ニコラスが健在だ。
教会全体を覆う巨大な影は消えていない。
それでも。
『梨香、俺たちは必ず勝ち抜ける。お前が勇者で、俺がお前の父である限りな』
「うん、パパ。私たちで――未来を切り開こう」
そう誓い合った時、朝日が昇り、黄金の光が町を包み込んだ。
新たな戦いの幕が、静かに上がろうとしていた。
これにて第二部は完結となります!
次回からは第三部となるので、続きをお楽しみに(^-^ゞ




